Giacomo Carissimi
Jephté
Et Trois Motets
Solistes, Choeurs & Orchestre De La Fondation Gulbenkian De Lisbonne
Michel Corboz
Erato, STU 70688, France
Jephté
Et Trois Motets
Solistes, Choeurs & Orchestre De La Fondation Gulbenkian De Lisbonne
Michel Corboz
Erato, STU 70688, France
ジャコモ・カリッシミのオラトリオ『イェフタ』。1648年に作曲ということなので、なんと400年前。ミシェル・コルボの指揮。聞いたこともないし、レコード店で検索したら、旧約聖書のイェフタの話のオラトリオだというから、面白そうだなと思い買った。
音楽自体、非常によいもので、当初レコードの解説はフランス語だけだし、歌詞もないし、なんだかさっぱりわからないが、ああここで娘が生贄にされることをなげいているんだなと音楽でわかったりで十分楽しめた。
でも、いまのところ僕にとって知識程度の音楽でしかないかな。たしかに良い曲だし、イェフタとその娘の悲劇がここまでフォーカスできているのはやはりすごい。"Resonate!"とソプラノが共鳴するところなんかは、美しいかぎりだ。それでも何度も聞きたくなるかというとそこまでではない。おそらく、ぼくの感性がそこまで追いついていないのかもしれない。モーツァルトを楽しめるようになったのも随分時間がたってからだし。いずれ心から楽しめるときが来るかもしれない。
ということでhttp://www.jamescsliu.com/classical/Carissimi_Jephte.htmlを参考にした。いちおう訳してみた。
音楽自体、非常によいもので、当初レコードの解説はフランス語だけだし、歌詞もないし、なんだかさっぱりわからないが、ああここで娘が生贄にされることをなげいているんだなと音楽でわかったりで十分楽しめた。
でも、いまのところ僕にとって知識程度の音楽でしかないかな。たしかに良い曲だし、イェフタとその娘の悲劇がここまでフォーカスできているのはやはりすごい。"Resonate!"とソプラノが共鳴するところなんかは、美しいかぎりだ。それでも何度も聞きたくなるかというとそこまでではない。おそらく、ぼくの感性がそこまで追いついていないのかもしれない。モーツァルトを楽しめるようになったのも随分時間がたってからだし。いずれ心から楽しめるときが来るかもしれない。
ということでhttp://www.jamescsliu.com/classical/Carissimi_Jephte.htmlを参考にした。いちおう訳してみた。
まあ、よくわからないところもあるけど、概略はわかったからまあいっか。興味深いのが、カリッシミとバッハやヘンデルの違いで、バッハたちは聖書に忠実ってのはたしかになと。マタイ受難曲なんて、いまでも思うのが、なぜそんなに聖書に一語一語忠実に歌うのかなと、もっと曲に合うように変えてもいいと思っていたものだ。
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コラール音楽について ジャコモ・カリッシミ『イェフタ』
カリッシミとオラトリオの誕生
ジョコモ・カリッシミ(1605-1674)の人生は平凡さでは際立っている。1605年4月にローマの丘の郊外であるマリノで生まれた。十代のとき、ティボリ大聖堂の聖歌隊に参加して、19歳でオルガン奏者となる。1628年にはアッシジの聖ラフィーノ教会で音楽監督(maestro di cappella)になる。そして1629年12月には、24歳にして、ローマのドイツ大学(German Callege)*1に教師の地位とサンタポリナーレの大学の教会での音楽監督を得た。彼が1674年にローマで亡くなるまで44年間その職をとどまっていた。
ドイツ大学は1552年にドイツ語圏のプロテスタントの地での宣教活動するイエズス会の司祭を訓練するために設立された。1570年台までにはルネサンスの偉人トマス・ルイス・デ・ビクトリア*2のような音楽監督のもとでドイツ音楽や音楽家を育む後継者を育てていた。1608年までに枢機卿、大使、司祭などサンタポリナーレで教会の職務に参加していたことが、いくつかの報告で書かれている、なぜならそこには素晴らしい音楽があり、カリッシミの時代をとおしてその名声は確固たるものだった。
