2019/12/31

「盗賊と間者」司馬遼太郎短篇全集二

佐渡八は顔の右半分の肉が削がれて、眼のくぼみさえなかった。左頬からあごにかけて、するどい刀傷があった。佐渡八は腕のある泥棒だったが、厳戒態勢の京で捕まってしまう。与力の田中松次郎は佐渡八を買い、裁かずに解き放ってやる。佐渡八はこの時の恩を忘れずにいた。そして釈放のとき清七という若者を連れていくように言われる。
佐渡八は、泥棒をやめてうどん屋をはじめる。そこに新撰組が現れて、壬生の屯所での営業を許される。
清七に連れてこられたおけいは一緒にうどん屋を手伝う。清七とおけいは長州の間者で新撰組の同行を監視していた。
山崎烝が登場する。
「うどん屋。どうもわしは、むかしお前の顔を見たおぼえがある」
「なあんや。あほらし。貴方さんは、針医の赤壁堂の留右衛門はんやないか。いつ転業しなはった」
「気安う言うな。いまでは、会津中将様御支配新撰組副長助勤の山崎烝といえば、京では知らん者がないはずや」
「よりによってみぶろになるとは、ようお父つぁんが承知しやはったな」
「それが耿々一片の氷心というやつでな」
「なんです、それは」
「武士やないとわからん」
「針やが武士かい」
「こいつ」

長州の間者であることがばれてしまい、三人は逃げる。
おけいが佐渡八を頼ってやってくる。そこでおけいは佐渡八と一緒に暮らしたいと告白するが、佐渡八はそれを拒絶する。
維新後、清七とおけいが訪ねてくる。清七は一山あて、逆に新撰組の連中ははずれをひいた。
佐渡八はおけいに恨み言を言われながら、おけいには物味遊山のようにぶらぶら生きるのがいいと、負け惜しみをいう。

新撰組の哀しみがよくでている。百姓町人が旗本、大名になるべく新撰組にはいったり。そして逆に官軍側の軽薄さというのも清七をとおして描かれていて、なかなかいい。
このころの司馬さんはまだ英雄を題材にしていなくて、市井のひとびとを扱っている。
佐渡八の人物描写なんか、非常に優れているとおもう。

2019/11/29

「泥棒名人」司馬遼太郎短篇全集二

盗賊江戸屋音次郎は海鮮物問屋に泥棒に入った時、玄達と出会う。そこで長屋の隣に引っ越してきた易者だった。
音次郎は、大坂にきてお蝶を女房にもらうが、その掛け合いがおもしろい。
音次郎は玄達に、大阪城にある火切り国元を盗む勝負をもちこみ、音二郎は大坂城に忍び込み盗み出すが、じつはそれは玄達が前もって仕込んだものだった。
玄達は音二郎に女を盗み出してほしいという。玄達はみずからの家系や生い立ちをはなしはじめる。
役小角が信貴山で夫婦の鬼を大峰山に住まわせる。その鬼の末裔が自分であるとつげる。北鬼の所領は熊野の奥にあり、誰も嫁ぎに来ない、だから代々嫁を盗んできた。女はあまりに山奥で自分の境遇をあきらめるのだという。
音次郎は玄達の申し出を受け、黄檗寺にいる女を盗みに行く。
「しかし、なんだな。お前はきっと佳い女だろうな。闇の中でもわかるんだ」
女の細引を締めながら音次郎は言った。

落ちは途中で気づいてしまう。
盗むことが愉しくて盗む、っていうのもいいですね。泥棒にたいしも情が湧いてしまう。
少し物足りないところがある。
例えば、ラストの落ちでもう少し音次郎の開き直り感がほしいしところかな。
音次郎とお蝶の会話は、司馬さんのユーモアが光っている。
大阪弁の司馬遼太郎の文章を読んでいると、ある種落語を思い起こさせる。
そう、漱石の『吾輩は猫である』の「オタンチン・パレオロガス」のくだりのような感じ。

2019/11/28

「和州長者」司馬遼太郎短篇全集二

欣吾は嫂の佐絵と関係をもち、睦言を言う。自分のせいでこのような関係になったとか。
事が終わり、嫂が部屋に戻る。欣吾はそのまま寝るが、突然兄采女が入ってきて佐絵が死んでいる、そして佐絵は誰かに犯された痕があるという。欣吾はバレるのではないかと心配するが、兄は疑っている様子がなく、さらに体裁から病死したことにする。
中間の団平が、初七日の日、佐絵と関係をもったものを集める。団平、采女、小間使いの源右衛門、欣吾が集まり、采女は佐絵は不義を働いていたことを知る。
源右衛門は佐絵を無理矢理犯しており、佐絵はその口直しで欣吾と寝ていた。ただ佐絵が死んだ日はめずらしく順番が逆になり、激しく犯された佐絵は、心臓も弱かったこともあり、死んでしまう。
関係をもった順に座が決められる。和州のしきたりだという。そして四つ徳利に一つ毒が入っている。それを上座から選び、飲み干していく。その後、お開きとなり、欣吾は自分が毒入りを飲んだのではないかと恐れる。
のち、死んだのが団平で、采女から団平が酒盛りの際に述べていた、佐絵を最初に抱いたのは自分であると言うのは作り話であることを告げられる。そして、団平は佐絵に恋をしていて、自ら毒をあおって死んでいったという。
采女は家督を欣吾にゆずり、隠居することを欣吾に告げる。采女は最後、欣吾を蹴り飛ばす。

和州は大和のことだが、おそらく司馬さんは大和人である団平の損得のないまことの恋心を描こうとしていたと思うが、あまりフォーカスできていない。
それでも文章がいいので、読ませる読ませる。司馬さんの文章というのは、どこか明るいし、さっぱりしているので、この手の男女の情愛を描くには苦手かなと思う。
団平の佐絵への思いを、もっと妄執的なもので描いていたらと思う。どろどろした情念とか、一方的な団平の佐絵への思いを描写していたらと思う。
でもそれをすると司馬遼太郎ではなくなってしまうけど。

2019/11/27

「大坂侍」司馬遼太郎短篇全集二

又七は幼少のころ江戸にいたため、江戸の言葉を話すが大坂の十石三人扶持川同心でしかない。父が病の床にあり、政に旦那(徳川家)に恩を返すために上野に行って彰義隊に入れと言われる。
ここの父の寝床の描写がまたよくて、父弥兵衛の頭上に白刃が垂れさがっていて、それは天井から抜き身を垂らして、何かの表紙で意図でも切れれば刀が身体に刺さって死ぬという寸法になっている。弥兵衛にとってこれは精神修養の法なのだというが、司馬さんは、「五十年つづけて、まだ死んでいないのは、弥兵衛が布団を着ているからだろう」と揶揄する。生死一如の禅境をひらくために、とはいいながら保険をかけているころのおかしさよ。

又七の従兄弟の数馬は、優男で侍らしくない。衣絵とは許嫁の間柄だが、弥兵衛はどこか馬鹿にする。ふと数馬に話しかえる。
「へえ、何だす」
「それ見い。町人とのけじめもつかぬ大坂口跡の侍じゃ」
といい、鳥居強右衛門の子孫であることを誇りにしいた。
「しかし、数馬も私も、同じ十石三人扶持ですよ」
「法楽をいえ。侍は、石高ではない。体の中に流れている血じゃ。まさか、そちは、この大坂の町人風儀に毒されているのではあるまいな」
というやりとり、ユーモアがありますね。

政は、近所の口利きなどをして、便利屋のようなことをして生活をしていた。
そして堀江の分限者大和屋源右衛門の一人娘お勢の又七との縁談をまとめるように動くが、うまくいかない。
「そやから江戸っ子は阿呆やといわれるんや。大阪ではな、又はん。人間は、着物ぬいで、垢洗うた目方で量るんや。」
お勢が遊人に絡まれているの助けたのを機にお勢と知り合った。
そのとき又七の剣の師匠である玄軒先生が仲裁に入るが、玄軒は金で免許皆伝を買っただけあって弱い。幼少の又七に負けて道場を閉めたりもした。
そこに割って入った又七は遊人たちを殴り伏せる。
お勢は見惚れて、父親に又七と一緒になりたいと告げる。

そんなこんなで又七も自分が武士であるという自覚をなんとなくもちはじめ、父の死を機に彰義隊に参加する。
上野でぼ彰義隊の戦いは惨めなもので、あっなく負け、又七は逃げる。廻船問屋の江戸支店に飛び込む。
「ああ、阿呆さんが帰ってきはった」
と言われ、粥をもらう。大坂の商人は官軍に金をどっさり貸していて、又七は大阪から江戸に来たにもかかわらず、大坂の商人にやられたことを知る。
番頭が、お勢いることを告げる。そしてすぐに船がでるから大坂に一緒に帰って、婚礼の支度をするようにだされる。
「なんだかよくわからないが、西遊記の孫悟空が、自分で天地にあばれまわったつもりでも結局はお釈迦様の掌の上で走っていたにすぎなかったように、武士だ武士だと言っても、結局は大坂のあきんどたちの掌の中で走りまわってきたような気が、ふとせぬでもなかった。」

テンポのいい会話、皮肉と諧謔のきいた文章がすばらしい。そして落ちも申し分ない。
この短篇は、人生の哀惜だとかではなくて、数寄を描いている。
人生、よくわかならい。ほんの数年前ですら、今の自分を想像なんてできない状況ですし。
読後、さっと吹きぬける風を感じる、すがすがしさがある。
彰義隊だとか西郷だとか、これほどの野暮はない。文章それ自体で、そう言っていてる。

2019/11/26

「難波村の仇討ち」司馬遼太郎短篇全集二

佐伯主税は出合茶屋でお妙と関係をもつが、じつはこのお妙は主税の兄の仇討ちの相手奴留湯佐平次の妹だった。主税は兄は佐平次の口車に乗せられてしまい、のちに不正がばれてしまう。さらに佐平次を斬ろうとするも返り討ちにされる。
主税は佐平次を討とうとするも、佐平次はのらりくらりとかわしてしまう。さらには馬鹿にされる。江戸や田舎の者は殺伐としている。仇討ちは野暮の骨頂だと。
佐平次は佐平次で仇討ちの許し状を主税から金で買おうとする。
お妙は、時折主税のもとに行っては、一緒になってくれと頼み込む。大坂の心意気をしゃべる。
「大坂の男はんは、恋でならしにまっせ。諸国の人から、大坂者はえげつないといわれながら、恋のためなら損得なしに死ねる心根を持ってます。田舎のお侍は、そうは行きまへんやろ。死ぬときは、必ず損得がつきます。お主のために死んだら、孫子に禄高がふえるてら、何位てら言わはって」
時代は幕末、佐平次は横浜から帰ってきた。主税は佐平次を討とうと佐平次の家に行く。が、佐平次に蹴り倒され、
「この亡者め。時代が変わったわい。岡山藩も、幕府も、二百五十石も紙クズになりはてた。これからはあきんどの世じゃ。」
と言い、主税にお妙をもらって、米国に遊んでこい、と勧められる。
主税に残されていたのは、岡山藩でも実家でもなくお妙だけだった。

なかなかコミカルで、お妙の存在がいい。ところどころでお妙は主税の側にいて、おかしみがでる。敵の妹と色恋ざたをしながら、協力者のはずの与七にも百両で手を売ったほうがいい、仇討ちはつまらんといわれる。
主税には鬼気迫るものがあるようには書かれていなくて、たんに頭の固い、融通のきかない田舎者として書かれている。
司馬さんの大阪弁が軽妙で、武士をどこか馬鹿にした感じがとってもいい。

2019/11/24

第八章 この章では、モーセ五書やヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記列王記は本人の著作ではないことを示す。その後これらすべてについて、著者は複数いたのか、一人だけだったのか、また誰だったのか探求する/第九章 [前章と]同じ[『創世記』から『列王記』までの]各巻について、別の問題が取り上げられる。エズラはこれらの巻に最終的な仕上げを施したのか、またヘブライ語の聖書写本に見られる欄外の書き込みは[本文に採用されなかった]異本の読みだったのか、といった問題である

時代を経るごとに、聖書はそのまま受け継がれるのではなく、勝手な内容を盛り込んだりしていった。
モーセ五書がモーセ自身が書いたと信じられている、という記述があるが、そうだったのか。
聖書の各巻はエズラが書いたのではないかとスピノザは主張している。

聖書には欠落した部分や異本、付け足しなどがある。しかしラビはそのような欠落は認めず、逆にそれらに深淵ななにかを求めてしまっている、カバラを荒唐無稽と断じている。

第八章、九章は聖書の書誌学、文献学となっている。この二つの章は、現在ではかなり修正が必要な主張のようで。
ヘブライ語についても書かれているのだが、正直なんのことやら。
この二つの章は流し読みをした。

2019/11/23

第七章 聖書の解釈について

「聖書は神の言葉であり、ひろびとに本当の幸福、つまり救済に至る道を教えてくれる。と口ではみんな言うけれども、実情は全く違う。それはひとびとがしていることを見ただけで露骨に分かる。聖書の教えに従って生きることほど、民衆が気にかけていないことはないように思われるし、またわたしたちの見るところでは、ほとんど誰もが、自分の思いつきにすぎないものを神の言葉と一割っている。彼らが目指すのは他でもない、宗教を口実にして、自分たちと同じ考えをもつように他人を強制することなのだ」(301)
神学者たちは、神の権威をまとわせて、聖書の解釈を自分勝手にしている。自分たちの考えや行い、思いつきを擁護するために聖書を使う。
さらにわけの分からない箇所を研究して、聖書に深遠な教えや秘密があると夢想もする。
だから聖書解釈は、確かなデータた原則をもとに、正しい帰結をたどって聖書作成者の精神をを導きださねばならない。
そして聖書の教えというものは聖書そのものから導き出されなければならない。
「先入見に頼らずに聖書の神聖さを裏付けたいのなら、聖書の説く道徳がまともなものであることを、聖書だけを頼りにして明らかにしなければならない。聖書の神聖さを立証する決めては、これしかないからである。」(306)

聖書研究とはいかなるものであるべきか。
1 書かれている言語の本来的の性質や固有の性質の解釈が必要。ヘブライ語の研究は聖書解釈では必要。
2 聖書にでてくる発言をとりまとめ分類すること。なぜなら同じような発言をすぐに見つけられるようにするため。同時に発言の矛盾点もまとめておくこと。
3 預言者たちの書き伝えられた背景を突き止めること。いつ、どこで、誰に向けて書いたのか。

スピノザは聖書のなかで、有益で永遠の教えとして、神の実在、隣人を愛せよ、は聖書のどこでも明らかであるという。これは、聖書の中だけなのか、それとも本当に実在している、と言っているのか。
ただし、神がどんな存在か、ということになると聖書ではさまざま書かれていて、神の教えとしてはよろしくない。
さらに聖書は時代背景も重要であり、たとえばキリストが不道徳な者も許せ、という場合、それはキリストの時代が圧政の時期だったkらで、正義が行使されよい国には通用しないという。

しかし、聖書解釈では自然の光では理解できないものがあるというものがいて、さらに超自然の光について、熱心な信者だけが神から授けられるものだというものがいる。しかし聖書を解釈するのに自然の光では不十分で、しかもその超自然の光が多くの人に持ち合わせていたになら、なぜモーセは律法を制定したのか。みなに理解できるようにモーセは制定したのだから、超自然の光は必要ない。
文字通りの解釈が理性に反するならば、いくら文字通りの意味が明らかでも、違おう意味で解釈すべきであるとマイモニデスは主張する。
そしてマイモニデスの方法では、聖書の真意を聖書から確定することができなくなる。
この方法は聖書を恣意的に解釈することを言っているにすぎない。
聖書は哲学者や頭のいい人でなければ理解できない書物ではない。

感想
スピノザのこのような聖書を考証学的、考古学的に解釈する考え方は、いつごろからあるのだろうか。
この当時、聖書を神学から切り離し、歴史的背景から聖書を読み直すという作業はどうだったんだろうか。
いまではスピノザの方法論は目新しくもないし、さもありなんと言った感じだけども。


2019/11/21

北方謙三の『水滸伝』への批判と挫折――読んでいてつらい

北方謙三の『水滸伝』を13巻まで読んで、ぼくは決心しました。
もう、これ以上読むのはやめようと。もう、お腹いっぱいで、正直読むのがしんどい。13巻までだって、面白いから読んでいたのではなくて、義務感から読んでいたにすぎない。
北方謙三の『水滸伝』の斬新さ、ユニークさとは何か、と問われても、ぼくは原典を読んでいないし、講談も知らない、横山光輝の漫画をかれこれ20年以上前に読んだっきりだ。
だからこの『水滸伝』のすごさがわからないままだった。
正直つまらないし、多くの点でぼくは批判的だ。
この『水滸伝』に深淵さを求めるのは野暮だとわかっていても、書かざるをえない。

北方ロマンティシズムのハイパーインフレーション
第九巻の馳星周氏の解説が一番、この小説への評価としてはぼくにとってはしっくりきた。北方謙三の水滸伝の本質をついている。
「百八人全員が、志だの友だちだの生き様だの誇りだのを口にして滅んでいくのだ。……ひとり、ないし数人の男たちの物語ならまだ付き合える。北方健三の妄執に満ちた世界を斜に構えながら受け入れることはできる。しかし百八人だ。百八人の北方謙三もどきが、これでもか、これでもかと男の生き様、死に様を見せつける。百八人分のナルシシズムに翻弄されるのだ。」
破廉恥な自己陶酔、そしておそるべき自己中心主義、だと馳星周さんは書く。まさにそのとおりです。
かっこいいセリフ、かっこいい生き様、かっこいい死に様、これら北方ロマンティシズムがハイパーインフレーションを起こしており、ぼくは途中で付き合いきれなくなっていった。全体的に「かっこいい」が、溢れすぎて価値が著しくなくなっていく。
この小説にあるのは、北方ロマンティシズムのみであり、それが好きな人には堪らなく魅力的なのだろうけど、こうまで見せつけられると食傷気味になってしまう。

宋江の「替天行道」の内容がわからずじまいであること。
さらに、この小説の弱さ、宋江について。馳星周さんは、「替天行道」の本文を書くべきだったといい、そしてこの内容もよくわからない「替天行道」を象徴であり、男の志なんて、北方謙三にとっての男の志は、しょせん象徴以外のなんでもない、という読みをする。そこに恐ろし北方謙三の妄執があるという。
これもそのとおりだと思わざるを得ない。梁山泊に参加する者の多くは「替天行道」に感銘をうけるなり、なんらかの影響を受けて反政府運動に加わっている。しかし、その内容がわからない。
北方さんは、「替天行道」を読んだ者があっさり「感銘を受けた」のように簡単に書いてしまっているけど、そりゃあないでしょ。

「塩の道」ってなによ。
梁山泊の政府転覆運動で大切な役割をしているのが「塩の道」。だれか忘れたがこの「塩の道」が導入されたことで、反乱への現実味を帯びた、と評していた解説者がいた(ちょっと表現が違うかもしれないけど)。
これについても、闇の商売の仕方が非常に簡潔に書かれすぎていて、いただけない。例えば検問の通行証明書は偽造しているわけだが、はっきりいって具体的な記述はこれだけ。これにしたって偽造の仕方などを詳しく書いているわけではない。つまり「塩の道」や公文書偽造の考証学的なことは一切ない。
そんなものをこの『水滸伝』に求めるのは野暮なのは重々わかっている。ただ、あまりに記述が簡潔で強引すぎて、受け入れるのはできない。

人物描写が弱い。
108人以上の登場人物を書き分けることは難しいことがわかる。はっきりいって人物の描写があまりに弱すぎる。宋江も晁蓋も、あまりに漠然としすぎている。
宋江や晁蓋といった人物が「大きい」人物であると書かれているが、言葉が直接的すぎて陳腐になってしまっている。
通常では、その「大きさ」を、その人物描写を事細かく周辺から表現したりして、輪郭をつくっていくものだけど、北方さんはそんな回りくどいことはせず、ただ「大きい人物」としか書かない。全編、この調子なのだ。

表現があまりに直接的であること。
例えば「熾烈」「孤独」「困難」「過酷」などの言葉が乱用され、そのためあまりに文章が稚拙しぎないか、と思わざるを得ない。
さらに「替天行道」や「塩の道」のようにあまりに強引すぎるため、読者は置いてけぼりを食らう。「「替天行道」なる書物はすばらしいもので、人々の心をうった」、「「塩の道」を守ってきた蘆俊義の孤独はすさまじいものだった」のような、こんな調子で、「すばらしい」だとか「すさまじい」とかの言葉を使い、強引に読者に「すばらしい」「すさまじい」ということを伝えていく。内容が何なんだかわからないにもかかわらず。

試練やつらい過去について
宋江は武松に厳しすぎるほど厳しい、みたいなことが書かれているが、これもどんだけ厳しいものなのか、なぜ武松に厳しいのか、読んでいてしっくりこない。書き方が直接的な表現で「厳しすぎる」だとか、だからその「厳しさ」をレトリックで表現してくれ、となるわけです。そしてその結果、文章の密度がうすい。うすすぎる。
林冲の試練、武松の試練、他にも登場人物のつらい過去だとかが描かれていても、なんというか、微妙なんですね。それらの過酷さが読んでいて伝わってこない。

とりあえず、ぼくはいったん『水滸伝』を読むのをやめる。
わかりやすさを求める現代においては、ちょうどいいのかもしれない。レトリックはなければ、メタファーもない。
これは文学ではない。

2019/11/20

『イスラームから見た「世界史」』タミム・アンサーリー/小沢千重子訳 紀伊國屋書店

イスラームからみた世界史かあ、と期待していたけれど、さほど新しい知見を得ることはない。
イスラーム哲学、科学が中世ヨーロッパに輸入されていくことは周知の事実であるし、ムハンマドからはじまる王朝の歴史なんかも、このあたりの歴史に興味があって、何冊か読んだことがある人にとっては「別に」といった感じで、新鮮さはない。
ただし、記述も平易だし、非常に整理されているので、イスラームの歴史を俯瞰してみるにはいいと思う。書名が「イスラーム史入門」みたいなのであれば、かなりおすすめできる。もっと言って読むべきだとも思う。
でも書名から連想して、ワクワクして読んだ身としては、肩透かしではあったわけです。

もう一点、問題と言えば、著者がいう「イスラーム」とはなんだろうか。
「イスラーム」といっても、イスラームは多様な世界をもっている。インドネシア、マレーシアもイスラームなんだ。
もちろん北アフリカのイスラーム、中央アジアのイスラーム、回族など多種多様なわけで、「イスラームからみた」といっても、それって傲慢でしょ、結局は著者が乗り越えたいと考えているヨーロッパを中心にした歴史観とあんまり変わらない。
現在、日本語で書かれている歴史書で、偏った西洋中心主義の内容のものは、ほとんどないと思う。
というか、そもそもそんな西洋中心主義的なものを、日本の歴史学、哲学、科学、あらゆる分野では超克したり、違ったアプローチをしてきた。それは明治の時代からそうなのだ。
たしかに、凝り固まってしまっている歴史観なりは知らず知らずあるだろうが、本書がそれをほぐしてくれるとは残念ながら言い難い。

