2019/08/10

『禅思想史講義』小川隆 春秋社

僕は昨今のマインドフルネスの流行に嫌気がさしていて、GoogleやAppleが社員研修かなにかで採用したとか。「禅」がエクササイズの一環になってしまった。それってどうなの。それだと人間救えないでしょ。「悟り」へ少しづつエクササイズしていく、それだと結局、凡夫、衆生は救われず、出家した坊主だけが天国行き。まあ、この解釈はかなり悪意があるけど、けど修行した者だけが救われるってなると違和感が残る。
マインドフルネスは、結局、瞑想をつづけ、高みへと昇っていく思想で、この資本主義社会にマッチしてしまった。やれば報われるってな感じでしょうか。

敦煌禅宗文献という一連の大量の巻物が、清朝末期1900年ごろに敦煌の石窟から発見されて、イギリスやフランス、そして日本、ロシアなどが自国に持ち帰ったりして世界中に散逸したのだと。幸か不幸か、そのため「敦煌学」という国際的な学問分野が生まれたとか。そうでしたか。そんな分野があるとは知りませんでした。

師から弟子へと直に伝えられていくのを、ロウソクの炎を移していくの喩えて、「伝灯」という。釈尊、そしてインドから仏法を伝えに達磨が東土にやってきた。これが中国の禅のはじまりとなる。本書でも何度も言及される「祖師西来意」というやつ。

「頓悟」と「漸悟」
僕なんか、悟りというのは少しづつ悟っていくものだと考えていたが、唐代、神会を代表とする南宗は一時に悟る「頓悟」が高尚という考え方を打ち出だした。北宗の漸悟を否定し、「単刀直入、時期了見性」といって、頓悟の坐禅を主張した。
いやー、まさかそんなことになっていたとは。ここ数年流行っているマインドフルネスやアビダルマ仏教とは、かなりかけ離れている。
「神会は法会で、「坐禅」の「坐」とは念の起こらぬこと、「禅」とはそのような自己の本来性を自ら「見る」ということ。」それは漸悟を否定し、坐禅そのものを廃棄している。
ひたすら「無念」であること、無住は「只没に閑たるのみ」という。無限定、無分節に、それは常にいまあることが定慧等であり、そのまま仏なのだという。まさに大乗仏教っぷりがいい。

野鴨子の話と馬祖の禅
馬大師、百丈と行きし次、野鴨子の飛び過ぐるを見る。大師云く、「是れなんぞ」。丈云わく「野鴨子」。大師云く「いずくにか去ける」。丈云く「飛び過ぎ去けり」。大師、かくて百丈の鼻頭をひねる。丈、忍痛の声を作す。大師云く、「何ぞ曾て飛び去れる」。
馬祖禅の基本的な考え方は、
即身是仏、自らのこころがそのまま仏であること。そしていたるところ「仏」でないものはない。禅の書物には「祖子西来意」を問う門灯が多くあるが、答えも千差万別、しかしながら共通の答えが潜んでいて、「即身是仏」を悟らせるために達磨さんはやってきたという。
作用即性、活き身の自己のはたらきは、すべてそのまま「仏」として本来生の現れである。
平常無事、「即身是仏」と同じで、ふだんのありのままの心、それが「道」であると。行住坐臥、応機接物。

馬祖批判
石頭系の禅は、馬祖への批判となっていて、「即身是仏」というが、そんなありのまま、それが「仏」だと言われたら、なんでもありではないか、と。たしかにそうだ。大乗仏教でたまによくわからなくなるのがこれで、ブッダは修行を説いているはずなんだけど、でも大乗仏教の考えでは、みんなすでに「仏」だったりする。そうするとブッダの修行はなんだったのか。浄土思想なんかだと、ブッダはこの世の苦しみを云々といったキリスト教的な世界感と似たりしている。
まあ、それいいとして、
「わずかに門を過ぎし時、石頭便ち咄す。師、一脚は外に在り、一脚は内に在り。頭をめぐらして看るや、石頭便ち掌をたてて云く、「生従り死に至るまで、只だこの漢なるのみ。更に頭をめぐらしてなんとなる」
「揚眉動目」、つまり「言語」「見聞覚知」「著衣喫飯」を離れ「心」「本心」をとらえる。活きたはたらきがそのまま自己なのではない、活き身の作用とは別次元に本来の自己がある。
それは三人称で「渠」「他」「伊」「一人」「主人公」と三人称をつかって、ありのままの自己とは違う別次元の自己を指している。