カリッシミは作曲家として音楽家として卓越した能力を忌憚なく披露したが、その才能と同じぐらい野心も欠けていたことで調和がとれていた。ドイツ大学が多くが望む安定した職であり、彼の人生では少なくとも三度、別の場所での主要な職への提示を断っていたことがわかっている(1643年、クラウディオ・モンテヴェルディの死後、ヴェネツィアのサン・マルコ寺院の後釜を含む)。カリッシミは1629年以降決していかなる地位へも申し出ることがなかった。そしてまた自分自身を貴族たちに売り込む必要性を感じていなかったのだ。1773年にイエズス会は禁止され*3、約30年後にナポレオン軍がローマに侵攻し、ドイツ大学の公式記録や手稿は破壊された。結果、カリッシミの公的な業務についてほとんど資料がのこされておらず、現在知られている曲はパピルスに書かれている複写のみである。
カリッシミが成長し続けていたオラトリオ会(Congregation of the Oratory)*4で熱心に働いていたことを知られていない。この会はPhilio Neriが1540年台に組織した祈りを捧げる信徒(lay worshipper)の集団だ。Neriは一般市民を非公式の霊操(spiritual exercises)*5で教育し、改宗させようとしていた。この霊操には口語による説教やその土地の言葉で催される聖書の物語を劇にすることを含み、一般信徒たちへの聖書の話の重要性を説くことが目的だった。この集団や霊操はすぐに祈祷室(イタリア語でオラトリオ)と名付けられた。彼等はこの祈祷室で会っていたのである。音楽劇が叙唱(レチタティーヴォ)のやり方を借りてきて、通奏低音を伴うアリアを組み入れて始まった。そして1620年代までには、オラトリオは衣装や舞台上の演技を省いたオペラの一種となっていた。オラトリオのみが四旬節の間で上演を許された音楽だった。これはさらに、オペラに熱中していた市民たちを満足させるようにデザインされた音楽へと発展していく。
『イェフタ』の構成について
オラトリオはすぐにローマの多くの教会で演奏されたが、傑作のいくつかは磔刑の祈祷堂(Oratorio del Santissimo Crocifisso)でラテン語で行われた。カリッシミは少なくとも四旬節でこの祈祷堂でオラトリオを指揮している。おそらくサンタポリナーレとドイツ大学の演奏家を使っていたと考えられる。カリッシミは1650年にはラテン語のオラトリオの達人になっていて、彼の最も素晴らしいオラトリオ形式の曲『イェフタ』は、学者アタナシウス・キルヒャーの影響力のあった『普遍音楽』のなかで、その力は「聴衆の心を彼が望むいかなる感情へ」と誘うと言及している。結果、1649年までにオラトリオは作曲されたことがわかるが、それはいつ作曲され、誰が歌詞を書いたかをはっきりとはわからない。
イェフタの物語は旧約聖書の士師記10:6から12:7にある。士師記はヨシュアの後の世代における、カナンへの移住の歴史が書かれている。士師記はさまざまな英雄やカナン人の地におけるイスラエル人の支配を確立するための戦った士師(エフド、デボラ、ギデオン、イェフタ、サムソン)について書き留められている。イェフタの物語は主に三つの節からなっている。イェフタの出生と追放、アンモン人との戦いの勝利、そしてエフライム人との戦いの勝利である。カリッシミのオラトリオはアンモン人との戦いの途中のみを扱っている。
オリジナルの断章ではイェフタはギレアド人と売春婦との子と書かれている。イェフタの父は結果的に結婚し、幾人かの法的に認められた子供がいた。これらの異母兄弟はイェフタをギリアドから追放し、父の相続を庶出を理由に否定した。イェフタは放浪しながらならず者となる。ずる賢く卓越した戦士へと育つ。そしてアンモン人がギレアドを脅かした時、部族の長老たちはイェフタに戻ってくるように懇願し、ギレアドを戦いへと導いてくれるようにお願いした。そしてお返しにギレアドの支配を彼に委ねることを約束したのである。イェフタはこの申し入れを受け入れ、アンモン人の王へ、なぜギレアドを攻撃するのかと問うために使者を送った。王は、ギレアドは正しく自分のものであり、イスラエル人は望まれない侵略者であることを主張した。イェフタは民数記に書かれている、荒野をさまよったイスラエル人ののこと、イスラエルの民のために神が介入された物語を語った。イェフタは神の裁きでギレアドは正しくイスラエル人のものであると主張した(多くのこの手の議論は5000年間、変わっていないようである)。
