2022/11/06

自由主義社会について

 三浦瑠麗の統一教会問題についての発言。競馬ですったようなもの、というが結構反響があるようで。
いちおう現時点での僕の考えを忘れないあいだに書いておこう。
三浦さんはやはり自由主義者であると見直した。統一教会に被害にあったからといって、国家がその賠償をするのは筋違い。
僕が思うに、カルトの被害というのも千差万別。カルトにはまってもそれで救われたならそれでいいじゃんと思う。多額の献金で被害にあったと家族は言うだろうが、極論いえば愛が足らないのだ。所詮は金なのだから、家族の誰かが多額の献金をしてしまっても、それで悩みが解消されるならいいではないか。
テレビで妻が統一教会に入信し、離婚した被害者面した奴が登場するが、こいつも愛がたらない。世間体とか気にしているからダメなんだ。妻が、家族が悩み、統一教会に入信したなら、寄り添ってやればいい。なんなら一緒に入信してあげたっていい。世間体をきにするから、妻を、家族を脱退させようと、マインドコントロールを解こうといった行動を起こす。
共に苦悩してあげられないで、何が家族がバラバラにさせられただ。一緒に入信してやれよと思う。
そして、入信して、多額の献金をして、そして心が救われたのち、過去を振り返って、あの多額の献金を取り戻したいと考える人もいるだろう。
国家はそれも賠償するのか。
あのとき、自分の選択は間違っていた、といってもそれは自らの選択だ。認知科学や哲学の話で、自由意志なんてないという立場もあるが、それをいうと責任がなくなってしまうから、とりあえずは自由主義社会では自己責任は絶対存在しなければならない。
カルト問題で重要なのは、それが反社会的な活動であるかどうかだ。統一教会が反社会的勢力かは疑問だ。多額の献金を要求する、これ自体は別に反社会的とは言えない。財産全てを寄付しても、それは個人の問題でしかない。もし統一教会がテロやを企てていたり、巨大な麻薬カルテルを形成していたりしたら問題だけど。
この国は、何か問題があればすぐに政府の責任のようにいうが、それはよくないことだ。
コロナでも、コロナの流行が政府の責任というようにいう輩がいるが、そんなの政府の責任でもなんでもない。単なる自然現象だろう。
政府、行政ができることは限られれている。そして、限定的な権力であることが望ましいというのが自由主義社会の思想だろう。にもかかわらず、自由主義を投げす捨てて、政府の責任を大声で叫ぶ奴らは、自由主義をなんと心得ているのか。

2022/11/04

『なりすまし――正気と狂気を揺るがす、精神病院潜入実験』 スザンナ・キャラハン/宮﨑真紀約 亜紀書房

とりあえず精神病患者の扱われ方が、かつて酷かった。少しづつであるが、それも改善されてきた。日進月歩といった感じ。精神病に対する考え方も変わってきたり。
フロイトやレイン、フーコーといった狂気を扱ってきた者たたちにより、社会逸脱者の定義があいまいになり、狂気と正気の境界線がなくなっていく。これは逆説的でもある。フーコーらは狂気の定義が時代で異なることを示している。フロイトも狂気を非常に大きな域で考えているっぽい。そのためある意味あらゆる人間が狂気をもっている、精神病者であるといえ、だからみんなあんまり精神病を蔑むなという主張になるのだが、この無定義が精神病や精神疾患を無尽蔵に産出していくことにもなっている。
精神医学の歴史で、フロイトのような精神分析が席巻した時代があり、しかしそれはあまりにも恣意的、だからもっと解剖学的、生理学的な原因を求めていく。そりゃそうだろう。
しかし、知らなかった、このローゼンハン実験の影響で精神分析傾向の強いDSM-IIの改訂になった。それを主導したのがロバート・スピッツァー。ローゼンハン実験が広く認知されることで、精神医学の診断基準というものを統一行かざるを得ない状況なってきたという。診断基準が出来上がった。同じ患者を違う医師が診ても同じ診断をくだせるように標準化した。これがアメリカでできたというのも興味深い。DSM-IIIのような統計的手法でもって標準化されるというのはアメリカ的であってヨーロッパ的でないのかもしれない。
DSM-5への批判。正常な人に精神障害ありと診断かも。自閉症、ADD、双極性障害など。そして精神障害の診断を受けたものは、無用な薬の常習者になっていく。こう批判したのDSM-IVの責任者アレン・フランセスというのもいい。ADHDの診断数も年々増えていったそうだし。
SCIDというDSMのための選択式臨床面接を著者が受けるところがなんとも。(283)。結局、この面接によって診断された統合失調感情障害、もしくは東郷失調様障害という診断は間違っている。精神医学が混乱しているのはたしかなようだ。事実、薬がきかない症例はけっこうあるという。であれば、そのような症状は著者と同じ神経系の病気だったのかも。
ローゼンハン実験のデータは正確なものではなかった。というか捏造されたものであった。残念なのが、結局著者はローゼンハン実験の全貌を解明にいたることができなかったこと。というか捏造されているのだから、無理もないか。
そういえば最近内向的な人をHSP(Highly sensitive person)とかいうカテゴリーが爆誕していた。なんでもありだなと思った次第。

2022/11/03

『動物たちのナビゲーションの謎を解く――なぜ迷わずに道を見つけられるのか』 デイビッド・バリー/熊谷玲美訳

はじめの方で、関東圏のJR路線図と粘菌がつくるネットワークが似ているという研究が紹介されている。イグ・ノーベル賞をとったやつ。
と、とりあえず、おもしろかった。まずアリの話が紹介されていたのだけど、そもそも僕はアリが巣に帰る際に使っているのは、お尻から分泌される匂いを辿ってだとばかり思っていたら、どうも蟻たちはランドマークやらをみながら巣に帰っているということで、つまり目が見えているのだ。そんな、ぼくは昆虫の生態については全くの無知なのだけど、たしか小学生の頃に読んだウイルソンの研究とかで、蟻は目が見えないとか書いてあったような、、、それを信じて30年以上生きてしまったようだ。
光子一個のレベルを検知する光需要細胞をもつコハナバチ。真っ暗なジャングルでも迷わない。
偏光とe-ベクトル。これなんか、驚きでもあるが、さもありなんといったかんじ。でもたしかに人間の見る世界というのは、あくまで人間の眼の構造によるもので、眼の構造が違えば、見え方も違うのは当たり前だわな。これは太陽コンパスとか太陽が見えないときでも活用できる能力だ。
鳥たちは、星の運行をみながら空を飛んでいるようだ。北極星だけでははなく、もしかしたら天の川なんかも使いながら飛んでいたりする。とすると光害は鳥たちに深刻なものになるのかもしれない。とくにフンコロガシ。天の川をみながら糞を転がす、しかも球体にしながら。感動的。
ラジカル対を鍵とする光化学磁気コンパス仮説。クリプトクロムは多くの植物m動物がもつ分子で体内時計や成長を制御しているらしい。このクリプトクロムが光によって刺激されると、内部で電子の「ラジカル(遊離基)対」が生成される。そして、このクリプトクロムが地球磁場に対してどの向きになるかでラジカル対の挙動が異なる。その結果原子より小さいスケールで「シグナル伝達カスケード」という現象が起きる。これが神経シグナルの発火を誘発する。こうして動物が磁場を認識する。このクリプトクロムは非常に少ない光でも働くと。そしてこのラジカル対の解明は量子コンピューターの開発に重要かもしれないとなんとか。
「一個の電子のスピンから自由に飛ぶ鳥まで、あらゆるレベルのことを理解する必要があります。」(316)
んー、素粒子物理学がこんなところでも。
なかなかユーモアがある内容でもあった。蜂の尻ふりダンスを提案した研究にたいして、アメリカ人研究者は難解な統計学で批判したとか、んで最近の研究では昆虫の足の数は6本ではなくて、5.9本±0.2本とかなんとかいう統計学的な答えが正しいとされているとか、なかなかユーモアがあっていい。
インフラサウンド、磁気感覚、波を読むウミガメ。いろいろ興味深い。

