時代を経るごとに、聖書はそのまま受け継がれるのではなく、勝手な内容を盛り込んだりしていった。
モーセ五書がモーセ自身が書いたと信じられている、という記述があるが、そうだったのか。
聖書の各巻はエズラが書いたのではないかとスピノザは主張している。
聖書には欠落した部分や異本、付け足しなどがある。しかしラビはそのような欠落は認めず、逆にそれらに深淵ななにかを求めてしまっている、カバラを荒唐無稽と断じている。
第八章、九章は聖書の書誌学、文献学となっている。この二つの章は、現在ではかなり修正が必要な主張のようで。
モーセ五書がモーセ自身が書いたと信じられている、という記述があるが、そうだったのか。
聖書の各巻はエズラが書いたのではないかとスピノザは主張している。
聖書には欠落した部分や異本、付け足しなどがある。しかしラビはそのような欠落は認めず、逆にそれらに深淵ななにかを求めてしまっている、カバラを荒唐無稽と断じている。
第八章、九章は聖書の書誌学、文献学となっている。この二つの章は、現在ではかなり修正が必要な主張のようで。
ヘブライ語についても書かれているのだが、正直なんのことやら。
この二つの章は流し読みをした。
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