2019/08/13

Rachmaninov Concerto No.2 in C minor for piano and orchestra op. 18 Rudolph Kerer(Kehrer) Kirill Kondrashin Symphony Orchestra of The Moscow State Philharmonic Society Μелодия(Melodiya), 33д 012495-96(a)/ラフマニノフ ピアノ協奏曲第二番 ルドルフ・ケレル(ピアノ)、キリル・コンドラシン(指揮)



Rachmaninov
Concerto No.2 in C minor for piano and orchestra op. 18
Rudolph Kerer(Kehrer)
Kirill Kondrashin
Symphony Orchestra of The Moscow State Philharmonic Society
Μелодия(Melodiya), 33д 012495-96(a)

ルドルフ・ケレル(Rudolf Kehrer)というピアニストを初めて名前を知る。
ケレルは、1923年、グルジアのティビリシでドイツ系ユダヤ人の両親から生まれた。1941年ドイツ系ということでカザフスタンへ強制移住となったようだが、これはおそらくスターリンによる「ヴォルガ・ドイツ人追放」かと思われる。移動の自由がなかったらしく、ながらく東側でのみ知られていたピアニストのよう。カザフスタンのシムケントで数学、物理学を学び教職につくが、のち現在ウズベキスタンのタシュケントで音楽を学んだという。
タシュケントかあ。タシュケントには一度行ったことがあるが、そこはかなりソ連的な街並みだったが、ケレルが学んでいたのは66年の大地震前の50年代だから、まだサマルカンドのようなイスラーム色が色濃く残っていたのだろうか。
そして驚くべきは、強制移住させられた1941年からスターリンが死んだ1954年の13年間、ピアノ教育を受けていないということで、1923年生まれだから18歳ごろから31歳ごろまで、音楽界の表にでることがなかったということで、おそらく練習は続けていただろうけれど、1954年からようやくタシュケントで音楽を学ぶというのは、異色な感じがするが、当時の状況からすれば多くの人が同じような境遇だっただろう。
もっと何か情報がほしいものだ。
演奏はなんともずっしりとしたピアノで、一音一音、力強くて確信に満ちていて、きわめて硬質。なよなよした演奏ではないから、第二番とあっている。
第一楽章の冒頭の和音のクレッシェンドを聴けば、すぐに名演であることがわかると思う。この曲の場合、曲の始まりで良いか悪いか決まってしまう、というか聴く者にその後の展開の先入観を植えつけてしまう。ケレルの第一音から、これこそラフマニノフの第二番といっていいもの。
コンドラシンは相変わらず図太いがロシアンロマンティシズムを地でいく演奏で泣けてくる。
なぜこれほどの演奏が埋もれているのか。もったいないだろう。ヨーロッパではCDになってたりするのかな。

0 件のコメント:

コメントを投稿