2022/11/02

『スピノザ――人間の自由の哲学』 吉田量彦 講談社現代新書

ウリエル・ダコスタはユダヤ教から破門される。破門後、孤独に堪えられずに破門撤回を要求する、その際に撤回の儀式があり、公開で半裸で鞭打ちされるという。この屈辱に堪えられずピストル自殺をする。ダコスタはスピノザよりも一世代上とのことだが、実際に身近な人物として良く知っていたはず。ヒルセンベルグという画家が想像で幼いスピノザを膝で抱えているダコスタの油彩画が、本書に掲載されている(59)。なかなかいい。

清水禮子『破門の哲学』で取り上げられている回想録『レンブラントの障害と時代』がなんと後世の作品でるとのこと。なんということ。原文が存在していないという。この回想録ではファン・ローンがスピノザのキズの診察をした際に破門が心にキズを負ったような箇所がある。

スピノザのレンズ磨きについても書いてある。スピノザはどうやって生計をたてていたのか。疑問だが、当時レンズ市場がどれくらい盛り上がっていたのかはまだ確定したことはないようだが、これが解明されるとスピノザの¥がレンズ磨きで得ていた収入のおおよそもわかるのではないかと。

「人間は自分の意志で存在し始めたわけでもないし、自分の意志で存在し続けていられるわけでもありません。嫌でも生れてきて、意のままにならないことだらけのこの世を不承不承に生きていき、そのうち嫌でも死んでいく。これが人間の基本のあり方です。つまり人間の生もも、生の中での人間のさまざまな活動も、人間以外の何かによっていつもすでに条件づけられています。あきれるほどの宏運に恵まれて続けるか、あきれるほど無自覚に靭性を送らない限り、これを著看的に偽呈するのはむすかしいでしょう。そういう条件、つまり人間を含めた万物がいる¥つもすでにそれにしたがって存在し狩る銅している原理のことを、西洋哲学の伝統的用語では「神」と呼びます。……この神からの出発という発送が、『知性改善論』ではかなり薄いままにとまっているようでに思われます。つまり『神・人間及び人間に関する短論文』という名称からも明らかなように、まず人間の存在・活動条件としての「神」の問題をふまえてから「人間」の問題に移り、採取的に「人間の幸福の問題を論じるというという全体の構からすれば、むしろ『短論文」の方が『エチカ』にストレートにつながるのです。」(113-114)

「議会派の支持基盤は、比較的大規模な取引に従事する商人たちでした。彼らは独立戦争の記憶もまだ新しかったこの時代、宗教対立で商売が立ち行かなくなることの恐ろしさを誰よりも通関していたはずです。……結果的に議会派の勢力が総督派をどうにかこうにか抑え込んでいた時代のオランダは、同時代の西欧諸国と比べて、少なくとも表面上は宗教問題に寛容な国となったわけです。スピノザが『神学・政治論』を世に問うたのも、まさにそうした議会派の時代でした。」(138)

そして吉田さんが私的することで重要なのは、総督派は改革派教会主流派と協力関係にあり、そもそも総督派は「主流派」であることだ。そして改革派教会主流派は「公教会」と称されているとおり特権的な宗派でもあった。こうなると議会派も総督派も関係なく「公教会」を正面から批判なんかできなかったと。

『神学・政治論』について、預言者は「並外れた活発な想像力」をもつ人物であると、直接的にではないが、書いていること。「しるし」が必要だが、それは「証拠」ではなくてもいい、預言者本人が神から言葉を授かっているという気持ちが重要と述べていること。この思い込みが確実性であると。ではどうしてこのような人物たちが預言者として信頼を集めたのか。それは彼らが折り目正しい生活を送っていたから。論理構成だとか証拠だとかではないということ。

「決まりには、(a)自然にそう決まっている決まりと、(b)ひとがそう決めた決まりがあります。aは今日の私たちが言うところの自然法則ですから、変わりません……bはaによって決まっている人間の活動範囲の枠内で、さらにその可能性の範囲を絞ろうとするものです。たとえば「赤信号で道路を渡ってはいけません」という決まりは、本来いつでもどこでも道路を渡る能力をもっているはずの人間に、この能力を信号が青の時に限って横断歩道上で行使するよう求めています。逆にaの枠を踏み越えてしまうことを命じるようなbは、いくら作っても有効に機能しないはずだとスピノザは考えています」(179)

そして旧約聖書の律法はbであり、これは特殊な、古代イスラエル人をまとめあげるために決まりであり、神の権威によって、神の法として、国に法とし位置づけられた。しかしこれはすでに失効しているとスピノザは考える。だからそれを後生大事に守り、読み続ける必要はないとなる。つまり聖書は真理を語る書物ではないという結論になる。

「折り目正しい」生活態度、これをスピノザは「ピエタスpietas」というラテン語で読んいる。「敬虔」と訳されることが多いようだが、ある宗教、宗派を信じているかではなく、何を道徳的な命令として実践しているかに左右されるという。宗教性を帯びている「敬虔」では捉えられない射程がある。『神学・政治論』の結論として、神学は道徳的教化であり、哲学は真理の合理的探究であり、ゆえに神学側が哲学を「不敬虔」となじったり、逆に哲学が神学を「不合理」と非難することは、越権行為であるとなる。

ホッブズの社会契約説とスピノザの社会契約説。ホッブズは自然状態にある人が自然にもっている権利を自然権とし、それは声明を維持するためにもっとも適当な手段であると考えられるあらゆることを行う自由」、つまり「何をしてもいい自由」。自然状態には社会はない。しかしそれではまずい。万人が万人に対する闘争状態では安心して生きていけない。だからこの自然権を放棄するのではなく、誰かに譲渡する。誰に。強大な権力機関に。それは万人が譲渡しなければならない。これは法の支配、つまり誰かが決めた規則を受け入れることを意味する。しかしこの論は規範を規範として成り立たせるような条件についての考察を欠いてしまうことにもなる。権力者が決めたという理由だけで、無条件で正当化されていく危険がある。法をつくるのは真理ではなく権威であると。とはいいつつもホッブズの議論では、国は人に死ねという規範を組み込むことは否定される。というのも自然権に反するから。

スピノザの自然権は、「自然の権利や決まりとは、わたしの理解では、個物それぞれに備わった自然の規則に他ならない。あらゆる個物は、こうした規則にしたがって特定の氏からで存在し活動するよう、自然と決められているである。」(205)

スピノザにとって自然権を自然状態から考えていない。つまり自然権を規範命題として扱っていない。生きるためにあらゆることをしてもいいということを言っているのではない。個物そのものに自然に備わった力からみて何ができるのか、という事実命題である。大きい魚が小さい魚を食べるのはこの自然権による。つまりスピノザの自然権はすべてあらゆる個物がもっている。これはた「食べてよい」という規範を述べているのではない。魚にそれ以外の生き方を強制することはできないということを述べている。

この自然権を踏まえない社会規範はいくら立てても向こうであえい、もしそうした規範を無理矢理立てる人がいたら、その人は「無茶苦茶なあほ」であるというのがスピノザの政治哲学の核心となる。(207)
人間の自然権には可塑性がある。無茶な規範にも対応できてしまう。しかしその可塑性がるにもかかわらず、どうしようもなく残る、いくら強制されてもそう簡単に手放したり譲ったり出来ない部分、それは「哲学する自由」となる。哲学しないで生きることは、魚にとっては陸上で暮らすのと同じくらい不可能であると。(208)

