2019/07/30

『龍樹 空の論理と菩薩の道』瓜生津隆真 大法輪閣

3割ぐらいしか理解できなかった……

空について
いろいろ書いているが、いわば空とは、「ものはすべてそれ自体として存在するのではないこと、すなわち実体(あるいは本体)はないという否定を示している。相依性とは、ものはすべて相依相関の関係にあること、すなわち相互依存の関係を示している。したがって、縁起が空であるというのは、自己をはじめこの世界はすべて原因や条件によって生じ、また滅するのであっそれ自体として生ずるのではなく、また滅するのではない」(101)
人間は、つねにものごとにたいして、「本質」を見ようとしてしまう。でもそんなものはない。そして、すべては関係性のなかにある。
「相依相関、相互依存の関係性とは、ものはすべて相互関係や因果関係などの関係性の上に成り立っているので、原因や条件などが即時的に(それ自体として)成立し、存在しているのではない」(101)。
アビダルマ仏教では、存在を有るものとしてみているから輪廻も涅槃も区別され、ともに存在するものとして扱う。ナーガールジュナは、輪廻も涅槃も「幻のごとく空であり」、「輪廻のまま涅槃」であると説く。涅槃も輪廻も実体として有るのではない、苦も空であり、故に輪廻も涅槃も幻にすぎないという。
ただし、空は有を否定し無を主張しているのではなく、有無を越えている存在の如実相だという。有無両方を否定する絶対否定が空である。

アートマンについて
アビダルマ仏教ではアートマンを成り立たせているのが五蘊で、それは色、受、想、行、識(物質、感受、構想、心作用、認識)となる。
この空の思想ってのは、なかなかおもしろくて、「いかなる自我もなく、自我がないのでもない」という有無をともに否定していて、一種の形而上学批判となっているみたいなところでしょうか。そしてこのアートマンは世俗のなかでは存在すると述べられていること。
チャンドラキールティは、世俗は真実(本性)を無明(無知)が覆っている。世俗は無明である。そして世俗は互いにつながりあって成立している。つまり世俗は縁起であるとする。さらに世俗は能所(主客)対立の上に存在する言語表現であるとする。
主体は無知で、そしてその相依性のなかでものごとは存在する。すなわち縁起として有である、となる。それは世俗の言説表現だということだ。つまり実体はない。
だけども、仏教では無我も説かれている。本書では、有無にとらわれることがよくないことで、そのための方便といっている。むむ。
そんな世俗の中で絶対真理たる勝義はどうしたら得られるのか。それは語り得ないもので、言説の中にはない。世俗とその論理を徹底的に否定しつくすところにある。

まとめ
とまあ、その他にも世俗の真理についてや、菩薩行についてなど書かれているのだけれど、いまの僕には要点をまとめられるほどの力量がないのが残念。
本書、いろいろと内容が詰まっているため、かなり難しい。。。アビダルマ仏教のみならず、ニヤーヤ学派なんかも知らないとなかなか理解できない。
あとはやはり理解できずとも、『中論』なりの原典を読んだほうがよいかな。多く引用されているが、はじめてみるテキストということもあって、すーっと頭に入ってこない。

2019/07/19

A Recital of BACH and HANDEL Arias Kathleen Ferrier The London Philharmonic Orchestra Sir Andrian Boult Decca, LXT5383, MONO/バッハ・ヘンデル アリア集 キャスリーン・フェリア エイドリアン・ボールト指揮、ロンドン・フィルハーモニー


A Recital of BACH and HANDEL Arias
Kathleen Ferrier
The London Philharmonic Orchestra
Sir Andrian Boult
Decca, LXT5383, MONO

キャスリーン・フェリア。1953年に亡くなっている。このレコードは再発盤で1957年にリリース。オリジナルは亡くなった年の1953年にリリース。録音自体は1952年。指揮はサー・エイドリアン・ボールト。
恥ずかしながら、ぼくはこの歌手を知らなかった。
レコード店にディスクユニオンに行って、なにげなく手にとって、DECCAでMONOかーと思い、曲目もみたらなかなか渋い選曲。ということで購入。
曲目は以下。

Qui sedes ad dexteram Patris, miserere Nobis(Mass in B minor)/ミサ曲ロ短調より「父の右に座したもう主よ、われらをあわれみたまえ」
Grief for sin(St. Matthew Passion)/マタイ受難曲より「懺悔と悔恨が」
All is fulfilled(St. John Passion)/ヨハネ受難曲より「事は果たされた」
Agnus Dei, qui tollis peccara mundi, miserere nobis(Mass in B minor)/ミサ曲ロ短調より「神の子羊」
Return, O God of hosts(Samson)/オラトリオ『サムソン』より「万軍の主よ、帰りたまえ」
O thou that tellest good tidings(Messiah)/オラトリオ『メサイア』より「よきおとずれを伝える者よ」
Father of God(Judas Maccabaeus)/オラトリオ『マカベウスのユダ』より「天なる父」
He was despised(Messiah)/オラトリオ『メサイア』より「彼は侮られて」

フェリアは正規の歌手としての教育受けておらず、電話交換手をしながらコンクール優勝したもよう。エマ・カークビーも学校の国語の先生だった。スーザン・ボイルの元祖のような人。
大学で音楽を学んでいなくても、クラシック音楽の業界で活躍できるなんて、いい時代だなあ。イギリスでは定期的、この手の人を発掘する文化でもあるのか。
ワルターとのマーラー『大地の歌』が名盤のようだが、ぼくはマーラーをほとんど聴かないから、どうしよう。