2019/11/16

『メノン――徳(アレテー)について』プラトン 渡辺邦夫訳 光文社古典文庫

今回もかなり渡辺先生の解説がためになった。というか解説がなかったら、『メノン』も、それほど感銘をうける書物ではなかったと思う。
以下のまとめも乱雑で、渡辺先生の解説のまとめみたいになってしまった。
解説を読んだ後、『メノン』本文を読むと、素晴らしいほど「理解」できた。
ただ、アレテーの訳が徳というのは、日本語の語感からして違和感がないわけでもない。
哲学書でもあり普通の使い方ではない「徳」を語っているのはわかっているが。

徳とは何か。
メノンはゴルギアスのもとで弁論術を学んでいる。メノンはまず「男の徳」「女の徳」「大人の徳」「奴隷の徳」があると説く。ソクラテスにもっと一般的にしろと言われて、次に「人びとを支配できること」と答える。しかし、正しい支配でなければ徳とはみなせないとソクラテスに反駁される。
メノンにとって徳は政治家としての理解を重きにおいている。しかし、ソクラテスは一般性の問題として問い直す。
ソクラテスが言う「正義はある種の徳である」というのは正義が徳のカテゴリーの中にあるもので、イコールではないということ。節度、勇気、知恵も徳なのだから。
そしてソクラテスは定義を行う際に循環してはならないという。つまり徳を定義するのに徳という言葉を使ってはならない。さらには徳である正義を使って徳を定義すべきではない。

善い行いと悪い行いとは
「よいものを欲する」ことは、徳がある人のみではなく、誰でもがいつでもやっていることだから、徳を他のものとは区別してくれない。
「悪いことを欲する行為」というのは、「悪いと知りつつやってしまう」「よいと知りつつそうしない」といったように表現される。意志の弱さ、もしくは無抑制というもの。
メノンはここで「よいと知りつつそうしない」ことと「悪いと知りつつしてしまう」ことは、現実には存在しないという結論する。
悪いことを知りつつ行うということ、それは悪いというのは有害であるということ、であれば悪いことを悪いと知っていながら、欲する人がいるのだろうか。
悪いものが有益だと考えていて、悪いものが悪いことであると知っていると、そうなるのか。
ではないのならば、「悪いもの」を欲しているわけではなく、自分がよいと考えたものを欲していることになる。
実際は「悪い」が、それを知らずに「よい」と考えて欲している。
ここで、メノンが言う「悪いものを欲する」人は、害になることを知っているということになる。
害を受けている人は、惨めである。惨めな人は「不幸」である。すると、「不幸でありたいと思う人が、いるのか」
メノン曰く、いないと思います。
するとだれも悪いものを欲しないことになる。誰も害を受けて惨めに不幸になりたくないのだから。

意志ある行動について
整理すると解説にあるように
(a)よいと考えて欲するのか
(b)悪いということを知っていて欲するのか
意志が弱いとなるような(b)のケースが存在するとメノンは言う。では、
(b1)有益であると考えて欲するのか
(b2)害があると知っていながら欲するのか
となるが、(b1)を選択することはできない。有益であると知っているなら「悪」ではなくなる。
で残るのが(a)(b2)となる。
(a)は通常の行為だが、では(b2)はどうか。
これは意志の弱さの行為の典型だが、ソクラテスは「不幸」を欲する行為はだれもしないだろうとなる。
となると、つまりは、ここでは
「意志の弱さからくる」と呼ばれていた行為は、そのような呼称のものとしては存在しないということになる。
通常言われる、「意志の弱さ」、例えば甘い食べ物を食べてはいけないとわかっているのに食べてしまうようなケース、これは(a)となり、「よいと考えて行為する」ような、医師が弱くない行為、ノーマルな行為だということになる。
意志が弱いから行った、というのも認めていない。
自分の意志で甘いものを食べた、選択したことであり、強制されたことではないから。
これは強い何かを感じる。

倫理的とはいかなることか
ここで渡辺さんはさらにもう一点、ソクラテスの意図を述べている。
ソクラテスは、「よい」「悪い」「有益」「害」をいう言葉を、行為者本人の行為からみて、その行為者にとって「よい」「悪い」「有益」「有害」かどうかと使っているという。
それは、「何がその人の結果としての行動を導いたかという観点だけから、その人にとっての善悪や益と害を問題にすることができ」る。
私たちは日ごろ「意志の弱さ」からくる行為について、ソクラテスとの言葉遣いではない理解で善悪、有益、有害を考えている。
ソクラテスはこのような日常的な使い方を排除した。
それは、「人の心は、人の行動によってしか語れないという結果」になる。おおおおおおおー。どうだ。行動こそが重要だということは巷では耳にタコ状態だけど、それをきちんと理屈づけているではないか。
ここから、メノンの「徳」の定義、「よいもの」だとか「美しく立派なもの」という定義は空疎なものになっていく。

有難迷惑ということ
「よいもの」が有益にもなり、有害にもなる。
つまり「正しい使用」であればよいが、そうでないならば有害でしかない。そして「正しい使用」は知識や知性によって導かれる。
財産や美は、ある人にとっては有益だが、別の人にとっては有害になる、というのはうなづける議論でしょう。
つまり、メノンがいう財産、美、勇気を欲すること、もしくは所有することは、それ自体が「徳」ではないことになる。

「探求のパラドクス」
知らないことをどうやったら知ることができるのか。
メノンにとって知ることは同一指定となっている。同じであることはIdentifyできるかどうかを意味している。
だからメノンは暗闇のなかで手探りでどうやって「徳」を探求できるのか、知らないのに知ることができるのかと問う。
「徳とは何か」と問われ、ソクラテスは知らないと答える。メノンはパラドクスを突きつけるが、そもそものメノンの知識観が間違っていることが次で述べられる。

想起説
探求すること、学習することは想起することであるとソクラテスは言う。これが一般的(メノンを含む)な学習とは考えが違う。
「事物の自然本性」はギリシア語で「フュシス」で、これをラテン語に約訳されたとき「ナートゥーラ―(natura)」となる。つまり「本質」「本性」の意味が強い。「徳のフュシス」といえば、それは「徳の本質」、それは芋づる式に応えがでてくるはずで、そえは人間の誕生以前の高貴な状態で、すでに知られているものである、と想起説ではなる。
この想起説で、知識は全体
ソクラテスは「原因の推論」という『縛り』」があり、だから「正しい考え」よりも優れているとするが、プラトンはそこに想起説を結びつけているという。
この場合、正しい考えは長期間とどまってくれるために原因の推論が必要だとする。それが想起であるという。
例えば三角形の内角の和が二直角に等しいという知識は、定理を原因から掘り起こせば「知った」ことになるが、たとえ原因から知らなくても、なんらかを「知った」ことになる。このことは正当化があれば知識は知ることができることをしめしている。
「理解して知る」ことこそが、人間の本来的に「知るに至る」ことである。
そしてさらに新たに学ぶこととは別に、むかしの経験の記憶に基づく知の再獲得こそ「学び」であるとソクラテスは主張しているようだ。
後者の想起は、なぜプラトンが重要視するのか。
それは知識が、「人格」や「内面」とほんとうの内奥で結びついていて、その人の中で切り離すことができないからだ。
徳とは何かという問いには、徳が教えられるものであることが前提となっている。
しかし、ソクラテスは知性(ヌース)や知(フロネーシス)という言葉を使う。これらの言葉は内的な関係性を響かせているという。
つまり、本来知識は外化できるものではないものであるという、プラトンの考えが反映されている。
「わたし本来の豊かな内容」を、過去の「記憶」の中に探る、「なぜ若い人は、じゃまになる考えを取り除いて頭の中をきれいにしてあげさえすれば、次々と壁と思われたものを越えて、次の段階にジャンプして成長すように学んでいけるのか? それは、自分の中にそれを超えさせるくらいのたいへん豊かな財を、もともともっていたからだ」(226)

仮説の方法
難解な幾何学の問題を例にしているように、ここから普通では理解しがたい問いへと変化していく。
幾何学で通用する立派な方法で徳は教えられる。
メノン、徳は知識ならば教えることができる。
しかしソクラテスは徳がいわば知識のようなものならば、学ばれるというは徳は「他人から教えられない」という仕方で学ばれる。
メノンの場合、徳の教師がいないから、徳は教えられない、ゆえに徳は知識ではないというストレートな解釈となる。
ここでソクラテスの行った「仮説のの方法」が無視されるようになる。
メノンはソクラテスのあいまいさや多義性を排除している。それは幾何学方法と同じように厳密な論理形式としてみなしている。
ソクラテスは徳を知識として結論はしている。それは「学習」される、経験から学ぶことができるから。徳は「学習」できるものとしている。しかし、ソクラテスは「知識・エピステーメー」にあいまいさをもたせている。

徳とは何か
ソクラテスの場合、有益なものは知(フロネーシス)であり、徳は有益であるのだから、必然的に徳は知であるとしている。
外的なもので有益とさえるものである、財産、地位、頑強さは、有害にもなりうる。
だから、これらを正しく使うことを理解しなければならない。そしてそのためには内的に有益なものが必要となる。
それが徳となる。
メノンが言っていた徳、男らしさや財産、地位、健康などは外的なもので、ここでメノンとソクラテスの違いが明確になる。ソクラテスの場合は内から外へだが、メノンは外から内へと向かっている。
徳とは正しい考えのこととなる。

2019/11/13

『ブッダ伝 生涯と思想』中村元 角川ソフィア文庫

本書は非常に平易に書かれていて、しかも経典からの引用が多くて、参考になった。
中村元先生は、本書でも少し触れているが、「慈悲」を大事にしている。他人を慈しむことの重要性を仏教から読み取っていく。
これは、仏教からはなかなか引き出すのが難しいところだとは思っていたのだけれど、中村先生は、やはりいい意味で大乗的なお方だったんだと改めて思う。

すべてを捨てること
「人々は『わがものである』と執着した物のために悲しむ。〔自己の〕所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまっていてはならない」(『スッタニパータ805』)
ブッダの言葉で好きなのがこれ。
ここで自己(アートマン)とは何かとなる。
そこで「無我」を考える。それは家族も財産も捨て、我執を捨てる。自己以外のものは憂いをもたらす。子であろうが、親であろうが、金だろうが。
あらゆるものを捨てる、これが解脱の心境となる。
「現実社会で生きている人々にとっては、生き抜くためにいろいろな障害にとらわれないという意味です。つまり束縛や障害を、束縛や障害として冷静に受けとめ、行くべき道を自ら、見いだし、自由闊達な活動を展開することです。我執、つまり執著を離れ、自由な広々とした境地を体得すること」だと、中村博士はいう。

自己とは
身体はアートマンではない。ではこの身体はどこまで拡張されるのか。だから身体もわがものではない。
現象世界は五蘊で成り立っている。これが執著を起こし、束縛する。
では人間の主観、つまり認識や感受、表象などの作用は、アートマン(私)が行う、と考えられがちだが、仏教ではこれらはただ作用しているだけでアートマンを想定していないという。
ブッダはアートマンを形而上学的に実体することを極力排除し、ただ「自己に頼れ」という、実践活動の主体としての自己を認めていた。
ブッダが否定したのは、アートマンという実体があるという執著であるという。
アートマンはこれでもないし、あれでもない。

自己を愛し、他人を慈しむ
ブッダは自己を否定していたわけではなく、倫理的な行為としての自己は積極的に認めていた。
そこでまずアートマンを護りなさいという。
「たとい他人にとっていかに大事であろうとも、〔自分ではない〕他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ』(『ダンマパダ』166)
そして自己を愛せと説く。子がかわいかろうが、自己ほどかわいいものはないとブッダは言う。
原始仏教では人間は利己的な存在であることからスタートしている。
ここでたんなる利己主義には陥らない。他人も自己がかわいい、だからその他人を害してはならない、という倫理へとつながる。
自己を愛する人、守る人はつつしむ人であると。
ブッダはこのように自己(アートマン)を認めながら、形而上学的な議論には沈黙をした。

さとりとは何か
ブッダは十二因縁を観じ、悟ったとするが、『サンユッタ・ニカーヤ』では、「老死から生、生から有とたどっていって、ついに『識を縁として名色あり』、次に『名色を縁として識あり』と……ここでは縁起の系列を逆にたどっていて、識と名色との相互基礎付けで終わって」いる。この経典では縁起説の成立前となる。
十二支は無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死と『ウダーナ』から中村博士は引用している。この引用部分非常にわかりやすい。いうなれば無明から生活作用、そして識別作用……と順に生じること考え、そして次に無明が止滅し、次に生活作用が止滅し……と逆に考えていく。
この十二支縁起は、原始仏教でもずっと後になってから整理されたようで、もっと古い経典では縁起説はもっと簡潔にでてくるという。
その他にもさとりは六処、六根、四神足、四禅などのさとりの道があるという。
中村博士が言うには、このようにいろいろなさとりの道がるのは仏教の成立に遡れるという。仏教は特定の教義がなく、ブッダ自身が定型化を望んでもいなかった。
とはいってもその底に流れる思想がある。それは、因習や宗教に囚われずに、「いま生きている人間をあるがままに見て、安心立命の境地を得るようにされること」だという。それには実践的にダルマ(理法)を体得することだという。
そしてこのダルマもまた定型的なものではない。


非想非非想処「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。――このように理解した者の形態は消滅する。けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起こるからである。」(『スッタニパータ』)
「バラモンよ。木片を焼いたら浄らかさが得られると考えるな。それは単に外側に関することであるからである。外的なことによって清浄が得られると考える人は、実はそれによって浄らかさをえることができないと真理に熟達した人びとは語る。
バラモンよ。わたしは[外的に]木片を焼くことをやめて、内面的にのみ光輝を燃焼させる。永遠の日をとおし、常に心を静かに統一していて、敬わえうべき人として、私は清浄行を実践する。」(『サンユッタ・ニカーヤ』)
これらのブッダのことばのように、ブッダは同じようなことを繰り返し繰り返し説いている。ことばが変わっても底に流れる思想は同じで、この世は諸行無常である、だから自己を愛し、そして修行に励みなさい、というこである。

2019/11/11

『西南シルクロードは密林に消える』高野秀行 講談社、『ミャンマーの柳生一族』高野秀行 集英社

ドイツ出張の際にフライト中に、高野秀行の本を読む。
高野秀行さんの本は久しぶり。『謎のアジア納豆――そして帰ってきた〈日本納豆〉』以来。
ドイツへ行き、基本仕事だったけど観光を少しして、いいところではあるのだけれど、やっぱりアジアの猥雑さというか人間臭さがあまりなくって、高野さんの本も読んだ後といいうこともあり、物足りない感が半端ではなかった。

『西南シルクロードは密林に消える』高野秀行 講談社
で、結局「西南シルクロード」とはなんであったのかはわからず、題名通り、密林に消えていっている。
内容は、冒険譚としては最高におもしろいもの。西南シルクロードの考証的ななにかをもとめるべきではない。
成都からはじまり、大理、瑞麗、そこからからカチンに入り、ナガへ。最後はカルカッタに行く。
カチンのゲリラのいいかげんさや、修羅場の切り抜け方なんかおもしろい。中国の公安に捕まって、嘘八百をならべて解放されちゃうし。
親子の再会なんかもあって、マジかよとなる。

『ミャンマーの柳生一族』高野秀行 集英社
船戸与一と一緒にミャンマーにいった記録。船戸さんは、このミャンマー取材ののち『河畔に標なく』を書く。ずいぶん前にこの小説を読んだから、今ではほとんど覚えていない。
ミャンマー人の「国際性」を評価しているところなんか、なるほどと思った。民族、宗教が入り乱れている場では、たしかに日本のような均質な環境とは違うコミュニケーションが育まれるのだろうな。
それにミャンマー人が本をよく読むというのは知らなかった。本を読む少女の写真が載っていて、なかなかいい写真だった。木陰で物売りをしている少女のやつ。
ミャンマーの権力争いについて、簡潔にわかりやすく書かれているけど、正直言えば、そのあたりは興味がない。だって権力争いなんて話としてはおもしろいけど、知識欲を満たしてくれるものではないからね。
でも、おもしろかった。


2019/11/10

『風邪の効用』 野口晴哉 ちくま文庫

『整体入門』を読んで、受け付けなかったのだけれど、『風邪の効用』は短い本だし、ざっと一、二時間で読めてしまいそうなので、電車で暇つぶしに読んだ。
風邪は身体の調整をしてくれるとのことで、よく風邪をひく人は身体が丈夫になっていくという。逆に風邪をひかない人は、突然ころりと死んだりしちゃうのだとか。
風邪はきちんと対処すれば、身体にとって有益なのだと。デトックス効果というやつでしょうか。
『整体入門』のときもそうだけれど、椎骨何番とか書いてあっても、正直よくわからない。というか椎骨何番でなぜどこどこに効くというふうになるのか。単に経験則でものを言っている感じしかしない。
で、致命的なのが、「風邪」の定義を、野口さんはしていないことだ。
「風邪」とひとくちに言っても、いろいろあるし、人によっては風邪と認識していない風邪もあるだろう。野口さんから言えば風邪になるような症状もあるだろう。
野口さんは、さまざまな風邪があって、対処が難しいと逃げをうっているが。

多くの部分で受け入れがたいのだけれど、ただ風邪がなんであるかを探求したい人には、オルタナティブな答えをくれると思う。
人が病気をするというのは、単に悪い方向にいくだけでなく、調整機能があるのかもしれないと改めて思わせてくれる。
風邪というのは、身体が快方へ向かう途上なのかもしれない、と。

2019/11/09

『整体入門』 野口晴哉 ちくま文庫

野口さんの整体がどんなものかがわかる。この本は、入門となっていて、たしかに平易に書かれている。だけど椎骨何番とか書かれていたり、また具体例として写真付きで体操の仕方が記述されているが、正直このあたりはよくわからない。ただ全体を把握できる。
日常生活の中で、人それぞれに身体の癖があって、そのゆがみを矯正すれば快適な生活が得られるようなのだけれど、自己流でどこまでやることができるのかが疑問。
愉気とか活元運動とか、正直なんじゃそれって感じ。「気功」と何が違うのか。
ぼくのようなモダニストには受け入れられる話ではない。
著者がいう身体の癖である「体壁」というのは、まあわかる。人それぞれ癖があるなんて、そりゃあたりまえなわけです。
でも、あやういなと思ったのは身体の癖から性格診断までしてしまうことだ。たしかに気分によって人間の姿勢だとか態度が変わることは普通にあるし、それが人間一般に同じ傾向をもつというのもわかるが、なんか野口さんの診断はあやしいんですね。

余談で、ものはいいようだというのがわかる。世ではよく噛んで食べることが推奨されているが、咀嚼すればいいというものではない、という。というのも胃を甘やかすことになるからという。
ぼくは咀嚼をほとんどしないし、咀嚼すればいいみたいな風潮をバカにしているから、なかなかいいセリフを学べた。
といったように、野口さんの話は、これと同じようなトーンで話が展開していく。

あと蛇足だけど、野口さん、享年65歳ということで、けっこう若くして亡くなっているんですね。それって野口整体をやっていなかったら、もっと早くに死んでしまったということなのか。それとも野口整体の効き目は実はたいしたことがないか、もしくは有害か、というふうになる。
このあたりを検証したりすることはしないのだろうか。

2019/11/08

「豪傑と小壺」司馬遼太郎短篇全集二

豪傑と小壺

「壺狩」を少し長くした話。
稲津忠兵衛はブサイクで鈍重で力も強く愛嬌があるようなのだが、武運がよくないので出世は見込めない。
せっかくの見合いでも緊張しすぎて、逃げてしまったりと、忠兵衛の悲哀とおかしみが書かれている。
まあまあまあといったところでしょう。
「壺狩」のほうが凝縮されていてよかったと思う。

2019/11/07

北方謙三版「水滸伝十三 白虎の章」

水滸伝十三 白虎の章

官軍が梁山泊へ攻撃を仕掛けてくる。
呼延灼、関勝、穆弘らはこれを迎えるが、趙安の戦い方にどこか違和感をもつ。呉用へ梁山泊への退避を提案するが、呉用は受け入れず。
呉用は流花寨のみを考えて作戦を立てるが、それが裏目にでる。青蓮寺は、流花寨、二竜山への派兵を囮に、董万が双頭山を急襲する。
朱仝は辛くも春風山に逃げ込むことができたが、多くの兵をなくしてしまった。朱仝、李忠は双頭山を守り抜くなかで壮絶な死を迎える。とくに朱仝は秦明、林冲、史進が到着すると、「あとは頼む」的な言葉を言い残し、彼らの目の前で倒れて死ぬ。すでに死んでいたのだ。
董万は結局、ほど陥落していた双頭山を落すことをせず、撤退をする。
この戦いの失敗で呉用は軍師の任を宋江から解かれる。そして宣賛が新たな軍師としてつく。
聞煥章は童貫と会う。童貫は董万が勝ちにいこうとしない将軍としてそれほど評価していないことがわかる。そして童貫自ら聞煥章に自らの過去や思いを吐露する。やはり童貫は梁山泊が禁軍と張り合えるようになるのを待っていることを認めた。
戦費がかさむなか、政府内では銀が戦争にばかり使われることへの批判がでてきており、それを鎮めるために聞煥章は高級官僚三人を暗殺する。
孔明と童猛は官軍の造船所を、百名の少人数で襲撃し、破壊する。孔明はそこで死亡。

どんどん死んでいく。この漢たちの死のインフレーションよ。すさまじいですね。
原哲夫ばりに人がバタバタ死に、その死にざまに感動するという、ロマンティシズムの極致をいっている。
30代後半となり、さすがにこうも生き様、死に様を立てつづけてにみせられても、感動するよりも白けてしまうところがある。
朱仝が死ぬところなんか、『北斗の拳』みたいだったし。

それはそうと、梁山泊にはかなり強かったり、頭がよかったりと相当な人物が集まっている。呼延灼、関勝、穆弘がいるにもかかわらず、趙安ひとりを倒せないとか、なんか結局、呼延灼、関勝、穆弘などが当初登場してきたときよりも弱体化しているわけです。
でも、これもお決まりのパターンですね。
でないと、味方側は常に最強になってしまい話になりませんから。