スピノザはホッブズとは異なり、自然状態を想定しない。ホッブズは自然状態が自然権より先行しているが、スピノザは自然権が自然状態に先行している。この順序の逆転は、「スピノザの政治哲学に、社会契約説としては致命的と言えるような帰結をもたらします。自然状態を経由せずに規定されたスピノザの自然権は自然状態の解消としての社会契約に、本質的左右されないくなるからです。つまりひとびとは自然状態を解消しようとしまいと、契約を結んで社会的関係に入ろうと入るまいと、ひとびとの自然権は当人の手元に本質的に変わることなく残り続けることになります。」(208)

スピノザにとっては契約は利益をもたらすものでなかれば無効であるとしている。社会契約が結ばれるのでも利益がなかればダメで、たんに服従しろでは、それがいい悪い以前にそういう社会契約は淘汰されるという。このあたりちょっと弱い論理構成。

「社会の支配機構としての国家は「むしろ反対に、ひとびとの心と体がそのさまざまな機能を確実に発揮して、彼らが自由な理性を行使できるようになるために、そして憎しみや怒り騙しあいのために争ったり、敵意をつのせあったりしないためにある:とスピノザは主張し、そしてここから「だとすると、国というものは、実は自由のためにあるのである」という有名な結論を導き出します」(219)

「神と世界が「実体とその様態」の関係にある」とは。
実体substantiaをスピノザは「自分自身の内にあって、自分自身を通して考えられるもの」と定義している。猫は黒だろうが白だろうが、歩いていようが、走っていようが、猫は猫。これが実体。様態とはラテン語でモドゥス、尺度の意味。そこからが生してあり方や状態、性質を意味するようになる。服装などのモードも同じ「あり方」程の意味。とは言いつつ。実体というのは先ほどの定義からするように存在を外部に依存しないものである。それは神以外にはどのような実体もない」というスピノザの定義もある。
では猫はなにか。これは様態になる。「それは実体としての何かが猫っぽいあり方をとった状態にほかならず、わたしたちはそういう状態を指して猫と呼んでいることになります」(260)。「猫は神という自体いの様態、もっとは切り言えば、猫モードの神なのです」(260)

「スピノザの神と個物の感銘は、この画家と絵の関係に似ています。画家が絵を描かないわけにはいかないとように、神は個物を存在させないわけにはいきません。それは神が「その本質に存在が含まれている」もの、分かりやすく言いかえれば存在の力を本質としていて、この存在の力は個物を存在させる力として表現されるからでう。しかも神はそもそも外部をもたないので、画家における交通事故やの嘘中のyぽうな、表現の妨げになりうるような外的原因を一切もちません。存在の力としての神は、その力のいわば情維持発動的な表現としての様態を、つまり@「個物モードの神」を生み出さないわけにはいかないのです。表現として個物を生み出さない神はありえず、神なしにその表現としての個物もありえない以上、スピノザの神と個物は、表現を介して事実上、表裏一体の関係にあると言えます。それはどちらのイニシアチブをとることもない、同時発生的で同根的な関係です。だとすると、スピノザにとって世界の存在は「余計なもの」どころではなくなります。世界の中のあらゆる個物的存在者は、ひいてはその総体としての世界は、たしかに「その本質に存在がふくまれている」ものではなりません。にもかかわらず、それらは他のだれかの善意や気まぐれのおかげでたまたま存在してるのではなく、「個物モードの神」としての自分自身の力によって必然的に存在しているのです。」(265)

自由意志のないものも、自由でありうつか。もしありうるとしたら、その「自由」とはどのような意味の自由なのか」
自由意志ではない何かによって行動した。ゆえに責任はない。これは無理がある。責任を問題にするなら、その行為を駆りたてた理由(動機)が合理的に解明されなければならない。動機が不明瞭でなんとなくの行為した人に責任能力を帰するのは困難。しかし『異邦人』の太陽のせいと主張しても、本当の動機が合理的に推定できると見なされれば有罪になる。

「『エチカ』を読み進んでいくとわかるように、スピノザにとっての悪とは、非難や球団の対象ではなく原因究明の対象です。たとえばどんなに原正く、迷惑きわまりないものであっても、悪は必ず原因から生じます。原因から生じるとは、言い直せば、邪悪なだれかの気まぐれ(自由意志!)からたまたま生じるわけではないということです。したがって特定の人に悪の「責任」を押しつけ、彼をまるで外宇宙から突然現れた病原体のように血祭りにあげたとしても、悪に有効に対処したことになりません。原因を救命士、これを人間社会の仕組みから構造的に除かないかぎり、同じ原因がそろえば同じ結果、同じ悪が何度でも生じるからです。だからこそスピノザは人間の尾所内をあまりにも短絡的に「嘆いたり、あざ笑ったり、蔑んだり、一番ありがちなところでは罵ったり」する世間の風潮に警鐘を鳴らし、むしろ「人間たちのしでかすさまざまな過ちや無益な行いを……幾何学的な仕方で取扱い始めることを、つまり「人間のさまざまな活動や衝動を、まるで線分や平面や立体をめぐる問題であるかのように考察していく」ことを宣言するのです」(272)

因果関係と自由意志を切り離す。因果関係を辿らず、誰かの邪悪さのせいにするのは、スピノザは認めない。自由意志で説明することは楽なことなのだ。
スピノザがいう神には自由意志がない。誰かが、神がデザインした世界という決定論は認めらない。何が可能で産出されるかは神にもわからない。ある事象が起きてから遡及的に原因を解明できるだけ。

スピノザの心身並行論。
デカルトの松果体説。デカルトは、精神は松果体に宿り、これが身体を操縦していると感がる。
スピノザはこの松果体説とは異なる解答をだす。「あり方の属性が異なる以上、精神が身体を動かすこともなければ、身体が精神を動かすこともない」。デカルトの概念区分からすればこうなる。精神と身体の関係を因果関係として捉えるのではなく並行関係としてとらえる。「さまざまな肝炎の順序および結びつきは、さまざまなものの順序および結びつきと同じである」(第二分定理七)。

「わたしの精神に生じる何らかの変化(a)jは、わたしの身体に生じる何らかの変化ではなく、同じ変化(A)を二つの側面から表現したものとして、いつも同時並行的な対応関係あります。手足を動かそうと「思って」実際に手足が「動く」のではありません。手足が動くという銅さを意味出した物理的・生理的変化(b')と、この動きに並行して精神のうちに生じた変化(b)が、対応しているだけなのです。アルコールの過剰摂取が原因となって、その結果至高がまとまらなくなるのでもありません。アルコールの過剰摂取が人間身体に生み出す変化(b')と酩酊した精神が生み出す取り止めのない思考活動(b)が、対応しているだけなのです。」(283)

自らの存在に固執しようとする力(コナートゥス)
表面にでてくる感情はもとをただせばたった一つの原感情にいきつく。
「あらゆるものは、それぞれできる限り、自らの存在に固執しようとする」(第三部定理六)
自己同一性を維持しようとする生物のあり方。たとえば新陳代謝。そして自分のあり方に対する意識を伴ったコナートゥスのことをスピノザは「欲望cupiditas」と呼ぶ。『神学・政治論」後半部の政治哲学。「国という者は、じつは自由のためにある」と、自由を踏みにじる国家は自らの存在理由。存立基盤を堀りくずす。哲学する人間の「現に働いている本質」見出す『エチカ』。

2022/09/30

『うんち学入門――生き物にとって「排泄物」とは何か』 増田隆一 講談社ブルーバックス

正直がっかりな本。なぜうんこが臭いのか、それは化学物質がそうさせるから、という答えなんだけど、そんなことはわかってんだよ。なんで「臭い」と認識してしまうかが問題なのだ。おいしそうな匂いだと食べちゃって危険で、臭いと認識する人間が自然淘汰で生き残ったという感じのことが書かれているとよかったな。