カリッシミのオラトリオはウルガタ聖書のテキストを使っている。イェフタは、もし神がアンモン人に勝たせてもらえるならば、家に帰ったとき最初に自分にあった人物を神に献げることをすぐに誓う。イェフタはギレアドを勝利に導き、歓喜にわいた。しかし、家に帰ると彼を最初に迎えたのは、イェフタの唯一の子、処女の一人娘だった。イェフタは激情にかられた神への宣誓に後悔したが、それを行動に移さなければならない。山々に登り自分の運命を泣き悲しみたいという娘の最後の願いを聞き入れた(聖書時代、全てのヘブライの娘は子供を手塩にかけて育てた。もしかすると子供の内誰かが預言者となるかもしれないからだ。だからイェフタの娘は死を恥じた。子供をなさず死ぬからである)。娘は感動的な哀歌(lament)を歌い、このオラトリオは悲しみに満ちた哀歌の合唱で終わる。
士師記はイェフタについてもう一つ別の話を語っている。その中で、エフライム人の男たちは、アンモン人との戦いで参加することを自分らに呼びかけられなかったことに腹を立てギレアド人に戦いを挑んだ。イェフタはエフラム人をも討ちとり、ヨルダン川まで領土を拡大した。そして、ヨルダン川を渡る際、エフラム人が発音できない合言葉「shibboleth」を使うことで、エフラム人の難民をひっ捕らえたのである。
カリッシミのやり方は、声楽、楽器の使い方でオラトリオ形式の手本となった。朗読者は聖書の物語を語り、ときにはオリジナルのテキストから直接引用した。登場人物はソロの歌い手が担い、そして同じように聖書から直接引用することもある。モンテヴェルディのレチタティーヴォ(通奏低音を伴う逐語的なやり方)やアリオーソ(フレーズを繰り返す叙情的な方法や感情的な効果へ誘うより複雑で音楽的な修辞方法)の技法を使っている。合唱はさまざまな登場人物を描写し、その場面に対し反応しコメントをする。ほとんどの演奏では30分にも満たない簡潔さについて、この作品は、(原型的音楽的雰囲気という/prototypical musica moods**さっぱり意味がわからない)模範的な音楽描写をそなえている。戦闘場面、勝利の歌、痛ましい場面、そして悲痛な哀歌を含んでいるのである。カリッシミはこれらの雰囲気を作り出すために多くの音楽装置を用いた(例えば最後の合唱の哀歌で、徐々に下がっていくバスの音、そして激しい半音階的な勝利の歌と不協和音を伴った哀歌が何も支障もなく調和している)。この音楽的な修辞方法は後のオラトリオでは標準的なものとなったのである。
しかし、カリッシミのオラトリオは、例えばバッハやヘンデルのオラトリオとは異なっているところが多くある(ヘンデルは実際この同じ話を自分のオラトリオで作曲している。ヘンデルの台本はその差異が明白だ)。例えば、後のオラトリオではパートごとでソリストがいて、通常テノールは聖書の朗読者だ。イェフタでは朗読者の役割は、3人の異なったソリストが交代で行い、時には数人で異なるパートで同時に歌い上げることもある。さらにカリッシミのオラトリオは、バッハやヘンデルが作曲するような描かれている出来事への聴衆の個人的な感情を描写し、表現力に満ちた長いアリアはない。実際、最後の哀歌をのぞけば、このオラトリオにおいてテキストの繰り返しがない。
『イェフタ』の脚本家は、劇的で明快にするため聖書の物語を変えた。バッハやヘンデルは、彼らのオペラのようなアリア、劇的な合唱曲においても、聖書に非常に忠実なのである。カリッシミのテキストは話を先に進むことができない、長々とした連ねた街の名前を除いた。聖書の物語に加えられたのは、イスラエルの勝利を劇的に盛り上げること、イェフタの娘による勝利の歌で、そうすることでイェフタと娘の間の対話を肉付けし、なぜ誓いは実行されねばならないのかを具体的にした。そして娘が自らの悲運な運命を嘆く、最も際立って感動的な哀歌が加えられた。そのテキストは、勝利と諦念(woeful abandonment)を表した詩篇を思い起こさせるものだ。
対話と哀歌はこの物語の力点を少しずらす。士師記のオリジナルの話は、ギリシア悲劇やグリム童話のように読まれ、追放された息子が勝利の英雄として帰ってくることで、彼の願いが実現されるという残酷なアイロニーへと犠牲者を落とし込む(対価として、自らの残酷な約束を実行せねばならない)。対話や哀歌のテキストは、unigenita(一人っ子)という言葉を繰り返し、そして無垢な子供が自らの意志で救国と、王になることを望んでいる父の栄光のために生贄になるというイメージを強調した。unigenitaという単語はミサ曲のラテン語のテキストで、イエスを描写するために使われているのである(たとえばグロリアやクレド)。無垢であることは、究極的な生贄が偉大なイエスの父の勝利を導き、永遠の王国を築くのに必要であると書かれている。このようにカリッシミの改変は旧約聖書をある種新約聖書の説教へと変え、四句節にふさわしいオペラとなっているのである。