2019/11/06

北方謙三版「水滸伝十二 炳乎の章」

水滸伝十二 炳乎の章

ついに盧俊義が青蓮寺に捕まり、拷問をうける。沈機によって盧俊義は足を砕かれ、指を砕かれてるも、塩の道についてはいっさい喋らず、燕青に救出される。燕青は北京大名府から梁山泊まで、盧俊義を担ぎ連れ戻す。なんか燕青は死域にあり、半分死んでいたという。
解珍は陽春をつれて旅に出ていた。陽春は何の旅なのかわからず、ただついていっているだけで、解珍に憎しみすら覚えていく。
牢に入れられていた董平は脱獄し、関勝は探すも見つけられず。魯達の賭けに負ける。
関勝は魯達といっしょに董平にあい、じつは屋根の上で寝ていたことを告げられ、負けを認める。董平はそのまま梁山泊へ入る。
梁山泊は北京大名府にある塩の道の痕跡をすべて回収すべく、軍をすすめる。短期間の北京大名府を占領し、盧俊義の残した物や、関わりのある人物を梁山泊へと運ぶ。
その際、空になった梁山泊へ雄州の関勝が兵三千をつれて梁山泊へと進む。呼延灼率いる梁山泊軍は急ぎ北京大名府から撤退する。その途中、趙安が宋江に迫るも、なんとか何を逃れる。しかしここで韓滔が死ぬ。
関勝は梁山泊を攻めることをしなかった。朱富の饅頭を燕青らと食べながら、饅頭の恩を借りると言い残す。
関勝は、宣賛、単廷珪、魏定国、郝思文、そして雄州の数百の兵とともに、饅頭の恩を返すために梁山泊に入る。

この独りよがりの小説も中盤から後半へと向かっていく。
「たいへんなものをみたようなきがする」「わかるようなきがする」だとかの共感とも違う、人間は孤独であるが、わかり合おうとする努力の跡がいっぱい書かれていてお腹いっぱい。
この小説の悪いところなのかいいところなのか判断が難しいが、「塩の道」っていったいどんなものなのか、北方さんはかなりあっさり書いていて、歴史的な塩の道についての言及が皆無。
そのため、漠然としたイメージしか抱くことができない。
盧俊義の闘いがどれくらい大変なのか、読者にあまり伝わっていないんじゃないかな。
北方さんは、強引に「難しい仕事」のように書いて読者を納得させにきているけどね。しかも、婉曲表現とか用いずにそのまま、「困難」「孤独」「熾烈」などの言葉で表現するものだから、読んでて小説ってこんなにダイレクトな表現でも許されるのかと考えさせられた。
郁保四だが、「花の慶次」にでてくる、ばんどう、っていう巨体のように死ぬのかな。たしかばんどうは、旗を降ろさないで立ちながら死んでいった記憶がある。



2019/10/17

北方謙三版「水滸伝十一 天地の章」

水滸伝十一 天地の章
樊瑞は死について考えているが、よくわからないまま過ごしていた。自分を痛めつけたりして答えを見出そうとするがわからない。公孫勝に崖の石の上にただ座ってみろと言われる。只管打坐か。すると、わからないことがわかった、とかいう。なんじゃそりゃ。そして致死軍に加わることとなる。
杜興は史進の副官となるが、なぜ李応の副官ではないのかと悩む。呼延灼との闘いで戦意を失いかけている兵たちをあずかり鍛え直す。杜興は兵をいじめぬくが杜興のやさしさがにじみ出ているようで兵から慕われるようになる。でも、兵を苛め、兵を見下すスタイルは変わらず、ちょい悪なかんじをだしていく。

ついに晁蓋が死ぬが、けっこう簡単に死んじゃいましたね。史文恭の毒矢にやられてしまう。
宋江と晁蓋との対立が激しくなっているようなんだけど、その内容と言うのが曖昧模糊としている。兵力三万か十万かといった程度の対立しかないし、その対立の場面があまり直接描かれないから、どんな言い争いをしているのかがよくわからない。
晁蓋が死ぬのは、読者に事前に知らされる。フラグがたつのだ。
晁蓋から宋江への手紙で、宋江に会って語り合いたい、みたいなことが書かれていて、ああ、こりゃ死ぬなとわかるわけです。
今回の11巻は、ちょっと中だるみがあるかな。たしかに晁蓋が死ぬという一大イベントがあるけど、全体的には話が進まずに、いつものように男たちの苦悩と美しさが描かれていく。げっふ。

あと蛇足だが、この小説の会話で、「わかるような気がする」というフレーズが幾度となく使われるが、食傷気味です。『花の慶次』では「だが、それがいい」という言葉が有名だけど、実際このセリフ自体はそんなに使われていなかったはず。手元に本がないから確認できないけど。
なんか端々で「わかるような気がする」的なセリフが横行しているため、かっこいいがインフレを起こし、価値がなくなっていっているような気がする。

2019/10/09

Beetoven, Sonata Nr. 8 C Moll op. 13 (Pathetique), Rondo A capriccio op. 129 (Die Wut über den verlorenen Groschen), Sonata Nr. 23 F Moll op. 57 (Appassionata), Hans Erich Riebensahm, OPERA (EUROPÄISCHER PHONOKLUB VERLAGS-GMBH), 1174/ベートーヴェン ピアノ・ソナタ「悲愴」「熱情」「失われた小銭」 ハンス=エーリヒ・リーベンザーム



Beetoven
Sonata Nr. 8 C Moll op. 13 (Pathetique)
Rondo A capriccio op. 129 (Die Wut über den verlorenen Groschen/失われた小銭への怒り)
Sonata Nr. 23 F Moll op. 57 (Appassionata)
Hans Erich Riebensahm
OPERA (EUROPÄISCHER PHONOKLUB VERLAGS-GMBH), 1174, MONO

ハンス=エーリヒ・リーベンザームというドイツのピアニスト。1906年に生まれ、ケーニヒスベルク出身みたい。
ネットでもほとんど情報ないし、ドイツ語、英語のWikipediaにもほとんど情報がない。録音もこれ含めて3枚程度しか出ていなもよう。
かなりあっさりした演奏。というか、この世代の人たちは同じ傾向にあるようで。リーベンザームはギーゼキングやバックハウスとは世代がちょっと違うが、彼らと同様に耽美的な演奏を拒否している。
音楽における新即物主義の評価は難しい。とくに演奏にかんしては、それ以前の録音が技術的な理由で存在しないので、評価がだしにくい。
リーベンザームの演奏は良いと思う。「悲愴」なんか、ぼくは好きな方で、あっさりしている。第一楽章の冒頭も劇的な演出が少なくていいですよ。
「失われた小銭への怒り」というのは、なかなか録音を聴くことがない作品かと思う。んでこの曲は僕の好きな曲で、ふつうに愉快な音楽だと思う。演奏も軽快さと安っぽさがでてていい。
「熱情」は、あまり好きではないから、とりあえず聴いたけど、べつにといった感じ。

2019/10/08

Mozart, Symphonie de Linz, No.36 en Ut majeur, K.425, Laszlo Somogyi, Orchestra Du Südwestfunk(Baden-Baden), DUCRETET THOMSON, 255 C 102/モーツァルト 交響曲36番「リンツ」、ショモギー・ラースロー、南西放送交響楽団



Mozart
Symphonie de Linz, No.36 en Ut majeur, K.425
Laszlo Somogyi
Orchestra Du Südwestfunk(Baden-Baden)
DUCRETET THOMSON, 255 C 102, MONO

ショモギー・ラースローという指揮者によるモーツァルトの「リンツ」。ラースローは1908年ブダペスト生まれ。
このリンツは僕がいままで聴いてきたリンツのなかで三本の指に入るぐらいいい。というか、一番いいかもしれない。
ラースローという指揮者を知らなかった。バレンボイムとピアノ協奏曲16番と22番を録音しているよう。
全体的に歯切れの良く、テンポもちょうどいい。全楽章をとおして統一感のある演奏。そして余裕を感じさせる。
この余裕がモーツァルトの音楽の重要な要素だと思う。緊迫感だとか緊張感だとか、そういうのとは無縁で楽天的。
幸福感があふれている。

2019/10/07

Shostakovitch Symphony No.10 in E minor opus93 Dmitri Mitropoulos New York Philharmonic Symphony Orchestra PHILIPS, ABL3052/A01175L, MONO/ショスタコーヴィッチ 交響曲第10番、ドミトリ・ミトロプーロス、ニューヨーク・フィル



Shostakovitch
Symphony No.10 in E minor opus93
Dmitri Mitropoulos
New York Philharmonic Symphony Orchestra
PHILIPS, ABL3052/A01175L, MONO

ショスタコーヴィッチはいままでほとんど聴いてこなかった。別に理由があるわけでもなく、ただ聴いてこなかっただけ。
ぼくはあまり手広くいろいろな曲を聴くような性格ではないようなので、ほんと知らない曲が多い。
この10番もいっさい聴いたことがない。でも、たまたま手にとって、聴いてみてもいいかと思ったので買ったわけです。

一聴、戦争交響曲の部類とわかる。ゴジラのような曲だし。
この曲についてネットで調べてみると、いろいろと解釈があるらしい。楽譜に隠された符牒とかね。でもね、正直バッハでも同じことが言えるのだけれど、音楽を書く上で確かに作曲家はそういう意図も盛り込んでないわけではないかもしれないけど、でもそれって音楽性と釣り合うかどうかが最終的には問題でしょう。
この手の話は、ちょっと陰謀論ちっくで好きではない。陰謀論は好きだけど。
聴衆である僕らは、それをどこまで作品の評価にあてこむか、正直どうでもいい話だとおもうけど。
で、曲そのものはといえば、んーなんかぼくはもっと前衛的な音楽なのかと思ったけど、ふつうにソナタ形式で書かれていて、拍子抜けだった。
第二楽章や第四楽章のクライマックスでは、ゴジラっぽいし。ゴジラは1954年の映画で、この交響曲10番は53年。時代の指向性がわかる。
んーなんか物足りない感じがする。悪くないんだけど。

2019/10/06

Brahms Symphony No.4 in E Minor Opus 98, Rafael Kubelik, The Vienna Philharmonic Orchestra, DECCA, LXT5214/ブラームス 交響曲第4番、ラファエル・クーベリク、ウィーン・フィル



Brahms
Symphony No.4 in E Minor Opus 98
Rafael Kubelik
The Vienna Philharmonic Orchestra
DECCA, LXT5214, MONO

これはクーベリックとウィーン・フィルとのもので、録音はおそらく1956年。出回っているCDはバイエルン放送交響楽団とのもので、1980年代の録音のもの。
録音は古さがあるが、優れている。
ぼくはこの曲を、たぶん10年ぶりぐらいに全曲とおして聴いたと思う。だから、ああそういえばこんな曲でした、って感じでノスタルジーに浸ることができた。
で、やはりブラームスらしく、旋律は美しいし、ハーモニーも心地が良いし、いい曲です。
クーベリックの演奏がどうのとは言えませんね。だって他の演奏を知らないのですから。
曲自体をとても楽しめた。第二楽章はフリギアなんですね。ちょっと旋律が不安を誘う美しさがあり、魅力的。
ただ他の作品に比べると、ちょっとね。
枯れた感じがいいというが、んーちょっとそれはあまりにブラームスにへつらいすぎな感じがする。
ぼくは三十半ば、まだ人生に諦念をもつには早すぎるので、この曲の魅力がわからないのでしょうか。

2019/10/05

「白い歓喜天」司馬遼太郎短篇全集二

「白い歓喜天」
んーこれは司馬さんの私小説になるのか。
夫婦のすれ違いを書いている。呑み屋で出会った女と、好きでもないのに結婚をする。
司馬さんは30歳ごろに一度目の結婚をしていたようで、2年程度の結婚生活で、その後離婚したという。どのような関係だったのかなどは、詮索してもいまさらしょうがないが、この短篇は懺悔みたいなものなのかな。
歓喜天はガネーシャのことだけど、ここで登場する歓喜天は密教的な世界のもので、男神と女神が絡み合っているもの。
歓喜天像をみると、エロさはなくて、静かな交愛が表現されている。性愛の喜びではなくて、抱きしめあうことが永遠に続き、慰安と安寧といったところ。
それは象の姿でもあるから、人間の泥臭さが抜けて、神話的な雰囲気が醸しだされている。
歓喜天は現世利益の祈りの対象で、世に広まった。
小説の内容は、司馬さんにはめずらしく暗い。
妻はすぐにヒステリックになるし、それにうんざりした感じで書いている。
新聞記者だった司馬さんは書く。妻がヒステリックなった時は吐き気をもよおす。
「洗面器に新聞を二枚敷いて抑えた。ふと抑えた拳のあるところを見ると、二カ月前に私が書いた学芸欄の記事が載っていた。この上にヘドを吐くがよい。……私は、街角で友人に出逢ったような、救われたような微笑がわいてきた。家庭なぞ無いと思えばよいのだ、自分には新聞という魅力的な仕事がある。そう思ってから、逆に、おもわず自分に失笑が湧いた。新聞記者の仕事なんて、実態のない精力の消耗にすぎまい。その消耗の力学的な快感にすぎないものだ。」
最後、妻は死ぬ前に歓喜天の絵図を燃やしてほしいと頼む。歓喜天は炎に包まれて燃える。
歓喜天というのは、セックスさせて現世の欲望を抑えさせる、そしてより高尚な理念を成就させる方便となる。
結局、現世で夫婦というものを成就できなかった。
愛だとかそんなものは、夫婦にとっては必要がない。現世利益で夫婦ができるものではない。

2019/10/04

Beethoven Sonata No. 30, No. 31, No. 32, Friedrich Wührer, VOX, PL9900/ベートーヴェン ピアノ・ソナタ30番、31番、32番 フリードリヒ・ヴューラー



Beethoven
Sonata No. 30 in E, op. 109
Sonata No. 31 in A flat, op. 110
Sonata No. 32 in C minor, op. 111
Friedrich Wührer
VOX, PL9900, MONO

フリードリヒ・ヴューラーのベートーヴェン、ピアノ・ソナタ30番、31番、32番。レーベルはイタリアの会社。
ヴューラーというピアニストを初めて知る。1900年ウィーン生まれで1975年に亡くなっている。
かなりいいですね。とても落ち着いている。
ピアノ部屋に入って、椅子に座って、何事もないかのように、ただ弾いている、そんな感じ。
透明というより無色で廃墟感あふれる演奏。
廃墟感、そうこれですね。誰もいない廃墟でピアノだけあって、聴衆もいない。だから無駄な脚色がなくなっていく。だれに聴かせるのでもなく弾いている、そんな感じ。
だから透明ではなくて、無色。あるのは光の濃淡。
32番の第二楽章、人類の黄昏時を感じる。
聴く直前まで『ヨコハマ買い出し紀行』を読んでいた影響もあるようだ。


2019/10/03

『戦略の形成――支配者、国家、戦争』 W・マーレー、A・バーンスタイン 中央公論新社

いつも読むのが遅くなる。これも購入したのは10年以上前で、本棚にほったらかしだった。上巻がちくま学芸文庫に最近なったことを知って愕然としたわけです。そして読むことにした。
「戦略」なんて大袈裟な言葉に聞こえるが、それほど政治家にしろ経営者にしろ、明確な指針や未来予測があるわけでもなく、場当たり的な対応にならざるを得ないという。というのも、その時々の世論やイデオロギー、政敵、外交問題や内政問題、あらゆることが絡み合っていて、それらをすべて把握してものごとを計画し実行することは不可能だからだ。
そして、偉い人が言う戦略というものに一貫性を見出そうとしても無駄で、戦略を形成する上で、情報というのは常に不十分であるし、どんな人間も長期的な視点でものごとを常に見ることできるわけではない。
現在最良だと思っていても、後にほころびがでてくる。または思わぬ素晴らしい影響があったり。
チャーチルもスターリンもヒトラーも、みんな情勢を読み間違える。ただし、どれだけ間違えないか、それが戦争に勝つ肝だということ。日本の場合は、第二次世界大戦のときはずっと間違いぱなしだった。
まあ、そんなもんでしょう。結局、世の成功者と呼ばれる人たちも、結果がそうだった、というだけでね。えらそうにするもんではないです。
人間社会は混沌としている。人間の無力さというのも感じられる。大きな流れの中で人間の決定とは、どこまで自由でいられるのか。
メディアでは、トランプ政権の戦略だとか、金正恩の戦略だとかなんとかいろいろとうさん臭い解説があるけど、そんなに彼らが世界戦略を練れて実現できるほど、世界は人間に自由を与えているのか。彼らの戦略は、テレビやネットで見ていても、憶測でしかわからないし、なんか首尾一貫した戦略をしている印象を受ける。
だけど、それは世界に法則なんてないにもかかわらず、法則を見出そうとする人間の哀しい習性なのでしょう。
そして世にはびこるマーケティングなるもののうさん臭さよ。

2019/10/01

『マオトコ長屋』司馬遼太郎短篇全集二

『マオトコ長屋』
ちょっとしたミステリー仕掛け。
木場はそうと知らずに間男長屋に住んでしまう。ある時、彼の住むと隣部屋で間男殺人事件が起きる。
銀やんから見たこともない中年の男が秋子の部屋で死んでいると聞かされる。死んでいる男は身だしなみもよく、貧乏長屋とは無縁と感じられた。秋子が帰ってきて、問いただすとその男を知らないという。
当然、秋子が疑われるが、木場は秋子の美貌にやられてしまったのか、秋子がやっていないと信じる。そこで木場は元交通係巡査部長の田村や喜代磨爺らに協力をあおぎ捜査をする。
決めてはコークスが決めてで銀やんが「桃の湯」で使っているものだった。銀やんは嫁が間男していた。銀やんがひょっこりい長屋に帰ると、嫁の鈴子が突然騒ぎ、間男が腹上死していた。銀やんがが帰ってきたことでショック死したらしい。
木場は、こんな長屋に住んでいては自分の縁談に差付ける、明日には引っ越そうと思う。
「木場は、うなだれた銀やんの薄い髪の地肌をみながら、薄情なようだが、そのことばかり考えていた。」と終わる。

山本周五郎『青べか物語』のような要素がある。
登場する人物はだれもがバカで、自己中心的。長屋という小さな世界で噂話がささやかれている。それでも筆致には暗さがなく、楽天的。だれもが愚かだが、愛すべき人物だったりする。
たいして面白い話ではないけど、大阪弁のリズムがいい。軽妙でいきいきしている。

2019/09/30

第六章 奇跡について――スピノザ『神学 政治論』

人の理解力を超えた神のわざを人は見たいと思っている。なぜなら、それは神の存在証明だと考えるからだ。
その神のわざを人間の理性で理解しようとすると、神を否定しているかのように言われる。民衆は自然の力と神の力を別のものと考えている。

スピノザは以下を説明する。

1 自然に反するかたちで起きることは何もないこと。むしろ自然の永遠の、一定不変の秩序を保っていること。なぜなら自然の一般法則が神の取り決めであるならば、奇跡は神に逆らってることになる。

2 神の本質も存在も、ましてや摂理も、軌跡からわかることは何ひとつないこと。むしろこれらはみな、一定不変の自然の秩序を見たほうがはるかによい。
神の存在はそれ自体自明ではないから、あらゆる概念をもって論証する必要がある。その概念は確実なものでなければならない。しかし確実な概念は変化しうると考えると、それをもとにした論証には確証がなくなる。
そして自然がかなっているか反しているかは、自然の基本概念を見極めるしかない。だから奇跡は基本概念に反している。
となると、私達はそのようなことを不条理とするか基本概念を疑うか、どちらかになる。
つまり奇跡を自然に反することと考えるかぎり、神の存在が示されることにはならない。むしろ奇跡がなくても神の存在を確信できる。奇跡が神の存在を疑わしくする。
自然のさまざな法則は無限のものごとに及び、その法則は我々に認知され、さらに法則に従う自然は一定不変の秩序で進む。だからその限りで、神は無限である、永遠であり、不変であること示してくれるのは、むしろ自然の法則である。

3 神の取り決めや、意志や、したがってまた摂理とは、神の永遠の方から必然的にひきけつする自然の秩序そのものに他ならないこと。

感想
ここでもスピノザは神の存在を否定していない。また非常に人間をバカにしていて微笑ましい。
なぜ神はもっと明確に民衆に語りかけないのか、理性に訴えかけるように語らないのか。なぜ詩的な表現を使い、想像力に訴えかけるのか。
それは民衆にとって政治家のような語り口では納得しないし、心も動かされないという。
これは、アイロニーなのか?
神を仮に認めて、それで愚民どもの行動様式をバカにしているのか?
スピノザの神がなんであるのか、これは難しい。神=自然というふうにも思えるけど、でも神は民衆に語りかける存在とも書いているわけで、んじゃ一体何なのでしょうか。

2019/09/29

『大阪醜女伝』司馬遼太郎短篇全集二

『大阪醜女伝』
瓶子は戦後、ミナミにあるうどん屋の出前持ちになった。「おばけ」と屋号と変えて、瓶子は看板娘になる。年を取るにつれて、若かった時の醜さが薄れ、マグロ漁師のような豪快さを備えはじめた。
ある日輝夫と再会する。輝夫は傾きつつある新聞社の記者をやっていたが、瓶子に仕事を馬鹿にされれる。その報復に輝夫は瓶子をからかいにお店にいったり。
瓶子はキタに店をかまえるために金を貯めていた。あるときキタにいい物件がでたため購入するために出かけるが、考えを変えて輝夫が務める新聞社を購入することにして社長の座を得る。
瓶子は輝夫を秘書にして取引先の挨拶回りに行く。そこで輝夫と関係をもつ。瓶子は、はじめて男と寝たがたいしたことがないつまらないことであることを悟り、輝夫との関係も冷めてしまう。そしてなおいっそう商売に精進するようになる。

瓶子は自分を男であると考えていた、と書いている。男は金を稼ぐ存在というふうに定義している。このあたりなんか、瓶子の哀しさや滑稽さがでてくる。
まだ日本は戦後の荒廃から抜けきれていない状況で、金を稼ぐことの泥臭さがよくでていると思う。
一連の大阪商人を扱っている司馬さんの短篇は、一貫してこの泥臭さが前面にでていて後年の文体である「冷たさ」とは違うものがあるが、しかし一貫して人間の数寄を描くのが好きだったんだなと思う。
それと輝夫が新聞記者であるというも、司馬さんはなにか含んでいるのかな。邪知すれば、元新聞記者ということもあり、新聞記者を商売を卑下している。大阪でたくましく生きる市井の人びとに人間の醍醐味があるかのよう。
このころはまだ司馬さんは有名ではないし、これから世に出ていこうという野心がぎらぎらとあった時代かと思う。
まさに、つまらない欲望にまみれず、一心に金儲けにいそしむことと自分を重ねていたのでしょうか。

