2019/09/28

『ハルビン駅へ 日露中・交錯するロシア満洲の近代史』 ディビッド・ウルフ(半谷史郎訳) 講談社

ハルビンの設立から書かれている。ハルビンの名前の由来が酒の蒸留所だったとは。
そもそもシベリア鉄道をウラジオストクまで延ばすうえで、水運で便利な松花江沿いに資材の集積地として作られた街。
ハルビンは植民都市だけれど、ロシアはこの街に学校や病院、娯楽施設のインフラを作っていき、ロシア人が住める街にしただけでなく、中国人、ユダヤ人、ポーランド人らの移住者も大切な街の構成民として扱うべく、差別をなくそうとしていたらしい。
その他にも融和政策を行って、ハルビンはモスクワとは違いリベラルな風土が出来上がった。
そんなハルビンの経営の仕方や政策が、後にストイルピンの改革へとつながっているという。なるへそ。
んで、これらの政策は東清鉄道という鉄道会社がしていた。鉄道会社というのは、満鉄や南アフリカ鉄道なんかでもそうだけど、その土地のあらゆる分野に深く組み込んでいて、娯楽施設の建設、立法、行政、警察など国家と同じ様相を呈しているわけです。
ハルビンの植民地経営はなかなかよかったようです。モスクワのような専制政治ではなく、中央とあまりに遠いためにハルビンにはハルビンで好き勝手やれたようです。これはハルビンだけではないけど。イギリスもスペインもオランダも植民地経営では、あまりに植民地が遠すぎて、現地に統治は任さざるを得ないというのは共通の問題。
興味深いのは、日本人の入植者が多くなくて、ほとんどが売春婦だったということ。そして性病が蔓延するハルビンで、日本の娼妓は衛生面で優れていたので性病の流行を止められると期待されていたらしい。だけど高価だったから、ダメだったようで。
それと知らなかったけど、日露戦争における目標がハルビンだったとは。ということは日露戦争でハルビンを獲得できなかったことは、やはり日本にとってはこの戦争は勝ったとはなかなか言えない戦争だったようだ。
他にも、なるほどとおもったのは、19世紀末から20世紀初頭のロシアは、日露戦争の敗北やその後のロシア革命などがあったため、帝政の崩壊期のような見方をされるが、それは違くて、シベリア鉄道の敷設に代表されるように、東への進出を精力的に行っていて、各国の見方としては、まさに飛ぶ鳥だったという。
ニコライ二世自身、皇帝になること自体を嫌がっていたようで、さらに日露戦争もしたくなかったよう。
当時ロシアは列強各国を刺激しないように、そして清も無視しないで、非常に慎重にハルビンを開発していったようで、ロシアはハルビンを併合するのではなく、植民地経営を行っていた。それをいとも簡単に短絡的に領土にしてしまったのが関東軍という。

本書、めちゃくちゃ読みにくい。翻訳が悪いのではなくて、内容があまりに散漫すぎる。時系列での把握が難しいし、一つ一つの章で盛りだくさんな感じで、話題があっち行ったりこっち行ったりで、んーまとまりに欠けるような。
それと、あんまり政治的な発言はしたくはないけれど、一部の日本の言説で、日本は朝鮮に学校や鉄道、病院などを建設していった、ヨーロッパの植民地政策とは違う、とかいって自慢する人らがいるが、こういうやつらは一度植民地について、イギリス、オランダ、スペインなどの事例を学ぶといい。確かにアメリカ大陸での振舞いなどひどいものがあるが、それだけではないことがわかるはずだ。日本だけが特別高尚な精神をもって朝鮮を植民地経営していたわけではない。あー植民地ではなくて併合っていわないと怒られるのかな。
この『ハルビン駅へ』で書かれているが、ロシアはハルビンを建設したが併合しなかった。それは、清との関係もあったし、現地の住人との軋轢や列強の干渉(イギリスや日本)を生むかもしれないから慎重だった。
併合は植民地より良い、というものでもないのですよ。

0 件のコメント:

コメントを投稿