それで、今回のレコードだが、泣けてきそうなぐらいいい。
マタイ受難曲からは第六曲のアリアというのが渋い。古楽器スタイルの演奏や歌唱が主流のいま、フェリアの歌い方は時代を感じさせるのだけれど、フェリアの声は透明感があるからしつこくない。
次のヨハネ受難曲からだとふつう第七曲アリア「私が犯した罪の縄目から」を選ぶところを、「事は果たされた」を選曲しているところがいい。歌の内容は、イエスの死を歌っているが、歌詞は「事は果たされ、悲しみの夜は終わり、勝利がやってくる」といったものだが、始終暗い。悲しみしかない。
さてヘンデル『サムソン』のアリアは沁みるわあ。『サムソン』って選民思想丸出しで、ヤハウェの押し売り状態でほんとうにひどい話だけど、ヘンデルが手を加えると高尚な神学的な解釈が表にでてこないで、物語としてフューチャーできていて、うまく換骨奪胎している。
フェリアの歌声は、太く力強い。そしてなぜだか慰められる。暖かくて、いい声を持っている歌手だったんだ、もっと多くの録音を残してくれていればと思う。
イギリスでは、エマ・カークビー、スーザン・ボイルなんかと同様に透明感をもっている歌い手が好まれるのかな。
惜しむらくは、このレコードがアリア集ということもあり、曲それぞれの物語性が発揮さていないところで、これは仕方がない。マタイにしろメサイヤにしろ、全曲を通して聴くとフェリアの良さが十二分にさらに理解できると思う。

2019/07/16

Beethoven, Grosse Fuge B-dur op.133, Streichquartett F-dur op.135, Koeckert-Quartett, Deutsche Grammophon, LMP18154/ベートーヴェン 『大フーガ』op. 133 、弦楽四重奏曲第16番op. 135、ケッケルト弦楽四重奏団



Beethoven
Grosse Fuge B-dur op.133
Streichquartett F-dur op.135
Koeckert-Quartett
Rudolf Koeckert, 1. Violine
Willi Buchner, 2. Violine
Oskar Riedl, Viola
Josef Merz, Viokencello
Deutsche Grammophon, LMP18154

やはり音楽をオーディオで聴くならMONOにかぎるなあ、と思わせてくれる一枚。
録音は、50年代のドイツ・グラモフォン特有の曇った感じがあるが、それはそれで味わい深いものがありまして。
モノラルだからスピーカーは一本で、カートリッジもMONO専用で鳴らしてみれば、音が雪崩のように音が塊になって迫ってくる。四つの弦楽がまるで一つの楽器であるかのように聴こえる。
「大フーガ」は、ほかの演奏よりもテンポは遅く、かえって音の重層感が増して、目まぐるしさを長時間あじわえる。よせてはかえすフーガの波でありますよ。
第16番も比較的遅め。
第二楽章のスケルツォなのですが、これがすばらしくてですね、このケッケルトたちの演奏はガチャガチャしていて、カオス感がたまらないわけです。
第三楽章なんて、モノラルでしかあじわえない深い感動がえられる。主題部から、ヴァイオリンの旋律と重厚感のある低音部が渾然一体となっているわけです。タカーチ弦楽四重奏団のが演奏としてはゆらぎがあって好きだが、ケッケルトの場合はそんな不安をあおるような演奏ではなく、深く瞑想的なものとなっています。

久しぶりにベートーヴェンの弦楽四重奏を聴いてみたけど、これが、あのねちっこくて、しつこい交響曲を書いた人間と同一人物かと思うほど、すっきりとしていて、静かな音楽だことよ。ただあの大仰な交響曲を書いた人物だからこそ、一連の弦楽四重奏曲のすばらしさもひとしおなわけです。

2019/07/15

北方謙三版「水滸伝八 青龍の章」

水滸伝八 青龍の章
「天暴の星」「地異の星」「天富の星」「地悪の星」「地勇の星」

解珍と解宝の親子が登場。解珍はかつて祝朝奉に謀られて解珍の村は祝家荘に併合されてしまった。解珍はその後山に籠もるようになり、猟師として行きていた。息子の解宝は、仲間たちと『替天行道』を読んでいた。解珍も読んでおり、その志に共鳴していた。時期がくれば、梁山泊に合流しようと思うようになる。
李応は祝虎のやり方に疑問をもっていた。祝家荘が同意なく官軍をいれることを怒っており、また自分の生き方に迷いをもっていた。
花栄は柴進の仲介で孫立とあう。孫立に梁山泊に加入することを説く。孫立は同意するが、それはあくまで志ではなく家族が問題を起こしたがために軍を抜けて逃げるという。孫立の弟の妻の弟の楽和が知県の妻に誘惑されたが、拒否したことで腹いせに手篭めにされたと訴えてきたという。
孫立は樂廷玉をたよって祝家荘に入ることにする。弟夫婦と楽和もいっしょに祝家荘に入る。
李富は、馬桂が殺されたことで、梁山泊への強い復讐心をもつ。実際は聞煥章が計画して、馬桂を酷い殺し方をしたが、李富はそれを知らない。
魯達は解珍、解宝親子に会う。魯達たちは意気投合し、ともに戦うこととなる。解珍、解宝たちは、祝家荘の内部から崩すことにする。そのために解珍は祝家荘に入るために、獲物を大量に運びいれ、祝虎に跪きながら、祝家荘の罠や情報を得ていく。解珍は李応を巻きこむならば、杜興とあうことを進められてる。
楊令は高い熱をだしていた。公淑が看病しているが、いっこうによくならない。鄭天寿はかつて音とを亡くしていることから、楊令を心配していた。
鄭天寿は官軍との闘いで、背水の陣で挑み見事勝つが、背後の崖で熱を下げる蔓草をみつけ、それを採り崖を降りるも途中で崖が崩れてしまい、死んでしまう。
梁山泊では、今回の独竜岡での闘いに総力戦で挑むことになる。祝家荘をなんとか崩すために、官軍の大軍を二竜山で引きつける必要があり、武松は秦明にわざと負け続けるように要請する。
李富、聞煥章は緻密に作戦をこなしていき、李応の存在に危機感を覚える。王和を李応につけもし何かあやしいときはすぐに殺せるようにした。
宋江は、呉用を軍師に祝家荘へと出陣する。呉用の作戦では、祝家荘に立てこもっている兵を外におびき寄せて野で闘うというものだった。そのために梁山泊では何度も祝家荘を攻め、退却するということを繰り返していた。
宿元景も騎馬隊を出動させるが、林冲たちに敗北してしまう。
扈三娘がそんな梁山泊の作戦も知らずに、祝家荘からでて闘いをしていく、梁山泊は負けていく。杜撰は闘いのなかで死んでしまう。彼の後に焦挺が引き継ぐ。
李応は杜興と話していると、自分の人生に後悔念を抱きめて、祝家荘を攻め込むことし、梁山泊に味方することにする。
林冲は戴宗から張藍が行きていることを聞かされる。林冲は祝家荘との決戦のまえにひとり張藍をさがしにいってしまう。
王和は李応を殺そうとするが、王和の行動を見張っていた武松、李逵に殺される。楽和は歌を合図に内部から祝家荘を崩し始める。そこに解珍、解宝たち猟師たちが雪崩こみ、祝家荘は混乱に陥る。
聞煥章は、逃亡の途中に顧大嫂に切られ重症を負う。
梁山泊は、なんとか闘いに勝つ。