*1 Collegium Germanicum さて、なんだかよくわからない。https://en.wikipedia.org/wiki/Collegio_Teutonicoには1399年設立されたと書かれているけど。同じものかどうか、調べるのは億劫なので、いずれ。
*2 Tomas Luis De Victoria 正直はじめて聞いた名前。スペイン出身のパレストリーナに次ぐ音楽家とのこと。
*3 クレメンス14世によってドミヌス・アク・レデンプトール (Dominus ac Redemptor)が発布されてイエズス会は禁止となる。1824年教皇ピウス7世によって復興。
*4 オラトリオ会。ネリが組織した。オラトリオはもとラテン語で「祈祷室」の意味。
*5 イグナティウス・デ・ロヨラによって始められた霊性修行法
テキストと翻訳
*こちらはリンク先を元にしているが、逐語的なものは省いた。ラテン語のテキスト、New American Standard Bible、そして僕の方で新共同訳をさらに付け加えるつつ、僕なりに改めてしまっている。ラテン語はウルガタ聖書をもとであるし、上記の記事にもあるように聖書のオリジナルのテキスト自体を改変している。自由詩については、僕が英訳をもとに訳している。聖書が参考にできるところは間違いないだろうけど、自由詩の部分でどうしてもよく訳せないので、まあテキトーになっている。まあ英訳を参考にするほうが無難でしょう。
1.Historicus
recitative
solo Alto
Judges 11:28-30
Cum vocasset in proelium filios
Israel rex filiorum Ammon
et verbis Jephte acquiescere noluisset,
factus est super Jephte Spiritus Domini
et progressus ad filios Ammon
votum vovit Domini dicens:
When the king of the children of Ammon
made war against the children of Israel,
and disregarded Jephthah's message,
the Spirit of the Lord came upon Jephthah
and he went on to the children of Ammon,
and made a vow to the Lord, saying:
アンモン人の王はイスラエル人に戦争を仕掛けようとしたとき、
イェフタの言葉を聞こうとはしなかった。
主の霊がエフタに臨み、アンモン人に向かって兵を進め、
主に誓いを立てて言った。
2.Jephte
recitative
solo Tenor
Judges 11:30-31
"Si tradiderit Dominus filios Ammon
in manus meas, quicumque primus
de domo mea occurrerit mihi,
offeram illum Domino in holocaustum."
"If You will indeed give the sons of Ammon
into my hand, then whoever comes first
out of the doors of my house to meet me,
I will offer him to the Lord as a complete sacrifice."
もしあなたがアンモン人をわたしの手に渡してくださるなら、
わたしの家の戸口からわたしを迎えに出てくる者を
主のものといたします。
3.Chorus à 6
narrative
Judges 11:32
Transivit ergo Jephte ad filios Ammon,
ut in spiritu forti et virtute Domini
pugnaret contra eos.