2022/06/16

『戦争と平和』 6 トルストイ/望月哲男訳 光文社古典新訳文庫

ようやく最終巻。しかし長かったぜ。ドーロホフやデニーソフはゲリラとしてフランス軍と戦っていた。そこにペーチャあらわる。ペーチャは血気盛な時期にあり、ドーロホフを英雄のように尊敬していってしまう。そして死ぬ。ペーチャの死はロフトフ家にとって、特に母にとって悲痛すぎる出来事となる。
プラトンも死ぬ。ピエールはただプラトンを好きだったが、病で衰弱していくにしたがい、避けるようになっていた。このあたりがピエールに皇道のよくわからなさだ。どういうことだ。なぜ親身になって看病とかしてやらないのか。ここは一つの謎だが、ピエールの思想を読み解くうえでも大切な所かと思う。死を厭うにちかいものかな。アンドレイは死を待ち焦がれていたが、ピエールは逆に死を遠ざけていく。

「生命がすべてだ。生命が神である。すべては移ろい、動いていくが、その運動こそが神である・。生命があるかぎり、神の力を自覚する喜びがある。生命を愛し、神を愛すべし。何よりも困難でかつ何よりも幸いなことは、苦しみの中にあっても、罪なき苦しみの中にあっても、己の生命を愛することである。」(98)

そしてピエールは悟る。プラトンだと。
この単純で明快なことこそが真理となる。

「昔スイスで塵を教えてくれた物静かな老教師の姿が生き生きと浮かび上がってきた。『待ちなさい』と老教師は言った。そうして彼はピエールに、一つの地球儀を示した。その地球儀は、生きていぶるぶると震えうごめく球体で、大きさも決まっていなかった。球体の表面はすべて、びっしりと寄り集まった滴でできていた。その滴のすべては動き移ろい、何粒かが溶け合って一つになったかと思えば、一粒がたくさんに分かれたりしている。それぞれの滴があふれ広がって最大限の空間を占めようとするが、同じ狙いを持った他の滴たりが圧迫して、時にはそれを潰してしまい、時にはそれと一つに溶け合うのだった。「これが生きるということなのだ」老教師が言った……「中心に神がいて、一つ一つの滴は何とか広がって、できるだけ大きく神を映し出そうとしている。それで大きくなり、溶け合い、押し合い、表面でつぶれて深く沈んでいったかと思うと、再び浮かび上がってくるのだ。ほら、これがあのプラトンだ、あふれ広がって、消えただろう。」(98)

これは興味深い描写だ。この滴のかたまりのメタファーはどこからきたのだろうか。
トルストイの「偉大さ」については、なかなかひねくれている。人はナポレオンやらアレクサンドルやらを偉大だといっているが、なぜ下民が「偉大さ」を理解できるんか、下民が理解できる「偉大さ」は下民なりの観念でしかなく、「偉大さ」のイデアとは違うとなる。トルストイはここでクトゥーゾフをもってくる。
クトゥーゾフへの大衆の憎しみや軽蔑は、まさに偉大さの証明かもしれないとなる。逆説的なかたちでトルストイクトゥーゾフの行動が失敗だったと非難されることについて書く、

「これこそ、ロシアの知性が認めようとしない、偉大ならざる者、非・偉人たちの運命である。すなわち、いったん神意を把握すると、それに自らの個人的意志を委ねてしまうような、ごくまれな、常に孤独な人間の運命なのだ。そういう者たちは、至高の法を洞察したがゆえに、大衆の憎しみや軽蔑という罰を受けるのだ。」(146)

ニコーレンカのピエールへの眼差し。そしてニコーレンカの将来の運命はいかに。ブカレストの乱につながるらしい。
生命が次の世代へと受け渡されていく。
これは大きな物語なのだ。

2022/06/15

『戦争と平和』 5 トルストイ/望月哲男訳 光文社古典新訳文庫

イヴィロンの生神女とは。ボロジノ会戦の際にこのイコンを掲げて戦いの挑もうとしたとか、ロシア的なのか。

「『戦争とは神の掟に対する人間の自由の、この上なく困難な服従である』……『純朴さは、神への従順さを意味する。神から逃れることはできない。それ故に彼らは純朴である。彼らは語ることなく、ただひたすら行う。語られた言葉は銀であり、語られぬ言葉こそ金である。死を恐れている限り、人間は何一つ得ることができない。死を恐れぬ者は、全てを手にする。もしも苦しみがなければ、人間は人の限界に気付かず、自分自身を知ることもないだろう。……いや統一するんじゃない。いろんな思想を統一するなんて不可能だから、そうした思想をすべてすなげていくのだ―それこそが肝心だ! そう、つなぐべきだ、つなぐべきなんだ!」」(66)

ピエール、何度目かの証悟。
負傷者がロストフ家になだれ込んでくる。そしてモスクワから逃げるとき、ナターシャは家族の資産を置いていき、負傷者たちをいっしょに連れていくように父に言う。ナターシャ、なんともいいやつではないか。

「無数の教戒を擁するアジア風の町、聖なるモスク―!」(139)

ついにナポレオンがモスクワを手に入れる。しかし、略奪が横行し、その対策も効果なし。
ここでよくわわからないのが、なぜにナポレオンは一冬をモスクワで過ごさなかったのか。なぜモスクワをでてロシア軍討伐にでたのか。ここがよくわからない。
制御がきかないモスクワ市民、。それをおさえるためにラストプチンは生贄をさしだす。モスクワ陥落の原因とされたヴァレシチャーギン。彼を民衆の手によって処刑をさせる。そのかんにラストプチンは逃げる。当時から群衆というものがいかに愚かであったかが記されている。これはソクラテスから変わっていないようだ。

「住民をなだめる義務だ。他にもたくさんの犠牲者が死んでいったし、これからも死んでいくが、それはみな公共の福祉のためだ」(190)

なんともおそろしいことだな。いつの時代も「公共の福祉」を言い訳に、圧制や愚行が行われていく。為政者は「公共の福祉」といっておけばいいのだろう。そして民衆もその「公共の福祉」に従う。
大主教奇蹟者聖ニコライ教会。この教会はソ連時代に破壊されている。
モスクワの火事の原因は、やっぱりよくわからないと書いてある。当時は木造の建築物ばかりだったし、火事なんてしょっちゅうあったという。ただ、火事は空っぽの住居が増えれば、広がるのは必然と。そうだよね。しかし歴史家はその火事の原因をラストプチンやナポレオンやらに帰していく。馬鹿げていると。
ピエール、ナポレオン暗殺を計るも、計画倒れ。途中、火事で家に残された子供を救う。フランス人たち略奪中。でもフランス人はつかのま人間にもどろうやといって、ピエールに力をかしたり。
んで、潜伏先で一人のフランス兵の大尉と仲良くなる。酒を飲んだりして、自分の階級なんかも話したり。結局、ピエールは東洋風の美少女を助けるためにフランス兵を殴りお縄になる。
そこでさらにピエール、悟りへといたる。
あまりにロシア的な人間、プラトン・カラターエフと出会う。

「それはロシア的なもの、善良なもの、まろやかなものを体現した存在だった。最初の日の翌朝早朝、改めてこの隣人を見たときも、何となくまろやかだ、つまり丸っこいという第一印象はいささかも変わらなかった。……全身が丸々していたし、頭も完全に丸く、背中も胸も肩も、さらにはまるでいるも何かを抱こうとしているかのようなその両腕も、すべて丸っこかった。気持ちの良い笑顔も、大きな茶色の優しい目も、また丸々としてたのである。(386)