焦挺が杜撰のあとをついで、軍の隊長になったとき、不安で自分がそんな器ではないと悩んでいる。なんとも世のサラリーマンには胸を打つ話しだことよ。隊長なんかやりたくてやっているやつなんかいない。これもめぐり合わせなのだろう。宋江は焦挺に、預かった兵の命を殺してしまうことにこわいと思うのは傲慢だと言う。おまえは杜撰のもとで死んで杜撰を恨むのかと。おおー、そうなのだそれは自らが選んだ道なのだよ。自ら意思で。
隊長がどうのではないのだ、自らこの道に入り、この道で死ぬ、それは僕の選んだ道だから、隊長がこわいと思うのは傲慢だ。
泣けるぜ。

聞煥章は当初完璧で冷酷な人間のような感じだったが、そうでもなくなってきた。扈三娘に惚れちゃうし、人を操ることの難しを愚痴ったり。

そんなこんなで中盤にさしかかってきたが、どんどん人が死んでいき、いよいよ面白くなってきた。

2019/07/14

北方謙三版「水滸伝七 烈火の章」

水滸伝七 烈火の章
「地伏の星」「地理の星」「地周の星」「天勇の星」「地賊の星」

宋江らは官軍に取り囲まれてしまい、洞穴で陶宗旺の石積みの罠を仕掛けて、官軍を迎え撃つ。宋江、武松、李逵、陶宗旺、欧鵬の五人に対し、官軍は数万。官軍の兵である施恩はかねてから宋江を慕っていたが官軍として宋江と敵対していた。斥候として宋江らの様子を見に行った時、陶宗旺の石積みに足をすくわれ、洞穴の前に落ちてしまう。そこで宋江と出会い、共に行動することを決める。
宋江たちは火攻めにあうも、陶宗旺の罠で官軍を退ける。突破口を見いだし、宋江らは出陣した雷横たちと合流する。
宋江を梁山泊に逃がすために、雷横は殿軍を引き受ける。雷横は宋江の身代わりとなる。官軍の騎馬隊と対決、雷横はそこで果てる。
宋江はようやく梁山泊に入る。
青蓮寺では、聞煥章と李富の主張で今回の負け戦を指揮した将軍二名を見せしめで処刑される。そして少華山を崩すために近くの了義山で替天行道の旗を掲げて偽装工作をすることに。
阮小五は、少華山へと派遣される。そして史進たちは少華山を捨て、梁山泊に入ることを決意する。その途中で了義山を攻めるが、そこで阮小五は矢が内蔵に達してしまう。陳達に担がれながら逃れるが、傷は深く死んでしまう。
魯達は雄州の牢に酒場のいざこざのためにいれられる。そこで得意の人たらしで囚人たちを扇動する。郝思文はそんあ魯達を関勝に引きあわせる。優秀の将軍関勝は最初郝思文の弟よ偽って、魯達と会う。関勝は魯達の生き方を「いいな、魯達は」と羨ましがる。そこで魯達はわざと関勝の悪口を言う。
関勝は宣賛に会いに行く。宣賛はかつては美しい美貌をもっていたが、何かしらの理由で拷問させ、鼻をそがれ、頭皮は剥がさせるなどで、醜い顔となってしまった。それ以降晴耕雨読の日々をすごしていた。そんな宣賛を匿っていたのが関勝で関勝はなんとか、宣賛を軍師に招きたかったが、再三断られる。
その頃青蓮寺では李富と聞煥章とで、祝家荘を中心に扈家荘と李家荘とで秘密裏に砦をつくり、梁山泊を分断、崩壊させる作戦をこころみる。全軍を祝虎が指揮しているようにしているが裏では李富と聞煥章が意図をひいている。さらに唐昇が軍師としてついていた。祝家荘は独竜岡にある。李家荘の李応は官軍嫌いであることから、李富はいざというときは毒殺をすることにする。
聞煥章は李富には秘密に呂牛に馬桂の見張りを命令する。
関勝は宣賛とともに保州の城郭を歩いていた。金翠蓮という女が父親に売られ、鄭敬という男が監禁していた。魯達は鄭敬と闘いを挑み、あっさりと鄭敬を殺して、金翠蓮を救う。魯達は金翠蓮を関勝と宣賛にまかせ、再び旅にでる。
聞煥章は扈三娘とであい、一目惚れ。
時遷は楊志を死をもたらしたのが馬桂であることを知り、時遷は馬桂を殺しにいくが失敗する。

