『壺狩』
細川藩の初代家老、松井佐渡守康之は、慶長十七(1612)年正月二十三日、六十三歳病没。その家臣、稲津忠兵衛は追腹をする。忠兵衛は朴訥で皆から愛されていた。越前ゆうの峠の茶屋の老婆から七十文で買った、小さな壺にせんぶりを入れていた。それを康之が細川三斎に見せる。
「忠兵衛という異相の者、予は見覚えている。この釉薬の神妙、なりの朴訥さ、まるで忠兵衛が壺に化けたかのごとくである。生きて動き出しそうではないか。」と評する。
三斎は、この肩衡(かたつき)を古今の名器となり、「人生(ひとよ)」と呼ばれるにいたる。
武勇で名を馳せることができず、壺が有名になったことは忠兵衛にとっては恥ずべきことだった。
短篇の良さがよくでている。たいして動きのある話ではなく、忠兵衛の周辺を描き、忠兵衛という人物を第三者の立場から眺めるかたちとなっている。
司馬さんが、長篇ではさむ「余談」といったところか。
文章がうまいですねー。猛々しくなくて、徹底して文章のみで何かを伝えようとする意思がある。
細川藩の初代家老、松井佐渡守康之は、慶長十七(1612)年正月二十三日、六十三歳病没。その家臣、稲津忠兵衛は追腹をする。忠兵衛は朴訥で皆から愛されていた。越前ゆうの峠の茶屋の老婆から七十文で買った、小さな壺にせんぶりを入れていた。それを康之が細川三斎に見せる。
「忠兵衛という異相の者、予は見覚えている。この釉薬の神妙、なりの朴訥さ、まるで忠兵衛が壺に化けたかのごとくである。生きて動き出しそうではないか。」と評する。
三斎は、この肩衡(かたつき)を古今の名器となり、「人生(ひとよ)」と呼ばれるにいたる。
武勇で名を馳せることができず、壺が有名になったことは忠兵衛にとっては恥ずべきことだった。
短篇の良さがよくでている。たいして動きのある話ではなく、忠兵衛の周辺を描き、忠兵衛という人物を第三者の立場から眺めるかたちとなっている。
司馬さんが、長篇ではさむ「余談」といったところか。
文章がうまいですねー。猛々しくなくて、徹底して文章のみで何かを伝えようとする意思がある。
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