2020/09/30

『最後のソ連世代――ブレジネフからペレストロイカまで』 アレクセイ・ユルチャク/半谷史郎訳 みすず書房

非常に面白い。非常に示唆に富む内容。本書、日本の政治運動なんかにも痛いところを突いてきている。現在の政治をめぐる言説は、あまりにもコンスタティヴであり、意味を逸脱させたり、ずれが生じることを許さないものとなった。
ユーモアもなく、あるのは真面目な言説のみ。その構造は権力側と同じであり、僕ら「ふつうの人びと」はそういった空間に取り込まれるべきではないと思う今日のこの頃。
はっきりいって、日本でも「あいつら」の言っていることって、面白くない。文字通り、面白くない。

以下、まとめる、といってもかなりメモ的。
ソ連の語る時の二項対立「抑圧/抵抗」「自由/不自由」「真実/嘘」「公式文化/カウンターカルチャー」などは、意識的にソ連システムを否定的にみる見方をしている。
ソ連時代の初期は、権威的言説による発話の文字通りの意味に評価を下す存在として言説の主人(master)がおり(一九二〇年代末からスターリンがこの役割を独占した)、外部の「客観的な」規範であるマルクス=レーニン主義の真理にがっちするかどうかを決めていた。だが五〇年代末半ばに権威的言説の外部の主人が消える。この変化うぃ受け手ルフォールの逆説が覆い隠せなくなり、イデオロギー表象のあらゆる面に影響が及んだ。(32)
権威がいなくなれば、客観的な真理規範を参照できなくなるが、そこで見つけられた方法が、それまで別の人が書いた文章や発言を引用コピーすることで、それがさらに複製されていく。こうして権威的言語の形式が画一化・定型化し、汎用性も高まる。
そしてこのコピーそれ自体が目的化し、「言説ではパフォーマティヴな意味がいっそう強まり、コンスタティヴな意味は新たな予想外な解釈に開かれていく。」(33)
このずれをパフォーマティヴ・シフトと読んでいる。
どんな(近代的な)政治システムでも正統性を主張する根拠は、そのイデオロギーの外部の位置にある何らかの「明白な」真理に基づく。システムのイデオロギー言説は常にこの「真理」を参照しており、その根拠を論証することはできない。これが近代国家のイデオロギー言説がそもそも抱え込んでいる矛盾である。(47)
ソ連イデオロギーの主人のシニフィアンは、レーニン=党=共産主義であって、決してスターリンやブレジネフではない。
スターリンの個人崇拝と独裁権力は、暴力や恐怖にのみ依拠していたわけではない――そんなことがスターリンに可能だったのは、自身の正統性を、レーニンの教えの継承者、レーニンに指名された人物、レーニンの考えをよく知り理解する指導者に擬すことで得ていたからだ。(93)
あくまで「スターリン」は「レーニン」というシニフィアンに規定されるものでしかない。
ソ連で生きることは、単なる面従腹背ではなく、イデオロギーを信じながらも、それからそこそこ自由でということで、純然たる形式業務と意味のある仕事が持ちつ持たれつの関係にあった。
スヴェイー(仲間)からすれば、反ソ活動などの「異端派」は健康な人からみた病人であり、考慮から排除される存在だった。なぜなら体制が明らかに安定しているからだ。
後期ソ連社会の脱領土化がもたらした予想外の大変化の一つが、独特な社会集団の登場である。これをひとまずスヴァイーの共同体と名づけよう。イデオロギーの機構と権威的言語が支配するコンテクストでは、スヴァイーが生まれる基準は、共通の社会的出自や特定階級への基準ではなく、権威的言説の受け止め方がにているかどうかだった。してみると、スヴァイーは権威的言説の「公衆」と位置づけることができる。(166)
「スヴァイーの公衆」と名づけた共同体は、至る所で年がら年中あった公的なよびかけへの答えとして生まれたわけだが、そうした呼びかけはソ連体制の権威的言説で出来ている。(167)

こうした繰り返しが続くうちに、呼びかけにパフォーマティヴ・シフトがおこり、儀礼の硬直した形式は再生産されるのに、意味が予想もつかない形に変化していく(168) 

インナたちは、異端派の政治言説にも深入りしなかった……「私たちは異端派のことは一度も話題にしませんでした。分かりきったことを、なぜ話すんですか。あんなもの面白くありません」 最後の一言から思い浮かぶのは、お馴染みの権威的言説のパフォーマティヴ・シフトである。権威的な発話・シンボル・慣行を文字通り受けとめなくてもよかった(コンスタティヴな意味を重視されなかった)ため、インナたちをはじめ多くの人が、その意味が正しいかどうかを考えるのも時間の無駄と思っていた。形式的かつ取り込まれないように権威的シンボルを再生産し、そこから生まれた可能性を活用する方が賢いし面白いとも思っていた。そうすれば、システムの統制の目が行き届かない新たな意味を自分の存在に付け加えられた。だからこそインナとその友達は、システムの慣行や発話の文字通りの意味に取り込まれない方を選び(それが肯定的なものでも否定的なものでも)、活動家の言説も異端派の言説も黙って遠ざけた。(174-175) 