So Jephthah crossed over to the sons of Ammon
with the spirit, strength, and valor of the Lord
to fight against them.
こうしてイェフタは進んでいき、主の霊と力と勇気をもって、アンモン人と戦った
4.Historicus à 2
narrative
solo Soprano 1 & 2
Et clangebant tubae et personabant tympana
et proelium commissum est adversus Ammon.
And the trumpets sounded, and the drums resounded,
and battle against Ammon ensued.
トランペットが鳴り、太鼓の音が鳴り響き、アンモン人との戦いは続いた。
5.Solo
arioso
solo Bass
Fugite, cedite, impii, perite gentes,
occumbite in gladio. Dominus exercituum
in proelium surrexit et pugnat contra vos.
Flee and give way, godless ones; perish, foreigners!
Fall before our swords, for the Lord of Hosts has raised
up an army, and fights against you.
逃げろ、道をあけろ、神をもたない者たちよ、死ぬがいい、異邦人ども!
われの剣の前で倒れるがいい、わが主が軍をもって、お前たちと戦うのだ。
6.Chorus à 6
address
Fugite, cedite, impii, corruite,
et in furore gladii dissipamini.
Flee, give way, godless ones! Fall down!
And with our raging swords, be scattered!
逃げろ、道をあけろ、神をもたない者たちよ、われらの怒りの剣で、散るがいい
7.Historicus
recitative
solo Soprano
Judges 11:33
Et percussit Jephte viginti civitates Ammon
plaga magna nimis.
And Jephthah struck twenty cities of Ammon
with a very great slaughter.
そしてアンモン人の二十の町を、徹底的に撃った
8.Historicus à 3
narrative
solo Soprano 1 & 2, Alto
Judges 11:33:
Et ululantes filii Ammon, facti sunt
coram filiis Israel humiliati.
And the children of Ammon howled,
and were brought low before the children of Israel.
アンモン人は遠吠えし、イスラエルの人々に屈服した
9.Historicus
recitative
solo Bass
Judges 11:34
Cum autem victor Jephte in domum suam
reverteretur, occurrens ei unigenita filia sua
cum tympanis et choris praecinebat:
When Jephthah came victorious to his house, behold,
his only child, a daughter, was coming out to meet him
with tambourines and with dancing. She sang:
イェフタが自分の家に帰ったとき、自分の唯一の子供、娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来た、彼女は歌った
10.Filia
aria
solo Soprano
"Incipite in tympanis, et psallite in cymbalis.
Hymnum cantemus Domino, et modulemur canticum.
Laudemus regem coelitum,
laudemus belli principem,
qui filiorum Israel victorem ducem reddidit."
"Strike the timbrels and sound the cymbals!
Let us sing a hymn and play a song to the Lord,
let us praise the King of Heaven,
let us praise the prince of war,
who has led the children of Israel back to victory!"
鼓をならしなさい、神への賛美を歌いましょう、天国の王を讃えましょう、イスラエル人を勝利に導いた王子を讃えましょう
11. Duet
response
solo Soprano 1 & 2
Hymnum cantemus Domino, et modulemur canticum,
qui dedit nobis gloriam et Israel victoriam.
Let us sing a hymn and play a song to the Lord,
who gave glory to us and victory to Israel!
神を称える歌を歌いましょう、主はわたしたちに栄光と勝利をイスラエルにお与えくださる
12.Filia
aria
solo Soprano
Cantate mecum Domino, cantate omnes populi,
laudate belli principem,
qui dedit nobis gloriam et Israel victoriam.
Sing with me to the Lord, sing all you peoples!
Praise ye the prince of war,
who gave glory to us and victory to Israel!
わたしとともに神に歌いなさい、すべての人を歌いなさい、イスラエルに栄光と承知をもたらした王子を讃えなさい
13.Chorus à 6
response
Cantemus omnes Domino,
laudemus belli principem,
qui dedit nobis gloriam et Israel victoriam.
Let us all sing to the Lord,
let us praise the prince of war,
who gave glory to us and victory to Israel!