雷横が死ぬところなんかいいですね。「愉しかったなあ」と思いながら死ぬ。憧れである。
阮小五がここで死ぬとは。こいつ何もしないで死んでしまったな。
関勝が登場。関勝は自分が軍のなかで不遇なのはめぐり合わせが悪いからだという。人生そんなもんだろう。人はみなそんなめぐりあわせに諦めて生きているもんだ。
この「水滸伝」のいいところは、革命は志で行うものではなくて、暴れたいからするものだ、と言っている感じがするところかな。

2019/07/09

北方謙三版「水滸伝六 風塵の章」

水滸伝六 風塵の章
「地闊の星」「地文の星」「地狗の星」「天猛の星」「地劣の星」

欧鵬は軍の隊長を好きな女を手篭めにされたと思い殺してしまったため、逃亡生活をしてた。欧鵬は宋江らに出会い一緒に旅についていくことにする。
宋江たちはまた賞金首として宋江を狙った馬麟と出会う。李逵は馬麟を叩きのめす。宋江は馬麟をみ、まだ可能性を感じ仲間に加える。その後、宋江は王進に会いいく。そこで宋江はすっかり落ち着いた鮑旭や、指導者として成長した史進と出会う。史進は少華山に戻ることとなるが、馬麟は王進のもとに残すことにした。そしてそのまま史進とともに少華山に向かう。
魯達は秦明を梁山泊に合流させるべく、花栄を通じて会う。腹を割って話をする。そのとき、蕭譲が秦明の文字を真似て書いた手紙をもち秦明に見せ、「信」こそが梁山泊をつなぎとめているもので、官軍では高俅らが、この手紙のようにいともたやすく人を陥れる。その後、秦明は梁山泊に入り、楊志なきあとの二竜山を任されることとなる。
林冲は二竜山に入り、兵たちの鍛える。楊志の息子楊令と出会い、林冲は楊令に稽古をつける。それは対等な関係として楊令を扱い、容赦なく打ちすえていく。林冲は秦明が二竜山に入ったのち、段景住をともなって梁山泊に戻る。段景住は林冲に馬の医者皇甫端という者がいることを伝え、皇甫端を梁山泊に招き入れる。
盧俊義の塩の道を守るため、劉唐のもと双頭山で飛竜軍という新たに致死軍を作ることとなる。
軍学を一通り学んだ阮小五は秦明のもとに実践を学ぶために派遣される。青蓮寺は二竜山に二万五千を出兵させる。秦明と花栄は青州軍に残してきた黄信の寝返りもあり、簡単に勝利してしまう。
王定六は博打がもとで牢に入れられていたが、穴を掘って牢から逃げる。そして父が経営していた店に行くと、曹順という男のものになっていた。怒り、曹順を殺し崔令という役人のもとに行き、なぜ偽の証文をうけいれたのかと問い詰、殺してしまう。そこで王定六は戴宗と出会い、戴宗のもとで働くことにする。
青蓮寺では蔡京の人選で文煥章を送りこむ。李富などよりも年下なのだが、頭が切れた。聞煥章は梁山泊を崩すため宋江をまず叩き潰すことをきめる。
宋江らは、自分たちが危険な状況にあrことに気づく。連絡網がすべて断ち切られていて、梁山泊との連絡のやり取りができない状況だった。青蓮寺の仕業とわかり、洞窟に隠れることにする。そこで陶宗旺は李逵が割ってくれた石を積み、罠をしかける。
王定六は戴宗から、宋江らが官軍の大軍に囲まれていることを告げるため双頭山へ向かう。雷横、朱仝、鄧飛、劉唐らは、宋江を助けに行く。

秦明登場。やはりこの小説の弱いところである人物描写があまりよくなくて、秦明の個性がよくわからない。軍人らしい軍人で曲がったことが大っ嫌いといった程度。この手の叙事詩では仕方がないところだが。また、秦明が梁山泊に入る決心するところも、とてもあっさり書かれている。これも長大な歴史物語にありがちだが、そのあたりは想像しろ、といったところかな。
それに秦明が梁山泊にはいって最初の闘いで、青州軍に仲間を残してきて、あっさりと官軍に勝ってしまうあたり、かなーりご都合主義。でも原作自体がご都合主義だから、まあいっか。『銀河英雄伝説』のイゼルローン要塞を陥落させた時ばりに腑に落ちなかったが。
とはいっても、こういうとこをあまり細かく描写してしまうと、「水滸伝」の壮大さが失われてしまいかねない。こういうご都合主義も講談調でいいものですよ。
この巻は、今後、話を展開する上での布石をしている。とくに盛り上がりに欠けるとこがあるが、いちいちかっこいいのもたしか。林冲が楊令を稽古していたとき、楊令を抱きすくめていたところを秦明が陰ながら目撃するが、そんなところも胸がつまる。
いまだ五人の虎の内、まだ林冲、秦明しかでてこない。いつでてくんだ。

革命というのは、やはり暴力がともなうもので、共産主義は暴力革命を主張していると批判されるが、革命って暴力が必須じゃんと思うんだけど。非暴力の革命なんて、これまで存在したのか。
それと現代の一部の左翼も非暴力を正義と見なしているけど、そんな態度だからバカにされる。
暴力こそが世直しを可能にするようで。

最後に、正直、宋江と晁蓋ってなんなんだ、とまだよくわからない。とにかく深くて大きい人物だというが、いったいそれってなんなんだ。

2019/07/08

Brahms Concerto No. 1 in D MInor For Piano & Orchestra Opus 15 Clifford Curzon(Piano) with Eduard Van Beinum, Conductuing The Concertgebouw Orchestra of Amsterdam DECCA, LXT2825/ブラームス ピアノ協奏曲第一番 クリフォード・カーゾン エドゥアルド・ベイヌム アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団