2019/09/28

『ハルビン駅へ 日露中・交錯するロシア満洲の近代史』 ディビッド・ウルフ(半谷史郎訳) 講談社

ハルビンの設立から書かれている。ハルビンの名前の由来が酒の蒸留所だったとは。
そもそもシベリア鉄道をウラジオストクまで延ばすうえで、水運で便利な松花江沿いに資材の集積地として作られた街。
ハルビンは植民都市だけれど、ロシアはこの街に学校や病院、娯楽施設のインフラを作っていき、ロシア人が住める街にしただけでなく、中国人、ユダヤ人、ポーランド人らの移住者も大切な街の構成民として扱うべく、差別をなくそうとしていたらしい。
その他にも融和政策を行って、ハルビンはモスクワとは違いリベラルな風土が出来上がった。
そんなハルビンの経営の仕方や政策が、後にストイルピンの改革へとつながっているという。なるへそ。
んで、これらの政策は東清鉄道という鉄道会社がしていた。鉄道会社というのは、満鉄や南アフリカ鉄道なんかでもそうだけど、その土地のあらゆる分野に深く組み込んでいて、娯楽施設の建設、立法、行政、警察など国家と同じ様相を呈しているわけです。
ハルビンの植民地経営はなかなかよかったようです。モスクワのような専制政治ではなく、中央とあまりに遠いためにハルビンにはハルビンで好き勝手やれたようです。これはハルビンだけではないけど。イギリスもスペインもオランダも植民地経営では、あまりに植民地が遠すぎて、現地に統治は任さざるを得ないというのは共通の問題。
興味深いのは、日本人の入植者が多くなくて、ほとんどが売春婦だったということ。そして性病が蔓延するハルビンで、日本の娼妓は衛生面で優れていたので性病の流行を止められると期待されていたらしい。だけど高価だったから、ダメだったようで。
それと知らなかったけど、日露戦争における目標がハルビンだったとは。ということは日露戦争でハルビンを獲得できなかったことは、やはり日本にとってはこの戦争は勝ったとはなかなか言えない戦争だったようだ。
他にも、なるほどとおもったのは、19世紀末から20世紀初頭のロシアは、日露戦争の敗北やその後のロシア革命などがあったため、帝政の崩壊期のような見方をされるが、それは違くて、シベリア鉄道の敷設に代表されるように、東への進出を精力的に行っていて、各国の見方としては、まさに飛ぶ鳥だったという。
ニコライ二世自身、皇帝になること自体を嫌がっていたようで、さらに日露戦争もしたくなかったよう。
当時ロシアは列強各国を刺激しないように、そして清も無視しないで、非常に慎重にハルビンを開発していったようで、ロシアはハルビンを併合するのではなく、植民地経営を行っていた。それをいとも簡単に短絡的に領土にしてしまったのが関東軍という。

本書、めちゃくちゃ読みにくい。翻訳が悪いのではなくて、内容があまりに散漫すぎる。時系列での把握が難しいし、一つ一つの章で盛りだくさんな感じで、話題があっち行ったりこっち行ったりで、んーまとまりに欠けるような。
それと、あんまり政治的な発言はしたくはないけれど、一部の日本の言説で、日本は朝鮮に学校や鉄道、病院などを建設していった、ヨーロッパの植民地政策とは違う、とかいって自慢する人らがいるが、こういうやつらは一度植民地について、イギリス、オランダ、スペインなどの事例を学ぶといい。確かにアメリカ大陸での振舞いなどひどいものがあるが、それだけではないことがわかるはずだ。日本だけが特別高尚な精神をもって朝鮮を植民地経営していたわけではない。あー植民地ではなくて併合っていわないと怒られるのかな。
この『ハルビン駅へ』で書かれているが、ロシアはハルビンを建設したが併合しなかった。それは、清との関係もあったし、現地の住人との軋轢や列強の干渉(イギリスや日本)を生むかもしれないから慎重だった。
併合は植民地より良い、というものでもないのですよ。

2019/09/27

北方謙三版「水滸伝十 濁流の章」

水滸伝十 濁流の章
呼延灼がようやく活躍する。
代州で武松と李逵は韓滔と出会い、韓滔の村で畑仕事をしながら、しばらく暮らす。呼延灼は彭玘と韓滔と仲がよく、武松、李逵は呼延灼とも会う。
呼延灼は童貫から梁山泊を攻めて勝つことを命じられる。この闘いでは高俅率いる禁軍が同行する。さらに凌振の砲兵をつけることとなった。
呼延灼が考案した連環馬と凌振の砲で晁蓋は大敗を喫する。晁蓋は戦いのなかで、敵軍に囲まれ、武松、李逵、張青に救われる。
呼延灼は勝利後に高俅に北京大名府に帝の名代に戦勝報告をしにいくように命じられる。呼延灼が留守の間に高俅は梁山泊をさらに攻めて手柄をとろうとする。高俅は呼延灼の秘策だった連環馬を再度行うも、徐寧が連環馬を退ける対策を知っていた。晁蓋率いる梁山泊軍は、簡単に勝ってしまう。この戦いで呼延灼が鍛え育ててきた程順を失う。
梁山泊側は梁山泊設立前から登場し、陰ながら活躍していた饅頭屋を営んでいた朱貴が死んでしまう。
呼延灼は高俅の行動を聞き、急ぎ戦場に戻るが時すでに遅かった。
彭玘と韓滔は梁山泊に入山することにして、呼延灼にも入山を進める。迷いながらも、帝や宋という国家に愛想がつきていたこともあり、梁山泊にはいることにする。凌振は大砲が打てればどこでもいいといった感じ。
史進は部下を失い、穆弘は弟の穆春を失ったが、呼延灼を寛大にも受け入れていく。

ようやく折り返し地点まで読んだ。
武松、李逵、張青の反則的な強さは、まあ仕方がないかな。
呼延灼が梁山泊に加わるのはいいけど、けっこうあっさりと決意している感じがある。これは呼延灼だけでなく他の登場人物でもそうなんだけど、あっさりと宋を見限ってしまう。
いつもの愚痴になるけど、宋江は厳しい、という、とくに林冲に対しては、という。でも宋江の厳しさが伝わってこないんだよね。決断力もあるっていうけど、いったいなにを決断したのやら。
宋江という存在は、具体的な存在ではなくて、「替天行道」と同じで象徴にすぎない。宋江が宋を倒すうえで、どのようなプランを持っているのかなどもあいまい。兵十万説みたいなことも書いてあるけど、それだけ。
さて、宋軍の大物はあと関勝ぐらいか。
李袞がさっそく何もせず、あっさりと死んでしまう。まじか。死とはそんなもんなのだと北方さんがおっしゃているようだ。

2019/09/24

北方謙三版「水滸伝九 嵐翠の章」

水滸伝九 嵐翠の章

林冲は張藍が生きているというあやふやな話を聞き、祝家荘との決戦の前日に軍を抜け出す。が、それは青蓮寺の罠だった。途中で出会った索超と呂方に助けられるが、矢が肺にまで達しており、危ない状況だった。安全道と白勝の処置で助かるが、軍法会議で馬の糞を一年、掃除するという罰を受ける。
花栄は呉用に命じられて、梁山泊の南、開封府近くに塞を築くことになる。それは防御のためにも、宋を攻めるためにも必要なものだが、多くの兵を新しい塞に割くことにあり、人員の確保が急務となる。
秦明は、魯達と相談し楊令を王倫のもとに赴かせることを決断する。今生の別れにもなるかもしれず、公淑にとってもつらいものとなる。魯達は楊令をともない王倫のもとへ。そして楊令を預け、鮑旭と馬麟を梁山泊に入山されるために連れて帰る。
解珍は秦明の副官としてつくことになる。
とうとう盧俊義、柴進の塩の道が青蓮寺に崩されることになる。盧俊義と燕青は李袞のもとで匿われていた。李袞は農村の用心棒をやっていて、志がないわけではないが、曖昧な状況だったところ燕青に男になれと言われて梁山泊に入る決意をする。
楊戩の部隊三万が、花栄の新しい塞、流花塞にむかった。これを聞き晁蓋は、反対を押し切り自ら軍を率いることにする。宋江とは意見が合わなくなってきている。
しかし楊戩は陽動で、じつは双頭山が狙われていた。晁蓋はそれにはやく気づいたため、なんとかことなきをえる。
鄧飛と楊林は糞尿の汲み取りを高唐の城郭で行っていた。柴進と燕青を救うために。なんとか鄧飛は逃げ道を城壁につくるが、逃げている際に石組みが崩れて死んでしまう。鄧飛は、魯達を助けたときと同じように、柴進と燕青を助けるという不可能を可能にした、鄧飛は楊林に、この仕事がいかに自らの名を上げて、漢たちを助け漢として名が残るかを語った。

袁明には袁明の正義があり、梁山泊は梁山泊の正義がある。志と志の闘い。お互いの正義のぶつかり合い、利害のぶつかり合い、これこそ政治でしょう。政治の本質は理を通して事にあたることではなく、正義と利害の対立なのです。
この文庫版の解説は馳星周。この解説が、北方謙三の水滸伝の本質をついている。
「百八人全員が、志だの友だちだの生き様だの誇りだのを口にして滅んでいくのだ。……ひとり、ないし数人の男たちの物語ならまだ付き合える。北方健三の妄執に満ちた世界を斜に構えながら受け入れることはできる。しかし百八人だ。百八人の北方謙三もどきが、これでもか、これでもかと男の生き様、死に様を見せつける。百八人分のナルシシズムに翻弄されるのだ。」
破廉恥な自己陶酔、そしておそるべき自己中心主義、だと馳星周さんは書く。まさにそのとおりですよ。
さらに、この小説の弱さ、宋江について。馳星周さんは、「替天行道」の本文を書くべきだったといい、しかしこの内容もよくわからない「替天行道」を象徴であり、男の志なんて、北方謙三にとっての男の志は、しょせん象徴以外のなんでもない、という読みをする。そこに恐ろし北方謙三の妄執があるという。
そういえば、ボードリヤールの『象徴交換と死』を昔読んだ時、違和感があった。簡単に言えば、ボードリヤールは象徴という実態や有用性など価値がないものに人間は価値を見いだしていき、その代償に死を引き受けていく、という。労働というものが、基本的に悪として描かれた世界観で、なんだか悲しい気持ちになる内容だった。人間という概念をどう扱うかで答えが変わるのだけれど、ボードリヤールをはじめアーレントなんかも「人間」という概念を、非常に高尚な仮想的なものを想定していて、まあ哲学ですからいいけど、なんか微妙な感じだったわけです。
と、ここで馳星周さんの解説を読んで、そうだよね、人間、具体的な志なんかないし、それでも生きていかなければいけないし、そんななか踏ん張ってかっこよく生きるには象徴が必要なんだよね、と思った次第。

2019/09/18

Antonín Dvořák Symphonie No.9 "Aus Der Neueu Welt/ From the New World" Wiener Philharmoniker/Vienna Philharmonic Karl Böhm Deutsche Grammophon、2531 098/ドヴォルザーク 交響曲9番「新世界より」 カール・ベーム ウィーン・フィル



Antonín Dvořák
Symphonie No.9 "Aus Der Neueu Welt/ From the New World"
Wiener Philharmoniker/Vienna Philharmonic
Karl Böhm
Deutsche Grammophon、2531 098

カール・ベームのドヴォルザーク『新世界より』。この手のレコードは安くていいですね。有名な演奏のものは、再版を重ねているから、いっぱい出回っていて、初プレスでなきゃいやだとか、そんなマニアでなければ安く買うことができていいもんで。
演奏は『新世界より』がもつボヘミアンさははあまりない。ベームはボヘミアンではないので、この曲のもつ民謡的要素を求めると肩透かしかもしれない。
けど、後年のベームらしく静かで、訥々と音楽を奏でて、空間が満たされていくようですねえ。
これはこれでいいです。
ジャケットは、マンハッタン。雰囲気がでてていいですね。曲自体は別にアメリカンではないけど、なぜかこの「新世界より」は「ラプソディー・イン・ブルー」と並んで、アメリカを表象する音楽になっている。

2019/09/08

『ラストエンペラーと近代中国 (中国の歴史10)』 菊池秀明 講談社

中国にとっての近代は、日本の近代とは違い、ネガティヴなものだったという。なるほど。
本書、太平天国の発生から第二次国共合作までの約100年間を書いていて、情報量がすごくてカオスみたいになっている。カオスと言っても、ただ近代中国の情勢がカオスなだけで、よくもまあ著者はまとめたなあと思う。
そのため、本書をまとめようにもまとめられない。でも、とっても面白かったですよ。
ただし題名にあるラストエンペラーは、それほど登場しない。魯迅のほうがよく登場する。

太平天国の乱から始まる。この乱は中国にとっての近代の幕開けであって、後の洋務運動や人民公社などの思想に影響を及ぼしていく。
洪秀全は科挙に失敗しつづけて、ある日夢で妖魔に憑りつかれ、そして拝上帝教という中国の土着の文化がまざったキリスト教を創始する。南京を制して天京と改めて、北伐を開始する。内部分裂などによって、最終的に曽国藩によって崩壊させられてしまう。
この運動では、実際問題はおいておいて、儒教的な階級制度の廃止、男女平等、欧米の文化の摂取をうたっていたという。
太平天国が、近代中国に与えた影響というのが大きいという。僕はそんな認識をいっさい持っていなかった。そして、それまでの中国では北方からの異民族の風が歴史をつくってきたが、近代は南からの風の時代になったという。

当時の大陸は日本を含めた列強の戦場だったのがよくわかる。各国がお互いを牽制しながら、バランスを保っていたり、たまにそのバランスが壊れたり。
とにかく各国の思惑に振り回されていたのがよくわかる。

そして、中体西用というのが、明治維新のような日本の西洋受容のあり方とは違って、儒教の古典に西洋文明を見いだす、といった感じだったという。
これは、たしかどこかで同じようなことを読んだ記憶がある。論語の「友、遠方より来る」というのを西洋の機会平等かなにかとして読み直したとか。記憶があいまい。
本書では、郷挙里選、郷官制度、天朝田畝制度などをあげている。
それがいつもまにか儒教が中国社会の停滞の原因と認識されはじめられていく。
康有為や劉啓超ら清朝時代の知識人は立憲君主制を志向していて、孫文や蒋介石らは共和制を目指していた、というのもあーたしかにそうだよねと考える次第で。

国民党と共産党の争いというのは、結局どちらも独裁的な政権の樹立を目指していて、それは両方共にソ連の影響からだというのだから驚き。とくに国民党がソ連から影響を受けていたというのは知らなんだ。
ということは、仮に国民党が共産党に勝っていても、あんまり政治体制、制度は共産党とかわらなかったのかもしれない。

かなり、内容は入り乱れていて、誰かが失脚したり、復活したり、そして亡命したり、そしてまた復活したりなど、よくわからない状態で整理がつかない。事件もいっぱい起こっていて、とりあえず要約なんか許さない状況。歴史とはかくあるものだと思う。

2019/09/01

『世界史の中の日露戦争 (戦争の日本史)』 山田朗 吉川弘文館

世界史のなかで位置づけた場合、日露戦争はなんであったのか、ということなんだけど、本書は半分ぐらいが日露戦争のおさらいで、あと半分がタイトルにある世界史の中でとらえる日露戦争となっている。
この戦争が、世界史でみて普仏戦争以来の国同士の全面戦争だったということ。それは、列強各国にとって戦争の型を確認する上でも注目された。

情報網について
当時、すでに海底ケーブルが張りめぐらされていて、リアルタイムの報道や情報が列強各国にいきわたっていた。それは日露戦争がそれ以前の戦争とは違うかたちで情報戦が繰り広げられていた。
とくに日本はイギリスと同盟を結んだことによって、イギリスがもつ通信ケーブルで情報を発信したり、得たりすることができた。
当時、イギリスは全植民地とロンドンに海底ケーブルを敷設を完成させていて、アメリカも1903年にはマニラまで太平洋横断海底ケーブルを敷設していた。そしてマニラー香港間はイギリス線を経由する。そして日本からは、九州ー台湾ー福州ー香港の経由で情報が伝達が可能となっていた。日本の場合は1871年にはデンマーク系の電信会社によって長崎ー上海、長崎ーウラジオストク間の電信は完成されていたが、ロシア資本が入っていたため使えなかったようだ。
すげー話だな。20世紀初頭にはすでに海底ケーブルが世界を駆け巡っていたとは。たぶん銅線なのだろうけど、恐ろしいほどの量の銅が必要だったはずで、それを生産するだけの工業力をすでに欧米ではもっていたということだ。銅の生産量だとかの統計ってあるのかしら。
日本はイギリスと協力することで、通信ケーブルによる情報戦をすることができた。偽情報や最新の情報などを得る。

日英同盟について
日露戦争はイギリスの外交政策の枠組みの中で行われた戦争であった。そして、イギリスの協力なくして日本はロシアとの戦争を起こさなかったし、勝利もなかった。
ボーア戦争によるイギリスの疲弊で、極東へ力を割くことができないため、ロシアへの牽制として日英同盟を結ぶ。結果、日露戦争へ。
外債をイギリス、アメリカで販売することで戦費を賄っていた。当初は人気がなかったが、地上戦での勝利で完売した。これも情報がリアルタイムで世界へ発信されたことが大きい。ロシアの反ユダヤ政策への反発もあったとか。
この構造は第一次世界大戦へとつながっていく。

国際関係について
開戦の際は、英・露仏・独墺の図式だったのが、戦争末期には英の露への接近、仏と英の和解があり、英仏露・独墺という図式になっていく。開戦前と戦争末期では世界情勢が急激に変わっていた。というよりもイギリスが情勢を変えていった。
一つにはロシアが完全に敗北することを恐れたこと。バルチック艦隊が完敗してロシア海軍が崩壊したにせよ、いまだ陸軍は健在だった。イギリスにとってはロシア海軍は邪魔だったが、ロシア陸軍はフランスやドイツなどを牽制する際に役に立つと判断。フランスを中心としたロシア支援の体制を崩していった。
また、イギリスもアメリカも日本が南進することや、朝鮮よりさらに北進していくことに警戒していた。アメリカが講和の仲介をしたのも、満州での鉄道権益獲得へ乗りだしたいということもあった。
イギリスもロシアと接近したことで、結果アメリカと日本の対立構造がうまれてくることになる。

欧米の戦力に与えた影響
日露戦争はその後の陸戦と海戦に与えた影響も大きく、自動機関銃の防御における威力、大砲の集中使用、有刺鉄条網の効果などが確認された。
海戦では、一万トン以上の重装甲主力艦を砲撃だけで沈没させることができ、主砲の大きさ、数、速力で主力艦の攻撃力は決まる、そして単縦陣、同航が基本形となる。
それは超弩級戦艦の建造ラッシュをうながし、ワシントン海軍軍縮会議へといたる。
陸戦では、重機関銃、重砲を重視するようになり、榴散弾から榴弾へと移行していく。砲兵の時代へとむかう。ただし、第一次世界大戦初期まで戦車や飛行機の開発が発展途上であったので、敵陣の占領や突破は白兵戦だった。そのため膨大な戦死者がでてしまう。

日本陸軍、海軍の学び
日本陸軍の「日本式兵学(戦法)」が、戦後の方針として固まってしまった
「負けた」ことで英雄になった乃木希典、「勝った」ことで英雄になった東郷平八郎。この二人は、予期せずして戦後の陸海軍の思想を非常に陳腐なものにしていく。
白兵戦を重視し、砲兵の軽視するようになる。ロシア陸軍に勝ったには勝ったが、全体的な弾薬や兵の不足などから決定的な勝利を上げられなかった。さらに奉天会戦後、日本の陸軍は継戦能力はなく、一方ロシアはシベリア鉄道と東清鉄道でハルビンに戦力を結集させるだけの能力があった。
にもかかわらず、戦後、それを忘れてしまう。
さらに砲弾によるロシアの負傷者は全体的にみて少なかったこともあり、日本陸軍は白兵主義をとるようになる。そして日露戦争では機関銃を使わなかったという神話まで生まれてしまう。
日本海軍では、日本海海戦での完勝によって、教訓を学ぼうとしなかった。バルチック艦隊に勝てた要因として、まずイギリスの協力もあって、遅く到着したことにあり、旅順陥落前ではなかったこと。
にもかかわらず、海軍は戦術至上主義に陥る。日本海海戦のような一回の海上決戦による粉砕を重きにおくようになる。軍事戦略はそれほど重要視されなくなってしまう。

読後
日露戦争のおさらいもできてよかった。
やはり日露戦争ごろまでの日本政府は、世界情勢がわかっていたのか、偶然なのか、機をみて動いていたのがわかる。
日露戦争は、イギリスの代理戦争のようなもので、しかもイギリスの采配で戦争にも勝てたが、イギリスは敵であるロシアに接近し始めたりと、なかなか老獪な国でみごとだ。
ウィッテの講和交渉も見事だったんだろう。日本の継戦能力がすでにないこともわかっていて交渉にのぞんでいる。
日露戦争を知ると、第二次世界大戦の日本がいかに愚かであったかがわかってしまう。戦争が政治の手段ではなく、戦争そのものが目的になってしまった。
日露戦争の勝利が、日本を愚かにしていった。思うのは、日露戦争に負けても地獄、勝っても地獄だったということ。

2019/08/27

『戦国の壺』司馬遼太郎短篇全集二

『戦国の壺』

細川忠興、号を三斎、が持っていた壺、「安国寺肩衡」はさまざまな人の手に渡り、世の名器となって、忠興同様に翻弄される。そして忠興の手に戻ってきたとき、老いた忠興の胸に迫るものがあった。
忠興は西行の歌を思い出す
  年たけてまたこゆべしと思いきや、 命なりけり佐夜の中山
その後、忠興の子の時代に豊前で飢饉があり、その際にこの安国寺を庄内藩酒井忠勝に売却して民を救った。
それから壺は信州上田城主松平家へと渡り、そして大正になって松平家から入札にだされ、落札価格はわずか二百円だったという。

とても短い作品。世の変遷の儚さがある。人生は流転するもの。
モノとはかくあるものであると、誰もが知っていながらも、人間、哀しくもモノに振りまわされてしまうのです。茶器はしょせん茶器。しかし、それが世を乱すこともあれば、救うこともあるようで。

2019/08/26

Brahms Piano Cocerto No. 2 Arthur Rubinstein Josef Krips RCA VICTOR Symphony Orchestra RCA, SB-2069/ブラームス、ピアノ協奏曲第2番、アルトール・ルービンシュタイン、ジョセフ・クリプス



Brahms
Piano Cocerto No. 2
Arthur Rubinstein
Josef Krips
RCA VICTOR Symphony Orchestra
RCA, SB-2069, 1958, STEREO

ルービンシュタインとクリプスによるブラームス、ピアノ協奏曲第2番。
オーケストラはどこかはわからないが、録音はニューヨークでやっているのかな。
あいもかわらずルービンシュタインのピアノは華麗で、第一楽章のソロや第二楽章の出だしなんか、なかなか他のピアニストでは聴けないぐらい力強くて、酔いしれれること間違いないでしょう。
どこのオーケストラかわからないけど、オーケストラの演奏も素晴らしいですね。
有名な録音でもあるので、わざわざいろいろ書くのもどうかと思うけど、第二楽章がこの録音で一番いいところで、オーケーストとピアノがたたみかけるように進んでいきます。
第三楽章は、チェロがいい味だしてます。ブラームスの感傷、ここに極まり、といった感じ。
これ以上の演奏があるのかどうか。あんまり多くの演奏に接してないから、よくわらないや。

