2019/11/27

「大坂侍」司馬遼太郎短篇全集二

又七は幼少のころ江戸にいたため、江戸の言葉を話すが大坂の十石三人扶持川同心でしかない。父が病の床にあり、政に旦那(徳川家)に恩を返すために上野に行って彰義隊に入れと言われる。
ここの父の寝床の描写がまたよくて、父弥兵衛の頭上に白刃が垂れさがっていて、それは天井から抜き身を垂らして、何かの表紙で意図でも切れれば刀が身体に刺さって死ぬという寸法になっている。弥兵衛にとってこれは精神修養の法なのだというが、司馬さんは、「五十年つづけて、まだ死んでいないのは、弥兵衛が布団を着ているからだろう」と揶揄する。生死一如の禅境をひらくために、とはいいながら保険をかけているころのおかしさよ。

又七の従兄弟の数馬は、優男で侍らしくない。衣絵とは許嫁の間柄だが、弥兵衛はどこか馬鹿にする。ふと数馬に話しかえる。
「へえ、何だす」
「それ見い。町人とのけじめもつかぬ大坂口跡の侍じゃ」
といい、鳥居強右衛門の子孫であることを誇りにしいた。
「しかし、数馬も私も、同じ十石三人扶持ですよ」
「法楽をいえ。侍は、石高ではない。体の中に流れている血じゃ。まさか、そちは、この大坂の町人風儀に毒されているのではあるまいな」
というやりとり、ユーモアがありますね。

政は、近所の口利きなどをして、便利屋のようなことをして生活をしていた。
そして堀江の分限者大和屋源右衛門の一人娘お勢の又七との縁談をまとめるように動くが、うまくいかない。
「そやから江戸っ子は阿呆やといわれるんや。大阪ではな、又はん。人間は、着物ぬいで、垢洗うた目方で量るんや。」
お勢が遊人に絡まれているの助けたのを機にお勢と知り合った。
そのとき又七の剣の師匠である玄軒先生が仲裁に入るが、玄軒は金で免許皆伝を買っただけあって弱い。幼少の又七に負けて道場を閉めたりもした。
そこに割って入った又七は遊人たちを殴り伏せる。
お勢は見惚れて、父親に又七と一緒になりたいと告げる。

そんなこんなで又七も自分が武士であるという自覚をなんとなくもちはじめ、父の死を機に彰義隊に参加する。
上野でぼ彰義隊の戦いは惨めなもので、あっなく負け、又七は逃げる。廻船問屋の江戸支店に飛び込む。
「ああ、阿呆さんが帰ってきはった」
と言われ、粥をもらう。大坂の商人は官軍に金をどっさり貸していて、又七は大阪から江戸に来たにもかかわらず、大坂の商人にやられたことを知る。
番頭が、お勢いることを告げる。そしてすぐに船がでるから大坂に一緒に帰って、婚礼の支度をするようにだされる。
「なんだかよくわからないが、西遊記の孫悟空が、自分で天地にあばれまわったつもりでも結局はお釈迦様の掌の上で走っていたにすぎなかったように、武士だ武士だと言っても、結局は大坂のあきんどたちの掌の中で走りまわってきたような気が、ふとせぬでもなかった。」

テンポのいい会話、皮肉と諧謔のきいた文章がすばらしい。そして落ちも申し分ない。
この短篇は、人生の哀惜だとかではなくて、数寄を描いている。
人生、よくわかならい。ほんの数年前ですら、今の自分を想像なんてできない状況ですし。
読後、さっと吹きぬける風を感じる、すがすがしさがある。
彰義隊だとか西郷だとか、これほどの野暮はない。文章それ自体で、そう言っていてる。

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