2019/10/05

「白い歓喜天」司馬遼太郎短篇全集二

「白い歓喜天」
んーこれは司馬さんの私小説になるのか。
夫婦のすれ違いを書いている。呑み屋で出会った女と、好きでもないのに結婚をする。
司馬さんは30歳ごろに一度目の結婚をしていたようで、2年程度の結婚生活で、その後離婚したという。どのような関係だったのかなどは、詮索してもいまさらしょうがないが、この短篇は懺悔みたいなものなのかな。
歓喜天はガネーシャのことだけど、ここで登場する歓喜天は密教的な世界のもので、男神と女神が絡み合っているもの。
歓喜天像をみると、エロさはなくて、静かな交愛が表現されている。性愛の喜びではなくて、抱きしめあうことが永遠に続き、慰安と安寧といったところ。
それは象の姿でもあるから、人間の泥臭さが抜けて、神話的な雰囲気が醸しだされている。
歓喜天は現世利益の祈りの対象で、世に広まった。
小説の内容は、司馬さんにはめずらしく暗い。
妻はすぐにヒステリックになるし、それにうんざりした感じで書いている。
新聞記者だった司馬さんは書く。妻がヒステリックなった時は吐き気をもよおす。
「洗面器に新聞を二枚敷いて抑えた。ふと抑えた拳のあるところを見ると、二カ月前に私が書いた学芸欄の記事が載っていた。この上にヘドを吐くがよい。……私は、街角で友人に出逢ったような、救われたような微笑がわいてきた。家庭なぞ無いと思えばよいのだ、自分には新聞という魅力的な仕事がある。そう思ってから、逆に、おもわず自分に失笑が湧いた。新聞記者の仕事なんて、実態のない精力の消耗にすぎまい。その消耗の力学的な快感にすぎないものだ。」
最後、妻は死ぬ前に歓喜天の絵図を燃やしてほしいと頼む。歓喜天は炎に包まれて燃える。
歓喜天というのは、セックスさせて現世の欲望を抑えさせる、そしてより高尚な理念を成就させる方便となる。
結局、現世で夫婦というものを成就できなかった。
愛だとかそんなものは、夫婦にとっては必要がない。現世利益で夫婦ができるものではない。

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