神にみなで歌いなさいmイスラエルに栄光と勝利をもたらした王子を讃えましょう
14. Historicus
recitative
solo Alto
Judges 11:35
Cum vidisset Jephte, qui votum Domino voverat,
filiam suam venientem in occursum, in dolore
et lachrimis scidit vestimenta sua et ait:
When Jephthah, who had sworn his oath to the Lord, saw
his daughter coming to meet him, with anguish
and tears he tore his clothes and said:
主へ誓ったイェフタは彼を迎える娘を見ると、
怒りをもって衣を引き裂いて言った
15. Jephthah
arioso
solo Tenor
Judges 11:35
"Heu mihi! Filia mea,
heu decepisti me, filia unigenita,
et tu pariter,
heu filia mea, decepta es."
"Woe is me! Alas, my daughter,
you have undone me, my only daughter,
and you, likewise,
my unfortunate daughter, are undone."
ああ、わたしの娘よ、
お前がわたしを打ちのめし、
わたしの唯一の娘よ、わたしを苦しめるとは
Filia
recitative
solo Soprano
"Cur ergo te pater, decipi,
et cur ergo ego
filia tua unigenita decepta sum?"
"How, then, are you undone, father,
and how am I,
your only-born daughter, undone?"
それでは、父よ、
あなたたはどのように打ちのめしたのでしょう、
そして唯一の娘であるわたしはあなたを打ちのめしたのでしょう
Jephthah
arioso
solo Tenor
"Aperui os meum ad Dominum
ut quicumque primus de domo mea
occurrerit mihi, offeram illum Domino
in holocaustum. Heu mihi!
Filia mea, heu decepisti me,
filia unigenita, et tu pariter,
heu filia mea, decepta es."
"I have opened my mouth to the Lord that
whoever comes first out of the doors of my house
to meet me, I will offer him to the Lord
as a complete sacrifice. Woe is me!
Alas, my daughter, you have undone me,
my only daughter, and you, likewise,
my unfortunate daughter, are undone."
わたしは主の御前で口をひらきました。
わたしの家からわたしを最初に迎えるのが誰であろうと、
わたしは献げ物として主のものとすることを。
なんてことだ。ああ、娘よ、お前はわたしを打ちのめした、唯一のわたしの娘よ、
わたしを苦しめるとは
Filia
arioso
solo Soprano
Judges 11:36-37
"Pater mi, si vovisti votum Domino,
reversus victor ab hostibus,
ecce ego filia tua unigenita,
offer me in holocaustum victoriae tuae,
hoc solum pater mi praesta
filiae tuae unigenitae antequam moriar."
"My father, if you have made an oath to the Lord, and
returned victorious from your enemies,
behold! I, your only daughter
offer myself as a sacrifice to your victory,
but, my father, fulfill one wish to
your only daughter before I die."
父上、あなたは主に誓い、
あなたの敵から勝利して戻ってきました。
見なさい! あなたの唯一の娘のわたしは、
自分自身を生贄としてあなたの勝利に
献げてください。
しかし、父よ、死ぬ前に
あなたの唯一の娘である
わたしの望みをかなえたいのです。
Jephthah
arioso
solo Tenor
"Quid poterit animam tuam, quid poterit te,
moritura filia, consolari?"
" But what can I do, doomed daughter,
to comfort you and your soul?"
しかし、わたしになができるのか、不運な娘よ、お前とお前の魂をなぐさめるために
Filia
arioso
solo Soprano
Judges 11:37
"Dimitte me, ut duobus mensibus
circumeam montes, et cum
sodalibus meis plangam virginitatem meam."
"Send me away, that for two months
I may wander in the mountains, and with
my companions bewail my virginity."
わたしを送りだし、二か月の間、
友たちとともにわたしは山々をさまよい、
わたしが処女であることを泣き悲しみたいのです
Jephthah
arioso
solo Tenor
Judges 11:38
"Vade, filia mia unigenita,
et plange virginitatem tuam."
"Go, my only daughter,
go and bewail your virginity."
行くがよい、唯一のわたしの娘よ、そして処女であることを泣き悲しむがいい
Historicus à 4
narrative
S-A-T-B
Abiit ergo in montes filia Jephte, et
plorabat cum sodalibus virginitatem suam, dicens:
Then Jephthah's daughter went away to the mountains, and
bewailed her virginity with her companions, saying:
そして、イェフタの娘は山々に行き、友達とともに処女であることを泣き悲しみ、言った
Filia
aria accompagnata
solo Soprano
"Plorate colles, dolete montes,
et in afflictione cordis mei ululate!