異端派の言説も権力の言説も同じ土俵でしかない。しかしインナたち「ふつうの人たち」は超越(ヴニェ)していたという。
ヴニェした面白く充実した創造的な生活を送る、それはソ連のシステムを疑うこと、真実を見極めることとは違う。
システムをヴニェ(超越)する生き方とは、あるものの存在を知っているが、それが目に入らないということで、そうすることでシステムの内にあり続けてもシンボル・法律・言語といった媒介変数に従わずにすむ。
これは、非常に強い現在の言論空間への批判と読める。過激な言葉や斬新な言葉を使って、詩的言語をつくりだすことを、多くの言論人が行っている。それに対して多くの人が冷めた目で見ている。ふつうの人は体制に批判的かどうかはどうでもよく、ふつうの人たちの広がる言説空間とは全く異なる。異端派の言説が退屈であるというのは、まさに彼らの言説が権力側の言説と同じコンスタティヴを要求するからだ。面白くないからだ。創造的ではないからだ。

バフチンのヴニェであること(外在)という概念。
バフチンは「文学テキストにおける作者と主人公との間のある特殊な関係を考察し、これを「主人公のすべての要因に対する作者の緊張感ある外在の位置、空間的・時間的・意味的な外在の位置」にある関係と定義した。(180、「ミハイル・バフチン全著作第一巻 所収「美的活動における作者と主人公」)

なぜこのような生き方が可能だったのか。それはソ連が意図せず行った文化政策に負うところが大きく、教育制度を重視し、公式文書で高級文化や集団主義や物欲にとらわれない価値の重要性を繰り返し語ったおかげだ。そして重要なのが、ソ連というシステムのなかでは基本的に最低限の生活条件を保証されており、生活への不安がほとんどなかったこも大きい。
ソ連国境開放をして現実の西側を目の当たりにしてがっかりしたというのは、よくわかる。僕が海外に行くと常に思うことだ。

ソ連のカフェ文化なんか、やっぱり面白い。多くの人がカフェに行き、そこで文化が育まれていく。文化は人が集まって醸成されるもので、いまオンラインが推奨されているけど、本当にそんなんでいいのでしょうかね。

アネクドートを「戦うのを止めたユーモア」と位置づけている。いいですねー。
アネクドートが語っているのは、やつらのこと、「ソ連体制」のことではなく、ソ連の現実そのものであり、われわれ全員もここに含まれる。アネクドートを語る主体も、それを聞いて笑っている客体(つまる、ソ連の人たちほとんど)も、システムに外部の批評家でなく、ヴニェの姿勢で接している。アネクドートは、「ふつう」主体とシステムとの現実の相互関係を示すミニモデルなのだ。ここで皮肉まじりに描かれているのは、笑っている一人ひとりが個人や集団でソ連システムの再生産に形式面で手を貸し、と同時にその意味をずらしていく様である。つまり、アネクドートの主たる任務は、「自分自身を」見ること、厳密にいえば「私たち自身を」見ることだ――もちろん見ると言っても、焦点の合わない、ぼんやりした目でアネクドートの儀礼化した不自然な形式を垣間見ることだけなので、主体が自分自身について直に言うことも、自身の行動や現実との関係に注意することもない。だから、アネクドート語りの儀礼が終わると、それまでと同じように行動することができた。(410)
だからこそ、「システムの危機を人知れず用意する最も効果的なメカニズムだったのである」。

2020/09/26

『太平洋戦争』(上・下) 児島襄 中公新書

出版が1965年~1966年。
すでにこの時代に基本的なことが情報がすべて出揃っている。現在からすると、かなりバランスの取れた記述になっている。日本軍への思い入れも当然あるが、作戦の不備や戦略の甘さを指摘しているし、アメリカ側の欠点も優秀さもきちんと書いている。
児島襄は保守の側だったので、本書の性格も当時の保守的考えを反映している。日本軍への思い入れが通奏低音になっているが、本書を読んでいればわかる通り、児島氏は太平洋戦争を肯定はしていない。そりゃそうだ。
戦争というものが、つねに不確定要素を含み、みんながみんな状況判断を間違える、そんなものなんだというのがよくわかる。太平洋戦争を戦略、戦術の側面から書かれていて、これはなかなか貴重。全体的に戦争がどのように進行していったのかの概観がわかる。

真珠湾攻撃における日本の未熟な戦争観があるという。日本海軍にとって戦う相手は軍艦であり、基地や施設は二の次だった。近代戦は総合的戦力の戦いであり、単純な戦闘の集積ではない。ハワイへの再度の攻撃をしなかったことは戦術上の誤りだった。とはいいつつも、真珠湾攻撃によってアメリカの作戦に変更が加えられた。山本五十六はアメリカの戦争準備を遅らせるためにも、行う必要があった。

