2019/09/30

第六章 奇跡について――スピノザ『神学 政治論』

人の理解力を超えた神のわざを人は見たいと思っている。なぜなら、それは神の存在証明だと考えるからだ。
その神のわざを人間の理性で理解しようとすると、神を否定しているかのように言われる。民衆は自然の力と神の力を別のものと考えている。

スピノザは以下を説明する。

1 自然に反するかたちで起きることは何もないこと。むしろ自然の永遠の、一定不変の秩序を保っていること。なぜなら自然の一般法則が神の取り決めであるならば、奇跡は神に逆らってることになる。

2 神の本質も存在も、ましてや摂理も、軌跡からわかることは何ひとつないこと。むしろこれらはみな、一定不変の自然の秩序を見たほうがはるかによい。
神の存在はそれ自体自明ではないから、あらゆる概念をもって論証する必要がある。その概念は確実なものでなければならない。しかし確実な概念は変化しうると考えると、それをもとにした論証には確証がなくなる。
そして自然がかなっているか反しているかは、自然の基本概念を見極めるしかない。だから奇跡は基本概念に反している。
となると、私達はそのようなことを不条理とするか基本概念を疑うか、どちらかになる。
つまり奇跡を自然に反することと考えるかぎり、神の存在が示されることにはならない。むしろ奇跡がなくても神の存在を確信できる。奇跡が神の存在を疑わしくする。
自然のさまざな法則は無限のものごとに及び、その法則は我々に認知され、さらに法則に従う自然は一定不変の秩序で進む。だからその限りで、神は無限である、永遠であり、不変であること示してくれるのは、むしろ自然の法則である。

3 神の取り決めや、意志や、したがってまた摂理とは、神の永遠の方から必然的にひきけつする自然の秩序そのものに他ならないこと。

感想
ここでもスピノザは神の存在を否定していない。また非常に人間をバカにしていて微笑ましい。
なぜ神はもっと明確に民衆に語りかけないのか、理性に訴えかけるように語らないのか。なぜ詩的な表現を使い、想像力に訴えかけるのか。
それは民衆にとって政治家のような語り口では納得しないし、心も動かされないという。
これは、アイロニーなのか?
神を仮に認めて、それで愚民どもの行動様式をバカにしているのか?
スピノザの神がなんであるのか、これは難しい。神=自然というふうにも思えるけど、でも神は民衆に語りかける存在とも書いているわけで、んじゃ一体何なのでしょうか。

2019/09/29

『大阪醜女伝』司馬遼太郎短篇全集二

『大阪醜女伝』
瓶子は戦後、ミナミにあるうどん屋の出前持ちになった。「おばけ」と屋号と変えて、瓶子は看板娘になる。年を取るにつれて、若かった時の醜さが薄れ、マグロ漁師のような豪快さを備えはじめた。
ある日輝夫と再会する。輝夫は傾きつつある新聞社の記者をやっていたが、瓶子に仕事を馬鹿にされれる。その報復に輝夫は瓶子をからかいにお店にいったり。
瓶子はキタに店をかまえるために金を貯めていた。あるときキタにいい物件がでたため購入するために出かけるが、考えを変えて輝夫が務める新聞社を購入することにして社長の座を得る。
瓶子は輝夫を秘書にして取引先の挨拶回りに行く。そこで輝夫と関係をもつ。瓶子は、はじめて男と寝たがたいしたことがないつまらないことであることを悟り、輝夫との関係も冷めてしまう。そしてなおいっそう商売に精進するようになる。

瓶子は自分を男であると考えていた、と書いている。男は金を稼ぐ存在というふうに定義している。このあたりなんか、瓶子の哀しさや滑稽さがでてくる。
まだ日本は戦後の荒廃から抜けきれていない状況で、金を稼ぐことの泥臭さがよくでていると思う。
一連の大阪商人を扱っている司馬さんの短篇は、一貫してこの泥臭さが前面にでていて後年の文体である「冷たさ」とは違うものがあるが、しかし一貫して人間の数寄を描くのが好きだったんだなと思う。
それと輝夫が新聞記者であるというも、司馬さんはなにか含んでいるのかな。邪知すれば、元新聞記者ということもあり、新聞記者を商売を卑下している。大阪でたくましく生きる市井の人びとに人間の醍醐味があるかのよう。
このころはまだ司馬さんは有名ではないし、これから世に出ていこうという野心がぎらぎらとあった時代かと思う。
まさに、つまらない欲望にまみれず、一心に金儲けにいそしむことと自分を重ねていたのでしょうか。

