2022/06/16

『戦争と平和』 6 トルストイ/望月哲男訳 光文社古典新訳文庫

ようやく最終巻。しかし長かったぜ。ドーロホフやデニーソフはゲリラとしてフランス軍と戦っていた。そこにペーチャあらわる。ペーチャは血気盛な時期にあり、ドーロホフを英雄のように尊敬していってしまう。そして死ぬ。ペーチャの死はロフトフ家にとって、特に母にとって悲痛すぎる出来事となる。
プラトンも死ぬ。ピエールはただプラトンを好きだったが、病で衰弱していくにしたがい、避けるようになっていた。このあたりがピエールに皇道のよくわからなさだ。どういうことだ。なぜ親身になって看病とかしてやらないのか。ここは一つの謎だが、ピエールの思想を読み解くうえでも大切な所かと思う。死を厭うにちかいものかな。アンドレイは死を待ち焦がれていたが、ピエールは逆に死を遠ざけていく。

「生命がすべてだ。生命が神である。すべては移ろい、動いていくが、その運動こそが神である・。生命があるかぎり、神の力を自覚する喜びがある。生命を愛し、神を愛すべし。何よりも困難でかつ何よりも幸いなことは、苦しみの中にあっても、罪なき苦しみの中にあっても、己の生命を愛することである。」(98)

そしてピエールは悟る。プラトンだと。
この単純で明快なことこそが真理となる。

「昔スイスで塵を教えてくれた物静かな老教師の姿が生き生きと浮かび上がってきた。『待ちなさい』と老教師は言った。そうして彼はピエールに、一つの地球儀を示した。その地球儀は、生きていぶるぶると震えうごめく球体で、大きさも決まっていなかった。球体の表面はすべて、びっしりと寄り集まった滴でできていた。その滴のすべては動き移ろい、何粒かが溶け合って一つになったかと思えば、一粒がたくさんに分かれたりしている。それぞれの滴があふれ広がって最大限の空間を占めようとするが、同じ狙いを持った他の滴たりが圧迫して、時にはそれを潰してしまい、時にはそれと一つに溶け合うのだった。「これが生きるということなのだ」老教師が言った……「中心に神がいて、一つ一つの滴は何とか広がって、できるだけ大きく神を映し出そうとしている。それで大きくなり、溶け合い、押し合い、表面でつぶれて深く沈んでいったかと思うと、再び浮かび上がってくるのだ。ほら、これがあのプラトンだ、あふれ広がって、消えただろう。」(98)

これは興味深い描写だ。この滴のかたまりのメタファーはどこからきたのだろうか。
トルストイの「偉大さ」については、なかなかひねくれている。人はナポレオンやらアレクサンドルやらを偉大だといっているが、なぜ下民が「偉大さ」を理解できるんか、下民が理解できる「偉大さ」は下民なりの観念でしかなく、「偉大さ」のイデアとは違うとなる。トルストイはここでクトゥーゾフをもってくる。
クトゥーゾフへの大衆の憎しみや軽蔑は、まさに偉大さの証明かもしれないとなる。逆説的なかたちでトルストイクトゥーゾフの行動が失敗だったと非難されることについて書く、

「これこそ、ロシアの知性が認めようとしない、偉大ならざる者、非・偉人たちの運命である。すなわち、いったん神意を把握すると、それに自らの個人的意志を委ねてしまうような、ごくまれな、常に孤独な人間の運命なのだ。そういう者たちは、至高の法を洞察したがゆえに、大衆の憎しみや軽蔑という罰を受けるのだ。」(146)

ニコーレンカのピエールへの眼差し。そしてニコーレンカの将来の運命はいかに。ブカレストの乱につながるらしい。
生命が次の世代へと受け渡されていく。
これは大きな物語なのだ。