Brahms
Concerto No. 1 in D MInor
For Piano & Orchestra Opus 15
Clifford Curzon(Piano)
with Eduard Van Beinum, Conductuing
The Concertgebouw Orchestra of Amsterdam
DECCA, LXT2825

カーゾンとベイヌムによるブラームス、ピアノ協奏曲第一番。これはカーゾンは数年後にジョージ・セルとも録音をしていて、こちらが有名な盤となっている。
ベイヌムとのものはモノラル録音であるため、ステレオ録音のセルのものと比べると音質はたしかに明瞭ではないが、モノラル特有の力強さがあって、大音量で聴くと迫力がすごいのなんの。
僕はセルとのものよりもベイヌムとの、この盤が好み。1953年の録音。
とにかく演奏はよくて、第一楽章は図太くて、不協和音を聴くたびに、こちらも苦悩に満ちてくる。カーゾンのピアノは力強い。
第二楽章ではカーゾンはここでも、明確に、力強く弾く中に繊細さを表現していて、二十代前半の熟女好き童貞ブラームスのおセンチさが十分すぎるくらい表現されている。
第三楽章では、ピアノ協奏曲ではなくピアノ付き交響曲として、カーゾンは決して独りよがりな演奏はせず、オーケストラと共に音楽を作っている。
名盤でしょう。

2019/07/07

Joseph Haydon Symphonien Nr. 100 G-dur "Military" SYmphonien Nr. 68 B-cur Concertgebouw Orchestra Nikolaus Harnoncourt TELDEC, 6.43301/ハイドン 交響曲第68番、100番「軍隊」 アーノンクール、コンセルトヘボウ管弦楽団



Joseph Haydon
Symphonien Nr. 100 G-dur "Military"
SYmphonien Nr. 68 B-cur
Concertgebouw Orchestra
Nikolaus Harnoncourt
TELDEC, 6.43301

僕はハイドンの曲をほとんど聴いてこなかったのだけど、モーツァルトを聴くようになってからか、当時の音楽的感性を少しは理解できるようになってのではと考えて、ハイドンも聴いてみようなった。そこで、ちょうど安くニューヨークのレコード店で見つけたので買っておいた。
帰国して、この交響曲100番「軍隊」を聴いて、おお、なんと愉快な音楽ではないか、ハイドン悪くないじゃないか、と思いなおした次第。
かつてピアノ・ソナタとかを小さい頃に練習したかもしれないけど全く記憶ないから、これが僕のハイドンのファーストコンタクトといってもいい。
ハイドンの曲は「軽い」。でも、この軽快さが、流暢で、愉快な気分にしてくれる。名もない交響曲第68番なんかだって、いい音楽なんだ。第三楽章の16分音符の心地よさよ。
アーノンクールの力もあるのかもしれないけど、本当に関心してしまったわけです。
ハイドンを聴いてモーツァルトやベートーヴェンがハイドンを敬愛したのがわかった気がする。
ハイドンの交響曲に30代半ばになって出会えてよかったと思う。
僕が思うに、現代日本人がハイドンの音楽を聴けるようになるには、かなり困難があると思う。けっしてロマン派のような悲痛な旋律や雄大なテーマがあるわけではない。だからハイドンの勘所をうまく捉えられない。愛だとか友情、ロマン、差別だとかを奏でているわけではないから。僕もそうだったのだけれど、メッセージ性がないと音楽を楽しめなかった時期がある。
ハイドンの音楽はそんな19世紀以降の感性とは相容れないので、ドラマや映画でドラマティックに使ってみようなんて思う人はいない。
またよさそうなレコードがあれば買ってみよう。

2019/07/05

RACHMANINOV PIANO CONCERTO NO. 2 IN C MINOR OPUS18 Julius Katchen(Piano) with Anatole Fistoulari Conducting The New Symphony Orchestra DECCA, LXT2595/ラフマニノフ ピアノ協奏曲第二番 ジュリアス・カッチェン、アナトール・フィストゥラーリ



RACHMANINOV
PIANO CONCERTO NO. 2 IN C MINOR OPUS18
Julius Katchen(Piano)
with Anatole Fistoulari
Conducting
The New Symphony Orchestra
DECCA, LXT2595

ジュリアス・カッチェンのラフマニノフ、ピアノ協奏曲第二番。指揮アナトール・フィストゥラーリ。録音は1951年。録音当時、カッチェンは二十代前半。
第一楽章、けっこう速いテンポで、カッチェンのピアノが走っている。
第二楽章、ここでもテンポは早めだが、詩情感たっぷりにきかせてくれる。なんというか老年のもつノスタルジーではなく、いままさに若きカッチェンがロマンを注ぎ込んでいる感じでしょうか。
第三楽章、これは白眉でしょうか。ピアノのすさまじさのみならず、オーケストラがスラヴ的雰囲気をきちんと表現している。フィストゥラーリがウクライナ出身だからか。打楽器の表現が、他の指揮者のものとは異なり、ラフマニノフの意図を越えて非常に効果的に聴こえる。クライマックスでのピアノとオーケストラの合奏は圧巻で、いっきに駆け上がっていく。
カッチェンのピアノは明晰で、迷いがない(他のピアニストは迷いがある、というわけではなくて)。
この録音は、まあ正直いいとはいえないのだけれど、演奏はすさまじく名演だと思う。レコードでまだ聴いているので音に厚みがでてるけど、この録音をCDで聴くとけっこう薄っぺらい音質になっているはず。50年代、60年代のMONO録音をCO化したものは、残念な音質になっているケースがほとんど。
カッチェンのラフマニノフは、おそらくショルティとのものが有名だし、録音状態もいい。それでも、どっちがいいと問われれば、フィストゥラーリとの録音を僕は選ぶと思う。
僕の愛聴盤になると思う。