2019/09/28

『ハルビン駅へ 日露中・交錯するロシア満洲の近代史』 ディビッド・ウルフ(半谷史郎訳) 講談社

ハルビンの設立から書かれている。ハルビンの名前の由来が酒の蒸留所だったとは。
そもそもシベリア鉄道をウラジオストクまで延ばすうえで、水運で便利な松花江沿いに資材の集積地として作られた街。
ハルビンは植民都市だけれど、ロシアはこの街に学校や病院、娯楽施設のインフラを作っていき、ロシア人が住める街にしただけでなく、中国人、ユダヤ人、ポーランド人らの移住者も大切な街の構成民として扱うべく、差別をなくそうとしていたらしい。
その他にも融和政策を行って、ハルビンはモスクワとは違いリベラルな風土が出来上がった。
そんなハルビンの経営の仕方や政策が、後にストイルピンの改革へとつながっているという。なるへそ。
んで、これらの政策は東清鉄道という鉄道会社がしていた。鉄道会社というのは、満鉄や南アフリカ鉄道なんかでもそうだけど、その土地のあらゆる分野に深く組み込んでいて、娯楽施設の建設、立法、行政、警察など国家と同じ様相を呈しているわけです。
ハルビンの植民地経営はなかなかよかったようです。モスクワのような専制政治ではなく、中央とあまりに遠いためにハルビンにはハルビンで好き勝手やれたようです。これはハルビンだけではないけど。イギリスもスペインもオランダも植民地経営では、あまりに植民地が遠すぎて、現地に統治は任さざるを得ないというのは共通の問題。
興味深いのは、日本人の入植者が多くなくて、ほとんどが売春婦だったということ。そして性病が蔓延するハルビンで、日本の娼妓は衛生面で優れていたので性病の流行を止められると期待されていたらしい。だけど高価だったから、ダメだったようで。
それと知らなかったけど、日露戦争における目標がハルビンだったとは。ということは日露戦争でハルビンを獲得できなかったことは、やはり日本にとってはこの戦争は勝ったとはなかなか言えない戦争だったようだ。
他にも、なるほどとおもったのは、19世紀末から20世紀初頭のロシアは、日露戦争の敗北やその後のロシア革命などがあったため、帝政の崩壊期のような見方をされるが、それは違くて、シベリア鉄道の敷設に代表されるように、東への進出を精力的に行っていて、各国の見方としては、まさに飛ぶ鳥だったという。
ニコライ二世自身、皇帝になること自体を嫌がっていたようで、さらに日露戦争もしたくなかったよう。
当時ロシアは列強各国を刺激しないように、そして清も無視しないで、非常に慎重にハルビンを開発していったようで、ロシアはハルビンを併合するのではなく、植民地経営を行っていた。それをいとも簡単に短絡的に領土にしてしまったのが関東軍という。

本書、めちゃくちゃ読みにくい。翻訳が悪いのではなくて、内容があまりに散漫すぎる。時系列での把握が難しいし、一つ一つの章で盛りだくさんな感じで、話題があっち行ったりこっち行ったりで、んーまとまりに欠けるような。
それと、あんまり政治的な発言はしたくはないけれど、一部の日本の言説で、日本は朝鮮に学校や鉄道、病院などを建設していった、ヨーロッパの植民地政策とは違う、とかいって自慢する人らがいるが、こういうやつらは一度植民地について、イギリス、オランダ、スペインなどの事例を学ぶといい。確かにアメリカ大陸での振舞いなどひどいものがあるが、それだけではないことがわかるはずだ。日本だけが特別高尚な精神をもって朝鮮を植民地経営していたわけではない。あー植民地ではなくて併合っていわないと怒られるのかな。
この『ハルビン駅へ』で書かれているが、ロシアはハルビンを建設したが併合しなかった。それは、清との関係もあったし、現地の住人との軋轢や列強の干渉(イギリスや日本)を生むかもしれないから慎重だった。
併合は植民地より良い、というものでもないのですよ。