シンガポール攻略においては、華僑の反抗が激しく、そして日本軍も華僑の大量処刑を行うなどした。
華僑の反抗が日本軍を刺激したのか、日本軍の偏見が華僑の抗戦意欲を燃えたたせたのか、事件の遠因近因は複雑にからみあっているが、太平洋戦争をくろくいろどる不祥事であることは変わりない。こうした日本は、初戦に置いて早くもアジア人を敵にまわし、戦争遂行に必要な原住民の協力を失った。マレー、シンガポールの華僑は、この事件(華僑処刑事件)によって、ますます反日態度を固め、シンガポール市、マレー半島における活動は、その後決してやむことはなかったのである。(上163)
バターン死の行進なんかも、いまじゃ日本のど根性魂の象徴みたいに扱われることが多いが、予期しない数万にもおよぶ捕虜の扱いをバターン半島でどう扱うかというのは、頭で考えるよりも難しい。バターン死の行進も歴史を語るうえで埋まらない溝がある。アメリカからすれば虐待だし、日本からすればアメリカもアメリカでマッカーサーは逃げるし、残された米兵や原住民をどうすりゃいいんだとなる。とはいっても本書でも指摘しているように、日本軍によるアメリカ軍捕虜への虐殺もあったようなので、暗い戦争側面を表している
バターン攻略でも、日本軍は攻撃しないで、包囲していれば自ずとマッカーサーは物資不足で投降せざるをえなかったが、日本軍は攻撃したことで、マッカーサーは英雄にもなり、宣伝にも使うことができた。

フィリピンの原住民たちは、マッカーサーの「I shall retarn」を冗談のように使っていたという話が載っている。

「軍曹どの、便所に行って参ります。でも、私は帰って参ります(アイ・シャル・リターン)。」 

「よし、オレも行く。だが、お前たち、さぼるんじゃないぜ。オレも”アイ・シャル・リターン”だからな」(上191-192)

うける。
上巻はガダルカナル島の戦いで終わる。ミッドウェイ海戦までは日本軍が連戦連勝だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。最後、ガダルカナル島の戦いの章の最後、上巻の最後に児島氏は「悲惨のきわみである」と締めくくっている。

下巻からはもうすでに日本軍の快進撃はない。
参謀本部の情勢判断は杜撰なものであることはわかるが、アメリカ側もたいしたことがないようで、情報を正確に得るなんてことはまず不可能であり、そしてそんな状況下で戦争を遂行するのだから、そもそも長期的な戦略なんてものがどれほど役に立たないか。
零戦の優位も1943年ごろにはあくなっており、米軍も牛革、人造ゴム、天然ゴムの三重でタンクを張り合わせ、13ミリ、20ミリの機銃弾ではジェラルミンの機体に穴をあけてもこの三重の壁を突き破れなくなっていたという。
ウェーキ島を攻略した際、英米軍の通信線を遮断させたことが勝利の鍵だったが、今度は逆にべチオ島の戦いで日本軍が遮断されてしまったウェーキ島の教訓を吟味せず、単に一つひとつの戦いの勝敗のみに気を配っていたためだ。一人ひとりの日本兵は精鋭で奮闘するが、戦争は組織と組織の戦いのため、いずれは負けることになる。
米軍はタラワ戦の教訓からトーチカの破壊方法を学んでいく。
ソロモンの戦いは悲惨だが、トラックを守るためには必要と判断されていた。にもかかわらず、そのトラック戦わずにを捨てることに判断をしたり、参謀本部の混乱というのがよくわかる。
多くの戦いが、単発的で、戦略的ではなく、場当たり的になっていく。そして戦闘機や兵をそのつど失い、消耗していく。

インパール作戦も今回はじめて地図で追いながら、ざっと時系列を知った。素人の僕にはよくわからないが、師団長のやる気のなさがこの戦いの敗北のい一因であるようだが、それだけでなくインパールを獲得した後の補給の問題やらも未解決だったようだ。いずれにせよビルマの安泰と援蒋ルートの遮断、そしてインド独立運動を激化させるために作戦がたてられたが、よくもまあ戦線をそこまで拡大するなあと素朴に思う。
米軍からみればミチナ(ミッチーナ)攻略は、中国から日本本土へのB29での空爆のための補給基地とし必要だったという。そうなのか。
インパールは現在でも秘境といっていい。マニプル州はなかなか行きにくいし、バングラデシュや中国に挟まれているし。行くには仕事をやめるしかない。
牟田口中将のジンギスカン作戦は無謀かつ夢想的作戦とされているが、じっさい険しい山のなかではそれしか道がなかったし、そうはいっても結局はこの作戦も失敗する。牟田口中将の思想は不可能を可能にすることが軍人の本務というものだから、部下がインパール作戦の無謀さを批判しても、結局は聞く耳がないわけだが、しかしどんな組織でも同様なものだろう。
日本軍の猛撃もすさまじかったようだが、結局は負ける。なんだかね。