Mourn, you hills, grieve, you mountains,
and howl in the affliction of my heart!
悲しみ、あなたの丘、嘆き、あなたの山々、わたしの心の苦悩のなかでの遠吠え
Echo
solo Soprano 1 & 2
Ululate!
Howl!
遠吠え
Filia
aria accompagnata
solo Soprano
Ecce moriar virgo et non potero
morte mea meis filiis consolari,
ingemiscite silvae, fontes et flumina,
in interitu virginis lachrimate!
Behold! I will die a virgin, and shall not
in my death find consolation in my children.
Then groan, woods, fountains, and rivers,
weep for the destruction of a virgin!
見なさい! わたしは処女で死にます、
わたしの死に、わたしの子供の慰めを見いだすことはありません。
うめき声、噴水、そして川は処女の打ち破るために涙を流しすのです。
Echo
solo Soprano 1 & 2
Lachrimate!
Weep!
涙を流しなさい
Filia
aria accompagnata
solo Soprano
Heu me dolentem in laetitia populi,
in/ victoria Israel et gloria
patris mei, ego, sine filiis virgo,
ego filia unigenita moriar et non vivam.
Exhorrescite rupes, obstupescite colles, valles
et cavernae/ in sonitu horribili resonate!
Resonate!
Woe to me! I grieve amidst the rejoicing of the
people, amidst the victory of Israel and
the glory of my father, I, a childless virgin,
I, an only daughter, must die and no longer live.
Then tremble, you rocks, be astounded, you hills,
vales, and caves, resonate with horrible sound!
Resonate!
わたしは人々の歓喜のなかで嘆いています、
イスラエルの勝利の中、
父の栄光の中で、
父の唯一の子供、子供のいない処女であるわたしは死なねばなりません、
もはや生きてはいられないのです、
震え、あなたの丘、驚き、谷、洞窟、恐ろしい音が響きわたる
Echo
solo Soprano 1 & 2
Resonate!
Resonate!
響きわたる
Filia
aria accompagnata
solo Soprano
Plorate filii Israel,
plorate virginitatem meam,
et Jephte filiam unigenitam in
carmine dolore lamentamini."
Weep, you children of Israel,
bewail my hapless virginity,
and for Jephthah's only daughter,
lament with songs of anguish."
涙を流しなさい、イスラエスの人はわたしの望みのない処女に嘆き悲しみ、
そしてイェフタの唯一の娘、
苦悶の歌、哀歌
Chorus à 6
response
Plorate filii Israel,
plorate omnes virgines,
et filiam Jephte unigenitam in
carmine doloris lamentamini.
Weep, you children of Israel,
weep, all you virgins,
and for Jephthah's only daughter,
lament with songs of anguish.
涙を流しなさい、イスラエルの人、
涙を流しなさい、すべての処女、
そしてイェフタの唯一の娘、
苦悶の歌、哀歌
**************************
しかし、旧約聖書というのはあらためてひどい話だよ。この曲を聴くにおよび士師記を読み返したけど、選民思想まるだし。
最後のほうになるとうまく訳せないし……
コルボはいつもながら非常に素晴らしい合唱を聞かせてくれている。しかし、レコード店で買う宗教音楽のレコードでミシェル・コルボが多くなっている。というのも、なぜかコルボの指揮のレコードは全般的に安い。だいたい500円ぐらいで購入できてしまう。しかも演奏は素晴らしいから、ついつい買ってしまい、自然とコルボのばかりになってしまう。
最後のほうになるとうまく訳せないし……
コルボはいつもながら非常に素晴らしい合唱を聞かせてくれている。しかし、レコード店で買う宗教音楽のレコードでミシェル・コルボが多くなっている。というのも、なぜかコルボの指揮のレコードは全般的に安い。だいたい500円ぐらいで購入できてしまう。しかも演奏は素晴らしいから、ついつい買ってしまい、自然とコルボのばかりになってしまう。
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