「何をやっておる」
「茶をいれておる」
「誰に飲ます」
「お一人茶をご所望の仁があってな」
「ならば、なぜ。そやつ(伊)に自分でいれさせぬ」
「うむ、おりよく、それがしが(専甲)おったものでな」

自分でいれて自分で飲む、ただそれだけのこと。本来生の自己と現実態の自己の不即不離が述べられている。二にして一、一にして二であると。現実態の自己に還元されない本来の自己。
ただ、この本来の自己とはいったい何なのか。それは何を意味しているのか。それが今一つわからないところ。


盤珪禅師
「不生の仏心」、不生とはもともと具わっていること、日常の営みに「仏」が常にあり、わざわざ「仏」になろうと修行するは見当違いだと。江戸時代、盤珪禅師が説いたことは唐代禅を再現したものといってもいい。これに対する批判も元禄期に損翁宗益が石頭と同じような批判を盤珪にする。

宋代の禅、問答から公案へ、公案から看話へ
宋代になると禅も制度化していき、国家機構に組み込まれていくようになる。禅が上流階級、士大夫たちに一種の知的教養になっていたよう。宋代では禅を学ぶ際の教材のようなものとして「公案」を使うようになる。
「公案」参究には「文字禅」と「看話禅」の二つに分けられる。
「文字禅」は、公案の批評や再解釈を通して禅理を闡明しようとするもの。これは科挙のようにあらゆる典拠を駆使する士大夫文化を反映している。
「看話禅」は、特定の一つの公案に全身全霊を集中させ、その限界点で心の激発・大破をおこして決定的な大悟の実体験にいたろうとする方法。
道元さんは看話禅に反対だったらしい。和文の公案を提案しているところからして「文字禅」を展開していったのだという。おお、そうなのか。『正法眼蔵』はいつか読みたいものです。

『碧巌録』の要点
「作用即性」と「無事」禅の否定。
「無事(0度)→大悟(180度)→無事(360度)」という円環の論理。
「活句」の主張。公案を合理的に解釈するのではなく、意味と論理を拒絶する。
『碧巌録』は「文字禅」の極みで、そこから「看話禅」へと移っていく。

僧、趙州に問う、「万法は一に帰す、一は何処に帰す」
州云く、「我れ青州に在りて、一領の布衫を作る、重さ七斤」
存在はどこに帰着するのか。趙州は言う、青州で、あつらえた重さ「七斤」の布、それは、郷里でおぎゃあと生まれ落ちた、このあるがままの活き身の己れ、それにほかならぬ。
このような唐代の問答から宋代にはいると問答は意味も論理も含まない絶対的に不可解な言葉、「公案」となる。その転換が夢窓国師。
公案は、浄土往生でも仏門の理論でもなんでもなく、いかなる思考も感情も及ばぬところに公案はある。それは鉄饅頭をかみ砕くようなもので、噛んで噛んでいずれ砕ける時がきて、その時初めて「鉄饅頭」の味がする。

「死句」と「活句」
意味と論理を含んだ理解可能な語が「死句」、意味が脱落し論理が切断された語を「活句」という。
「西来意=即心是仏=無事」だった唐代の等式が「西来意=活句」対「無事=死句」になり、無事が批判的なものに変わっている。この理解に及ばない語が、どうやって人に理解されるのか、いや理解するしないの次元ではないところで、認識するってことか。