2022/06/15

『戦争と平和』 5 トルストイ/望月哲男訳 光文社古典新訳文庫

イヴィロンの生神女とは。ボロジノ会戦の際にこのイコンを掲げて戦いの挑もうとしたとか、ロシア的なのか。

「『戦争とは神の掟に対する人間の自由の、この上なく困難な服従である』……『純朴さは、神への従順さを意味する。神から逃れることはできない。それ故に彼らは純朴である。彼らは語ることなく、ただひたすら行う。語られた言葉は銀であり、語られぬ言葉こそ金である。死を恐れている限り、人間は何一つ得ることができない。死を恐れぬ者は、全てを手にする。もしも苦しみがなければ、人間は人の限界に気付かず、自分自身を知ることもないだろう。……いや統一するんじゃない。いろんな思想を統一するなんて不可能だから、そうした思想をすべてすなげていくのだ―それこそが肝心だ! そう、つなぐべきだ、つなぐべきなんだ!」」(66)

ピエール、何度目かの証悟。
負傷者がロストフ家になだれ込んでくる。そしてモスクワから逃げるとき、ナターシャは家族の資産を置いていき、負傷者たちをいっしょに連れていくように父に言う。ナターシャ、なんともいいやつではないか。

「無数の教戒を擁するアジア風の町、聖なるモスク―!」(139)

ついにナポレオンがモスクワを手に入れる。しかし、略奪が横行し、その対策も効果なし。
ここでよくわわからないのが、なぜにナポレオンは一冬をモスクワで過ごさなかったのか。なぜモスクワをでてロシア軍討伐にでたのか。ここがよくわからない。
制御がきかないモスクワ市民、。それをおさえるためにラストプチンは生贄をさしだす。モスクワ陥落の原因とされたヴァレシチャーギン。彼を民衆の手によって処刑をさせる。そのかんにラストプチンは逃げる。当時から群衆というものがいかに愚かであったかが記されている。これはソクラテスから変わっていないようだ。

「住民をなだめる義務だ。他にもたくさんの犠牲者が死んでいったし、これからも死んでいくが、それはみな公共の福祉のためだ」(190)

なんともおそろしいことだな。いつの時代も「公共の福祉」を言い訳に、圧制や愚行が行われていく。為政者は「公共の福祉」といっておけばいいのだろう。そして民衆もその「公共の福祉」に従う。
大主教奇蹟者聖ニコライ教会。この教会はソ連時代に破壊されている。
モスクワの火事の原因は、やっぱりよくわからないと書いてある。当時は木造の建築物ばかりだったし、火事なんてしょっちゅうあったという。ただ、火事は空っぽの住居が増えれば、広がるのは必然と。そうだよね。しかし歴史家はその火事の原因をラストプチンやナポレオンやらに帰していく。馬鹿げていると。
ピエール、ナポレオン暗殺を計るも、計画倒れ。途中、火事で家に残された子供を救う。フランス人たち略奪中。でもフランス人はつかのま人間にもどろうやといって、ピエールに力をかしたり。
んで、潜伏先で一人のフランス兵の大尉と仲良くなる。酒を飲んだりして、自分の階級なんかも話したり。結局、ピエールは東洋風の美少女を助けるためにフランス兵を殴りお縄になる。
そこでさらにピエール、悟りへといたる。
あまりにロシア的な人間、プラトン・カラターエフと出会う。

「それはロシア的なもの、善良なもの、まろやかなものを体現した存在だった。最初の日の翌朝早朝、改めてこの隣人を見たときも、何となくまろやかだ、つまり丸っこいという第一印象はいささかも変わらなかった。……全身が丸々していたし、頭も完全に丸く、背中も胸も肩も、さらにはまるでいるも何かを抱こうとしているかのようなその両腕も、すべて丸っこかった。気持ちの良い笑顔も、大きな茶色の優しい目も、また丸々としてたのである。(386)

このあとさらにプラトンの描写がつづくが、とりあえず素朴で、善良で、DIYができて、規則正しい何かをもっているという、なんとなくおわかりだろう、現代人ももつ田舎にいるなんでも自分でやってしまうオヤジみたいなものだ。
そこにロシア的な何かを、というかインテリからしたら何でもできて、それでいて苦悩を知らず、そして素朴さにたいする憧れだ。
マリアはナターシャのところへ兄アンドレイを見舞いに来る。しかし、すでにアンドレイは悟りをめいいっぱい開いてしまった後で、すべてを諦めている存在になっていた。すべてが煩わしく、すべてが過去となってしまている。生を諦め、死を末だけの存在となっている。

「あの人はどこへ行ってしまったの? 今どこにいるの?……」(422)