2019/08/25

Tchaikovsky, Violin Cocerto, David Oistrakh, Kirill Kondrashin, MK/チャイコフスキー、ヴァイオリン協奏曲第1番、ダヴィッド・オイストラフ、キリル・コンドラシン



Tchaikovsky
Violin Cocerto
David Oistrakh
Kirill Kondrashin
USSR State Symphony Orchestra
MK, DO3820, MONO

ダヴィッド・オイストラフとキリル・コンドラシンによるチャイコフスキー、ヴァイオリン協奏曲第一番。
MKというレーベルは知りませんでいた。オイストラフのチャイコフスキーはいくつか種類があると思うが、そもそもオイストラフのチャイコフスキーを聴くのがはじめて。
それで、驚いた。
こんな演奏を待っていたといっても過言ではありません。
とにかくオイストラフのヴァイオリンが歌っています。いちいちどう素晴らしいかを説明するのも野暮な感じです。
泥臭さが色濃くでています。繊細さではなく、おおらかさがたまらなくいいですね。
はじめて、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を一日中聴き、はじめて心の底からチャイコフスキーっていいなあと思った。音楽ってのは、やはり人間的な行為なのだと思わせてくれる。
コンドラシン率いるオーケストラも力強くて華やかです。
録音もいい。MKからのものがオリジナルなのか、メロディアからのものがオリジナルなのかはわからない。CDは未発売か。

2019/08/18

Beethoven Klaviersonate Nr.29 B-sur op.106 Wilhelm Kempff Deutshe Grammophon, 18146 LPM/ベートーヴェン、ピアノ・ソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」、ヴィルヘルム・ケンプ





Beethoven
Klaviersonate Nr.29 B-sur op.106
Wilhelm Kempff
Deutshe Grammophon, 18146 LPM, MONO

ヴィルヘルム・ケンプ、ベートーヴェン、ピアノ・ソナタ29番「ハンマークラヴィーア」、50年代、第一回目の録音。盤質はいい。傷もないし。
そして、なんたる奇跡。つい最近、ディスクユニオンでこのレコードを購入した。そしてこのレコードについてネットで調べていたら、全く同じものの写真をETERNA TRADINGのサイトで発見。
なんでわかったかというと、レコードにサインが書かれていたからわかった。
んでそのサインの写真と僕が買った実物を見比べてみると、全く一緒。スタンプの滲み、筆跡などなど全部一緒。まさかそんなものを購入していたとは。間違いなく同じもの。世界は小さいですね。
そこの説明になんとケンプのサイン付か?みたいなことが書かれてあるわけです。これほんとうにケンプのサインなのか。筆記体をきちんと判読できないが、そうっぽい。

ケンプらしいハンマークラヴィーアで豪快さや激しさはない。静かに始まり、穏やかに曲が進んでいく。無駄な虚飾がない。
第三楽章が素晴らしくて、なんていうか変に深刻ぶった演奏をしていなくて、すーっと自然に音が流れていって、荘厳さよりも暖かさを感じる。
正直、六〇年代の二回目のハンマークラヴィーアの録音をまだ聴いたことがない。理由はとくになくて、ただ聴く機会がなかっただけ。今度見つけたら買ってみよう。

2019/08/17

第五章 さまざまな儀礼が定められた理由について。また歴史物語を信じることについて。つまり、そういう物語を信じることはどういう理由で、また誰にとって必要なのかについて――スピノザ『神学 政治論』

儀礼とは
神の法は、普遍的なもので、人間本来のあり方から導き出された法だから、人間精神に内在する。
儀礼はそのようなものではない。旧約聖書にみられる儀礼はヘブライ人に定められたもので国家体制に合わせてできている。社会が実行するもので、個人が実行するものではない。
だから、儀礼は神の方には含まれたない。そして幸福や徳のにも役に立つものではない。
つまりご霊は一時的なものでしかなく、物質的な幸福と国の安定だけを念頭においている。国が存続している間しか利益になりえなかった。
モーセ五書も神の法ではなく、ヘブライ人の理解力に合わせて定められた方にすぎない。
たとえば「殺すことなかれ、盗むことなかれ」という戒めは教育者として預言者としてユダヤ人に説いているのではなく、むしろ立法者、支配者として命じている。そして法を犯したものは罰を受けることにも鳴っている。
さらに「姦淫することなかれ」というのも共同体、国の利益のための法となっている。しかしキリストは姦淫を行うことを心で思うこともしてはならないと説いている。こkれは普遍的な法となっている。
キリストは魂について説くが、モーセの場合は即物的な約束をする。

儀礼の意味
ではなぜ儀礼というものがユダヤ人たちの国を維持し安定させるのにどのようなに、なぜ必要だったのか。
社会とは、敵から守られて安全に暮らすためだけではなく、多くの事柄について便宜を図るためにも有益で、なくてはならない。分業を通して社会は成り立つものである。
人間は理性的でもないし、欲望に駆り立てられることも、感情に支配されることもある。だからこそ、法が必要となる。
その一方で、絶対的な強制を受けることは本来のあり方からして耐えられないようにできている。そして一旦認めた自由をひとびとから再び取り上げ得るほどこてゃ難しい。
ここから帰結するのは、国の支配というものはできることなら社会全体が一丸となって行うべきだということで、そうするれば、みなが自分自身に奉仕していることであり、自分と同等の他人に仕えるよう義務付けられていないことになる。
そして国を法は、恐怖よりも希望に訴えかけるほうがよい。義務に自ら望んで果たすべきである。
そして法はみんなの同意に基いて定められる社会では、服従はありえない。彼らは他人の権威ではなく、自分自身の同意に基いて行為することになる。
しかし、たったひとりの支配者による国の法は、人は嫌々従うことになる。
エジプトから脱出したヘブライ人は、悲惨な奴隷生活が長かったため、民主的な法ではなく、モーセという支配者に委ねる必要があった。
一方でモーセは恐怖ではなく自発的に法に従わせるように心がけた。なぜなら、人びとは頑固で簡単に従うものではなかったし、戦争が近かったため刑罰を控え、励ます必要があったからだ。
モーセは人びとに心から奉仕するようにしむけていく。恩恵を施し、神の名で厳しい法は定めなかった。

儀礼の効用
そしてモーセは宗教を持ち込んだ。
さらに、モーセは「自らの権利の下にありえない民衆」が支配者の言うことを聞くように、隷属になれた人たちを、勝手な振る舞いをさせなかった。畑を耕す、身にまとったり、髭をそったり、なんでも法に定めた。
彼らに自らの権利のもとにあるのではなく。完全に他の者の権利の下にあることを思い知らせるためだった。
つまり儀礼というものは幸福に何ひとつ貢献しない。

聖書を学ぶことについて
そして聖書の歴史物語を信じることことの理由はなにか。
明白でないことを納得させるためには、知性の能力と知的理解の正しい手順によってだけ導かれるが、そのような作業は脂質がなければ普通は難しい。
だから経験によって教えられることが好まれる。
そして知的な作業によって論理を構築したり、難解な概念をもちこむこともしてはいけない。
つまり民衆の理解力にあわせて説明する必要がある。そのために聖書の歴史物語は必要なのだ。
さらに言えば、一般民衆が神の存在を否定したり、神の行いを信じないことは不道徳である。しかし、神の存在などを自然の光によって知っており、ほんとうの生き方を知っているならば、聖書を知らずともその人は幸福であり、一般民衆よりも幸福である。
そして何も聖書をすべて知る必要もなく主要な物語だけで十分。もしすべて知らなければならないならば、一般民衆にとって聖書は手に余る物になってしまう。民衆が知っておくべき物語は、心の服従と奉仕に駆り立てる物語だけでよい。
しかし民衆は物語の教訓を判断できない。民衆は教訓よりも奇跡などの珍しさに心惹かれてしまう。だから宣教師や教会、代弁者も必要となる。
聖書を読む際に、教えを理解しようとしないで、好奇心からよむならば、それは戯曲やコーランを読むのと同じことで意味がない。
そして聖書を読まずとも徳をもって生きているひとは幸いなのである。

結論
儀礼というものが、単なる社会的な慣習でしかないことを述べていて、そこには人間の幸福は含まれていない。国家や社会を維持するためのものでしかないという。
ただ、一般民衆はバカだから、理性でもって論理的に徳を考えたりできないし、自然を理解しようとも、理解もできない。だからそんな理屈や論理は無視して、聖書を信じること、それが聖書の役目であって、聖書はその点で言えば、非常に有益で、聖書は神への服従と奉仕を教えてくれる点、それだけの点では非常に優れた書物となっている。かといって、教訓を知ったからといって幸福になれるわけではないが。

まとめ終了。
この章はなかなか宗教にたいして手厳しい。宗教的儀礼の脱神秘化で、たしかに怒られる内容だとは思うけど、でもそれほど過激でもないとは思う。
スピノザはけっして宗教を否定しているのではない。その意義をきちんと認めている。
彼の難しさは、神に服従、奉仕している人たちを、迷信深いやつらだとバカにしているわけではないというところかと思う。
そんな単純ではないと思う。

2019/08/16

第四章 神の法について――スピノザ『神学 政治論』

まとめ
法lexは端的に解すれば、個体がみな従っているはずの何か。それが自然の必然性によるものか、人々の合意によるかどちらかとなる。
後者について。人びとが自然に持っている権利の一部を放棄したり、放棄するように強いられたりして、自分の特定の生活様式に縛り付けられている場合、その基礎となっているのは人びとの間の合意である。二つの理由がある。(ここムズイ)
一、人間も自然の一部で、人間の本性上の必然から帰結することは、自然それ自体から帰結していると言えるということは、必然的ではあるが、人間の力によって生じている。だからこの種の法を建てることが、人びとの合意に基づくと言っても問題ない(???)。というのもこのような法がたてられるかどうかは人間精神の働き次第だから、だからこそ、ものごとを真偽の観点から見分けようとする場合、人間精神はこの種の法がなくても明らかに成り立つ。これに対して、自然の法に服さない人間精神というのはない。ぬおー、言っていることがよくわからん。
二、こうした法が人びとの合意に支えられていると言ったのは、ものごとの定義や説明は一番近い原因を介して行うべきだから。何か具体的なことを考察する場合、一般的考察は役に立たない。そしてものごとのつながりはどうなっているのかは全くわからない。だからうまく生きるためにはものごとを可能的な(必然的ではない)ものとして考えることが有益であり、欠かせない。何言ってやがるのだ、こいつは。
法とは、人間の力を一定の制限のもとに仕切るもので、人が自分や他人にたいして何らかの目的のために課す生活規則と、考えられている
しかし法の本来の目的は違っていて、賢い立法者は法を法本来の性質からはかけ離れた目的に置いた。つまり法を守れば、世間で望まれているものを与え、犯せば恐怖で脅す。
このことで、法は生活規則のように扱われ、このような規則を守ることが法に服していると言われるようになった。
しかし、刑罰を恐れて規則を守ることは正義ではない。法(律法)に服しているから義なのではない。
神の法は、最高善を、神を知ることや愛することと関わる。知性を完成させることは最高善であるはずで、その知や確信の支えは神を知ることにほかならない。神なしにはどんなものも知り得ない。自然を知れば知るほど神の本質を知ることになり、神を知ること、愛することが最高善の内実なのだ。
神の観念は私たちの精神に内在している。私たちのあらゆる営みの目的は、神の命令といってもいい。
それではここから求められる生活規則、最善の国家の基礎は何か。
それは神を最高善として愛すること、この営みが最終目的であり、このことは神の観念から導かれる。再考禅はもっぱら思索活動や清らかな精神に存する者だから、「肉の人」にはこうしたことがわからない。
つまり、神を愛すること以外を目標に置いた法は、みな人間の法である。
しかし、啓示によって制定された法である律法はこの限りではない。
ということはモーセの立法も神の法といってよい。たとえそれが普遍性を持ち合わせていないにせよ、だ。
当時ヘブライ人は律法を、永遠の真理として受けとっておらず、そしてモーセも律法を永遠の真理ではなく取り決めや指図として受けとった。そして神の法として民衆に課した。
預言者たちはみな啓示を神の法として受け取っていた。
キリストの場合は、神の口といったほうがよく、法を説いているのではない。


自然の法の声質とはなにか。
1 普遍性があるか、人間の本性から導きだせたものか。
2 歴史物語を信じることは求められない。歴史物語は有益だが。
3 特定の儀礼をおこなうように求められることはない。
4 神の法への報いは、まさにこの神の法そのもの。

神の意志と神の知性は区別されない。というのも三角形の三つの角の角度の合計が二直角に等しいいという取り決めは、神の意志と言おうが、神の知性といおうが一緒のことだから。
神は立法者だとか支配者だとか言われるが、それは民衆の理解力のなさのせいで、じつは神は必然的に働き、永遠の真理である。
そして聖書は自然の光や、自然の法について、知らないでは済まされないもの、無条件で推奨されるものとされ、無知は言い訳にはならない。

以上、まとめ終了。
まあ言わんとしていることはわかる。神の法と人間の法を峻別していて、神の法を宗教の側にもっていって、人間の法を宗教から世俗へと切り離そうとしている。
と思いきや、啓示による法は神の法であるとも述べる。
どゆこと。
神を知ること、愛することが神の法だというのに、モーセの立法も神の法となる。というのも当時の民衆は神を知る手がかりは、律法しかなかったからだと。
んー、とりあえずよくわからないので、おいておこう。

2019/08/15

Bach Magnificant BWV243/ Kantate・Cantata BWV78 "Jesu, Der Du Meiner Seele", Karl Richter, Archiv Produktion, 198 197/バッハ、マグニフィカント、カンタータ78「イエスよ、汝わが魂を」、カール・リヒター


Johann Sebastian Bach
Magnificant BWV243
Kantate・Cantata BWV78/"Jesu, Der Du Meiner Seele"
Münchener Bach-Chor
Münchener Bach-Orchester
Solistengemeinschaft Der Bach-Woche Ansbach
Karl Richter
Archiv Produktion, 198 197


リヒターの神格化には辟易する。リヒターはリヒターでバッハを神格化している演奏だ。ぼくはリヒターの演奏をあまりにも統一感がありすぎていて好きになれない。ブランデンブルグ協奏曲にしろ、協奏曲にしろ、電子音に聞こえてしまうのはぼくだけか?
マタイ受難曲でもそうだ。とくに二回目の録音があまりにもステレオ過ぎているので、エンジニアのせいかもしれない。なんてったって右と左で音が別々に、本当に言葉の通り別々に出てくるもんだから、陳腐に聞こえてしまう。おそらく二部合唱であることを強調したいがためなのだろうが、失敗している。

カンタータ78番「イエスよ、汝わが魂を」も、やっぱり機械音っぽい。合唱もなんか冷たい感じがして。
リヒターの演奏は聴衆にバッハの解釈の一元化をうながす何かがある。これはカラヤンも同様で、音楽を「退化」させてしまった。
リヒターの解釈がある種の到達点のように扱われてしまう。
たとえばアーノンクールのカンタータ78番は、ぼくはベスト番とは言い難いもので、物足りなさを感じるが、しかしそこには古楽演奏の発展を見ることができて、そこに音楽の愉しさがある。
しかし、リヒターには何があるのか。彼の演奏は素晴らしいものもあると思うけれど、それ以上の発展が見込めない「退廃」を象徴していると思う。
とまあ、えらそうに書いたけれど、テオドア・アドルノからすれば、レコードを聴いている事自体「退廃」だからなあ。
でも、リヒターの録音って、機械音ぽいってのは、多くの人が思っていることではないのかな。


2019/08/14

『壺狩』司馬遼太郎短篇全集二

『壺狩』

細川藩の初代家老、松井佐渡守康之は、慶長十七(1612)年正月二十三日、六十三歳病没。その家臣、稲津忠兵衛は追腹をする。忠兵衛は朴訥で皆から愛されていた。越前ゆうの峠の茶屋の老婆から七十文で買った、小さな壺にせんぶりを入れていた。それを康之が細川三斎に見せる。
「忠兵衛という異相の者、予は見覚えている。この釉薬の神妙、なりの朴訥さ、まるで忠兵衛が壺に化けたかのごとくである。生きて動き出しそうではないか。」と評する。
三斎は、この肩衡(かたつき)を古今の名器となり、「人生(ひとよ)」と呼ばれるにいたる。
武勇で名を馳せることができず、壺が有名になったことは忠兵衛にとっては恥ずべきことだった。

短篇の良さがよくでている。たいして動きのある話ではなく、忠兵衛の周辺を描き、忠兵衛という人物を第三者の立場から眺めるかたちとなっている。
司馬さんが、長篇ではさむ「余談」といったところか。
文章がうまいですねー。猛々しくなくて、徹底して文章のみで何かを伝えようとする意思がある。

2019/08/13

Rachmaninov Concerto No.2 in C minor for piano and orchestra op. 18 Rudolph Kerer(Kehrer) Kirill Kondrashin Symphony Orchestra of The Moscow State Philharmonic Society Μелодия(Melodiya), 33д 012495-96(a)/ラフマニノフ ピアノ協奏曲第二番 ルドルフ・ケレル(ピアノ)、キリル・コンドラシン(指揮)



Rachmaninov
Concerto No.2 in C minor for piano and orchestra op. 18
Rudolph Kerer(Kehrer)
Kirill Kondrashin
Symphony Orchestra of The Moscow State Philharmonic Society
Μелодия(Melodiya), 33д 012495-96(a)

ルドルフ・ケレル(Rudolf Kehrer)というピアニストを初めて名前を知る。
ケレルは、1923年、グルジアのティビリシでドイツ系ユダヤ人の両親から生まれた。1941年ドイツ系ということでカザフスタンへ強制移住となったようだが、これはおそらくスターリンによる「ヴォルガ・ドイツ人追放」かと思われる。移動の自由がなかったらしく、ながらく東側でのみ知られていたピアニストのよう。カザフスタンのシムケントで数学、物理学を学び教職につくが、のち現在ウズベキスタンのタシュケントで音楽を学んだという。
タシュケントかあ。タシュケントには一度行ったことがあるが、そこはかなりソ連的な街並みだったが、ケレルが学んでいたのは66年の大地震前の50年代だから、まだサマルカンドのようなイスラーム色が色濃く残っていたのだろうか。
そして驚くべきは、強制移住させられた1941年からスターリンが死んだ1954年の13年間、ピアノ教育を受けていないということで、1923年生まれだから18歳ごろから31歳ごろまで、音楽界の表にでることがなかったということで、おそらく練習は続けていただろうけれど、1954年からようやくタシュケントで音楽を学ぶというのは、異色な感じがするが、当時の状況からすれば多くの人が同じような境遇だっただろう。
もっと何か情報がほしいものだ。
演奏はなんともずっしりとしたピアノで、一音一音、力強くて確信に満ちていて、きわめて硬質。なよなよした演奏ではないから、第二番とあっている。
第一楽章の冒頭の和音のクレッシェンドを聴けば、すぐに名演であることがわかると思う。この曲の場合、曲の始まりで良いか悪いか決まってしまう、というか聴く者にその後の展開の先入観を植えつけてしまう。ケレルの第一音から、これこそラフマニノフの第二番といっていいもの。
コンドラシンは相変わらず図太いがロシアンロマンティシズムを地でいく演奏で泣けてくる。
なぜこれほどの演奏が埋もれているのか。もったいないだろう。ヨーロッパではCDになってたりするのかな。

2019/08/12

『伊賀源と色仙人』司馬遼太郎短篇全集二

『伊賀源と色仙人』

大阪の丼池で商いをしていた伊賀源太郎は不渡りをだして、西成区山王区の天国荘に逃げ込む。そこで色仙人と出会う。色仙人は女乞食のクマバチとやっている最中だった。
色仙人の素性は誰も知らない。色仙人は伊賀源の見込んで地面に落ちている金目の物を拾うジミ屋家業を教える。そしてつぎにソーイ屋を教え、子供玩具の設計図などを手がけていった。
色仙人は、もう教えることがないと、もう山王からでていくように伊賀源に言い、最後にクマバチの身体にマッチの灯りを照らしながら、秘法をさずける。色仙人はストッキングの切れ端をクマバチの身体にあてるように言う。
何が何だかわからず、伊賀源はアパートに戻り一日思案して閃いた。
伊賀源は前から思いをはせていた画廊に務める時子のもとに行き、裸になってくれと頼みこむ。秘法とは女性向け下着のデザインだった。
伊賀源が色仙人に報告しにいくと懐から二十万円ほどの札束をわたす。
「山王町の色仙人といわれた俺や。それぐらいの金はある」といってクマバチとともに闇に消えていった。
昭和三十一年以降の下着ブームが席巻するにいたる。

「丼池界隈」「大阪商人」と同じで、猥褻さがいいですね。
この小説で「マッチ売りの少女」という、マッチの灯りで女の秘部を照らすという卑猥な遊びについて書かれている。
昔、もう20年以上まえだが、この手のAVを見たことがある。僕がまだ小学生か中学生のころだ。タイトルもたしかそのままで「マッチ売りの少女」だったか。そんな遊び、正直AVの特殊な設定でしかないと思っていたが、まさか司馬さんの小説で再会するとは。あのAVはノンフィクションだったのか。
地見屋なんかも、柳家金語楼の「身投げ屋」でしか知らなかった。そんな商売がほんとにありえたのが、なんとも時代だなと思うわけで。
司馬さんもこういう話が書けたのだな。この感じ、現在で言えば、浅田次郎の世界感のようで、ヘミングウェイのようなかっこよさもあるわけです。
猥雑さと人情が混ざり合っている。

2019/08/10

『禅思想史講義』小川隆 春秋社

僕は昨今のマインドフルネスの流行に嫌気がさしていて、GoogleやAppleが社員研修かなにかで採用したとか。「禅」がエクササイズの一環になってしまった。それってどうなの。それだと人間救えないでしょ。「悟り」へ少しづつエクササイズしていく、それだと結局、凡夫、衆生は救われず、出家した坊主だけが天国行き。まあ、この解釈はかなり悪意があるけど、けど修行した者だけが救われるってなると違和感が残る。
マインドフルネスは、結局、瞑想をつづけ、高みへと昇っていく思想で、この資本主義社会にマッチしてしまった。やれば報われるってな感じでしょうか。

敦煌禅宗文献という一連の大量の巻物が、清朝末期1900年ごろに敦煌の石窟から発見されて、イギリスやフランス、そして日本、ロシアなどが自国に持ち帰ったりして世界中に散逸したのだと。幸か不幸か、そのため「敦煌学」という国際的な学問分野が生まれたとか。そうでしたか。そんな分野があるとは知りませんでした。