このあとさらにプラトンの描写がつづくが、とりあえず素朴で、善良で、DIYができて、規則正しい何かをもっているという、なんとなくおわかりだろう、現代人ももつ田舎にいるなんでも自分でやってしまうオヤジみたいなものだ。
そこにロシア的な何かを、というかインテリからしたら何でもできて、それでいて苦悩を知らず、そして素朴さにたいする憧れだ。
マリアはナターシャのところへ兄アンドレイを見舞いに来る。しかし、すでにアンドレイは悟りをめいいっぱい開いてしまった後で、すべてを諦めている存在になっていた。すべてが煩わしく、すべてが過去となってしまている。生を諦め、死を末だけの存在となっている。

「あの人はどこへ行ってしまったの? 今どこにいるの?……」(422)

2022/05/06

『戦争と平和』 4 トルストイ/望月哲男訳 光文社古典新訳文庫

ここでトルストイの明確な歴史観が登場する。
不可知論を展開する。戦争の原因がナポレオンなのか、アレクサンドル一世なのか、どうやって決められるのか。なぜ戦争で多くの人が死ぬのか、それは皇帝や敵や貴族たちが狡猾だからなのか。そんな理由で大勢死ぬのか。

「われわれ後世の者、それも調査探究の過程に現を抜かす歴史かではなく、それ故に曇りのない良識をもって出来事を省察しようとする者たちには、事件の原因は無数に感じられる。」(15)

何が原因なのかなんかわからない、ということだ。それを歴史家たちは偉人、英雄に歴史の事象の原因を当てはめていく。だが、歴史はそんな単純なことではない。
トルストイは運命論を説く。

「人間はそれぞれ自分のために生き、自分個人の目的を達成するための自由を享受し、今自分はこれこれの行為をすることもしないこもできるのだと、己の全存在で感じている。しかしいったんsの行為を行ったとたん、時間軸上のある一点でなされたその行為が後戻りできなぬものとなり、歴史の所有物となってしまう。つまり歴史の中でそれgは自由ではない、あらかじめ決定されたものとしての意味を持つのである。どの人間の生にも二つの側面がある。一つは個としての生で、これは関心が抽象的であればあるほど、ますます自由である。そしてもうひとつは自然の諸力に支配された群れとしての生で、そこで人間はあらかじめ自分の定められた法則を否応なく遂行せざるを得ない。」(18)

歴史の歩みははるか以前から決まっているのだ。「王はすなわち歴史の奴隷である」(19)

アウステルリッツの空の思想を忘れる。
悲しみは神が遣わすもの、人間が遣わすものではないわ、とマリヤ。(82)
なんというか、どこまでいっても運命論ではないか。
さらにピエールは数秘術をこねくり回して、ナポレオンと自分の名前から666をはじき出し、運命を感じてしまう。ピエール、なんとまあご都合主義な野郎だ。

ナポレオンの足音が聞こえる。
ペーチャは若気の至りで、勇ましく、そして軍隊に憧れ、アレクサンドル一世にあこがれる。これはかつてのニコライではないか。
禿山へとフランス軍が近づいてくる。老侯爵はますます意固地になり、終いには義勇軍を結成するが、卒中を起こしてしまう。マリヤに連れられて、モスクワへ行こうとする。老侯爵は死に際、家族愛に目覚める。そこで農民たちの反乱が起こったり。とりあえずニコライがやってきて、マリヤたちを救う。新しいロマンスの始まりとなる。現金な奴だ。

「モスクワ、この巨大な帝国のアジア風の首都、アレクサンドルの民の聖なる都市、中国の仏塔のような形をした無数の教戒のあるモスクワ!」(281)

スモンレスクから運び出されたイコン、、聖歌隊の面々、それらを取り巻く民衆たち。

クトゥーゾフの金言。
忍耐と時間。これらがすべてを解決してくれる。(371)。そして二つの意見がぶつかり合う時、どうすればいいのか。迷ったときは、じっとしていることだ、と(372)
んーこれはトルストイ的な考えだ。トルストイはクトゥーゾフにはかなり好意的だ。クトゥーゾフだけが戦争の動き、歴史の動きを理解していたという。
この感じはアンドレイにも伝染する。ピエールとアンドレイとの最後の会話で、優秀な指揮官とは未来を予見する指揮官だとピエールは言う。しかしアンドレイはここで反論する。それは無理だと。戦争はチェスではないと。(444)。
とここでかのクラウゼヴィッツがちょろっと登場したりする。
アンドレイはどこかやけっぱちになる。

「僕は一八〇五年に騎士道も軍使交渉も目撃したが、あちらもこちらも互いに騙しあっていただけだ。他人の家のものを奪い、偽札をばらまき、そして最悪なことには、こっちの子供を殺し、父親を殺す。そうしておきながら戦争の規則を語り、敵への寛大さを語っているのだ。だから捕虜なんか取らずに殺し、こっちも死ぬ覚悟で戦うべきだ! この僕みたいに、さんざん苦しみをなめていて今の境地に至った者は……」(452)

アンドレイは負傷し、手術を受ける。痛みで気を失ったり。そこでアナトールを見る。たまたま同じテントにいた。アナトールは脚を切断されたところだった。アナトールの悲痛を聞く。アンドレイは悟る。
ナターシャへの愛おしさがこれまでにないほど満たされ、敵に対する同情と愛を呼び起こす。アンドレイは感動に震える。
「同胞への、愛する者たちへの同情、愛、われわれを憎む者たちへの愛、敵への愛、そう、それこそまさに神が地上で説いた愛、妹のマリヤが俺に教えようとして、俺が理解できなかった愛だ。まさにこの愛のために俺は残されたものなのだ。もしも生き残ったならば。だが今はもう手をくれ駄。俺には分かっている!」(546)

2022/02/10

『不確かな正義 BC戦犯裁判の軌跡』 戸田由麻 岩波書店

「指令統制責任論」(command resposibility)
山下の裁判では、検察側の立証方法は、戦争犯罪は広範囲で発生したことを被告人は「認知していた」ことを示唆し、それをもとに被告の過失責任を追求する。つまり被告人が命令したり自ら実行したりしたということではない。
弁護側は命令の事実もなく、実行事実もない点をつく。検察側は予想であり、「合理的疑いを越えて証明」しなければならない。
また日本軍特有の人事手続きもあり、誰が誰の指揮系統にあるのかも複雑。
判決ではあくまで組織的な犯行として、そして犯行期間、山下はその状況を知っていたにもかかわらず、部下を統制することをしなかった。
ここで弁護側の本質的な反論がでてくる。
米国は勝利者である。日本軍の兵站線、人員統制力、戦闘能力を壊滅的に米軍は破戒した。それは米軍の作戦が功を奏したことであり、その結果の混乱が生じ、戦争犯罪が行われた。それは上官が犯行を命令したわけでもないし、許容したのでもない。米軍の勝利の結果だ。そして、この非能率的で過失あったからといって、上官を罰することができるのか。組織秩序の混乱を、義務不履行と断罪できないと。
んーこれは。
黒田の場合は、残虐行為を知っており、それに対処する必要性を知っていた。そして不法行為をしないように指示もだしいた。しかし、これは本間を逆に追いつめていく。黒田がとった指示を徹底されたものであるのかどうか、だという。

2022/02/09

『ろうと手話 やさしい日本語がひらく未来』 吉開章 筑摩書房

んー、この本はどうなのだろうか。
本書はやはり基本的には「やさしい日本語」の普及が前提にあり、またやはりマーケティングの考え方が入り込んでいる。
「やさしい日本語が注目されている理由の一つに、それが他の言語に翻訳されやすい形式だということがあります。総務省は二〇一九年(平成三一)年に、やさしい日本語がAI多言語翻訳を活用する上でも高価があると認めています。(総務省「デジタル活用共生社会実現会議」報告書)」(163)
ここを読んだとき、きな臭さを感じてしまった。吉開さんが電通関係者ということもあって、ぼくの電通嫌悪フィルターにかかってしまったため、なんかねという偏見をもってしまった。
んで、さらにこの本についての書評をネットで見つけた。https://note.com/atsubumi/n/ncfe4ec44bcd2
ろう教育や日本語教育の門外漢であるぼくにとって、なかなか考えさせる書評だった。