いよいよ終盤、大西瀧治郎中将の提案で「神風隊(しんぷうたい)」が結成される。当初は局所的な臨時的な作戦で、レイテ島沖海戦での敵空母を叩くためだった。しかしレイテ島の戦いは決戦にはならずに終了する。
栗林中将の硫黄島の戦いの記述もある。ペリリュー島と硫黄島の戦いのみが、陣地確保しつつ持久戦をとる戦法をとった。他では守る側が突撃攻撃をして敗北を早めていた。こういうところでも潔さを良しとする美学が仇となっているが、はたしてこの感覚は伝統的なものなのかどうか。いずれにしても、戦争時にはあまりいいものではないが、平時では悪くない精神だとも思う。

本書はあくまで戦略、戦術の観点から太平洋戦争を描いている。
太平洋戦争を断罪したり、弁護したり、判決する前に、なによりも戦争をして戦争を語らしめることを心がけた。」(上iv)

個々の戦場ではかなり悲惨な現状があるにせよ、戦争がどのように作戦がたてられ、遂行され、戦われて、勝敗がつくのか。そこには国の文化、伝統、思想がまさにむきだし露わてくる。 

2020/09/21

『続・語録のことば 『碧巌録』と宋代の禅』 小川隆 禅文化研究所

『碧巌録』の難しさというのが、単に語っていることが難しいというだけでなく、当時の慣用句は熟語の意味を決めることから難しいようで、つまりは解釈云々以前の問題がいろいろとあるよう。このあたりは地道な研究が必要でしょう。
『碧巌録』だけではないが、禅関係の漢文というのは難しい。これは宋代の文章だからなのか、よくわからないが、訓読がいかに不自然な読み方であるかがわかる。かなり無理矢理読んでいる感が否めない。

わが通玄峰の頂上は
人の世間を超えたところ
すべては一心の生み出せしもの
見わたす限りの 青き山々

なるほどー。独りぼっちの空間を世界に広げればいいだけなんですよね。
僧、法眼に問う、「慧超、和尚にとう、如何なるか是れ仏?」
法眼云く、「汝は是れ慧超」。
この型はさまざまなところで登場するようで、これに対する解釈なんかは、唐代の即仏というのが宋代にも一般的だったようだが、圜悟は「即汝是」を真に肯ううるためには、
充分な機根の成熟過程と、一瞬の契合による決定的な悟りの体験が必要だった。そして、それをさえ得てしまえば、なるほど、いかにも玄則自身が本より仏にほかならないのであった。(133) 
全一なるものを全一のまま、無分節なものを無分節のまま、まるごと直に体認せひょ。それができれば「ひとり大空を闊歩することも夢ではない。逆にこれを情識・分別でなど理解したら、悟りなどはるか彼方の沙汰である。(152)
僧、趙州に問う、「万法は一に帰す、一は何処にか帰する?」 
州云く、「我青州に在りて、一領の布衫を作る。重きこと七斤」。

石は石、大は大、小は小と、自然がただ自然のままあるさま、人間の存在とは無関係に存在しているという考えを圜悟は批判する。

みな凡情と分別とばかりではないか。そういう凡情や分別をすべて捨て去ったら、そこで始めて看ぬくことができるのだ。そして看ぬいてみれば、やはり依然として、天は天、山は山、水は水だ、ということになるのである。(195)

圜悟は「無事」「作用即性」への批判する。本来性(0度)⇒開悟(一八〇度)⇒本来性(三六〇度)という円環的な「悟り」の論理を述べる。

 


2020/09/19

『フランス革命はなぜおこったか――革命史再考』 柴田三千雄 山川出版社

安達氏の著作とは毛色が異なる。まず16世の評価もそれほではないし、マリー=アントワネットに対してもそう。おもしろいのが、「首飾り事件」が公共圏を活性化したという指摘で、この事件自体マリー=アントワネットは無関係にもかかわらず、彼女の日ごろの行動や噂と相まって、王妃を誹謗する出版が賑わったりしたようだ。

本書の特徴としては、フランス革命を思想史事件の側面からではなく、王権と統治の構造改革の側面から論じているところ。
変革主体とは、どのようにして形成されるのか。……社会層、あるいは社会的結合関係などは、変革主体の土壌ともいうべきもので、それらのことから、変革主体が自動的に生まれるものではない。変革主体とは、社会・経済構造の矛盾のなかで異質の敵対分子として徐々に形成され一定の力をたくわえた情勢の時を待って立ち上がる、という性質のものではない。この一般的な社会傾向は、変革主体の形成を説明しない。それには、その契機となる客観的要因と現実にたいして能動的に立ち向かう主体的要因とを考えなくてはならない。(169)
この客観的、外的要因がアメリカ独立戦争やオランダとの戦争での莫大な戦費による財政問題が発端で、財政を立て直すために税制改革や法制改革を行おうとする。それがフランス革命に繋がっていく。

