2019/11/24

第八章 この章では、モーセ五書やヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記列王記は本人の著作ではないことを示す。その後これらすべてについて、著者は複数いたのか、一人だけだったのか、また誰だったのか探求する/第九章 [前章と]同じ[『創世記』から『列王記』までの]各巻について、別の問題が取り上げられる。エズラはこれらの巻に最終的な仕上げを施したのか、またヘブライ語の聖書写本に見られる欄外の書き込みは[本文に採用されなかった]異本の読みだったのか、といった問題である

時代を経るごとに、聖書はそのまま受け継がれるのではなく、勝手な内容を盛り込んだりしていった。
モーセ五書がモーセ自身が書いたと信じられている、という記述があるが、そうだったのか。
聖書の各巻はエズラが書いたのではないかとスピノザは主張している。

聖書には欠落した部分や異本、付け足しなどがある。しかしラビはそのような欠落は認めず、逆にそれらに深淵ななにかを求めてしまっている、カバラを荒唐無稽と断じている。

第八章、九章は聖書の書誌学、文献学となっている。この二つの章は、現在ではかなり修正が必要な主張のようで。
ヘブライ語についても書かれているのだが、正直なんのことやら。
この二つの章は流し読みをした。

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