2019/07/04

Mozart Klavierkonzerte/Piano Concertos Nr.25 & 27 Freidrich Gulda Viener Philharmoniker/Vienna Philharmonic Claudio Abbado/フレデリック・グルダ、クラディオ・アバド モーツァルト ピアノ協奏曲第25番 第27番



Mozart
Klavierkonzerte/Piano Concertos Nr.25 & 27
Freidrich Gulda
Viener Philharmoniker/Vienna Philharmonic
Claudio Abbado
MG1011

モーツァルト、ピアノ協奏曲第25番、27番。グルダとアバドのもの。K.503とK. 595。
25番は何度聴いてもいいとは思えない。がんばっていいところを探そうとしたけれど、いまの僕の感性では追いつきませんでいた。
何がよくないって、全体的につまらない。モーツァルト特有の疾走感もないし、心地の良い転調もあまりなくて、退屈になってしまう。ごめんなさい。

27番は、比較好きな曲。だけどもよく見かける、「天国的な美しさ」とか「死を予感される」とか、そういうった評価はいかがなものかと思う。この曲が作曲された年にモーツァルトは死んでいるけど、この曲は年始めに出来上がり、死ぬのは年末なわけで、その間約1年あるわけだ。モーツァルトの死因にはいろいろと諸説があるけれども、27番を作曲していた時は、まだまだ元気だったわけで、「死の予感」もへったくれもない。こういうところでモーツァルトの曲を神格化することはよくないと思う。たしかにちょっとしたスパイスにはなるけど、27番には「死の予感」なんか読み込めないほど長調です。
27番でいいなあと思うのは、やはり第二楽章の出だしでしょうか。ポロンポロンとピアノからはじまり、同じ旋律をオーケストラが追い、またピアノがそれを引き継ぐ。かわいらしくて、夢見がちな旋律。そして、ちょっと不安にかられる短調となり長調へともどるところはモーツァルトらしい。
第二楽章のグルダは、自由に感じられる。美しさに耽溺するのでもなく、しみじみと奏でてくれている。胸にしみるわ。
ただし、やはりケッヘル400番台のピアノ協奏曲のような楽しさがないのが、僕には残念でならない。おそらくモーツァルト自身400番台のころのような曲想からは違う方向に向かっていたのだと思う。

2019/07/03

思索の源泉としての音楽  森有正



思索の源泉としての音楽
森有正(話・パイプオルガン)
PHILPS, PH-8519

たまたまレコード店で見つける。こんなものが発売されていたとは。森有正の肉声が録音されていて、バッハについて、思索について語っている。
音楽は社会的なものだ、と森さんは言う。個人的にやることでは意味がないとまでいう。それは文章を書くことでも一緒で、それは社会性を帯び、だから書いたりしたら世に出さなければならないし、楽器を練習したらコンクールや人前で演奏もしなければならない、という。
人間の経験が、音符一音一音に反映せれていて、バッハの音楽にはその一音一音からバッハの人生、経験、思索が見えてくるという。
ちょっと感傷的すぎるところもあるが、音楽が社会性を常に帯びているのは確かだろう。バッハは常にルター派のための音楽を書いてきたし、そしてそれはドイツ語の歌詞で歌われるために音楽が書かれていた。
バッハにとっても音楽は社会性を帯びていて、それは世界と人類とか大きい枠組みではなくて、街単位での小さな社会、共同体を意味している。

収録曲は、
「人よ、汝の大いなる罪を嘆け」
「天にましますわれらの父よ」
「われらみな唯一の神を信ず」
「来たれ、異教徒の救い主よ」
「キリストは死の縄目につながれたり」
「主イエス・キリストよ、われらをかえりみたまえ」
「われ汝らに別れを告げん、汝悪しき偽りの世よ」
「汚れなき神の小羊よ」

森有正が書く文章は、正直すぎで、それは告白というか告解のようなもので、読む者を慰めてくれる。人間の弱さや醜さを見つめたもので、彼がよくいう「経験」が、後悔というか懺悔のように文章にあらわれている。
レコードには『遙かなるノートル・ダム」からの抜粋が掲載されている。久しぶりに読んでみると名文だこと。
森さん、震災前、角筈に住んでいたことが書かれていて、角筈といえば今の歌舞伎町あたりで、なんと野鳥が飛んでいて、森閑としていたという。いまと比較して恐ろしい変わりようだこと。
森さんの音楽の本質とは「人間感情についての伝統的な言葉を、すなわち、歓喜、悲哀、恐怖、憤怒、その他の言葉を、集団あるいは個人において究極的に定義するものでありそれはまさに、かくの如きものとして在るものであり、それがおのずから伝統的なものを定義していることが意識されるのであって、それはもう説明されることのできないもの」だという。
そしてそれは、書くことを生業にする作家や詩人がたどり着きたくてもたどり着けない経験の純化がなされているという。
「音楽は人間経験の最尖端、あるいは深奥部に位いするものである。……本当にミュージカルなものは、詩によって、造型によって、さらには形而上学的思索によってさえも表現されうる、またされなければならない深い生命の自己規律である。」
んーこの感覚、この文章、かつての思想家、批評家、作家たちの言葉への深い信頼が伺える。いまでは森さんのような文章はほとんど目にしなくなっている。(最近では歴史仮名遣いを使い、小林秀雄に影響された、気高くて何言っているか不明な下手くそな文章はたまにみかけるが。)
不思議と森有正さんが、こういう文章を書いても全然嫌味ではなく、引き込まれていき、知らない間に僕ら自身も後悔や懺悔をしたりするのだ。