ルイ15世のときにモプーがおこなった司法改革や財政改革が徐々に功を奏したが、ルイ15世の死によって頓挫し、そのときにルイ16世が即位したという。これは啓蒙専制主義への展開のチャンスを逃したことを意味する。ルイ15世のときから財政改革をしようとしていたことがわかる。
テゥルゴは穀物の規制を廃止し、自由主義経済を推し進めようとしたが、不運なことに不作の年でもあったり。
ネッケルはもっと現実的な政策を行っていき、さらには会計報告書を国民に公開した。それで人気がでたらしい。しかしこういうことが反発もでるもので、フランス伝統の万人は君主に従うものだというふうに非難されたり。ネッケルは啓蒙主義的すぎたようで。
そして重要なことはテゥルゴもネッケルも世論に振り回されていたことのようだ。世論というものが形成されてきた。
そして後任のカロンヌは財政が限界であることを覚り、テゥルゴやネッケルの失敗からも学び、名士議会を開催することとした。この名士議会がフランス革命の一つの要因だという。貴族たちは自分たちの特権を失いたくないのでカロンヌの改革案を拒否するが、カロンヌは世論に訴える。しかしまだ世論は貴族たちを信用していた。むしろカロンヌこそが悪弊の根源と見なされていたという。なんとまあ。
政府側は改革をしようとするが、既得権益者や改革によって利益を得る人々などが絡み合って、改革というのは日進月歩で行われていくものなのだとわかる。革新というのは、政治の力学がわからない人たちなので、結局はロベスピエールのような人間が、美徳という名のもとで恐怖政治へとつながる。

モラル・エコノミーという概念があるのを初めて知る。穀物の価格が自由化されることで、不作の年には価格が暴騰する。ネッケルは輸入で対応するが、市民たちは高騰している価格に腹が立つわけで、それが暴動になるが、でもフランスでは暴動は頻発していたという。しかし、群衆たちは危機がすぎたあとも商人や供給者と日常的に付き合う必要があるから、妥協的な交渉をして「公正」な価格、「民衆的価格設定」を行い、さらに払い戻しもしていたという。これらの行為が、慣習的な権利であり、当局が公正な価格を保つことが義務と見なされていたから、この暴動が犯罪的な犯行ではなく、「代執行」の正当行為として考えられていたという。
なるほどー。これはなかなか面白く、イギリスのような自由主義経済のアンチで、ある種フランスで社会主義が盛んなのもこういう歴史的な様相が影響しているのかもしれない。
モラル・エコノミーは本書でも言われているように、パターナリズムだが、アンシャンレジーム下では民衆のなかには潜在的にパターナリズムを受け入れているわけだし。テゥルゴはこのモラル・エコノミーを放棄しようとしていたが、失脚後に自由化は撤廃される。
その後のバスティーユ占拠やヴェルサイユ行進(十月事件)にしろ、いろいろと偶発的なことがおこって、結果、ターニングポイントとしての事件になっている。歴史っておもしろいです。

あと蛇足だが、安達氏の『物語 フランス革命』で、ルイ16世に手術云々の記述があって、その後マリ=アントワネットは懐妊したと書かれていたが、なんのことやらわからなかったが、本書で包茎手術と明記されていた。なんだよー。

2020/09/18

『物語 フランス革命――バスチーユ陥落からナポレオン戴冠まで』 安達正勝 中公新書

エドモンド・バーグ『フランス革命の省察』を読むにあたってのフランス革命のおさらいのために読む。コンパクトにまとまっており良かった。

当初は、革命派は王政を廃止しようとは考えておらず、立憲民主制を考えていた。しかし、ヴァレンヌ事件によって王への信頼がガタ落ちになり裁判となり死刑。このヴァレンヌ事件の首謀者はフェルセンで、『ベルばら』のフェルゼン。
ルイ16世の評価が変わってきているようで、暗愚ではなかったという。ルイ16世がギロチンの刃の形状を考案したという説を知った。そうなのか。ルイ16世が、まさに自由、平等を重んじていたからこそ、フランス革命が起きたというのは、そうだよね、としかいいようがない。ふつーなら暴動を徹底的に潰すものだし。
ルイ16世はアメリカ独立戦争の際にアメリカ側に加担する。これは反イギリスだからってのもあるが、ルイ16世の思想も影響しているようだ。フランスでは啓蒙君主の登場はルイ16世と言ってもよかったかもしれないが、時代はそうはさせなかったということだ。