2019/09/27

北方謙三版「水滸伝十 濁流の章」

水滸伝十 濁流の章
呼延灼がようやく活躍する。
代州で武松と李逵は韓滔と出会い、韓滔の村で畑仕事をしながら、しばらく暮らす。呼延灼は彭玘と韓滔と仲がよく、武松、李逵は呼延灼とも会う。
呼延灼は童貫から梁山泊を攻めて勝つことを命じられる。この闘いでは高俅率いる禁軍が同行する。さらに凌振の砲兵をつけることとなった。
呼延灼が考案した連環馬と凌振の砲で晁蓋は大敗を喫する。晁蓋は戦いのなかで、敵軍に囲まれ、武松、李逵、張青に救われる。
呼延灼は勝利後に高俅に北京大名府に帝の名代に戦勝報告をしにいくように命じられる。呼延灼が留守の間に高俅は梁山泊をさらに攻めて手柄をとろうとする。高俅は呼延灼の秘策だった連環馬を再度行うも、徐寧が連環馬を退ける対策を知っていた。晁蓋率いる梁山泊軍は、簡単に勝ってしまう。この戦いで呼延灼が鍛え育ててきた程順を失う。
梁山泊側は梁山泊設立前から登場し、陰ながら活躍していた饅頭屋を営んでいた朱貴が死んでしまう。
呼延灼は高俅の行動を聞き、急ぎ戦場に戻るが時すでに遅かった。
彭玘と韓滔は梁山泊に入山することにして、呼延灼にも入山を進める。迷いながらも、帝や宋という国家に愛想がつきていたこともあり、梁山泊にはいることにする。凌振は大砲が打てればどこでもいいといった感じ。
史進は部下を失い、穆弘は弟の穆春を失ったが、呼延灼を寛大にも受け入れていく。

ようやく折り返し地点まで読んだ。
武松、李逵、張青の反則的な強さは、まあ仕方がないかな。
呼延灼が梁山泊に加わるのはいいけど、けっこうあっさりと決意している感じがある。これは呼延灼だけでなく他の登場人物でもそうなんだけど、あっさりと宋を見限ってしまう。
いつもの愚痴になるけど、宋江は厳しい、という、とくに林冲に対しては、という。でも宋江の厳しさが伝わってこないんだよね。決断力もあるっていうけど、いったいなにを決断したのやら。
宋江という存在は、具体的な存在ではなくて、「替天行道」と同じで象徴にすぎない。宋江が宋を倒すうえで、どのようなプランを持っているのかなどもあいまい。兵十万説みたいなことも書いてあるけど、それだけ。
さて、宋軍の大物はあと関勝ぐらいか。
李袞がさっそく何もせず、あっさりと死んでしまう。まじか。死とはそんなもんなのだと北方さんがおっしゃているようだ。

2019/09/24

北方謙三版「水滸伝九 嵐翠の章」

水滸伝九 嵐翠の章

林冲は張藍が生きているというあやふやな話を聞き、祝家荘との決戦の前日に軍を抜け出す。が、それは青蓮寺の罠だった。途中で出会った索超と呂方に助けられるが、矢が肺にまで達しており、危ない状況だった。安全道と白勝の処置で助かるが、軍法会議で馬の糞を一年、掃除するという罰を受ける。
花栄は呉用に命じられて、梁山泊の南、開封府近くに塞を築くことになる。それは防御のためにも、宋を攻めるためにも必要なものだが、多くの兵を新しい塞に割くことにあり、人員の確保が急務となる。
秦明は、魯達と相談し楊令を王倫のもとに赴かせることを決断する。今生の別れにもなるかもしれず、公淑にとってもつらいものとなる。魯達は楊令をともない王倫のもとへ。そして楊令を預け、鮑旭と馬麟を梁山泊に入山されるために連れて帰る。
解珍は秦明の副官としてつくことになる。
とうとう盧俊義、柴進の塩の道が青蓮寺に崩されることになる。盧俊義と燕青は李袞のもとで匿われていた。李袞は農村の用心棒をやっていて、志がないわけではないが、曖昧な状況だったところ燕青に男になれと言われて梁山泊に入る決意をする。
楊戩の部隊三万が、花栄の新しい塞、流花塞にむかった。これを聞き晁蓋は、反対を押し切り自ら軍を率いることにする。宋江とは意見が合わなくなってきている。
しかし楊戩は陽動で、じつは双頭山が狙われていた。晁蓋はそれにはやく気づいたため、なんとかことなきをえる。
鄧飛と楊林は糞尿の汲み取りを高唐の城郭で行っていた。柴進と燕青を救うために。なんとか鄧飛は逃げ道を城壁につくるが、逃げている際に石組みが崩れて死んでしまう。鄧飛は、魯達を助けたときと同じように、柴進と燕青を助けるという不可能を可能にした、鄧飛は楊林に、この仕事がいかに自らの名を上げて、漢たちを助け漢として名が残るかを語った。