師から弟子へと直に伝えられていくのを、ロウソクの炎を移していくの喩えて、「伝灯」という。釈尊、そしてインドから仏法を伝えに達磨が東土にやってきた。これが中国の禅のはじまりとなる。本書でも何度も言及される「祖師西来意」というやつ。

「頓悟」と「漸悟」
僕なんか、悟りというのは少しづつ悟っていくものだと考えていたが、唐代、神会を代表とする南宗は一時に悟る「頓悟」が高尚という考え方を打ち出だした。北宗の漸悟を否定し、「単刀直入、時期了見性」といって、頓悟の坐禅を主張した。
いやー、まさかそんなことになっていたとは。ここ数年流行っているマインドフルネスやアビダルマ仏教とは、かなりかけ離れている。
「神会は法会で、「坐禅」の「坐」とは念の起こらぬこと、「禅」とはそのような自己の本来性を自ら「見る」ということ。」それは漸悟を否定し、坐禅そのものを廃棄している。
ひたすら「無念」であること、無住は「只没に閑たるのみ」という。無限定、無分節に、それは常にいまあることが定慧等であり、そのまま仏なのだという。まさに大乗仏教っぷりがいい。

野鴨子の話と馬祖の禅
馬大師、百丈と行きし次、野鴨子の飛び過ぐるを見る。大師云く、「是れなんぞ」。丈云わく「野鴨子」。大師云く「いずくにか去ける」。丈云く「飛び過ぎ去けり」。大師、かくて百丈の鼻頭をひねる。丈、忍痛の声を作す。大師云く、「何ぞ曾て飛び去れる」。
馬祖禅の基本的な考え方は、
即身是仏、自らのこころがそのまま仏であること。そしていたるところ「仏」でないものはない。禅の書物には「祖子西来意」を問う門灯が多くあるが、答えも千差万別、しかしながら共通の答えが潜んでいて、「即身是仏」を悟らせるために達磨さんはやってきたという。
作用即性、活き身の自己のはたらきは、すべてそのまま「仏」として本来生の現れである。
平常無事、「即身是仏」と同じで、ふだんのありのままの心、それが「道」であると。行住坐臥、応機接物。

馬祖批判
石頭系の禅は、馬祖への批判となっていて、「即身是仏」というが、そんなありのまま、それが「仏」だと言われたら、なんでもありではないか、と。たしかにそうだ。大乗仏教でたまによくわからなくなるのがこれで、ブッダは修行を説いているはずなんだけど、でも大乗仏教の考えでは、みんなすでに「仏」だったりする。そうするとブッダの修行はなんだったのか。浄土思想なんかだと、ブッダはこの世の苦しみを云々といったキリスト教的な世界感と似たりしている。
まあ、それいいとして、
「わずかに門を過ぎし時、石頭便ち咄す。師、一脚は外に在り、一脚は内に在り。頭をめぐらして看るや、石頭便ち掌をたてて云く、「生従り死に至るまで、只だこの漢なるのみ。更に頭をめぐらしてなんとなる」
「揚眉動目」、つまり「言語」「見聞覚知」「著衣喫飯」を離れ「心」「本心」をとらえる。活きたはたらきがそのまま自己なのではない、活き身の作用とは別次元に本来の自己がある。
それは三人称で「渠」「他」「伊」「一人」「主人公」と三人称をつかって、ありのままの自己とは違う別次元の自己を指している。

「何をやっておる」
「茶をいれておる」
「誰に飲ます」
「お一人茶をご所望の仁があってな」
「ならば、なぜ。そやつ(伊)に自分でいれさせぬ」
「うむ、おりよく、それがしが(専甲)おったものでな」

自分でいれて自分で飲む、ただそれだけのこと。本来生の自己と現実態の自己の不即不離が述べられている。二にして一、一にして二であると。現実態の自己に還元されない本来の自己。
ただ、この本来の自己とはいったい何なのか。それは何を意味しているのか。それが今一つわからないところ。


盤珪禅師
「不生の仏心」、不生とはもともと具わっていること、日常の営みに「仏」が常にあり、わざわざ「仏」になろうと修行するは見当違いだと。江戸時代、盤珪禅師が説いたことは唐代禅を再現したものといってもいい。これに対する批判も元禄期に損翁宗益が石頭と同じような批判を盤珪にする。

宋代の禅、問答から公案へ、公案から看話へ
宋代になると禅も制度化していき、国家機構に組み込まれていくようになる。禅が上流階級、士大夫たちに一種の知的教養になっていたよう。宋代では禅を学ぶ際の教材のようなものとして「公案」を使うようになる。
「公案」参究には「文字禅」と「看話禅」の二つに分けられる。
「文字禅」は、公案の批評や再解釈を通して禅理を闡明しようとするもの。これは科挙のようにあらゆる典拠を駆使する士大夫文化を反映している。
「看話禅」は、特定の一つの公案に全身全霊を集中させ、その限界点で心の激発・大破をおこして決定的な大悟の実体験にいたろうとする方法。
道元さんは看話禅に反対だったらしい。和文の公案を提案しているところからして「文字禅」を展開していったのだという。おお、そうなのか。『正法眼蔵』はいつか読みたいものです。

『碧巌録』の要点
「作用即性」と「無事」禅の否定。
「無事(0度)→大悟(180度)→無事(360度)」という円環の論理。
「活句」の主張。公案を合理的に解釈するのではなく、意味と論理を拒絶する。
『碧巌録』は「文字禅」の極みで、そこから「看話禅」へと移っていく。

僧、趙州に問う、「万法は一に帰す、一は何処に帰す」
州云く、「我れ青州に在りて、一領の布衫を作る、重さ七斤」
存在はどこに帰着するのか。趙州は言う、青州で、あつらえた重さ「七斤」の布、それは、郷里でおぎゃあと生まれ落ちた、このあるがままの活き身の己れ、それにほかならぬ。
このような唐代の問答から宋代にはいると問答は意味も論理も含まない絶対的に不可解な言葉、「公案」となる。その転換が夢窓国師。
公案は、浄土往生でも仏門の理論でもなんでもなく、いかなる思考も感情も及ばぬところに公案はある。それは鉄饅頭をかみ砕くようなもので、噛んで噛んでいずれ砕ける時がきて、その時初めて「鉄饅頭」の味がする。

「死句」と「活句」
意味と論理を含んだ理解可能な語が「死句」、意味が脱落し論理が切断された語を「活句」という。
「西来意=即心是仏=無事」だった唐代の等式が「西来意=活句」対「無事=死句」になり、無事が批判的なものに変わっている。この理解に及ばない語が、どうやって人に理解されるのか、いや理解するしないの次元ではないところで、認識するってことか。

「山は是れ山、水は是れ水」の円環の論理
「即心是仏=無事」を打破し、「大徹大悟」に至る、それが「祖師西来」だという。
人間、「無事」の状態から、「大徹大悟」へ行く。そうすると山は山ではなくなし、水は水でない、と見えるようになる。さらにそこから、「なんだやっぱり山は山だし、水は水だ」となる。つまり、再び「無事」の状態へと戻る。
そう、これ十牛図なんだとわかる。十牛図って、概略だけぼんやりと覚えていたのだけれど、そういえば十牛図は臨済宗からのものでした。

大慧の「看話禅」へ
「碧巌録」の「活句」によってありのままの「無事」を打破し、「大徹大悟」にいたる、というものは断片的に説かれていたが、大慧が実践的にこれを一本化する。
一念にてがっばと大破せねばならない。そのために大破を意識せず、思うこと、考えること、生を好んだり死を憎んだ五、静寂をねがったり、喧噪を嫌ったり、これらを一気におさえこむ、そして「僧、趙州に問う、狗子に還た仏性ありや。州云く、”無”」
この「無」の一字に合理的な解釈、有り無し、などを施してはならない。時々刻々、つねにこの話頭を念頭に置き、心を覚醒させる。
これが公案の「活句」と「大悟」を結びけている。
この「看話禅」は宋、元の時代に主流になり、誰もが追体験可能な禅として規格化されていく。そして中国では禅は発展しなくなってしまった。

道元の禅思想は必然
「本覚」は本来具わっているさとり
「始覚」は教えを聞いて修行し、はじめて得られるさとり
本覚も始覚、どっちが先かではない、同時に乗り越える。道元は本証妙修」「証上の修」「修証一等」などのように、修も証もどちらかがどちらかの部分でもないし、どっちが先でもない。本来仏だから修行する、修行してるから本来仏なのだ、という。
こう禅の歴史をたどっていくと、道元の考えは中国禅の乗り越えであり、必然でもあった。
道元は、即身是仏のようになにもしないで仏なんてあってはならいと批判し、公案や話頭をみて悟るなどもありえない。デタラメな「活句」で大悟なんて外道。
只管打坐するのみだと。この只管打坐は「看話是」「始覚」の対立項として考えられている。
仏だから修行する、修行するから仏、なのだという。仏道が不断に行われる世界、食べるときも掃除するときも寝るときも、いつもが仏動に通じる。ゆえに永平寺、となる。

近代の禅
鈴木大拙、西田幾多郎、夏目漱石らは禅に西洋思想、文明への対抗思想を見出していた。なるほど。たしかに。彼らの禅は、臨済宗白隠の禅で、道元は和辻哲郎、田辺元をまつことになる。そういえばそう。
大拙は伝統的な禅から西洋の哲学からえた「自然と必然」の思想を組み入れていく。意思の自由と必然という問題を「般若即非」「無分別の分別」「超個の個」といった大拙独自の思想へと発展させていく。
AはAにあらず、故にAである。
色即是空、空即是色。有限即無限、色不異空。空不異色。そして西田幾多郎の絶対矛盾の自己同一。
一切は空である、しかし空であるがゆえにそこには一切がありありと現象している。
大拙はそこに即非を説く。それは存在や認識の論理ではない。新たな行為の論理のこと。
それは自由と必然がおのずから一致する、最も自由でかつ適切な行為、「妙用(みょうゆう)」
山が山であり、水が水であるのは、それは限界ではなくて「空」を介して、山鹿山であるのは山の自由ではないかという。
「即非の般若的立場から”人”というものを即ち、”人格”をだしたい」(『西田幾多郎随筆集』
「人は」は「即非」の論理を活き活きと体現した自在に「妙用」する主体、いわば、「真空」を「体」とし「妙用」を「用」とする一個の活きた「主人公」のことだという。そして「人」は「超個者であって兼ねて個一者」たるという。

2019/08/09

第三章 ヘブライ人たちの「お召し」について。また預言とは、ヘブライ人たちだけに独自に与えられた贈り物だったのかについて――スピノザ『神学 政治論』

第三章 ヘブライ人たちの「お召し」について。また預言とは、ヘブライ人たちだけに独自に与えられた贈り物だったのかについて

注より、「お召し」とは、神に召し出されるkとで、それは救済に選出されること、預言者として選出されることの意ということ。広い意味で天職。
人間にとって本当の幸福は真実を知ること。他人と比べてどうのというのは、他人の不幸を喜んでいるのだから、悪意でしかない。ということは、ヘブライ人が神から選ばれたとか、ヘブライ人だけが神は存在を知らせてくれたとかいうことは、ヘブライ人自身、本当の幸福を知らなかったからだという。神が他民族に好意を寄せても、ヘブライ人への好意が薄れたりするわけがない。たしかにヘブライ人は他の民族よりも神から大量の軌跡を見せたことはたしかだが。
ヘブライ人が他民族より道徳や知識で勝っていたわけではない。神が他の民族よりもヘブライ人を選んだ理由とは何か。
その前に、いくつかの前置き。
神の導きとは、一定で変えられない自然の秩序のこと。万物が自然の諸法則によって生起する。神の導きと言おうが同じこと。
自然のあらゆることが発揮する力は、神の力そのもので。そして人間も自然の一部だ。神の力が人本来の声質を通じて働いているのか、人本来の声質の外部から働きかけているかの違いはある。
そして、神の選びとは、自然の秩序に反した働きは誰にもできないから、神の「お召し」だけが生き方を導く。運命とは神の導きにほかならない。そして神は外部の原因でもって人事を導く。
私たちが望むのは基本的に三つ。
物事の大元の原因を知ること
感情をうまく制御して特ある生き方を身につけること
安全に健康な身体で生きること
最初の二つは、人間本来の性質それ自体に含まれているから、私たちの力でなんとかなる。しかし最後のものは外部のものごとが決め手となる。
ヘブライ人が他の民族より勝っていたのは、生命を危険さらされるほどの苦難をうまく乗り越え、奇妙な縁で国家を獲得し、長く続けることができたことだ。それ以外では他民族とかわらず、神も万人に平等だった。
律法が約束したのは、服従と引き換えに国を絶えず繁栄させることだった。驚くに値せず、社会、国家は人々が安全に、快適暮らすことを目的に存在している。しかし、国というのは、同じ法で皆を縛る必要がある。律法を守るとはそういうことだ。
では、神は他の民族にも独自の法を定めたのか、といわれれば、スピノザはわからない、けど聖書にはその痕跡がある。そもそも聖書には万人に神は好意的なことが書かれている。にもかかわらずヘブライ人は自分たちは選ばれたと思っている。
聖書はヘブライ人のための物語であり、だから他民族が神から預言を授かったかどうかはわかるわけがない。
モーセは、神が他国民に好意を寄せたとしても妬むことはないだろう。モーセは自らの集団が危機的な状況で、存続させるためには外部の力が必要だった。それが神の助けであり、律法だ。
さらにパウロは万人が法と罪から逃れらないのだから、神は万人のためにキリストを遣わしたという。キリストはあらゆる人を律法への隷属から解き放つ。それは律法に従うのではなく、自分自身の決意に従い、よりよく生きてもらうためであった。ここはある種モーセの発展がキリストといった感じになっている。モーセはヘブライ人を救うために外部から律法をもたらすが、キリストはそれを普遍的な法でもって、ヘブライ人のための律法から人々を解き放ったということになる。
割礼だとかが、ユダヤ人のなかで続くことは、散り散りになった民族が再び国を打ち立てるだろう。しかしそれは知性と本当の徳とは関係がない。ただユダヤ人の国のことと安全のことのみにかかわるにすぎない。

以上、まとめてみたが、この章はけっこうシンプル。律法というのは、モーセによる単なる統治のための術だったと。
なんともユダヤ教の人が読んだら怒り心頭のような内容だが、実際のところ現代ユダヤ人にとって、この本はどういう位置づけ何だろうか。
そしてここでもスピノザはキリスト教を普遍的宗教として見なしている。そしてかなり好意的。
当時からユダヤ教の選民思想は嫌われていた模様。スピノザは他民族から嫌われることで、ユダヤ人の一致団結が存続すると。そして割礼など習慣が、彼らをまとめあげている。割礼は別に道徳的な行為でもなんでもなくて、単純にユダヤ人をユダヤ人たらしめ、法に服従させている証となっている。

2019/08/08

第二章 預言者について――スピノザ『神学 政治論』

第二章 預言者について
預言者はべつに並外れて優れた精神の持ち主ではなかった。想像力に秀でた人は、純粋に知的に理解するのが苦手だ。知識に想像が混ざってしまえば台無しになる。だから聖書で知恵を付けようなんてのは完全に間違っている。
まず、預言自体が預言者の気質や想像力でまちまちで、預言者も神から預言を授かったからと言って賢くなるわけではない。
ただの想像力には確実性は認められない。預言者たちも神からの啓示を、啓示そのものから確信をしたわけではない。なにか「しるし」があったからこそ確信したわけだ。預言者はしるしを求めた。
この点でも自然の知とは違うことがわかる。自然の知は、知それ自体に確実性が認められる。預言の確実性は気持ちの上でのものでしかない。
となると、預言と迷信は何が違うのか。
道徳心に満ちた人や神自身が選んだ人を、神はけっして欺かない。だから預言に確実性をもたせることができる。なんじゃそりゃ。ここでは、あくまで聖書の読解であって、聖書の論理構造からそうだと言えるとなる。だから預言者が新しい神々を布教し始めたら、そのしるしや奇跡如何に問わず、死罪にせよとモーセは言っている、としている。これは聖書から演繹されることなのだ。
預言の確実性は三つの要素からなる。
一、啓示が生き生きと感じられる。
二、しるしによる裏付け。
三、預言を受けたと自称する者が、正しい心をもっていること。
預言者は自らの預言が本当かどうかは、本当に起こってみるまで確信を得られなかった。つまり預言者の確信というのは、単に気持ちの問題だった。ということは、その確信というのは、預言者の考え方や理解力に応じて与えられた。
神は遍在していて、全てを予知している。しかし預言者たちはそれを知らなかったし、神に対して無知だった。かのモーセですら、神の性質を憐れみ深いとか、怒りっぽいとかしか表現していない。そして、この存在者は万物の製作者として至高の権力を持ってヘブライ人を選んだ。他の民族や地域については他の代役に一任する。だからイスラエルの神だとかエルサレムの神とか表現されていて、他の神々は他の民族の神々と呼ばれている。
モーセは神の住まいがあると信じたり、神を見ることができるとも信じていた。実際は見ることができないが。
神はモーセに啓示を与えたが、イスラエル人は神について無知だった。モーセは哲学者としてではなく、立法者としてイスラエル人に啓示を教えた。それは自由な心で生きることではなく、法に従うことを教えた。それは隷属の延長だった。ただ神の法を愛し、そして服せと命令したのだ。ということは、イスラエル人が徳の素晴らしさや本当の幸福を知らなかったことは確実となる。
神が預言者に接するやり方は、キリストが頑固なパリサイ人に対するのと同じように、聞き手の裁量によって異なっていた。つまりは、方便を使っていたのであって、真理を語っているわけではなかったのだ! そういえば使徒たちも同様に相手の理解力によって語り口を変えている。そうなのだ、方便なのだ。

以上、まとめてみたけど、かなりこんがらがってきた。
スピノザが言う想像力ってのは、なかなか興味深い。というか、この時代想像力ってのはどんな評価だったのか。この本を読んでいる限りだと、知的作業とは反対の意味で使われているようにみえる。
スピノザは、預言は想像力の産物というけど、でも一方で預言は神から授けられるものであるという。また確信は気持ちの問題だと言っておきながら、神が預言者の理解力に応じて与えるものだと言っている。
これは一体どういうことだ。聖書の中だけで論じれば、預言は想像の産物に過ぎないが、預言者からすれば神から授かっていると感じ、そして確信は持てないけど、聖書のなかでは預言者ごとにその確信の持ち方はまちまちだったということか。
啓示には一貫性がない。ということは啓示は方便なのだ。唯一絶対の真理を語っているかのように聖書を思われてきたが、仏教と同じで書かれていること語られていることは、方便に過ぎないのだ。しかし、方便とはいっても、正しい道を行くためになされるもので、その正しい道がなんなのか、それが問題だ。

2019/08/07

第一章 預言について――スピノザ『神学 政治論』

第一章 預言について
預言とは、啓示ともいうが、ある事柄について神が人間に示した確かな知のことである。普通の人は預言を確実に知ることができないから、それを信じるしかない。預言者はその啓示を通訳する存在のこと。
前述の預言の定義よれば、自然の知(人間が自然に備わった認識能力)も預言と言える。人間が自然の光によって知る事柄、煎じ詰めれば神が取り決めたことを知ることにほかならないからだ。例えば数学的な知にしろ、物理学的な知にしろ、だ。しかし、えてして自然の光はありふれたものだから、人間はあまりありがたがらない。超自然的な知にあこがれる。
自然の知は預言の知と違うが劣っているわけではない。預言の知との違いは、自然の知はある確かさを持っているが、預言の知は預言者を信じるしかない。
預言者たちの啓示は、言葉(声)か映像、もしくはその両方で示されてきた。そしてそれらは本物であることもあれば、預言者の想像の産物にすぎないこともある。モーセ以外の預言者たちは、神の本物の声を聞いたのではないのだという。なんと!!
神はモーセに声で啓示した。『出エジプト記』第二十五章二十二節の記述のみが、神の本物の声だった。サムエルやアビメレクらの預言とモーセのもとは別に考える必要がある、というのもモーセ以外の預言者は夢の中だけであったり、近くにいる人の声にそっくりだったというからだ。
モーセの律法は、神が姿形を持っていると述べていないし、そう信じろとも書いていない。ただ神を信じ、敬うことを説いている。
神は夢などを使わずに人間に直接伝えることもできるが、そのためには人間側が抜きん出た精神を持っている必要がある。それはキリスト以外にはいなかった。ぬおー! なんと。ここでイエスを褒めている。キリストの場合は言葉や映像ではなく、直接に啓示されたと述べている。ここはどういうことだ。「直接に啓示」というのは、キリストの精神を通じて使徒たちに言葉をもたらした。キリストの声はモーセと同じで神の声といってよい。モーセは神と対面し仲間同士のようだが、キリストの場合は心と心でつながっていた。
スピノザはここで聖書の言葉から、余計な脂肪をとっていく。「霊」と訳される「ルアハ」も文脈で別に「霊」の意味で用いるべきではないし、「神のなになに」と表現される場合、それは別に神の属性を述べているわけではなく、単純にでかいとすごいとかの意味でとるべきとする。
よくわからないことに「神の」と付けてきた。預言者は神の力を持つと言われるのも、なぜ預言者が啓示をうけるのか、よくわからないからだ。
そもそも知性の限界を超えたことを受けることができたはずだ。預言者たちは自然の知でもって多くを知ることができたはずだ。しかしそうなっていない。あるのは言葉と映像で構築された寓意や謎かけばかり。なぜなら、そのほうが想像力を発揮できたからだ。
と、ここで疑問が生じる。なぜ預言者たちはそんな想像の産物に確信をもてたのか。厳格な理論をもとにしていないにもかかわず。

まとめ終わり。
ここでの要点は、預言がモーセのもの以外、想像の産物といっていることで、ということは、モーセは本物で、モーセは神と向かい合ったということ、それはスピノザは神を認めているのか。
聖書にでてくる単語が、いつの間にかいろいろと尾ひれがついてくるってのは、仕方がないかな。陰謀論なんてのは、そんな尾ひればかりで、ノストラダムスの予言なんかの解釈なんか百家争鳴でありまして。たいした意味でもないのに、多くの意味をそこに読みとってしまう人間の性よ。
預言は信じるしかないものと言っていて、やはり宗教は哲学とは違うとここでも述べられている。ただし、この「信じる」という行為自体、スピノザは否定していない。
驚くべきは、イエス・キリストを立派な精神の持ち主とほめてることで、しかもイエス・キリストをモーセと相並ぶ人物として見なしている。なんだ、どうなっているのだ。スピノザはキリスト教が好きなのか。
ちょっと疑問。旧約聖書を批判的に読み解いているが、これまで培ってきた、もしくは生きながらえたテクストの読み方はダメだというのはわかるけど、それだとたんなる宗教批判にすぎない。しかしスピノザは宗教を否定しているわけではない。いったいここで論じられている旧約聖書の解釈などを、スピノザは迷信と考えていたのかどうか。旧約聖書は宗教の名に値するものとしてしまっていいのかどうか。
あと「言葉と映像」と「精神」というのは、対立する概念として扱っているのか。

