2019/09/01

『世界史の中の日露戦争 (戦争の日本史)』 山田朗 吉川弘文館

世界史のなかで位置づけた場合、日露戦争はなんであったのか、ということなんだけど、本書は半分ぐらいが日露戦争のおさらいで、あと半分がタイトルにある世界史の中でとらえる日露戦争となっている。
この戦争が、世界史でみて普仏戦争以来の国同士の全面戦争だったということ。それは、列強各国にとって戦争の型を確認する上でも注目された。

情報網について
当時、すでに海底ケーブルが張りめぐらされていて、リアルタイムの報道や情報が列強各国にいきわたっていた。それは日露戦争がそれ以前の戦争とは違うかたちで情報戦が繰り広げられていた。
とくに日本はイギリスと同盟を結んだことによって、イギリスがもつ通信ケーブルで情報を発信したり、得たりすることができた。
当時、イギリスは全植民地とロンドンに海底ケーブルを敷設を完成させていて、アメリカも1903年にはマニラまで太平洋横断海底ケーブルを敷設していた。そしてマニラー香港間はイギリス線を経由する。そして日本からは、九州ー台湾ー福州ー香港の経由で情報が伝達が可能となっていた。日本の場合は1871年にはデンマーク系の電信会社によって長崎ー上海、長崎ーウラジオストク間の電信は完成されていたが、ロシア資本が入っていたため使えなかったようだ。
すげー話だな。20世紀初頭にはすでに海底ケーブルが世界を駆け巡っていたとは。たぶん銅線なのだろうけど、恐ろしいほどの量の銅が必要だったはずで、それを生産するだけの工業力をすでに欧米ではもっていたということだ。銅の生産量だとかの統計ってあるのかしら。
日本はイギリスと協力することで、通信ケーブルによる情報戦をすることができた。偽情報や最新の情報などを得る。

日英同盟について
日露戦争はイギリスの外交政策の枠組みの中で行われた戦争であった。そして、イギリスの協力なくして日本はロシアとの戦争を起こさなかったし、勝利もなかった。
ボーア戦争によるイギリスの疲弊で、極東へ力を割くことができないため、ロシアへの牽制として日英同盟を結ぶ。結果、日露戦争へ。
外債をイギリス、アメリカで販売することで戦費を賄っていた。当初は人気がなかったが、地上戦での勝利で完売した。これも情報がリアルタイムで世界へ発信されたことが大きい。ロシアの反ユダヤ政策への反発もあったとか。
この構造は第一次世界大戦へとつながっていく。

国際関係について
開戦の際は、英・露仏・独墺の図式だったのが、戦争末期には英の露への接近、仏と英の和解があり、英仏露・独墺という図式になっていく。開戦前と戦争末期では世界情勢が急激に変わっていた。というよりもイギリスが情勢を変えていった。
一つにはロシアが完全に敗北することを恐れたこと。バルチック艦隊が完敗してロシア海軍が崩壊したにせよ、いまだ陸軍は健在だった。イギリスにとってはロシア海軍は邪魔だったが、ロシア陸軍はフランスやドイツなどを牽制する際に役に立つと判断。フランスを中心としたロシア支援の体制を崩していった。
また、イギリスもアメリカも日本が南進することや、朝鮮よりさらに北進していくことに警戒していた。アメリカが講和の仲介をしたのも、満州での鉄道権益獲得へ乗りだしたいということもあった。
イギリスもロシアと接近したことで、結果アメリカと日本の対立構造がうまれてくることになる。

欧米の戦力に与えた影響
日露戦争はその後の陸戦と海戦に与えた影響も大きく、自動機関銃の防御における威力、大砲の集中使用、有刺鉄条網の効果などが確認された。
海戦では、一万トン以上の重装甲主力艦を砲撃だけで沈没させることができ、主砲の大きさ、数、速力で主力艦の攻撃力は決まる、そして単縦陣、同航が基本形となる。
それは超弩級戦艦の建造ラッシュをうながし、ワシントン海軍軍縮会議へといたる。
陸戦では、重機関銃、重砲を重視するようになり、榴散弾から榴弾へと移行していく。砲兵の時代へとむかう。ただし、第一次世界大戦初期まで戦車や飛行機の開発が発展途上であったので、敵陣の占領や突破は白兵戦だった。そのため膨大な戦死者がでてしまう。

日本陸軍、海軍の学び
日本陸軍の「日本式兵学(戦法)」が、戦後の方針として固まってしまった
「負けた」ことで英雄になった乃木希典、「勝った」ことで英雄になった東郷平八郎。この二人は、予期せずして戦後の陸海軍の思想を非常に陳腐なものにしていく。
白兵戦を重視し、砲兵の軽視するようになる。ロシア陸軍に勝ったには勝ったが、全体的な弾薬や兵の不足などから決定的な勝利を上げられなかった。さらに奉天会戦後、日本の陸軍は継戦能力はなく、一方ロシアはシベリア鉄道と東清鉄道でハルビンに戦力を結集させるだけの能力があった。
にもかかわらず、戦後、それを忘れてしまう。
さらに砲弾によるロシアの負傷者は全体的にみて少なかったこともあり、日本陸軍は白兵主義をとるようになる。そして日露戦争では機関銃を使わなかったという神話まで生まれてしまう。
日本海軍では、日本海海戦での完勝によって、教訓を学ぼうとしなかった。バルチック艦隊に勝てた要因として、まずイギリスの協力もあって、遅く到着したことにあり、旅順陥落前ではなかったこと。
にもかかわらず、海軍は戦術至上主義に陥る。日本海海戦のような一回の海上決戦による粉砕を重きにおくようになる。軍事戦略はそれほど重要視されなくなってしまう。

読後
日露戦争のおさらいもできてよかった。
やはり日露戦争ごろまでの日本政府は、世界情勢がわかっていたのか、偶然なのか、機をみて動いていたのがわかる。
日露戦争は、イギリスの代理戦争のようなもので、しかもイギリスの采配で戦争にも勝てたが、イギリスは敵であるロシアに接近し始めたりと、なかなか老獪な国でみごとだ。
ウィッテの講和交渉も見事だったんだろう。日本の継戦能力がすでにないこともわかっていて交渉にのぞんでいる。
日露戦争を知ると、第二次世界大戦の日本がいかに愚かであったかがわかってしまう。戦争が政治の手段ではなく、戦争そのものが目的になってしまった。
日露戦争の勝利が、日本を愚かにしていった。思うのは、日露戦争に負けても地獄、勝っても地獄だったということ。

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