袁明には袁明の正義があり、梁山泊は梁山泊の正義がある。志と志の闘い。お互いの正義のぶつかり合い、利害のぶつかり合い、これこそ政治でしょう。政治の本質は理を通して事にあたることではなく、正義と利害の対立なのです。
この文庫版の解説は馳星周。この解説が、北方謙三の水滸伝の本質をついている。
「百八人全員が、志だの友だちだの生き様だの誇りだのを口にして滅んでいくのだ。……ひとり、ないし数人の男たちの物語ならまだ付き合える。北方健三の妄執に満ちた世界を斜に構えながら受け入れることはできる。しかし百八人だ。百八人の北方謙三もどきが、これでもか、これでもかと男の生き様、死に様を見せつける。百八人分のナルシシズムに翻弄されるのだ。」
破廉恥な自己陶酔、そしておそるべき自己中心主義、だと馳星周さんは書く。まさにそのとおりですよ。
さらに、この小説の弱さ、宋江について。馳星周さんは、「替天行道」の本文を書くべきだったといい、しかしこの内容もよくわからない「替天行道」を象徴であり、男の志なんて、北方謙三にとっての男の志は、しょせん象徴以外のなんでもない、という読みをする。そこに恐ろし北方謙三の妄執があるという。
そういえば、ボードリヤールの『象徴交換と死』を昔読んだ時、違和感があった。簡単に言えば、ボードリヤールは象徴という実態や有用性など価値がないものに人間は価値を見いだしていき、その代償に死を引き受けていく、という。労働というものが、基本的に悪として描かれた世界観で、なんだか悲しい気持ちになる内容だった。人間という概念をどう扱うかで答えが変わるのだけれど、ボードリヤールをはじめアーレントなんかも「人間」という概念を、非常に高尚な仮想的なものを想定していて、まあ哲学ですからいいけど、なんか微妙な感じだったわけです。
と、ここで馳星周さんの解説を読んで、そうだよね、人間、具体的な志なんかないし、それでも生きていかなければいけないし、そんななか踏ん張ってかっこよく生きるには象徴が必要なんだよね、と思った次第。

2019/09/18

Antonín Dvořák Symphonie No.9 "Aus Der Neueu Welt/ From the New World" Wiener Philharmoniker/Vienna Philharmonic Karl Böhm Deutsche Grammophon、2531 098/ドヴォルザーク 交響曲9番「新世界より」 カール・ベーム ウィーン・フィル



Antonín Dvořák
Symphonie No.9 "Aus Der Neueu Welt/ From the New World"
Wiener Philharmoniker/Vienna Philharmonic
Karl Böhm
Deutsche Grammophon、2531 098

カール・ベームのドヴォルザーク『新世界より』。この手のレコードは安くていいですね。有名な演奏のものは、再版を重ねているから、いっぱい出回っていて、初プレスでなきゃいやだとか、そんなマニアでなければ安く買うことができていいもんで。
演奏は『新世界より』がもつボヘミアンさははあまりない。ベームはボヘミアンではないので、この曲のもつ民謡的要素を求めると肩透かしかもしれない。
けど、後年のベームらしく静かで、訥々と音楽を奏でて、空間が満たされていくようですねえ。
これはこれでいいです。
ジャケットは、マンハッタン。雰囲気がでてていいですね。曲自体は別にアメリカンではないけど、なぜかこの「新世界より」は「ラプソディー・イン・ブルー」と並んで、アメリカを表象する音楽になっている。

2019/09/08

『ラストエンペラーと近代中国 (中国の歴史10)』 菊池秀明 講談社

中国にとっての近代は、日本の近代とは違い、ネガティヴなものだったという。なるほど。
本書、太平天国の発生から第二次国共合作までの約100年間を書いていて、情報量がすごくてカオスみたいになっている。カオスと言っても、ただ近代中国の情勢がカオスなだけで、よくもまあ著者はまとめたなあと思う。
そのため、本書をまとめようにもまとめられない。でも、とっても面白かったですよ。
ただし題名にあるラストエンペラーは、それほど登場しない。魯迅のほうがよく登場する。