しかし、バイリンガルろう教育がいまだに例外的な措置のままってのは、なんだかね。
んで、バイリンガルろう教育のWikipediaを読んでたら、なんかこの記事書いている人って、バイリンガルろう教育に憎しみでもあるのかと思われる内容だった。
高橋潔に対する評価は、いろいろあれど、でもさ、「慈善活動」の域をでなかったみたいな批判はどうなのよ。昔の人の批判をするのもいいけど、もうちょい寄り添えばいいのに。
現代なんて、ぼくも含めてろう教育に無関心な人がほとんどで、誰も高橋潔ほどの認識をもって、ろう教育に人生を捧げていないんだよ。

2022/02/08

『サラ金の歴史 消費者金融と日本の社会』 小島傭平 中公新書

高利貸しは無担保で金を貸す、だから友人、知人のネットワークを使う。「使い」や「走り」という。
戦前では金を貸すことは、副業のひとつと認識されていたようで、興味深い。現代と同じようにサラリーマンは上司の機嫌をとるよりも、金をかして利息をとって、所得を増やせと。
サラ金の源流が、日本昼夜銀行の「サラリーマン金融」とのことで、安田系の日本昼夜銀行は、昼だけでなく夜も取引できるサービスを行っており、昼間ではなく夜に現金の出し入れをする必要がある商人や飲食店との取引が多かった。恐慌を乗り切った銀行は遊んでいるカネをサラリーマンに貸し付けていく。ただし条件が厳しかった。25歳以上、東京周辺で2年以上の勤務であり退職しない見込みがあること。そして連ら五保証人で、雇い主や上司、または25歳以上の返済能力がある親戚、二名以上ということ。なかなかだな。

森田国七は神戸製鋼に就職し、上司の許可をとりサラリーマン金融をする。
田辺信夫早稲大学の政経学部在学中に学徒出陣。その後貿易会社に勤務。その間に節約を徹底し、300万円をためる。(66)1960年、日本クレジットセンターを設立。彼は団地金を誕生させる。団地の主婦層向けの無担保の小口貸付をしていく。「現金の出前」というキャッチコピーで、電話一本ですぐに月賦をくめるという便利さ。
そういえば、ミシンも月賦で購入できることで、広まったよな。こっちは戦前だけど。
団地金融では、無担保だから焦げ付いちゃうことも多いようだが、そこは営業マンの経験によってもカバーされていた。そして何より当時の団地マダムの見栄もある。当時は団地に住むことはステータスであり、入居審査は厳しかった。それ一定の収入以上の家族が住んでいることであり、さらにだからこそ、おいそれと返済を滞るような自体にまでいかないという算段。さっすがー。
武富士を創業した武井保雄は「靴の並べ方、洗濯物の干し方」をよく観察していたという。これも興味深い。人間というのは、こういった細部にその人間の育ちや性格、所得や生活スタイルがでてくる。左翼をやっているとこういった靴の並べ方や洗濯物の干し方だけでなく、歩き方やしゃべり方について無頓着なっていく。というのもこういうのは差別に繋がると考えるからだ。
実際、差別であることは間違いない。人の生活様式でその人の尊厳を大小を決めようと言いうのだから。しかし、現実では、このような生活様式が人間の生い立ちやらを無言の説得力でアピールしていく。

サラリーマン金融は、高度成長期においては安定した商売だったようだ。やはりある程度の審査もあるし、あくまでもサラリーマンへの貸付であった。不景気で中小企業が債務不履行でもサラリーマン金融は安定していたという。(99)
サラリーマン金融では「明日の米を買う金を絶対に貸すな」と、レイクの創業者浜田武雄は言っていた。
おもしろい話が載っていて、
「生活費が足りない、サラリーをもらってなおかつ苦しい人は、生活のどこかに欠陥があるからですよ。そんな人に貸せばコゲつくだけです。部下に飲ませる金がほしいとか、つきあい、レジャー資金を求めてくる人は、概して仕事熱心。バイタリティーもあって必ず返済します。」(105) 
「サラリーマンにとって酒、マージャン、デートなどに使う金は健全資金なんです。借金して遊ぶくらいのサラリーマンでなけりゃ、出世しませんよ。だから、うちの会社は正々堂々と遊ぶお金を、だれにでも、どうぞお使いくださいといって貸すんです」(105)
この人事評価は時代を感じるが、しかしどこかいい線をいっている気がする。ただこれは当時の会社における出世の仕方ともコンビになっているようだ。
ただし、飲みにもいかない、とか付き合いが悪い人間は出世コースから外れがちなのは、この人間界ではある程度い方がない。そもそも仕事とは多くの場合対人的なのだから、無口でコミュ力が低い場合、仕方がない。仕事ができる、というのは多義的なのだから。
しかし時代が進み、貸付基準も緩くなっていく。返済能力ありと見極めた人にだけでなく、裾野を広げていき、サラ金がセイフティネットの役割に変じていく。(152)生活や事業に行き詰まった人に貸していく。とはいってもリスクを回避する術が必要となる。それはブラックリストの共有と団体信用生命保険の導入だった。(153)
団信なんかは「モラル・ハザード」を起こすもとにもなっていく。わざと放火したり自動車事故を起こしたり。さらには顧客を自殺させることが合理的な選択になっていくこともある。
知らなかったが過払い金の法律的救済は1960年後半にはすでに認められていたということだ。
債権回収が重要な仕事であるが、かなりな感情労働であることは想像に難くない。債務者に同情すれば「そんなことくらいで落ち込むようなやつに、金貸しは無理だろうな」とか、従業員も女房家族をだしに仕事に慢心することを求められていく。この多重構造はすごい。(205)
金利引き下げは、債務者にとっていい話のように思えるが、実はそう簡単なもんではなく、金地引き下げは金融業の利益を減らしていく。そうなれば焦げ付かない人を選んで貸していく。そうすると闇金へと流れていく。何じゃこりゃ。まさにセイフティネットとなってきている。
蛇足ながら知らなかったが宇都宮健児はサラ金問題に首を突っ込んでいたのか。

2022/02/04

『戦争と平和』 3 トルストイ/望月哲男訳 光文社古典新訳文庫

登場人物の性格というか心情がどんどん変化していく。ドストエフスキーのような人物描写とはかなり異なる。
アンドレイは結構実務家タイプとのことで、ピエールが中途半端なかたちでおこなった農奴を解放して自由耕作制にしたり。
アンドレイはアウステルリッツで高い空を見るが、禿山にもどると一転して諦念の塊になっていく。そこにナターシャと出会う。オトラドーノエでの春を感じるアンドレイの心情描写が、再びアウステルリッツの高い空と同じ心境をもたらしていることを物語っている。(21)
「ピエールにも、空をとびたがっていたあの娘にも。みんなが俺を知り、俺の人生い鶏だけのものでなくなり、人々が、あの娘のように俺の人生とはかかわりなく生きるんじゃなくて、俺の人生がみんなに反映し、皆が俺と共に生きるようになるべきなんだ!」(22)

ピエールはフリーメイソンの会合なんかで、自らの思想を開陳するがイルミナティと勘違いされたり、結局フリーメイソンの集まりが下劣な低俗なもので、心を満たしてくれるものではない事に気づき始めていく。
フリーメイソンとイルミナティの思想の違いについては、よくわからない。フリーメイソンからするとイルミナティは危険思想のようだ。曰く、イルミナティは社会活動に溺れていると。フリーメイソンの目的は自己の完成であるという。(59)
神秘思想のようなものが語られる。
「わが結社の神聖なる学問においては、すべての事物の三つの根源は、硫黄、水銀、シオである。硫黄は油と火の性質を持つ。これが塩と一緒になると、その火の本性によって塩野「中に渇望を呼び覚まし、その力で水銀を招き寄せ、捕え、引き留めて、個々の物体を生み出す。水銀は液体である同時に飛翔する霊的本質である。すなわちキリストであり、精霊であり、神である。」(70)
興味深い。