ロベスピエールはやはり潔癖すぎたのでしょう。ポルポトもそうだったように、良かれと思って多くの人を粛正していく。権力欲からではなく理想のためというのが悲劇。猜疑心やらが心を蝕んでいくのでしょう。
ロベスピエールのヤバさは、「至高存在」を持ちだしてきたところで、霊魂の不滅までも言い始めてしまことだ。理性を信じた極致といっていい。キリスト教の神ではよくないからって、「至高存在」なんというものをもってくるあたりがヤバい。しかも祭典までおこなってしまっている。
本書で少し触れられているのが、ジロンド派が経済的自由を主張するがロベスピエールは生存権をもって反論する。生存権というのはある種究極の反論で、まったくもって現実的な解を提示しない愚論だが、民衆への説得力は計りしれない。
矛盾するかのような「自由による専制」だが、これは段階的な革命論で、まず絶対王政という専制を打倒し、それにともなう諸外国との戦争に勝ち抜くために非常事態体制をとり、そして真の自由を勝ち取る。
民衆はこの考えに賛同し、恐怖政治自体も民衆が望んでいたものだったという。搾取される側の反抗とは、こういう矛盾が潜んでしまう。だから穏健に改革していく必要があるのかもしれない。そうすると人は必然に保守主義になるな。

本書で際立っているのが、女性たちの活躍を強調していることだ。フランス革命では多くの女性が革命に参加し、戦争にもいった。ロラン夫人ねー、忘却の彼方にいましたが、ジロンド派の影の支配者。マレー暗殺を実行したシャルロット・コルデーなどなど。

また死刑執行人シャルル=アンリ・サンソンについても書かれていて、知らなかったが彼は死刑執行するだけでなく医者でもあったという。しかも単なる町医者ではなく、王家、貴族などを診察したり、難病を治したり、貧しい人には無料で治療してあげたりと、死刑執行する贖罪の面もあったようだ。彼はルイ16世やマリーアントワネットなど知り合いを自らの手で死刑にしていくことで荒んでいったようだ。
安達氏曰く、ギロチンという処刑方法は人道的観点から導入されたが、これがかえって裏目にでて恐怖政治の出現を許してしまった面があるという。拷問や惨たらしい刑であれば、大勢の人間を粛正することはできなかっただろうと。そうだねー。これってけっこう重要な指摘かもしれない。恐怖政治を敷いても、殺すというの現代では銃だとか生物兵器だとかいろいろと大量殺戮させる方法はあるが、当時は一人ひとりをきっちり誰かが殺す必要があったわけだ。戦争とは違い、平時におけるテロリズムの質は全く異なるな。ギロチンなくして達成しえなかったテロリズムだということ。

いい復習になった。どうやら調べたら、バルザックの『サンソン回想録』というのが近いうちに出版されるよう。読んでみるか。

2020/09/16

『大分断――格差と停滞を生んだ「現状満足階級」の実像』 タイラー・コーエン 渡辺靖(解説) 池村千秋訳 NTT出版

なんか日本の状況を語っているのかと勘違いするぐらい。
現状満足階級が増えていき、イノベーションが起きにくく、流動性も低くなる。そして低成長社会へとなっていく。
人が移住をしなくなってしまったこと、転職しなくなったなどなど、まあ日本でも同じ傾向というか日本の方がひどい状況にあるような気がしていますが、どちらにせよ、この現状満足型は欧米日本の先進国では一般的傾向にある。
コーエンはそんな状況で日本をある程度うまくやっている国として、皮肉なのか、評価しているが、解説を書いている渡辺氏も言うように、だからって現状に満足していていいわけがない。僕らはけっこう政治や経済にあきらめムードがあって、もっとよい社会をつくろうとか、よくしていこうという気概が薄い。先進国では社会的な高齢化が進んで、成熟社会にいたり始めているようだ。
マッチングが僕らの生活の質を向上してくれているのは確かだし、でもそれがディストピアに見えなくもない。未来の評価というのは難しいもので、音楽に関していえば、レコードが登場した時、録音技術が音楽文化を崩壊させるという論調はふつーにあったし、チェリビダッケは音楽を体験として位置付けていたから、再生技術を嫌っていた。時が変わって、今ではCDでは本物を音ではないとか、MP3では音楽体験が希薄だとか言われ、レコード再発見がなされている。まあ僕もレコード至上主義者だけどね。
コーエン氏が言うことは、ある種の自分の生きた時代のノスタルジーではある。僕はそれを否定しないし、むしろ僕も携帯がない時代やネットフリックスがない時代を懐かしく思う。だってこれらがなかった時の方が、物や知識への執着が強いように思える。もっと活動的だったと思うんだよね。これは単なるノスタルジーでしかないと思うけども。
それに僕は地元に居続けている同級生を馬鹿にもしている。なぜ都会にでてこない、なぜ地元でぬくぬくと週末はショッピングモールに行って、ウインドウショッピングして、はたまたなんちゃってキャンプをして、そんなのが楽しいのかと。
でも、このなんとなく安定した社会は素晴らしいものでもある。不安定な時代にみんなが望んでいたことでもある。まだまだ道半ばだが、マルクスのいうように資本主義のあとは共産主義がくるのではないかと思える。そういう意味でも、このフラットな社会をコーエン氏は本能的に嫌っているのかもしれない。
コーエン氏は歴史は循環すると言うが、まあ循環するというよりも安定した社会というのは未来永劫続かないってだけでしょう。この日本も斜陽と言われながらも、安定した社会を維持してきている。かつて焼け野原になったように社会はいつだって崩壊する機会がある。
言わんとしていることはよくわかる。でもどこか呑み屋での若者への叱責にしか聞こえなくもない。