彼の演奏は、実直なものだが、とくに言及するほどでもないとは思う。とても上手だし。でも、それだけかな。
ただし、森さんがレコードでも言っているように、音楽は発表されるべきものであり、それが音楽なんだ。森さんは、それを堂々と行う。レコードまでだしてしまう。自分の腕前がどうであろうと。
この自らをさらけ出すことは、彼の書く文章と同じだ。さらけ出して、そして批評される。無視されるかもしれない。しかし社会で生きていくとはそういうことなんだと、森さんは言っているのだろう。それが社会で生きていく人間の姿である、と。

2019/07/02

『兜率天の巡礼』司馬遼太郎短篇全集一

『兜率天の巡礼』

法学博士閼伽道竜は、昭和二十二年に公職追放にあう。妻の波那は病弱だった。道竜はいたって平凡で、特段の実績もなく、ただ研究室のなかで独身であったという理由で教授の娘波那と結婚をして、教授職を得る。そして順調に出世していった。
波那は慢性化した糖尿病が重体に陥り、意識を失ってしまう。道竜はそこにま妻ではなく毛物が横たわっていると思った。悪液が脳に達してしまった波那は、突然すっくと起き上がり、裂けるばかりの口をひらき、叫んでいた。声はでていなかった。さいごにひぃと笛のような音が喉から突き上げるようにでた。「怖いィ。お前の、お前の顔……。ああッ」と言って道竜の髪を引きむしってそのまま死んでいった。
妻の発狂で道竜は、波那の家系に原因を探っていく。だれか精神病者はいなかったかどうか、取り憑かれるように。それは理性を失った学問的情熱というべきものだった。
行き着いたのが、兵庫県赤穂郡比奈、大避神社だった。
道竜は宮司、波多春満に話を聞く。だれか精神病者はいない、しかし、それに似た者がいる、秦の始皇帝です、と。
曰く、秦の始皇帝の裔功満王の子弓月ノ君が、日本に上陸して井戸を掘った、それがここの井戸です、と。しかし、田村卓政やゴルドン女史は、別の説をたてた。それはユダヤ人だったと。
曰く、大和ノ国泊瀬川で洪水があった。赤い壺にのった童子が川上から流れてきた。童子は異相で、雅やかであること玉の如くだったといい、帝から秦性を賜る。そのご朝廷に仕えるが、配流となり、赦されてて大和に還ってきてから、土地の者が祠堂を立てる、それが大避神社だという。
祀っている神は、天照大神、春日大神で、三番目が大避大神だった。大闢、それはダビデの漢訳である。大避神社は延喜式以降は「避」を使っていたが、「大闢」とも書くという。
京都太秦にある大酒神社、そこにあるやすらい井戸、これはイスラエルと語呂が似ている、というよりも転訛したという。
景教、それはコンスタンティノープルの教父ネストリウスの派閥の教派で、異端視されて天山北路を越え、シナを越え、播州比奈の浦、山城太秦へとたどり着く。
閼伽道竜の意識は、五世紀の東ローマ帝国コンスタンティノープルへと至る。閼伽はネストリウスと化し、市民から石を投げられている。
ネストリウスは、マリアの神性を認めず、キリル僧正に異端とされた。
道竜は、若くして死んだ北畠顕家を偉大な哲学者の如くあつかう新説を、頼まれるごとに講演し、速記が出版された。それが原因で道竜は戦後に大学を追われることになった。
道竜は、ネストリウスと自分を重ね合わせた。
唐の時代、長安大秦寺、屋根に緑碧の瓦をふき白亜の塔を天に突き上げた異風の景教の寺があった。そこに胡女がひとりで住んでいた。知恵は浅く、従順であった。碧い目はふかぶかと澄んでいた。この女が武宗の後宮にあがったのが十七歳のとき、同族の者たちが小さな祝宴をひらく。少女をみた長老は、ネストリウスがマリアの神性を否定したのは間違いではないかと思うほど美しかった。
長老は少女の処女を、わが民族においていくように言う。同族から若者をひとり選び、室をともにさせた。
その後間もなく大秦寺へ、少女の屍が届く。そして、大秦寺は廃止されてしまう。
後年、石灰岩の碑が西安の農夫によって発見され、ヨーロッパに報告されるが、偽作と疑われる。日本の高楠順次郎氏が、真作であることを証明した。碑にはシリア文と漢文が刻まれていた。
その碑の近くに、一体の人骨が出土していた。道竜がこの胡女ではないか、考えてしまう。
そして道竜の意識は日本へともどり、弓月ノ君の末裔普洞王こそ、波那の遠祖であり、普洞王は一族を率いて赤穂比奈に上陸する。当時はまだ大和の勢力がそこまで広がっておらず、比奈ノ浦を都と定めた。そこはボスポラス海峡を忍ばせる瀬戸内の海が広がっている。
普洞王は旅に出、津のくに、河内のくにを経て、大和へでる。大地がむき出しになり岩と沙の故郷とは異なる、柔らかい風、光が肌にまつわる、天国のような安住の地を得る。それは彼らが自らの神を捨てた瞬間であった。
普洞王は、みすぼらしい小屋のような宮殿と変哲もない貧相な老人であるおおきみをみて、この国の文化の貧しさをおもって、親しみを覚える。普洞王はみずからをシナでローマを指す大秦をもちいて、ずっと西からきたことを伝える。そこから秦性を賜り、同時におおきみから媛をもらう。子をなし、さらにその子が子を生み、秦勝川が生まれる。秦一族は播磨をおさめたのち、秦一族の都を山城、太秦に定める。
勝川は厩戸ノ皇子に山城へ招待するが、皇子は行こうとしない、というのも秦の都に行けば、そこは異教の廟があり、仏教に帰依する皇子にとって外道の都だった。
皇子はそのころ蘇我氏との政争で政治資金を必要としてた。そこで秦氏の織物から得られる膨大な資金を得ることにする。ようやく皇子は太秦を訪れる。そこには大廈高楼が翠巒の中に丹青を誇る社があった。天御中主命を祀っていた、この神は延喜神名帳にものっていない、大酒神社にのみ伝わる神、それはエホバかダビデのことだったのか。そして勝川から皇子へ献上された太秦広隆寺には浄土思想をあらわす弥勒菩薩ががあった。
道竜は大酒神社に行き、そこで三本足の鳥居をみ、天辺は二等辺三角形をなしていた。そして終着地、嵯峨の上品蓮台院を訪れる。そこには兜率天曼荼羅の壁画があり、仏の顔は日本人とはことなる異相していて、そのなかに道竜は波那がいるのではないか考えた。
仔細に曼荼羅を見ていると、それはキリスト教の天国を描いているようで、そして景観はまるでコンスタンティノープルごとく、また長安のごとくにも見えた。道竜は曼荼羅に紫金摩尼をみつけ、それを背景に動く人をみつける。波那。ローソクが落ち、弥勒堂は焼け、閼伽道竜の焼死体がみつかる。