恋多きナターシャよ、ボリスの次はアンドレイと。そして破滅にむかうアナトールへと。愛は理性的であるべきとの、トルストイの考えか。『アンナ・カレーニナ』ではアンナは破滅への未知であることを知りつつ、駆け落ちを実行する。ナターシャの場合は、恋に盲目になって駆け落ちに向かう。しかし、ナターシャの周りの人たちがアナトールの計画を阻止してくれる。このあたりもアンナとは違う。家族の問題がここにもある。トルストイはまさに環境が人物の幸福を左右するとでも言いたげではないか。
アンドレイもナターシャも幸福の絶頂にいる。(122、134など)
しかし、どうも最初からうまくいかないことがトルストイは仄めかしながら書く。
「ピエールは、幸せになるためには幸せの可能性を信じなくてはいけないと言っていたが、あれは正しい。俺は今こそピエールを信じる。死者を葬るのは死者に任せ、命ある間は生きて幸せになることだ」(137)
ナターシャとアンドレイの出会いは、まさにペテルブルグで催されたフランス式の大宴会。皇帝もいる。そんななかでアンドレイはナターシャに声をかけて、ダンスをする。するとみんなかダンスの声がかかり、有頂天になっていく。ナターシャの至福の時。
しかし、アンドレイは父親に反対されて、一年まてろ言われる。一年たてば好きにしろと。
老ボルコンスキー公爵も少しづつ性格がきつくなっていく。当初はまだ頑固一徹で誰からも慕われる厳格な父であり、貴族であったのが、いつのまにか物分かりの悪い爺さんに変貌している。とはいいつつ、外部のものからは依然と慕われているようだ。老公爵のフランス憎悪も凄まじいが、息子の結婚に反対するために女中みたいなマドモワゼル・ブリエンヌに色目をつかいだし、いよいよヤバさが醸し出してくる。
マリヤへの仕打ちも酷い、がマリヤは家族のためにそれを受け入れている。

ナターシャの田舎暮しの描写は、ペテルブルグとは対称をなしている。猟にでたり、バラライカの伴奏でロシア式踊りに目覚めたり。食事にも都会では味わえないものを楽しむ。(250)
「とっくの昔にフランス風のショール・ダンスに駆逐されてしまっていたはずのこんなしぐさを、いったいどこで身につけたのだろうか? だがこの気合もしぐさも、まさに真似もできなければ勉強しようもないロシア的ものそのものであり、まさにこれをおじはナターシャから引き出したかったのだった。(256)
ピエールはどんどん自堕落な生活にも慣れていったり、自分を見失っていく。そんな自分に仕方がないじゃないかと自分に言い訳しながら、そんな生活に堕している人々への同情と敬愛なんかも生れていっている。(323)
アナトールへの蔑みをもちつつも、彼との生活にも慣れていくピエール。アナトールはまさに享楽主義者であり、未来を考える能力を持ち合わせていたに人物と描かれる。
ただアナトールとナターシャの件で、彼は巨悪の根源であるアナトールをモスクワから追放し、ナターシャへの愛を告げたあたりから、再び自分を取り戻していく。
ナターシャなんか結構不埒な奴で、アンドレイとアナトールを選びきれずに、二人同時にみたいなことを考えたりしている。(426あたり) ナターシャの苦悩は、そのまま『アンナ・カレーリナ』のアンナなのだ。
自らどんどん深みにはまっていく。ついにはアンドレイとは結婚しないとマリヤに手紙まで書いてしまう。(438)

再び高い空。今度はピエール。
「キンと冷えて晴れ渡っていた。泥だらけの薄暗いとおりと、黒っぽい家々の屋ねの上に、暗い星空が広がっている。ただその空を見つめている間だけピエールは、自分の心が駆け上がったあの高みに比べれば、地上のものすべてが屈辱的なまでに卑小であることを、感じずにいられるのだった。アルバート広場に差し掛かると、暗い星空の巨大な空間がピエールの目の前に開けた。その空のほぼ中央、プレチステンスキー並木通りの真上に、四方八方に散らばる星々に取り囲まれて、しかしどの星よりもはっきりと地球に近く、白い光を放ち長い尾をウニに持ち上げた恰好で、巨大な明るい一八一二年の彗星が浮かんでいた。世の噂では、あらゆる災厄と世界の終わりの前触れだという、あの彗星だった。しかしピエールの内には、長い尾をしたその明るい彗星は、何の恐ろしい感情も掻き立てはしなかった。それどころか、あたかも計り知れぬほど広大な空間を放射線状に飛び越えてきたあげく、急に、大地に刺さる矢のごとく自らが選んだ暗い空の一点にはまりこんだかのように止まり、力強く尾を振り上げて、無数のまたたく星々の真っただ中で白い光を放って戯れているその明るい星を、ピエールは並みだに濡れる目でうれしそうに見つめていた。新しい人生に向けて花開いたばかりの、自分のしなやかな、奮い立つような心のうちにあるものと、その星がぴったりと呼応しているように、ピエールには思えたのである。」(494)

2022/02/01

『忠誠と反逆』 丸山眞男 筑摩書房

下記、抜き書き。

「また生死の運命共同性の実貫を分有しているという点においても、むしろ非合理性を本質としており、流通範囲も感覚的に自己が同一できるかぎりの集団を出るものではなかった。封建制の組織化と拡大は、思想史的にはこうした原初的なエートスの合理化の仮定であって、そこに君臣の「義」とか「分」とかいう儒教的カテゴリーが浸透してゆく契機もあるわけである。」(15-16)

「日本においても、伝統的権威や上長に対する「反逆」は事実問題としてはむろん古代からしばしばあったけれども、原理への忠誠をテコとして「反逆」を社会的、政治的に正当化する論理は伝統思想のなかには、この天道の観念委が二はなかったといってよい。……「君臣主従の義」という「合理主義的」範疇が封建的階層制のあらゆるレヴェルにちりばめられたとき、それはけっしてたんに臣下の恭順を一方的に義務づけたのではなく、同時に「君」もまたある目に見えない、自然法的規範に拘束されるという考えも社会的に定着させていった。」(22)

「このように恩賞の「跡」よりも「意」に重点をおいた分析は前述のような忠誠感の文脈のなかでは一見するほど「精神主義的」ではなく、存外にリアリスティックなのである。」(25)

「けれどもこのような背逆をあえてした鎌倉幕府が何故九代も続いたのか。これをたんに「時勢の変」という状況追随的説明に放置せず、さりとてその規範主義的判断を著しく超越的=非歴史的に陥らせないためには、どうしても歴史に内在しながら同時に、具体的な政治的現実に超越する原理が必要とされる。ここに天道思想に基づく民本主義的理念が介入して来るわけである。」(26)

