Factfulness: Ten Reasons We're Wrong About The World - And Why Things Are Better Than You Think
Hans Rosling, Ola Rosling
Sceptre
がっがーん。本屋行ったらいつのまにか翻訳されてた。原書を買ってから放置していた。
多くの人がこの本を手に取って読んだところで、世界は変わりはしないだろうと思う。だってこの本ビジネス書として売り出していて、なんか日本での紹介のされ方が、かなり微妙。幻冬舎の編集者の推薦コメントとか。狙っている層がおバカでしょう。ビジネス書だとか読むこと自体、残念な感じだし、そんな連中をターゲットにしていることが残念。
この本は、かつてロンボルグが書いた趣旨と同じで、世の中は結構よくなっているし、くわえてもっとデータを見て発言しろ、現実はそんなんじゃないよ、という話。おそらくロンボルグを読んだ人にとってはそれほど新鮮な内容じゃないと思う。ロンボルグの著作はもっと統計データが載ってたし、もっと具体的に論じていたが、『Factfulness』では、あまりにも簡潔すぎる感がある。まあだからこそ、ビジネス書を読むパープリンも手に取れるのだろうけど。
改めて思うのは、知識は更新していくことが大切なんだということ。現在、専門家が予測していることは、おそらく5年ぐらいは結構精度の高い予想ができて、5年後にはまた新しく5年後を予想していくと言った感じ。計算式で10年後50年後の予想はでるが、それはあまりに不確定要素も多いから予想以上ではないし、やはり知識やデータは更新していかないとだめのよう。
でもそんなの結構難しいと思う。本書が扱っている統計データなんて普段の生活で触れることはないし、意識していても見ないし、まあ見ないし、関心もない、でもその無関心が世界を歪めるというのはわかるけど、それを僕ら生活者に求めることが酷なんだろうね。
本書を読んでて思うのは、この本の内容が民主主義的な考え方だってことで、一人ひとりがきちんと考えましょうよと直接書いていないないが、そんなニュアンスを醸し出している。でも、そんなことも生活者に求められないことも、望むことはできないこともわかりきった話だ。このようなスタンスはあんまり感心しない。テレビのあほなコメンテーターが吐く同じセリフや中学生や高校生のスピーチ大会の締めくくりの言葉と同じように、読んでいて白けるとこもあった。内容自体は啓蒙的だしいいけどね。
あとはこの本の危険なところは、データというものが一意的なものと錯覚されてしまうことや、議論の際にデータをだせみたいなバカがさらに蔓延ることだ。この手の奴らが増えないことを祈る。著者はデータがすべてではないことを重々承知で本を書いている。それを本の中で何度か述べているし、アフリカで講演か何かしたとき、データでは昔より良くなっているよこと証明した際、聴衆から未来の展望とか思想がないみたいなことを言われたということが書かれている。著者は賢いからいいけど、本書を読むノータリンはそのあたりの自己批判ができない連中が多いと予想されるので不安だ。データが全てを語ることはない。
たとえ科学的に考えていると思っている陣営も、結局は理屈づけられない道徳観倫理観をもとに思考しているわけで、その思考の枠組みでデータやら「科学的真理」をみる。完璧に客観的な見方なんてできない。もし人間にそんなことができるのなら、世の中もっとよくなっているだろうし。
この著者が言うように、この世界の見方は、人間の本性によって歪められてしまうことがしばしばあるが、でも僕ら神じゃないし、全てを知らないのを前提で生きるしかないわけだけど、つまりどうしようもないわけ。そんな誤謬と偏見のなかで、なんとか自分を律しながら世界を見るしかない。
邦訳の副題に「世界を正しく見る習慣」とかあるが、まずこういったタイトルを付けてしまう傲慢さを改めるべきだろうよ。
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