2020/09/11

『正法眼蔵入門』 頼住光子 角川ソフィア文庫

まあまあ。やはり原著にあたる方がよいかな。書いてある内容はたしかに入門でわかりやすいが、それ以上ではない。
とは言っても、『正法眼蔵』は何度か読もうと試みてきたが、一度たりとも岩波文庫の一巻目すら読み通すことができていない。激むず。
ふとしたときに道元関係の本を読んできたが、もうある程度の入門的な知識はあるのだが、やはり直接、長い時間をかけ、『正法眼蔵』と格闘せねばならないようだ。

本書は全体的に道元のエッセンスがよく書かれていると思うけど、道元の思想ばかりが書かれていて、時代背景や道元と彼以前の禅のあり方がいっさいないので逆に道元の思想がわかりにくいのではないかと思う。
道元が『正法眼蔵』でそれまでの禅の教えの何を乗り越えようとしていたのかが不明のまま。そのため全体的に一般的な「仏教思想」の内容に近いものになってしまっている。
たとえば公案の解釈の差異から道元独自の思想が浮かび上がってくるはずだ。でもそういうことをしていない。
結局、彼が永平寺で成し遂げようとしたことも中途半端な書き方なんですね。
有と時について抽象的な議論をするよりも、もっと道元の独自性に焦点を絞った方がよかった。
星二つ。
而今を「にこん」と読むが、Nikonの社名の由来だと勝手に考えていたが、どうなんだろう。でも、「この一瞬」という意味だから、カメラメーカーにぴったりなんだけど。

2020/09/10

『ニュルンベルク合流――「ジェノサイド」と「人道に対する罪」の起源』 フィリップ・サンズ、園部哲訳 白水社

ラファエル・レムキンとハーシュ・ラウターパクトの人生を描きつつ、自身の祖父の前半生を絡めている。正直言うと、祖父の部分は蛇足な気がしないでもないが、これはこれで貴重な家族史の掘り起こし作業として素晴らしい。
国際法については疎いので、「ジェノサイド」と「人道に対する罪」の違いが当初はわからなかった。
レムキンからすれば個人を対象にした「人道に対する罪」では不十分であったし、ラウターパクトからすれば集団を対象にした「ジェノサイド」はあまりに曖昧なものだった。
レムキンは、ソゴモン・テフリリアンというアルメニア青年がアルメニア人と両親を殺した報復にオスマン帝国のタラート・パシャを暗殺した事件に触発されたようで、たしかにトルコ人を裁く法がないが、それでいいのかというのは当時の多くの人が持っていた気持ちだろう。
集団の絶滅、そしてそれは文化や伝統の破壊を防ぐための新しいルールをつくりだそうとレムキンはしていた。
「ジェノサイド」は個人の保護を危うくする用語であり、ある集団と別の集団と敵対させ同族意識を煽ることを懸念していた。
しかし、レムキンからすれば個人に焦点をあてることで、その暴力がどのようなものだったのか、ある集団になぜそのような暴力が向けられたのかという誘因を見えなくなってしまうところがある。
ここでなかなか面白いことが書いてあった。個人の責任と集団の責任についてで、フランクが裁判のときに集団の責任をもちだして自分個人に責任がないことを述べようとしていたようで、そこでドイツは今後ずっとその責任から逃れられないと。それにたいして他の比較は嘲笑ったようだ。なかなか興味深いエピソードです。
個人の保護と、極悪な犯罪に個人が刑事責任負うということがこれで判例になった。しかし「ジェノサイド」は採用されず、戦前の犯罪が無視されることになったが、ニュルンベルク裁判の後、1948年に国際連合でジェノサイド条約が採択され、1998年に国際刑事裁判所ができる。
ジェノサイドという概念にはいろいろと難題があり、ジェノサイドが民族アイデンティティにもありうるし、民族の溝を深める働きもある。しかし著者は留保付けながら、人間というのは集団でいきる生き物であり、集団と集団で戦争が行われてきていることを指摘している。

蛇足
知識としては知ってはいるが、ナチスによるユダヤ人虐殺、そしてその後の世代が引き受けた歴史を改めて読むと、ヨーロッパではナチスの問題が尾を引いていて、最近も当時17歳だった強制収容所の看守が有罪判決を受けていた。現在では90歳を超えている。こういうニュースを接するともやもやする。刑事裁判が行われることは理解できるのだが。『朗読者』でも、やはりもやもやしてしまう。
このもやもやを解消するには、ナチスを賛美し、現在の上記のような告発を批判するか、人権派になって擁護するしかない。
この裁判の意義は理解はできるが、なんか考えさせられてしまう。
フランクの息子のニクラスは父が絞首刑されたあとの写真を持ち歩いている。
あとラウターパクトやフランクが『マタイ受難曲』をSPで聞いていたようだだが、当時の録音は下記ぐらい。
ハンス・ヴァイスバッハ指揮 ライプツィヒ放送交響楽団
ウィレム・メンゲルベルク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ギュンター・ラミーン指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
どれだろうか。
それとユダヤ人であるラウターパクトが『マタイ受難曲』を好んでいたというのも、そうなんだーと思うところ。
受難劇では、イエスの弟子たち個人の罪と人間の罪が描かれて、バッハは見事にこの二つを音楽に昇華している。