太平天国の乱から始まる。この乱は中国にとっての近代の幕開けであって、後の洋務運動や人民公社などの思想に影響を及ぼしていく。
洪秀全は科挙に失敗しつづけて、ある日夢で妖魔に憑りつかれ、そして拝上帝教という中国の土着の文化がまざったキリスト教を創始する。南京を制して天京と改めて、北伐を開始する。内部分裂などによって、最終的に曽国藩によって崩壊させられてしまう。
この運動では、実際問題はおいておいて、儒教的な階級制度の廃止、男女平等、欧米の文化の摂取をうたっていたという。
太平天国が、近代中国に与えた影響というのが大きいという。僕はそんな認識をいっさい持っていなかった。そして、それまでの中国では北方からの異民族の風が歴史をつくってきたが、近代は南からの風の時代になったという。

当時の大陸は日本を含めた列強の戦場だったのがよくわかる。各国がお互いを牽制しながら、バランスを保っていたり、たまにそのバランスが壊れたり。
とにかく各国の思惑に振り回されていたのがよくわかる。

そして、中体西用というのが、明治維新のような日本の西洋受容のあり方とは違って、儒教の古典に西洋文明を見いだす、といった感じだったという。
これは、たしかどこかで同じようなことを読んだ記憶がある。論語の「友、遠方より来る」というのを西洋の機会平等かなにかとして読み直したとか。記憶があいまい。
本書では、郷挙里選、郷官制度、天朝田畝制度などをあげている。
それがいつもまにか儒教が中国社会の停滞の原因と認識されはじめられていく。
康有為や劉啓超ら清朝時代の知識人は立憲君主制を志向していて、孫文や蒋介石らは共和制を目指していた、というのもあーたしかにそうだよねと考える次第で。

国民党と共産党の争いというのは、結局どちらも独裁的な政権の樹立を目指していて、それは両方共にソ連の影響からだというのだから驚き。とくに国民党がソ連から影響を受けていたというのは知らなんだ。
ということは、仮に国民党が共産党に勝っていても、あんまり政治体制、制度は共産党とかわらなかったのかもしれない。

かなり、内容は入り乱れていて、誰かが失脚したり、復活したり、そして亡命したり、そしてまた復活したりなど、よくわからない状態で整理がつかない。事件もいっぱい起こっていて、とりあえず要約なんか許さない状況。歴史とはかくあるものだと思う。

2019/09/01

『世界史の中の日露戦争 (戦争の日本史)』 山田朗 吉川弘文館

世界史のなかで位置づけた場合、日露戦争はなんであったのか、ということなんだけど、本書は半分ぐらいが日露戦争のおさらいで、あと半分がタイトルにある世界史の中でとらえる日露戦争となっている。
この戦争が、世界史でみて普仏戦争以来の国同士の全面戦争だったということ。それは、列強各国にとって戦争の型を確認する上でも注目された。

情報網について
当時、すでに海底ケーブルが張りめぐらされていて、リアルタイムの報道や情報が列強各国にいきわたっていた。それは日露戦争がそれ以前の戦争とは違うかたちで情報戦が繰り広げられていた。
とくに日本はイギリスと同盟を結んだことによって、イギリスがもつ通信ケーブルで情報を発信したり、得たりすることができた。
当時、イギリスは全植民地とロンドンに海底ケーブルを敷設を完成させていて、アメリカも1903年にはマニラまで太平洋横断海底ケーブルを敷設していた。そしてマニラー香港間はイギリス線を経由する。そして日本からは、九州ー台湾ー福州ー香港の経由で情報が伝達が可能となっていた。日本の場合は1871年にはデンマーク系の電信会社によって長崎ー上海、長崎ーウラジオストク間の電信は完成されていたが、ロシア資本が入っていたため使えなかったようだ。
すげー話だな。20世紀初頭にはすでに海底ケーブルが世界を駆け巡っていたとは。たぶん銅線なのだろうけど、恐ろしいほどの量の銅が必要だったはずで、それを生産するだけの工業力をすでに欧米ではもっていたということだ。銅の生産量だとかの統計ってあるのかしら。
日本はイギリスと協力することで、通信ケーブルによる情報戦をすることができた。偽情報や最新の情報などを得る。