2019/08/06

序文――スピノザ『神学 政治論』

序文
人は簡単に迷信を信じてしまう。迷信は、さっきまで自分たちの支配者を神のように崇めていたかと思うと、今度は罵りるようにしむける。迷信は混乱をもたらす。
そのため、まともな宗教やそうでない宗教も、儀式や仕掛けで飾りたてようとしてきた。それに最も成功したのがトルコ人だという。
君主は国を統治するために人びとを騙し続けることでうまく統治してきたが、しかしこのような専制君主は、オランダのような国にはふさわしくなく、自由こそ愛すべきものであり、自由を認めても道徳心や国の平和は損なうことはない。
これを証明するために、過去の時代の奴隷根性の遺物や主権者の権利についての先入見を指摘する。このような過去の遺物を私物化し、宗教の名を借りて、迷信でもって群衆を再び奴隷状態にされてきた。
宗教は、愛、喜び、平和、自制心を公言しているくせに、いつのまにか諍いをはじめる。というのも、聖職者が特別立派なものであると見られるようになると、ろくでもないやつがでてきて、演説がうまいだけのやつが民衆を扇動しはじめる。そして争いがはじまる。
多くの宗教がもっている儀礼は外的なものだけ、つまり様式だけが残ってしまった。これは人が自由に判断することを妨げる。理性を軽侮するものたちは、神の光が与えられたと信じ込む、なんという皮肉か。少しでも神の光が与えられていたら、もっと慎み深く神を敬い、愛によって人びとの模範になっていただろう。
自然の光(人間の知的能力)は軽んじられ、それは不道徳の源と見なされる。聖書を神聖なものと決めかかる。そして哲学者たちと激しい議論が繰りひろげられてきた。
だから、聖書を自由な気持ちで吟味し、聖書が言っていないことは、聖書の教えではないと認めよう。
すると、聖書には知性に反することは一切ないことがわかる。預言者の言葉は群衆を神にその身を捧げるように仕向けるものにすぎなく、つまりは聖書は理性を放任している。すなわち聖書は哲学と共通するものを何も持たず、両者は別の固有の足がかりにもとづいている。啓示は神への服従以外の何物でもない知であり、哲学的な知とは違う。
だからものごとを判断する自由と信仰の根拠を自分の好きなように解釈する権利は、保証されるべきだ。信仰の良し悪しは、その人の行いだけを基準に決められるべきだ。そうすれば誰もが自由な心で神に仕え、そして正義と愛だけは誰からも重んじられるようになる。
啓示による神の法は、自由を認めている。そして自然権によって縛られる者は誰もいない、自然権を譲ることは自身をま持つ権利も他人に渡すことで、譲渡された至高の権力者は唯一の権利と自由の守り手である。そして至高の権力者は、法や権だけでなく、宗教上の法や権利についても守り手や解釈者の役を務めることになる。それは彼らだけが正不正、道徳不道徳を決める権利を持つ。
そして結論、権力者がこうした最上の権力を保つには自由に考える権利、そして考えたことを言う権利を誰にでも認めることである。

以上、序文のまとめ。
なんというか、けっこう真剣に読んでみると、なかなかおもしろい。
スピノザは宗教批判をしているかのように思っていたが、なかなか、そんな単純ではないようで。というより、宗教を肯定的に書いていると言ってもいい。宗教ではなくて迷信がよろしくないといっている。なんといっても宗教が儀礼を整備したことは、迷信を防ぐためとか。なにーー!
そして宗教と哲学を峻別している。まったく異なる基盤で成り立っていると述べている。宗教は従うことを教えているにすぎないと、しかし従うとは何に従うことなのか、神に、だという。ここでいう神とは何か。ちょっとこのあたりは読み進めていかないと、今のところはっきりしない。神の光が与えられていれば、模範的になれただろうと言っているが、これって宗教を肯定しているわけでしょ。でも宗教は従うことのみを教えているって、何よ。
そして権力者の話になっているが、ここ、論理的なつながりがいまいち把握できなかった。
ちょっと理解しにくい論理構造だけど、まあいいや。とりあえず読み進めていく。

2019/07/30

『龍樹 空の論理と菩薩の道』瓜生津隆真 大法輪閣

3割ぐらいしか理解できなかった……

空について
いろいろ書いているが、いわば空とは、「ものはすべてそれ自体として存在するのではないこと、すなわち実体(あるいは本体)はないという否定を示している。相依性とは、ものはすべて相依相関の関係にあること、すなわち相互依存の関係を示している。したがって、縁起が空であるというのは、自己をはじめこの世界はすべて原因や条件によって生じ、また滅するのであっそれ自体として生ずるのではなく、また滅するのではない」(101)
人間は、つねにものごとにたいして、「本質」を見ようとしてしまう。でもそんなものはない。そして、すべては関係性のなかにある。
「相依相関、相互依存の関係性とは、ものはすべて相互関係や因果関係などの関係性の上に成り立っているので、原因や条件などが即時的に(それ自体として)成立し、存在しているのではない」(101)。
アビダルマ仏教では、存在を有るものとしてみているから輪廻も涅槃も区別され、ともに存在するものとして扱う。ナーガールジュナは、輪廻も涅槃も「幻のごとく空であり」、「輪廻のまま涅槃」であると説く。涅槃も輪廻も実体として有るのではない、苦も空であり、故に輪廻も涅槃も幻にすぎないという。
ただし、空は有を否定し無を主張しているのではなく、有無を越えている存在の如実相だという。有無両方を否定する絶対否定が空である。

アートマンについて
アビダルマ仏教ではアートマンを成り立たせているのが五蘊で、それは色、受、想、行、識(物質、感受、構想、心作用、認識)となる。
この空の思想ってのは、なかなかおもしろくて、「いかなる自我もなく、自我がないのでもない」という有無をともに否定していて、一種の形而上学批判となっているみたいなところでしょうか。そしてこのアートマンは世俗のなかでは存在すると述べられていること。
チャンドラキールティは、世俗は真実(本性)を無明(無知)が覆っている。世俗は無明である。そして世俗は互いにつながりあって成立している。つまり世俗は縁起であるとする。さらに世俗は能所(主客)対立の上に存在する言語表現であるとする。
主体は無知で、そしてその相依性のなかでものごとは存在する。すなわち縁起として有である、となる。それは世俗の言説表現だということだ。つまり実体はない。
だけども、仏教では無我も説かれている。本書では、有無にとらわれることがよくないことで、そのための方便といっている。むむ。
そんな世俗の中で絶対真理たる勝義はどうしたら得られるのか。それは語り得ないもので、言説の中にはない。世俗とその論理を徹底的に否定しつくすところにある。

まとめ
とまあ、その他にも世俗の真理についてや、菩薩行についてなど書かれているのだけれど、いまの僕には要点をまとめられるほどの力量がないのが残念。
本書、いろいろと内容が詰まっているため、かなり難しい。。。アビダルマ仏教のみならず、ニヤーヤ学派なんかも知らないとなかなか理解できない。
あとはやはり理解できずとも、『中論』なりの原典を読んだほうがよいかな。多く引用されているが、はじめてみるテキストということもあって、すーっと頭に入ってこない。

2019/07/19

A Recital of BACH and HANDEL Arias Kathleen Ferrier The London Philharmonic Orchestra Sir Andrian Boult Decca, LXT5383, MONO/バッハ・ヘンデル アリア集 キャスリーン・フェリア エイドリアン・ボールト指揮、ロンドン・フィルハーモニー


A Recital of BACH and HANDEL Arias
Kathleen Ferrier
The London Philharmonic Orchestra
Sir Andrian Boult
Decca, LXT5383, MONO

キャスリーン・フェリア。1953年に亡くなっている。このレコードは再発盤で1957年にリリース。オリジナルは亡くなった年の1953年にリリース。録音自体は1952年。指揮はサー・エイドリアン・ボールト。
恥ずかしながら、ぼくはこの歌手を知らなかった。
レコード店にディスクユニオンに行って、なにげなく手にとって、DECCAでMONOかーと思い、曲目もみたらなかなか渋い選曲。ということで購入。
曲目は以下。

Qui sedes ad dexteram Patris, miserere Nobis(Mass in B minor)/ミサ曲ロ短調より「父の右に座したもう主よ、われらをあわれみたまえ」
Grief for sin(St. Matthew Passion)/マタイ受難曲より「懺悔と悔恨が」
All is fulfilled(St. John Passion)/ヨハネ受難曲より「事は果たされた」
Agnus Dei, qui tollis peccara mundi, miserere nobis(Mass in B minor)/ミサ曲ロ短調より「神の子羊」
Return, O God of hosts(Samson)/オラトリオ『サムソン』より「万軍の主よ、帰りたまえ」
O thou that tellest good tidings(Messiah)/オラトリオ『メサイア』より「よきおとずれを伝える者よ」
Father of God(Judas Maccabaeus)/オラトリオ『マカベウスのユダ』より「天なる父」
He was despised(Messiah)/オラトリオ『メサイア』より「彼は侮られて」

フェリアは正規の歌手としての教育受けておらず、電話交換手をしながらコンクール優勝したもよう。エマ・カークビーも学校の国語の先生だった。スーザン・ボイルの元祖のような人。
大学で音楽を学んでいなくても、クラシック音楽の業界で活躍できるなんて、いい時代だなあ。イギリスでは定期的、この手の人を発掘する文化でもあるのか。
ワルターとのマーラー『大地の歌』が名盤のようだが、ぼくはマーラーをほとんど聴かないから、どうしよう。

それで、今回のレコードだが、泣けてきそうなぐらいいい。
マタイ受難曲からは第六曲のアリアというのが渋い。古楽器スタイルの演奏や歌唱が主流のいま、フェリアの歌い方は時代を感じさせるのだけれど、フェリアの声は透明感があるからしつこくない。
次のヨハネ受難曲からだとふつう第七曲アリア「私が犯した罪の縄目から」を選ぶところを、「事は果たされた」を選曲しているところがいい。歌の内容は、イエスの死を歌っているが、歌詞は「事は果たされ、悲しみの夜は終わり、勝利がやってくる」といったものだが、始終暗い。悲しみしかない。
さてヘンデル『サムソン』のアリアは沁みるわあ。『サムソン』って選民思想丸出しで、ヤハウェの押し売り状態でほんとうにひどい話だけど、ヘンデルが手を加えると高尚な神学的な解釈が表にでてこないで、物語としてフューチャーできていて、うまく換骨奪胎している。
フェリアの歌声は、太く力強い。そしてなぜだか慰められる。暖かくて、いい声を持っている歌手だったんだ、もっと多くの録音を残してくれていればと思う。
イギリスでは、エマ・カークビー、スーザン・ボイルなんかと同様に透明感をもっている歌い手が好まれるのかな。
惜しむらくは、このレコードがアリア集ということもあり、曲それぞれの物語性が発揮さていないところで、これは仕方がない。マタイにしろメサイヤにしろ、全曲を通して聴くとフェリアの良さが十二分にさらに理解できると思う。

2019/07/16

Beethoven, Grosse Fuge B-dur op.133, Streichquartett F-dur op.135, Koeckert-Quartett, Deutsche Grammophon, LMP18154/ベートーヴェン 『大フーガ』op. 133 、弦楽四重奏曲第16番op. 135、ケッケルト弦楽四重奏団



Beethoven
Grosse Fuge B-dur op.133
Streichquartett F-dur op.135
Koeckert-Quartett
Rudolf Koeckert, 1. Violine
Willi Buchner, 2. Violine
Oskar Riedl, Viola
Josef Merz, Viokencello
Deutsche Grammophon, LMP18154

やはり音楽をオーディオで聴くならMONOにかぎるなあ、と思わせてくれる一枚。
録音は、50年代のドイツ・グラモフォン特有の曇った感じがあるが、それはそれで味わい深いものがありまして。
モノラルだからスピーカーは一本で、カートリッジもMONO専用で鳴らしてみれば、音が雪崩のように音が塊になって迫ってくる。四つの弦楽がまるで一つの楽器であるかのように聴こえる。
「大フーガ」は、ほかの演奏よりもテンポは遅く、かえって音の重層感が増して、目まぐるしさを長時間あじわえる。よせてはかえすフーガの波でありますよ。
第16番も比較的遅め。
第二楽章のスケルツォなのですが、これがすばらしくてですね、このケッケルトたちの演奏はガチャガチャしていて、カオス感がたまらないわけです。
第三楽章なんて、モノラルでしかあじわえない深い感動がえられる。主題部から、ヴァイオリンの旋律と重厚感のある低音部が渾然一体となっているわけです。タカーチ弦楽四重奏団のが演奏としてはゆらぎがあって好きだが、ケッケルトの場合はそんな不安をあおるような演奏ではなく、深く瞑想的なものとなっています。

久しぶりにベートーヴェンの弦楽四重奏を聴いてみたけど、これが、あのねちっこくて、しつこい交響曲を書いた人間と同一人物かと思うほど、すっきりとしていて、静かな音楽だことよ。ただあの大仰な交響曲を書いた人物だからこそ、一連の弦楽四重奏曲のすばらしさもひとしおなわけです。

2019/07/15

北方謙三版「水滸伝八 青龍の章」

水滸伝八 青龍の章
「天暴の星」「地異の星」「天富の星」「地悪の星」「地勇の星」

解珍と解宝の親子が登場。解珍はかつて祝朝奉に謀られて解珍の村は祝家荘に併合されてしまった。解珍はその後山に籠もるようになり、猟師として行きていた。息子の解宝は、仲間たちと『替天行道』を読んでいた。解珍も読んでおり、その志に共鳴していた。時期がくれば、梁山泊に合流しようと思うようになる。
李応は祝虎のやり方に疑問をもっていた。祝家荘が同意なく官軍をいれることを怒っており、また自分の生き方に迷いをもっていた。
花栄は柴進の仲介で孫立とあう。孫立に梁山泊に加入することを説く。孫立は同意するが、それはあくまで志ではなく家族が問題を起こしたがために軍を抜けて逃げるという。孫立の弟の妻の弟の楽和が知県の妻に誘惑されたが、拒否したことで腹いせに手篭めにされたと訴えてきたという。
孫立は樂廷玉をたよって祝家荘に入ることにする。弟夫婦と楽和もいっしょに祝家荘に入る。
李富は、馬桂が殺されたことで、梁山泊への強い復讐心をもつ。実際は聞煥章が計画して、馬桂を酷い殺し方をしたが、李富はそれを知らない。
魯達は解珍、解宝親子に会う。魯達たちは意気投合し、ともに戦うこととなる。解珍、解宝たちは、祝家荘の内部から崩すことにする。そのために解珍は祝家荘に入るために、獲物を大量に運びいれ、祝虎に跪きながら、祝家荘の罠や情報を得ていく。解珍は李応を巻きこむならば、杜興とあうことを進められてる。
楊令は高い熱をだしていた。公淑が看病しているが、いっこうによくならない。鄭天寿はかつて音とを亡くしていることから、楊令を心配していた。
鄭天寿は官軍との闘いで、背水の陣で挑み見事勝つが、背後の崖で熱を下げる蔓草をみつけ、それを採り崖を降りるも途中で崖が崩れてしまい、死んでしまう。
梁山泊では、今回の独竜岡での闘いに総力戦で挑むことになる。祝家荘をなんとか崩すために、官軍の大軍を二竜山で引きつける必要があり、武松は秦明にわざと負け続けるように要請する。
李富、聞煥章は緻密に作戦をこなしていき、李応の存在に危機感を覚える。王和を李応につけもし何かあやしいときはすぐに殺せるようにした。
宋江は、呉用を軍師に祝家荘へと出陣する。呉用の作戦では、祝家荘に立てこもっている兵を外におびき寄せて野で闘うというものだった。そのために梁山泊では何度も祝家荘を攻め、退却するということを繰り返していた。
宿元景も騎馬隊を出動させるが、林冲たちに敗北してしまう。
扈三娘がそんな梁山泊の作戦も知らずに、祝家荘からでて闘いをしていく、梁山泊は負けていく。杜撰は闘いのなかで死んでしまう。彼の後に焦挺が引き継ぐ。
李応は杜興と話していると、自分の人生に後悔念を抱きめて、祝家荘を攻め込むことし、梁山泊に味方することにする。
林冲は戴宗から張藍が行きていることを聞かされる。林冲は祝家荘との決戦のまえにひとり張藍をさがしにいってしまう。
王和は李応を殺そうとするが、王和の行動を見張っていた武松、李逵に殺される。楽和は歌を合図に内部から祝家荘を崩し始める。そこに解珍、解宝たち猟師たちが雪崩こみ、祝家荘は混乱に陥る。
聞煥章は、逃亡の途中に顧大嫂に切られ重症を負う。
梁山泊は、なんとか闘いに勝つ。

焦挺が杜撰のあとをついで、軍の隊長になったとき、不安で自分がそんな器ではないと悩んでいる。なんとも世のサラリーマンには胸を打つ話しだことよ。隊長なんかやりたくてやっているやつなんかいない。これもめぐり合わせなのだろう。宋江は焦挺に、預かった兵の命を殺してしまうことにこわいと思うのは傲慢だと言う。おまえは杜撰のもとで死んで杜撰を恨むのかと。おおー、そうなのだそれは自らが選んだ道なのだよ。自ら意思で。
隊長がどうのではないのだ、自らこの道に入り、この道で死ぬ、それは僕の選んだ道だから、隊長がこわいと思うのは傲慢だ。
泣けるぜ。

聞煥章は当初完璧で冷酷な人間のような感じだったが、そうでもなくなってきた。扈三娘に惚れちゃうし、人を操ることの難しを愚痴ったり。

そんなこんなで中盤にさしかかってきたが、どんどん人が死んでいき、いよいよ面白くなってきた。

2019/07/14

北方謙三版「水滸伝七 烈火の章」

水滸伝七 烈火の章
「地伏の星」「地理の星」「地周の星」「天勇の星」「地賊の星」

宋江らは官軍に取り囲まれてしまい、洞穴で陶宗旺の石積みの罠を仕掛けて、官軍を迎え撃つ。宋江、武松、李逵、陶宗旺、欧鵬の五人に対し、官軍は数万。官軍の兵である施恩はかねてから宋江を慕っていたが官軍として宋江と敵対していた。斥候として宋江らの様子を見に行った時、陶宗旺の石積みに足をすくわれ、洞穴の前に落ちてしまう。そこで宋江と出会い、共に行動することを決める。
宋江たちは火攻めにあうも、陶宗旺の罠で官軍を退ける。突破口を見いだし、宋江らは出陣した雷横たちと合流する。
宋江を梁山泊に逃がすために、雷横は殿軍を引き受ける。雷横は宋江の身代わりとなる。官軍の騎馬隊と対決、雷横はそこで果てる。
宋江はようやく梁山泊に入る。
青蓮寺では、聞煥章と李富の主張で今回の負け戦を指揮した将軍二名を見せしめで処刑される。そして少華山を崩すために近くの了義山で替天行道の旗を掲げて偽装工作をすることに。
阮小五は、少華山へと派遣される。そして史進たちは少華山を捨て、梁山泊に入ることを決意する。その途中で了義山を攻めるが、そこで阮小五は矢が内蔵に達してしまう。陳達に担がれながら逃れるが、傷は深く死んでしまう。
魯達は雄州の牢に酒場のいざこざのためにいれられる。そこで得意の人たらしで囚人たちを扇動する。郝思文はそんあ魯達を関勝に引きあわせる。優秀の将軍関勝は最初郝思文の弟よ偽って、魯達と会う。関勝は魯達の生き方を「いいな、魯達は」と羨ましがる。そこで魯達はわざと関勝の悪口を言う。
関勝は宣賛に会いに行く。宣賛はかつては美しい美貌をもっていたが、何かしらの理由で拷問させ、鼻をそがれ、頭皮は剥がさせるなどで、醜い顔となってしまった。それ以降晴耕雨読の日々をすごしていた。そんな宣賛を匿っていたのが関勝で関勝はなんとか、宣賛を軍師に招きたかったが、再三断られる。
その頃青蓮寺では李富と聞煥章とで、祝家荘を中心に扈家荘と李家荘とで秘密裏に砦をつくり、梁山泊を分断、崩壊させる作戦をこころみる。全軍を祝虎が指揮しているようにしているが裏では李富と聞煥章が意図をひいている。さらに唐昇が軍師としてついていた。祝家荘は独竜岡にある。李家荘の李応は官軍嫌いであることから、李富はいざというときは毒殺をすることにする。
聞煥章は李富には秘密に呂牛に馬桂の見張りを命令する。
関勝は宣賛とともに保州の城郭を歩いていた。金翠蓮という女が父親に売られ、鄭敬という男が監禁していた。魯達は鄭敬と闘いを挑み、あっさりと鄭敬を殺して、金翠蓮を救う。魯達は金翠蓮を関勝と宣賛にまかせ、再び旅にでる。
聞煥章は扈三娘とであい、一目惚れ。
時遷は楊志を死をもたらしたのが馬桂であることを知り、時遷は馬桂を殺しにいくが失敗する。

雷横が死ぬところなんかいいですね。「愉しかったなあ」と思いながら死ぬ。憧れである。
阮小五がここで死ぬとは。こいつ何もしないで死んでしまったな。
関勝が登場。関勝は自分が軍のなかで不遇なのはめぐり合わせが悪いからだという。人生そんなもんだろう。人はみなそんなめぐりあわせに諦めて生きているもんだ。
この「水滸伝」のいいところは、革命は志で行うものではなくて、暴れたいからするものだ、と言っている感じがするところかな。