この小説、ちょっとした飛躍がある。波那の先祖はユダヤ人かもしれないというにもかかわらず、ネストリウス派の話になっている。ネストリウスやその派閥がユダヤ系だというわけではない。にもかかわらず、景教の話になって、その末裔が日本にやってきて、波那につながっているように書いている。日ユ同祖論については詳しく知らないので、このあたりの論理がわからないが、司馬さんは強引に閼伽道竜の情念のみで、つなげてしまっている。
なんとも壮大な話ではないですか。始皇帝からネストリウス、秦氏の歴史と全部つながっている。やはり陰謀論とかっておもしろい。
しかし司馬さんはその上を行き、最後の最後で、兜率天曼荼羅にこれまでの話が凝縮されていく。ここが司馬さんの力だろう。
活字なのに、目の前に曼荼羅があらわれ、仏どもが動いている。

2019/07/01

『大阪商人』司馬遼太郎短篇全集一

『大阪商人』

「丼池界隈」の続編。関西の商人の二大人種は、河内系と泉州系とある。泉州系は豪放な商人かたぎが多く、投機好きで、河内系は抜群のズルさがあるという。そして芸事に凝り女にもろい。
そして大和系がいて、香味系や泉州系に使われる養子か番頭向きだという。
ガタ政の父親は大和系で母親は泉州系のためか、景気のいいところを見せることもあるが、「あかんわ」といって大和的退エイ消極主義におちいってしまう。
唐物町の尾西松次郎、べんじゃら松は、その点、銭儲けは見上げたものだった。べんじゃら松は、突然ガタ政を訪ねてくる。普段は洒落た服装をしているが、憔悴しきってヨレヨレのジャンパーに下駄履きといういでたちだった。
べんじゃら松は、資本金があるわけではなく、その融けるような笑顔が資産だった。その笑顔は男をクナクナにとかしてしまうものだった。ガタ政はそんなべんじゃら松を警戒していた。
ガタ政は終戦宣言のその日にべんじゃら松と砲兵工廠から脱走し、一緒にボロを安く買っていった。
「敗戦、一億そうざんげの感傷なんぞは、この男どもにはカケラもない。もっともガタ政のほうには『天皇はん、可哀そうやなあ』などとメソメソする一面があったが、べんじゃら松は、……『天皇はんは、明治以来儲けすぎはったンや。こんどは、俺らの設ける番や』と、びっこのガタ政の手を引きず」って中島航空機工場などに行ってボロを買い取っていた。しかもボロだけでなく、戦闘機までも屑だと言い張ってもっていってしまう。
大儲けしたべんじゃら松だが、ガタ政にはわずかのボロしか渡さなかった。それに文句いったガタ政にべんじゃら松は「知恵とチンポコはこの世で使え」といい知恵だしたものが余計とるもんだと言った。
さらに主人が長崎の原爆で亡くなった「世界屋」という帽子生地問屋をでまかせでのっとり、妻の満子までもものにしてしまった。そして「世界屋」をわざと倒産させ、お涙頂戴で債権者をたらしてしまう。隠し金で再び店をかまえて、さらに店を大きくする。
そしてまたべんじゃら松は不渡りをだし、満子を残して蒸発してしまう。そんななかガタ政宛にべんじゃら松から便箋が届く。それは福井からの投函されていて、どうも東尋坊へと向かったようだった。しかし死体もいる遺品も見つからなかった。
ガタ政はたかが百五十万程度の手形を切れなかっただけで、自殺するような玉ではないと思っていた。そして「世界屋」は潰れてしまう。
ガタ政が商用で東京の渋谷に行くと、英国製の服をきたべんじゃら松が和装の女性、満子とゆうゆうと歩いているのをみる。
「ガタ政は、まるですばらしい風景画でもながめるように、三嘆した。」

やっぱり司馬さんは関西人なんだなあと思う。誰だったか司馬さんの文章には、関西弁の軽快さが根底に流れていると言っていた。誰だったかな。
こんな泥臭い話、いいじゃないですか。天皇はんの次は俺らが儲けるってのも、なんというか戦後まもなくの日本の雰囲気を伝えていていい。
どこの誰だかわからない市井の人を、ほんとうに魅力的に描いている。『街道をゆく』のシリーズでときにみせる、司馬さんの市井の人びとへのまなざしがここにもある。
司馬さんは、人間を嫌いであったと僕は勝手に考えているが、人間の喜劇的な側面を愛していたと思える、そんな話。