日英同盟について
日露戦争はイギリスの外交政策の枠組みの中で行われた戦争であった。そして、イギリスの協力なくして日本はロシアとの戦争を起こさなかったし、勝利もなかった。
ボーア戦争によるイギリスの疲弊で、極東へ力を割くことができないため、ロシアへの牽制として日英同盟を結ぶ。結果、日露戦争へ。
外債をイギリス、アメリカで販売することで戦費を賄っていた。当初は人気がなかったが、地上戦での勝利で完売した。これも情報がリアルタイムで世界へ発信されたことが大きい。ロシアの反ユダヤ政策への反発もあったとか。
この構造は第一次世界大戦へとつながっていく。

国際関係について
開戦の際は、英・露仏・独墺の図式だったのが、戦争末期には英の露への接近、仏と英の和解があり、英仏露・独墺という図式になっていく。開戦前と戦争末期では世界情勢が急激に変わっていた。というよりもイギリスが情勢を変えていった。
一つにはロシアが完全に敗北することを恐れたこと。バルチック艦隊が完敗してロシア海軍が崩壊したにせよ、いまだ陸軍は健在だった。イギリスにとってはロシア海軍は邪魔だったが、ロシア陸軍はフランスやドイツなどを牽制する際に役に立つと判断。フランスを中心としたロシア支援の体制を崩していった。
また、イギリスもアメリカも日本が南進することや、朝鮮よりさらに北進していくことに警戒していた。アメリカが講和の仲介をしたのも、満州での鉄道権益獲得へ乗りだしたいということもあった。
イギリスもロシアと接近したことで、結果アメリカと日本の対立構造がうまれてくることになる。

欧米の戦力に与えた影響
日露戦争はその後の陸戦と海戦に与えた影響も大きく、自動機関銃の防御における威力、大砲の集中使用、有刺鉄条網の効果などが確認された。
海戦では、一万トン以上の重装甲主力艦を砲撃だけで沈没させることができ、主砲の大きさ、数、速力で主力艦の攻撃力は決まる、そして単縦陣、同航が基本形となる。
それは超弩級戦艦の建造ラッシュをうながし、ワシントン海軍軍縮会議へといたる。
陸戦では、重機関銃、重砲を重視するようになり、榴散弾から榴弾へと移行していく。砲兵の時代へとむかう。ただし、第一次世界大戦初期まで戦車や飛行機の開発が発展途上であったので、敵陣の占領や突破は白兵戦だった。そのため膨大な戦死者がでてしまう。

日本陸軍、海軍の学び
日本陸軍の「日本式兵学(戦法)」が、戦後の方針として固まってしまった
「負けた」ことで英雄になった乃木希典、「勝った」ことで英雄になった東郷平八郎。この二人は、予期せずして戦後の陸海軍の思想を非常に陳腐なものにしていく。
白兵戦を重視し、砲兵の軽視するようになる。ロシア陸軍に勝ったには勝ったが、全体的な弾薬や兵の不足などから決定的な勝利を上げられなかった。さらに奉天会戦後、日本の陸軍は継戦能力はなく、一方ロシアはシベリア鉄道と東清鉄道でハルビンに戦力を結集させるだけの能力があった。
にもかかわらず、戦後、それを忘れてしまう。
さらに砲弾によるロシアの負傷者は全体的にみて少なかったこともあり、日本陸軍は白兵主義をとるようになる。そして日露戦争では機関銃を使わなかったという神話まで生まれてしまう。
日本海軍では、日本海海戦での完勝によって、教訓を学ぼうとしなかった。バルチック艦隊に勝てた要因として、まずイギリスの協力もあって、遅く到着したことにあり、旅順陥落前ではなかったこと。
にもかかわらず、海軍は戦術至上主義に陥る。日本海海戦のような一回の海上決戦による粉砕を重きにおくようになる。軍事戦略はそれほど重要視されなくなってしまう。

読後
日露戦争のおさらいもできてよかった。
やはり日露戦争ごろまでの日本政府は、世界情勢がわかっていたのか、偶然なのか、機をみて動いていたのがわかる。
日露戦争は、イギリスの代理戦争のようなもので、しかもイギリスの采配で戦争にも勝てたが、イギリスは敵であるロシアに接近し始めたりと、なかなか老獪な国でみごとだ。
ウィッテの講和交渉も見事だったんだろう。日本の継戦能力がすでにないこともわかっていて交渉にのぞんでいる。
日露戦争を知ると、第二次世界大戦の日本がいかに愚かであったかがわかってしまう。戦争が政治の手段ではなく、戦争そのものが目的になってしまった。
日露戦争の勝利が、日本を愚かにしていった。思うのは、日露戦争に負けても地獄、勝っても地獄だったということ。