2019/07/09

北方謙三版「水滸伝六 風塵の章」

水滸伝六 風塵の章
「地闊の星」「地文の星」「地狗の星」「天猛の星」「地劣の星」

欧鵬は軍の隊長を好きな女を手篭めにされたと思い殺してしまったため、逃亡生活をしてた。欧鵬は宋江らに出会い一緒に旅についていくことにする。
宋江たちはまた賞金首として宋江を狙った馬麟と出会う。李逵は馬麟を叩きのめす。宋江は馬麟をみ、まだ可能性を感じ仲間に加える。その後、宋江は王進に会いいく。そこで宋江はすっかり落ち着いた鮑旭や、指導者として成長した史進と出会う。史進は少華山に戻ることとなるが、馬麟は王進のもとに残すことにした。そしてそのまま史進とともに少華山に向かう。
魯達は秦明を梁山泊に合流させるべく、花栄を通じて会う。腹を割って話をする。そのとき、蕭譲が秦明の文字を真似て書いた手紙をもち秦明に見せ、「信」こそが梁山泊をつなぎとめているもので、官軍では高俅らが、この手紙のようにいともたやすく人を陥れる。その後、秦明は梁山泊に入り、楊志なきあとの二竜山を任されることとなる。
林冲は二竜山に入り、兵たちの鍛える。楊志の息子楊令と出会い、林冲は楊令に稽古をつける。それは対等な関係として楊令を扱い、容赦なく打ちすえていく。林冲は秦明が二竜山に入ったのち、段景住をともなって梁山泊に戻る。段景住は林冲に馬の医者皇甫端という者がいることを伝え、皇甫端を梁山泊に招き入れる。
盧俊義の塩の道を守るため、劉唐のもと双頭山で飛竜軍という新たに致死軍を作ることとなる。
軍学を一通り学んだ阮小五は秦明のもとに実践を学ぶために派遣される。青蓮寺は二竜山に二万五千を出兵させる。秦明と花栄は青州軍に残してきた黄信の寝返りもあり、簡単に勝利してしまう。
王定六は博打がもとで牢に入れられていたが、穴を掘って牢から逃げる。そして父が経営していた店に行くと、曹順という男のものになっていた。怒り、曹順を殺し崔令という役人のもとに行き、なぜ偽の証文をうけいれたのかと問い詰、殺してしまう。そこで王定六は戴宗と出会い、戴宗のもとで働くことにする。
青蓮寺では蔡京の人選で文煥章を送りこむ。李富などよりも年下なのだが、頭が切れた。聞煥章は梁山泊を崩すため宋江をまず叩き潰すことをきめる。
宋江らは、自分たちが危険な状況にあrことに気づく。連絡網がすべて断ち切られていて、梁山泊との連絡のやり取りができない状況だった。青蓮寺の仕業とわかり、洞窟に隠れることにする。そこで陶宗旺は李逵が割ってくれた石を積み、罠をしかける。
王定六は戴宗から、宋江らが官軍の大軍に囲まれていることを告げるため双頭山へ向かう。雷横、朱仝、鄧飛、劉唐らは、宋江を助けに行く。

秦明登場。やはりこの小説の弱いところである人物描写があまりよくなくて、秦明の個性がよくわからない。軍人らしい軍人で曲がったことが大っ嫌いといった程度。この手の叙事詩では仕方がないところだが。また、秦明が梁山泊に入る決心するところも、とてもあっさり書かれている。これも長大な歴史物語にありがちだが、そのあたりは想像しろ、といったところかな。
それに秦明が梁山泊にはいって最初の闘いで、青州軍に仲間を残してきて、あっさりと官軍に勝ってしまうあたり、かなーりご都合主義。でも原作自体がご都合主義だから、まあいっか。『銀河英雄伝説』のイゼルローン要塞を陥落させた時ばりに腑に落ちなかったが。
とはいっても、こういうとこをあまり細かく描写してしまうと、「水滸伝」の壮大さが失われてしまいかねない。こういうご都合主義も講談調でいいものですよ。
この巻は、今後、話を展開する上での布石をしている。とくに盛り上がりに欠けるとこがあるが、いちいちかっこいいのもたしか。林冲が楊令を稽古していたとき、楊令を抱きすくめていたところを秦明が陰ながら目撃するが、そんなところも胸がつまる。
いまだ五人の虎の内、まだ林冲、秦明しかでてこない。いつでてくんだ。

革命というのは、やはり暴力がともなうもので、共産主義は暴力革命を主張していると批判されるが、革命って暴力が必須じゃんと思うんだけど。非暴力の革命なんて、これまで存在したのか。
それと現代の一部の左翼も非暴力を正義と見なしているけど、そんな態度だからバカにされる。
暴力こそが世直しを可能にするようで。

最後に、正直、宋江と晁蓋ってなんなんだ、とまだよくわからない。とにかく深くて大きい人物だというが、いったいそれってなんなんだ。

2019/07/08

Brahms Concerto No. 1 in D MInor For Piano & Orchestra Opus 15 Clifford Curzon(Piano) with Eduard Van Beinum, Conductuing The Concertgebouw Orchestra of Amsterdam DECCA, LXT2825/ブラームス ピアノ協奏曲第一番 クリフォード・カーゾン エドゥアルド・ベイヌム アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団



Brahms
Concerto No. 1 in D MInor
For Piano & Orchestra Opus 15
Clifford Curzon(Piano)
with Eduard Van Beinum, Conductuing
The Concertgebouw Orchestra of Amsterdam
DECCA, LXT2825

カーゾンとベイヌムによるブラームス、ピアノ協奏曲第一番。これはカーゾンは数年後にジョージ・セルとも録音をしていて、こちらが有名な盤となっている。
ベイヌムとのものはモノラル録音であるため、ステレオ録音のセルのものと比べると音質はたしかに明瞭ではないが、モノラル特有の力強さがあって、大音量で聴くと迫力がすごいのなんの。
僕はセルとのものよりもベイヌムとの、この盤が好み。1953年の録音。
とにかく演奏はよくて、第一楽章は図太くて、不協和音を聴くたびに、こちらも苦悩に満ちてくる。カーゾンのピアノは力強い。
第二楽章ではカーゾンはここでも、明確に、力強く弾く中に繊細さを表現していて、二十代前半の熟女好き童貞ブラームスのおセンチさが十分すぎるくらい表現されている。
第三楽章では、ピアノ協奏曲ではなくピアノ付き交響曲として、カーゾンは決して独りよがりな演奏はせず、オーケストラと共に音楽を作っている。
名盤でしょう。

2019/07/07

Joseph Haydon Symphonien Nr. 100 G-dur "Military" SYmphonien Nr. 68 B-cur Concertgebouw Orchestra Nikolaus Harnoncourt TELDEC, 6.43301/ハイドン 交響曲第68番、100番「軍隊」 アーノンクール、コンセルトヘボウ管弦楽団



Joseph Haydon
Symphonien Nr. 100 G-dur "Military"
SYmphonien Nr. 68 B-cur
Concertgebouw Orchestra
Nikolaus Harnoncourt
TELDEC, 6.43301

僕はハイドンの曲をほとんど聴いてこなかったのだけど、モーツァルトを聴くようになってからか、当時の音楽的感性を少しは理解できるようになってのではと考えて、ハイドンも聴いてみようなった。そこで、ちょうど安くニューヨークのレコード店で見つけたので買っておいた。
帰国して、この交響曲100番「軍隊」を聴いて、おお、なんと愉快な音楽ではないか、ハイドン悪くないじゃないか、と思いなおした次第。
かつてピアノ・ソナタとかを小さい頃に練習したかもしれないけど全く記憶ないから、これが僕のハイドンのファーストコンタクトといってもいい。
ハイドンの曲は「軽い」。でも、この軽快さが、流暢で、愉快な気分にしてくれる。名もない交響曲第68番なんかだって、いい音楽なんだ。第三楽章の16分音符の心地よさよ。
アーノンクールの力もあるのかもしれないけど、本当に関心してしまったわけです。
ハイドンを聴いてモーツァルトやベートーヴェンがハイドンを敬愛したのがわかった気がする。
ハイドンの交響曲に30代半ばになって出会えてよかったと思う。
僕が思うに、現代日本人がハイドンの音楽を聴けるようになるには、かなり困難があると思う。けっしてロマン派のような悲痛な旋律や雄大なテーマがあるわけではない。だからハイドンの勘所をうまく捉えられない。愛だとか友情、ロマン、差別だとかを奏でているわけではないから。僕もそうだったのだけれど、メッセージ性がないと音楽を楽しめなかった時期がある。
ハイドンの音楽はそんな19世紀以降の感性とは相容れないので、ドラマや映画でドラマティックに使ってみようなんて思う人はいない。
またよさそうなレコードがあれば買ってみよう。

2019/07/05

RACHMANINOV PIANO CONCERTO NO. 2 IN C MINOR OPUS18 Julius Katchen(Piano) with Anatole Fistoulari Conducting The New Symphony Orchestra DECCA, LXT2595/ラフマニノフ ピアノ協奏曲第二番 ジュリアス・カッチェン、アナトール・フィストゥラーリ



RACHMANINOV
PIANO CONCERTO NO. 2 IN C MINOR OPUS18
Julius Katchen(Piano)
with Anatole Fistoulari
Conducting
The New Symphony Orchestra
DECCA, LXT2595

ジュリアス・カッチェンのラフマニノフ、ピアノ協奏曲第二番。指揮アナトール・フィストゥラーリ。録音は1951年。録音当時、カッチェンは二十代前半。
第一楽章、けっこう速いテンポで、カッチェンのピアノが走っている。
第二楽章、ここでもテンポは早めだが、詩情感たっぷりにきかせてくれる。なんというか老年のもつノスタルジーではなく、いままさに若きカッチェンがロマンを注ぎ込んでいる感じでしょうか。
第三楽章、これは白眉でしょうか。ピアノのすさまじさのみならず、オーケストラがスラヴ的雰囲気をきちんと表現している。フィストゥラーリがウクライナ出身だからか。打楽器の表現が、他の指揮者のものとは異なり、ラフマニノフの意図を越えて非常に効果的に聴こえる。クライマックスでのピアノとオーケストラの合奏は圧巻で、いっきに駆け上がっていく。
カッチェンのピアノは明晰で、迷いがない(他のピアニストは迷いがある、というわけではなくて)。
この録音は、まあ正直いいとはいえないのだけれど、演奏はすさまじく名演だと思う。レコードでまだ聴いているので音に厚みがでてるけど、この録音をCDで聴くとけっこう薄っぺらい音質になっているはず。50年代、60年代のMONO録音をCO化したものは、残念な音質になっているケースがほとんど。
カッチェンのラフマニノフは、おそらくショルティとのものが有名だし、録音状態もいい。それでも、どっちがいいと問われれば、フィストゥラーリとの録音を僕は選ぶと思う。
僕の愛聴盤になると思う。

2019/07/04

Mozart Klavierkonzerte/Piano Concertos Nr.25 & 27 Freidrich Gulda Viener Philharmoniker/Vienna Philharmonic Claudio Abbado/フレデリック・グルダ、クラディオ・アバド モーツァルト ピアノ協奏曲第25番 第27番



Mozart
Klavierkonzerte/Piano Concertos Nr.25 & 27
Freidrich Gulda
Viener Philharmoniker/Vienna Philharmonic
Claudio Abbado
MG1011

モーツァルト、ピアノ協奏曲第25番、27番。グルダとアバドのもの。K.503とK. 595。
25番は何度聴いてもいいとは思えない。がんばっていいところを探そうとしたけれど、いまの僕の感性では追いつきませんでいた。
何がよくないって、全体的につまらない。モーツァルト特有の疾走感もないし、心地の良い転調もあまりなくて、退屈になってしまう。ごめんなさい。

27番は、比較好きな曲。だけどもよく見かける、「天国的な美しさ」とか「死を予感される」とか、そういうった評価はいかがなものかと思う。この曲が作曲された年にモーツァルトは死んでいるけど、この曲は年始めに出来上がり、死ぬのは年末なわけで、その間約1年あるわけだ。モーツァルトの死因にはいろいろと諸説があるけれども、27番を作曲していた時は、まだまだ元気だったわけで、「死の予感」もへったくれもない。こういうところでモーツァルトの曲を神格化することはよくないと思う。たしかにちょっとしたスパイスにはなるけど、27番には「死の予感」なんか読み込めないほど長調です。
27番でいいなあと思うのは、やはり第二楽章の出だしでしょうか。ポロンポロンとピアノからはじまり、同じ旋律をオーケストラが追い、またピアノがそれを引き継ぐ。かわいらしくて、夢見がちな旋律。そして、ちょっと不安にかられる短調となり長調へともどるところはモーツァルトらしい。
第二楽章のグルダは、自由に感じられる。美しさに耽溺するのでもなく、しみじみと奏でてくれている。胸にしみるわ。
ただし、やはりケッヘル400番台のピアノ協奏曲のような楽しさがないのが、僕には残念でならない。おそらくモーツァルト自身400番台のころのような曲想からは違う方向に向かっていたのだと思う。

2019/07/03

思索の源泉としての音楽  森有正



思索の源泉としての音楽
森有正(話・パイプオルガン)
PHILPS, PH-8519

たまたまレコード店で見つける。こんなものが発売されていたとは。森有正の肉声が録音されていて、バッハについて、思索について語っている。
音楽は社会的なものだ、と森さんは言う。個人的にやることでは意味がないとまでいう。それは文章を書くことでも一緒で、それは社会性を帯び、だから書いたりしたら世に出さなければならないし、楽器を練習したらコンクールや人前で演奏もしなければならない、という。
人間の経験が、音符一音一音に反映せれていて、バッハの音楽にはその一音一音からバッハの人生、経験、思索が見えてくるという。
ちょっと感傷的すぎるところもあるが、音楽が社会性を常に帯びているのは確かだろう。バッハは常にルター派のための音楽を書いてきたし、そしてそれはドイツ語の歌詞で歌われるために音楽が書かれていた。
バッハにとっても音楽は社会性を帯びていて、それは世界と人類とか大きい枠組みではなくて、街単位での小さな社会、共同体を意味している。

収録曲は、
「人よ、汝の大いなる罪を嘆け」
「天にましますわれらの父よ」
「われらみな唯一の神を信ず」
「来たれ、異教徒の救い主よ」
「キリストは死の縄目につながれたり」
「主イエス・キリストよ、われらをかえりみたまえ」
「われ汝らに別れを告げん、汝悪しき偽りの世よ」
「汚れなき神の小羊よ」

森有正が書く文章は、正直すぎで、それは告白というか告解のようなもので、読む者を慰めてくれる。人間の弱さや醜さを見つめたもので、彼がよくいう「経験」が、後悔というか懺悔のように文章にあらわれている。
レコードには『遙かなるノートル・ダム」からの抜粋が掲載されている。久しぶりに読んでみると名文だこと。
森さん、震災前、角筈に住んでいたことが書かれていて、角筈といえば今の歌舞伎町あたりで、なんと野鳥が飛んでいて、森閑としていたという。いまと比較して恐ろしい変わりようだこと。
森さんの音楽の本質とは「人間感情についての伝統的な言葉を、すなわち、歓喜、悲哀、恐怖、憤怒、その他の言葉を、集団あるいは個人において究極的に定義するものでありそれはまさに、かくの如きものとして在るものであり、それがおのずから伝統的なものを定義していることが意識されるのであって、それはもう説明されることのできないもの」だという。
そしてそれは、書くことを生業にする作家や詩人がたどり着きたくてもたどり着けない経験の純化がなされているという。
「音楽は人間経験の最尖端、あるいは深奥部に位いするものである。……本当にミュージカルなものは、詩によって、造型によって、さらには形而上学的思索によってさえも表現されうる、またされなければならない深い生命の自己規律である。」
んーこの感覚、この文章、かつての思想家、批評家、作家たちの言葉への深い信頼が伺える。いまでは森さんのような文章はほとんど目にしなくなっている。(最近では歴史仮名遣いを使い、小林秀雄に影響された、気高くて何言っているか不明な下手くそな文章はたまにみかけるが。)
不思議と森有正さんが、こういう文章を書いても全然嫌味ではなく、引き込まれていき、知らない間に僕ら自身も後悔や懺悔をしたりするのだ。

彼の演奏は、実直なものだが、とくに言及するほどでもないとは思う。とても上手だし。でも、それだけかな。
ただし、森さんがレコードでも言っているように、音楽は発表されるべきものであり、それが音楽なんだ。森さんは、それを堂々と行う。レコードまでだしてしまう。自分の腕前がどうであろうと。
この自らをさらけ出すことは、彼の書く文章と同じだ。さらけ出して、そして批評される。無視されるかもしれない。しかし社会で生きていくとはそういうことなんだと、森さんは言っているのだろう。それが社会で生きていく人間の姿である、と。

2019/07/02

『兜率天の巡礼』司馬遼太郎短篇全集一

『兜率天の巡礼』

法学博士閼伽道竜は、昭和二十二年に公職追放にあう。妻の波那は病弱だった。道竜はいたって平凡で、特段の実績もなく、ただ研究室のなかで独身であったという理由で教授の娘波那と結婚をして、教授職を得る。そして順調に出世していった。
波那は慢性化した糖尿病が重体に陥り、意識を失ってしまう。道竜はそこにま妻ではなく毛物が横たわっていると思った。悪液が脳に達してしまった波那は、突然すっくと起き上がり、裂けるばかりの口をひらき、叫んでいた。声はでていなかった。さいごにひぃと笛のような音が喉から突き上げるようにでた。「怖いィ。お前の、お前の顔……。ああッ」と言って道竜の髪を引きむしってそのまま死んでいった。
妻の発狂で道竜は、波那の家系に原因を探っていく。だれか精神病者はいなかったかどうか、取り憑かれるように。それは理性を失った学問的情熱というべきものだった。
行き着いたのが、兵庫県赤穂郡比奈、大避神社だった。
道竜は宮司、波多春満に話を聞く。だれか精神病者はいない、しかし、それに似た者がいる、秦の始皇帝です、と。
曰く、秦の始皇帝の裔功満王の子弓月ノ君が、日本に上陸して井戸を掘った、それがここの井戸です、と。しかし、田村卓政やゴルドン女史は、別の説をたてた。それはユダヤ人だったと。
曰く、大和ノ国泊瀬川で洪水があった。赤い壺にのった童子が川上から流れてきた。童子は異相で、雅やかであること玉の如くだったといい、帝から秦性を賜る。そのご朝廷に仕えるが、配流となり、赦されてて大和に還ってきてから、土地の者が祠堂を立てる、それが大避神社だという。
祀っている神は、天照大神、春日大神で、三番目が大避大神だった。大闢、それはダビデの漢訳である。大避神社は延喜式以降は「避」を使っていたが、「大闢」とも書くという。
京都太秦にある大酒神社、そこにあるやすらい井戸、これはイスラエルと語呂が似ている、というよりも転訛したという。
景教、それはコンスタンティノープルの教父ネストリウスの派閥の教派で、異端視されて天山北路を越え、シナを越え、播州比奈の浦、山城太秦へとたどり着く。
閼伽道竜の意識は、五世紀の東ローマ帝国コンスタンティノープルへと至る。閼伽はネストリウスと化し、市民から石を投げられている。
ネストリウスは、マリアの神性を認めず、キリル僧正に異端とされた。
道竜は、若くして死んだ北畠顕家を偉大な哲学者の如くあつかう新説を、頼まれるごとに講演し、速記が出版された。それが原因で道竜は戦後に大学を追われることになった。
道竜は、ネストリウスと自分を重ね合わせた。
唐の時代、長安大秦寺、屋根に緑碧の瓦をふき白亜の塔を天に突き上げた異風の景教の寺があった。そこに胡女がひとりで住んでいた。知恵は浅く、従順であった。碧い目はふかぶかと澄んでいた。この女が武宗の後宮にあがったのが十七歳のとき、同族の者たちが小さな祝宴をひらく。少女をみた長老は、ネストリウスがマリアの神性を否定したのは間違いではないかと思うほど美しかった。
長老は少女の処女を、わが民族においていくように言う。同族から若者をひとり選び、室をともにさせた。
その後間もなく大秦寺へ、少女の屍が届く。そして、大秦寺は廃止されてしまう。
後年、石灰岩の碑が西安の農夫によって発見され、ヨーロッパに報告されるが、偽作と疑われる。日本の高楠順次郎氏が、真作であることを証明した。碑にはシリア文と漢文が刻まれていた。
その碑の近くに、一体の人骨が出土していた。道竜がこの胡女ではないか、考えてしまう。
そして道竜の意識は日本へともどり、弓月ノ君の末裔普洞王こそ、波那の遠祖であり、普洞王は一族を率いて赤穂比奈に上陸する。当時はまだ大和の勢力がそこまで広がっておらず、比奈ノ浦を都と定めた。そこはボスポラス海峡を忍ばせる瀬戸内の海が広がっている。
普洞王は旅に出、津のくに、河内のくにを経て、大和へでる。大地がむき出しになり岩と沙の故郷とは異なる、柔らかい風、光が肌にまつわる、天国のような安住の地を得る。それは彼らが自らの神を捨てた瞬間であった。
普洞王は、みすぼらしい小屋のような宮殿と変哲もない貧相な老人であるおおきみをみて、この国の文化の貧しさをおもって、親しみを覚える。普洞王はみずからをシナでローマを指す大秦をもちいて、ずっと西からきたことを伝える。そこから秦性を賜り、同時におおきみから媛をもらう。子をなし、さらにその子が子を生み、秦勝川が生まれる。秦一族は播磨をおさめたのち、秦一族の都を山城、太秦に定める。
勝川は厩戸ノ皇子に山城へ招待するが、皇子は行こうとしない、というのも秦の都に行けば、そこは異教の廟があり、仏教に帰依する皇子にとって外道の都だった。
皇子はそのころ蘇我氏との政争で政治資金を必要としてた。そこで秦氏の織物から得られる膨大な資金を得ることにする。ようやく皇子は太秦を訪れる。そこには大廈高楼が翠巒の中に丹青を誇る社があった。天御中主命を祀っていた、この神は延喜神名帳にものっていない、大酒神社にのみ伝わる神、それはエホバかダビデのことだったのか。そして勝川から皇子へ献上された太秦広隆寺には浄土思想をあらわす弥勒菩薩ががあった。
道竜は大酒神社に行き、そこで三本足の鳥居をみ、天辺は二等辺三角形をなしていた。そして終着地、嵯峨の上品蓮台院を訪れる。そこには兜率天曼荼羅の壁画があり、仏の顔は日本人とはことなる異相していて、そのなかに道竜は波那がいるのではないか考えた。
仔細に曼荼羅を見ていると、それはキリスト教の天国を描いているようで、そして景観はまるでコンスタンティノープルごとく、また長安のごとくにも見えた。道竜は曼荼羅に紫金摩尼をみつけ、それを背景に動く人をみつける。波那。ローソクが落ち、弥勒堂は焼け、閼伽道竜の焼死体がみつかる。

この小説、ちょっとした飛躍がある。波那の先祖はユダヤ人かもしれないというにもかかわらず、ネストリウス派の話になっている。ネストリウスやその派閥がユダヤ系だというわけではない。にもかかわらず、景教の話になって、その末裔が日本にやってきて、波那につながっているように書いている。日ユ同祖論については詳しく知らないので、このあたりの論理がわからないが、司馬さんは強引に閼伽道竜の情念のみで、つなげてしまっている。
なんとも壮大な話ではないですか。始皇帝からネストリウス、秦氏の歴史と全部つながっている。やはり陰謀論とかっておもしろい。
しかし司馬さんはその上を行き、最後の最後で、兜率天曼荼羅にこれまでの話が凝縮されていく。ここが司馬さんの力だろう。
活字なのに、目の前に曼荼羅があらわれ、仏どもが動いている。