2017/11/11

Joan Cererols, Vesper Beatae Mariae Virginis, Escolaniai Capella de Montserra, AMS 3526

Joan Cererols(1618-1676), Vesper Beatae Mariae Virginis(Marienvesper)

Escolaniai Capella de Montserrat
Ars Musicae Barcelona (Ensemble mit historischen Instrumenten)
Leitung: Ireneu Segarra
AMS 3526
1980年録音

Salve Regina(Antiphon)
Dixit Dominus(Ps. 109)
Laudate, Pueri(Ps. 112)
Laetatus sum(Ps. 121)
Nisi dominus(PS. 126)

Magnificat
Ave maris stella(Hymne)
Ave regina Caelorum(Antiphon)
Alma redemptoris mater(Antiphon)
Regina Caeli(Antiphon)

モンテヴェルディによる「聖母マリアの夕べの祈り」とは違う。ジョアン・セレロールスの作曲。モンテヴェルディのものと間違えて、このレコードを購入する。詳細は日本語でも英語でもネットには上がっておらず、わからない。ライナーノーツを訳す。しかし、なんと訳しにくい文章であること。いくつか全く意味がわからない箇所もあり。ラテン語の部分は、あっているかどうかわからない。致し方ない。いずれわかるときが来るかもしれない。
もし誰かこのブログを見てくれて、僕の訳の誤りとかを指摘してくれる日がくるかもしれない。そのためにライナーノーツの英文を上げておく。言い訳がましいが、ひどい訳で申し訳ない。

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4つの詩篇が一つに統合されていて、細部には思いもよらない多様性がある。例えばDixit Dominus(主は仰せられる)は、対位法による開かれた構造(open-textured)の二声で始まり、一方ではLaudate,Pueri(ほめたたえよ、しもべたちよ)では、ホモホニックなコーリ・スペツァティで始まりながら、Laetatus sum(私は喜んだ)はソプラノのソロによって歌われる。テキストがソロの高音域に振られる場合、2つの聖歌隊は音楽による解釈を歌うことになる。さらに音を多様化させ、より動的な鋭さを達成するために、詩篇の節の各部分は幅のある抑揚によって締めくくられている。そのテキストの意味を最大限に引き出すためだ。
セレロールスは常に新しい音楽の波を自らのスタイルと交わらせながら、「音楽で祈る方法」としてだけ用いるのではなく、詩篇の特定の言葉における象徴的な解釈によって強化される何ものかと融合させる。その安らぎは印象深い。例えば、詩篇109のex Sion, dominare, tecum principium, non paenitebit eum(シオンから, 治めてください, あなたは王となった, 悔やまれたことはない)。そして詩篇112におけるsuscitans(立ち上がる)において、伝統的な民族舞踊の倍音を伴う歓喜の三拍子はとても効果的である。一方では、詩篇121は短調で幾分メランコリックな雰囲気であり、詩篇作者の目が「山を登る」を思い起こさせる。(?? 意味がわからず。英文を読解できず) 詩篇126の始めは見事な対位法であり、それは最後のSicut erat(ありしごとく)の中で繰り返される。もっとも印象的な箇所はVanum est vobis(主が建てたもうものでなければ)で、旋律とポリフィニーには本来の感覚が満ちていて、モンテヴェルディの1610年の有名なVespersを思い起こさせる。
Mary, star of sea(Ave maris stella)に対する聖歌の感動的な場面はまた、当時のいたって普通のグレゴリア聖歌の伝統の注目すべき一例である。セレロールスは第一、四と最後の節のみでポリフォニーを採用し、他の節はユニゾンで歌われる。しかし、これらの節は単旋律聖歌(グレゴリオ聖歌、上声部と通奏低音)の引用を含んでいるが、これらの単なる合唱の節に対する本当の演奏スタイルは困難なくして再構築できない。厳粛に抑制された聖歌は修道院の聖なる礼拝で瞑想にふける雰囲気のためのものなのは明らかである。つまり、最初と最後の節は直接、単旋律聖歌の旋律にもとづいていて、4番めの節はより自由なポリフォニーの様式で書かれている。
4つのマリアのアンティフォン(交唱歌)は、典礼の年の四旬節に対応している。降臨祭(Advent, Alma redemptoris mater(救い主の麗しき母))から聖霊降臨節Whitsuntideと降臨祭(Salve Regina, 元后うるさしき母)の間の数週間だ。技術的な理由のた、このレコードの両面の間で、この配列は分けざるを得ない。しかし、モンテセラート(カタルーニャの山)の音楽の伝統がアンティフォンSalve reginaにあると考える特有の重要性に、特別な関心が払われていた。数世紀の間、厳粛なの多声音楽のSalveは、黒い聖母(the Black Madonna, the Virgen morenata、カタルーニャのモンテセラートにあるベネディクト修道院にある聖母像)の前で、モンセラート修道院聖歌隊(Escolania)によって、午後一時に日々歌われてきた。
この4つのアンティフォンの様々な特徴は典礼のおのおの雰囲気によく合っている。降臨祭Avent(Alma redemptoris mater)と四旬節と受難節Lent and passionitide(Ave regina caelorum)のための厳粛なアンティフォンの聖歌は、喜びのアレルヤを伴った復活祭のアンティフォン(Regina caeli)の喜び表している簡潔さと対称的である。Salve Reginaの中で、第二声部は、反響を第一声部と共に歌う。まるで修道士の天井桟敷の上の身廊(nave)の他方の端で立っているかのように。作曲者はおそらく純粋に音楽の効果と同様に象徴的な効果を念頭においていた。夕べの祈りvespersと終祷complineは一日の終わりを告げ、まるで聖霊降臨節Whitsuntideと降臨祭Aventの間で長くゆったりとした数週間が時から永遠への移行のように、そしてキリストの再臨parousia(Second Coming of Our Lord)を長く待ちわびていることかのごとく、象徴していると言えるかもしれない、
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