2020/09/02

『敗北者たち――第一次世界大戦はなぜ終わり損ねたのか 1917-1923』 ローベルト・ゲルヴァルト 小原淳訳 みすず書房

国家間の戦争が終わっても、ロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ドイツ帝国、オスマン帝国の解体によってもたらされた内戦が惨たらしく、第一次世界大戦そのものに匹敵するほどの犠牲者と混乱を招いていた。
この混乱をまとめて読めることは、この著作のいいところだが、訳者による補足があまりに多いため本書の信頼性がけっこう損なわれてしまっている。それをあえて無視すれば、本書はロシア革命がいかに戦後に影響を与え、そして第二次世界大戦への道を整えていったのかがわかるし、何よりも普通だと各国史でしか学べないヨーロッパの歴史を概観できるのがいい。
ともわれ1917年のロシア革命のインパクトは相当なものだったようで、ロシア国内の内戦にとどまらず、バルト三国、オーストリア、ドイツで共産主義の風が吹き荒れていたようだ。そして共産主義革命とともにナショナリズムが盛り上がり、帝国は解体されていく。1914年の段階では誰も予想できなかった事態が起きていた。
知らない歴史が書かれている。例えばバルト三国で終戦後にボリシェビキ革命に抗するためにドイツ人たちの義勇軍が派遣され、ボリシェビキと戦争していたこと、そしてそのドイツ人がかなり野蛮であったこと、そのため助けにを求めていた現地政府が逆にドイツ義勇軍を見放していくことなどだ。すでにゲリラの様相をていしており、誰が見方で敵かわからない状況で、村人たちを虐殺したりしていたようだ。
僕はドイツ軍は武装解除されていたのだと思っていたが、周辺国では終戦とはならず、動けるドイツ軍だけが頼りという状態だった
またボリシェビキにはユダヤ人が多くいたということもあり、ボリシェビキとユダヤ人を強く連想させるイメージが出来上がり、反ボリシェビキは反セム、反ユダヤの側面ももち、白軍がユダヤ人を虐殺することは珍しくなかったという。最終的にボリシェビキは内戦に勝つが、国内経済は疲弊し、それまで築いてきた工業化や経済力は失われてしまった。そのためロシア難民が西ヨーロッパに雪崩込み、とくにドイツには多くの難民が押し寄せる。そこで白系ロシア人は新聞や出版物でソ連を批判していく。
ミュンヘン・ソヴィエト(バイエルン・レーテ共和国)が創設されるが、あっけなく崩壊する。この事件はミュンヘンを反ボリシェビキに誘っていくもので、後年のナチズムへと繋がっていく。ボリシェビキの恐怖がファシズムを招いていく。
トルコとギリシャの戦争は、イギリスの後押しもある、一種の代理戦争といってもいいぐらいだ。セーヴル条約によって、少数民族問題を穏健に解決しようとする姿勢から遠く離れ、住民交換がトルコとギリシャで行われる。これってとても悲しい歴史。アナトリアやイズミルに住む正教徒はギリシャへ、そしてルメリアのムスリムはエーゲ海を渡りトルコへ渡る。国民国家の存続は民族の均質性によって担保されることを裏付けているかのようだ。
ウィルソンの民族自決は全民族に適用されるものではなく、戦勝国にとって利益になる場合に適用されていた。そしてこの民族自決によって諸国家の民族問題がでてくる。
19世紀からオーストリア、ドイツ、ロシア、オスマンの各帝国は民族問題を抱えていたが、それは民族国家を創り出すところまではいかず、あくまで帝国内での自治権程度でおさまっていた。また第一次世界大戦が起こったときでも、オーストリア帝国の解体までを想定はしていなかったし、望んでもいなかった。それがいつのまには民族ごとに国家を創り出すという話なっていたようだ。
本書の主張は非常に明快で、それは暴力の連鎖だ。1917年のロシア革命を契機に、それまでの帝国から民族に焦点が移っていき、そして反共産主義がヨーロッパの感心ごとととなっていく。1923年はローザンヌ条約が締結された年であると同時にヒトラーのミュンヘン一揆が起きた年でもある。ムッソリーニ、ヒトラーのファシズムの源流は、著者はこの1917年から1923年にあるいう感じでしょうか。
大戦が終了したのちも、各地では戦争が継続し、失地回復主義がヨーロッパ政治ではつきまとい、ドイツ、イタリア、日本は拡張主義へと走る。