「山は是れ山、水は是れ水」の円環の論理
「即心是仏=無事」を打破し、「大徹大悟」に至る、それが「祖師西来」だという。
人間、「無事」の状態から、「大徹大悟」へ行く。そうすると山は山ではなくなし、水は水でない、と見えるようになる。さらにそこから、「なんだやっぱり山は山だし、水は水だ」となる。つまり、再び「無事」の状態へと戻る。
そう、これ十牛図なんだとわかる。十牛図って、概略だけぼんやりと覚えていたのだけれど、そういえば十牛図は臨済宗からのものでした。

大慧の「看話禅」へ
「碧巌録」の「活句」によってありのままの「無事」を打破し、「大徹大悟」にいたる、というものは断片的に説かれていたが、大慧が実践的にこれを一本化する。
一念にてがっばと大破せねばならない。そのために大破を意識せず、思うこと、考えること、生を好んだり死を憎んだ五、静寂をねがったり、喧噪を嫌ったり、これらを一気におさえこむ、そして「僧、趙州に問う、狗子に還た仏性ありや。州云く、”無”」
この「無」の一字に合理的な解釈、有り無し、などを施してはならない。時々刻々、つねにこの話頭を念頭に置き、心を覚醒させる。
これが公案の「活句」と「大悟」を結びけている。
この「看話禅」は宋、元の時代に主流になり、誰もが追体験可能な禅として規格化されていく。そして中国では禅は発展しなくなってしまった。

道元の禅思想は必然
「本覚」は本来具わっているさとり
「始覚」は教えを聞いて修行し、はじめて得られるさとり
本覚も始覚、どっちが先かではない、同時に乗り越える。道元は本証妙修」「証上の修」「修証一等」などのように、修も証もどちらかがどちらかの部分でもないし、どっちが先でもない。本来仏だから修行する、修行してるから本来仏なのだ、という。
こう禅の歴史をたどっていくと、道元の考えは中国禅の乗り越えであり、必然でもあった。
道元は、即身是仏のようになにもしないで仏なんてあってはならいと批判し、公案や話頭をみて悟るなどもありえない。デタラメな「活句」で大悟なんて外道。
只管打坐するのみだと。この只管打坐は「看話是」「始覚」の対立項として考えられている。
仏だから修行する、修行するから仏、なのだという。仏道が不断に行われる世界、食べるときも掃除するときも寝るときも、いつもが仏動に通じる。ゆえに永平寺、となる。

近代の禅
鈴木大拙、西田幾多郎、夏目漱石らは禅に西洋思想、文明への対抗思想を見出していた。なるほど。たしかに。彼らの禅は、臨済宗白隠の禅で、道元は和辻哲郎、田辺元をまつことになる。そういえばそう。
大拙は伝統的な禅から西洋の哲学からえた「自然と必然」の思想を組み入れていく。意思の自由と必然という問題を「般若即非」「無分別の分別」「超個の個」といった大拙独自の思想へと発展させていく。
AはAにあらず、故にAである。
色即是空、空即是色。有限即無限、色不異空。空不異色。そして西田幾多郎の絶対矛盾の自己同一。
一切は空である、しかし空であるがゆえにそこには一切がありありと現象している。
大拙はそこに即非を説く。それは存在や認識の論理ではない。新たな行為の論理のこと。
それは自由と必然がおのずから一致する、最も自由でかつ適切な行為、「妙用(みょうゆう)」
山が山であり、水が水であるのは、それは限界ではなくて「空」を介して、山鹿山であるのは山の自由ではないかという。
「即非の般若的立場から”人”というものを即ち、”人格”をだしたい」(『西田幾多郎随筆集』
「人は」は「即非」の論理を活き活きと体現した自在に「妙用」する主体、いわば、「真空」を「体」とし「妙用」を「用」とする一個の活きた「主人公」のことだという。そして「人」は「超個者であって兼ねて個一者」たるという。

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