「福沢は、このあわただしい転変のなかで人間の社会的適応のさまざまな姿を――一挙にルーティンを破られた社会的大群が激流に浮沈しながらそれぞれ自我の生き方と拠り所を必死に模索するさまを、痛切な灌漑をこめて凝視したのである。一方では、「数万の幕臣は静岡に溝瀆に縊るゝ者あり、東京に路傍に乞食する者あり、家屋敷は召上げられて半ば王臣の安居と為り、墳墓は荒廃して忽ち狐狸の巣窟と為り、惨然たる風景又見るに堪えず。啻に幕臣の難渋のみならず、東北の諸藩にて所謂方向を誤りたるものは、其主従の艱苦も亦云ふに忍びざるもの多し」という状況があれば、他方には、「当初捌く第一流と称したる忠臣が、漸くすでに節を改めて王臣たりし者亦尠なからず。唯王臣と為って首領を全うするのみに非ず、其穎敏神速にして勾配の最も急なる者は、早く天朝の御用を勤めて官員に採用せられたる者あり」という行き方もある。しかも一時は憤然として、「義を捨つるの王臣たらんよりは寧ろ恩を忘れざるの遺臣と為りて餓死するの愉快に若かず」と言い放った「東海無数の伯夷叔斉」も、さて首陽山を下って見ると周囲の光景が一変しているのに驚き、「嗚呼彼も一時一夢なり、是も亦一時一夢なり。昨非今是、過て改むるに憚る勿れとて、超然として脱走の夢を破り、忽焉として首陽の眠を醒まし、……昔日無数の夷斉は今日無数の柳下恵となり、……大義の在る所に出仕し、名分の存する処に月給を得て、唯其処を失はんことを是れ恐るゝのみ。……絶奇絶妙の変化と謂う可きのみ」。……少なくとも彼がここで忠誠の転移の問題をまさに転向の問題として、自我の内側から追跡していることはあきらかであろう。「天下の大勢」という客観的法則はあくあでも法則であり、「勝てば官軍」という事実はあくまで事実である。しかしこの法則なり事実が自我の次元において忠誠移転の根拠となり、口実となることに福沢は我慢がならなかった。いわゆる絶対的な名分論がもし純粋に自我に内面化されたものならば、それは「盲目」であり「愚鈍」であっても、こうした滔々とした転向は生まないはずである。とすれば「今の所謂大義名分なるものは唯黙して政府の命に従ふに在るのみ」。したがって万一、西郷の企てに成功したならば、……逆に謀叛もできないような「無気無力」なる人民に本当のネーションへの忠誠をきたいできるだろうか」(44)

自由民権運動は、よくヨーロッパの受け入りのようなに言われるが、

「生活手段の固有性の実感に支えられていたかぎりは、たんなる船来イデオロギーでなかったし、それが失われた固有県の「奪還」からでても、あるいは獲得した財産の「擁護」から発しても、ともに当地帯と社会との二元論に立った「抵抗」の発送を生みださずにはおかない。(49)

「ここで蘆花が神戸老人に託して亡びゆく封建的忠誠の純粋結晶を描こうとしていることは明らかである。その際とくに注目すべきことは第一に、「君臣の義」や「旧主の為を思ふ忠義者」の確信がけっして主人の意思に対する恭順や黙従ではなくて、まさに諫争にあることが、ここでは当然の理とされ……「夥しい恩」を受けながら「誰一人諫言申す者」がないことは。「御家」没落の確かな徴候なのである。……神戸老人に象徴されるような社会的にちりばめられた形で存在していた「諫争」の精神もまた、明治が半ばをすぎないうちにすでに稀少価値として映じていた、ということにほかならない。天皇制的な忠誠の集中がたんに封建的忠誠をネーションワイドに拡大したものでない……皮肉にもその伝統のなかのサムシングが大量的に社会感覚から消たばかりでなく、まさにそのこと自体を蘆花のように鋭く見抜く眼が社会的に少数になっていた。つまりここには二重の「脱落」があった。」(87)

「その推移とは別の面から言えば、幕末維新における忠誠観念のすさまじい激突と混乱をもはや自らの経験のなかに持たない世代が、日露戦争善後から続々と成年期に達していた、ということである。この見えない世代の交替の意味を無視して、平面的=概括的に「明治的人間像」を語ることは出来ない。そうして明治四十年頃から大正初期にかけての時代が社会過程のうえでも、さまざまな「思潮」の天でも、明治二十年前後につぐ第二のエポックをなしているというの右のことを背景において考えなければならない。(87)

アパシィ、つまり無関心と個人主義について論じている。非戦論ではなく無戦論へと変化していく。それは国家を無視したものであり、忠誠と反逆の双方とも違ったものであった。新しい世代は旧時代を否定する態度ではない。
この現象は急激な都市化と人口流動、そして体制の官僚化と組織の硬直化が背景にある。大学卒業者は司会者の閉塞感や慢性的な失業で、「余計者」知識人がでてくる。
徳富蘆花、山路愛山、田岡嶺雲、三宅雪嶺の忠誠と反逆の精神史を読み解く上で、単なる反体制者としての位置づけはできない。「維新における忠誠の相克から天皇制的な忠誠の「集中」に至る過程を辿り、その背景の下に、福沢の「痩我慢の精神」から、田岡の「固摒」あるいは彼のいわゆる「チョン髷主義」までの、抵抗と謀反の哲学」を読み取っていく。

丸山真男は権力論を非常にフーコーと同じようなかたちで論じている。
「徳川体制の凝固化は、支配者対被支配者、つまり武士対庶民の身分的=価値的隔離にもっぱら依存せずに、むしろ羞恥のように支配層のなかに驚くほど細分された階層関係を設定し、さらにそれを被支配層におし及ぼしていくことによって完成されたのである。これによって五倫五常の規範体系はたんに「士大夫」だけでなく社会全体をつつみこみ、忠も孝も義理も奉公も分限も、商家や村などあらゆる微細な社会圏にまでちりばめられる。それら大小無数の閉鎖的な社会圏がこうした権威価値で一つ一つリンクされ地固めされた。」(165)

「異質な社会件との接触がひんぱんになり、いわゆる「視野が開ける」にしたがって、自分がこれまでに直接に帰属していた集団への全面的な人格的合一化から解放され、一方で同一集団内部の「他者」にたいする「己れ」の個性がじかくされると同時に、他方でより広く「抽象的」な社会への自分の帰属感を増大させる」(178)

「権力政治に、権力政治としての自己認識があり、国家利害の問題として自覚されているかぎり、そこには同時にそうした権力行使なり利害なりの「元かい」の意識が伴っている。これに反して、権力行使がそのまま、道徳や倫理の実現であるかのように、道徳的言辞で語られれば語られるほど、そうした「元かい」の自覚が薄れて行く。「道徳」の行使にどうしても「元かい」があり、どうしてそれを抑制する必要があろうか。「利益線」には本質的に元かいがあるが、「皇道の宣布」には、本質的に限界がなく、「無限」の伸長があるだけである。」(228)

内村鑑三の「第二の宗教改革」(282)、そして「矛盾について」(291)。非戦論の内村が旅順沖海戦の大勝に喜んだこと。この矛盾こそが、内村、ひいては明治期の知識人の魅力であると。

歴史意識の「古層」について。結構難しい論考だと思われるので、別でまとめることにする。

2022/01/31

『貧困・介護・育児の政治 ベーシックアセットの福祉国家へ』 宮本太郎 朝日新聞出版

ベーシックアセットとは何か。
ベーシックインカムやベーシックサービスは現金給付かサービスに絞りこんでいる。それに対してベーシックアセットは現金給付やサービスだけでなく、コモンズも含まれる。
アセットとは「有益な資源」の意味。これは私的、公共的なものを含むが、ベーシックアセットはさらにコモンズが含まれる。
コモンズとは何か。「誰のものでもなく、オープンで、多くの人がその存続に関わるが、その分、誰かが占有してしまう場合もあるようなアセットである。……ベーシックアセット論におけるコモンズは、コミュニティ、自然環境、デジタルネットワークなどが年頭に置かれている。」(23)
特に本書で重要視しているのが「社会とつながり続け承認を得る(そのことで自己肯定感を得る)ことができる、コミュニティというコモンズである。」(23)
政府が所属するべきコミュニティを割り当てる、という性格がないわけではないが、「コミュニティがアセットとなるということは、……包括的相談支援のサービス等を受け、人々が貴族したいと考える居場所や職場をみつけ、そこに身を置くことで元気を回復できる、ということである。」(24)

現代日本の福祉制度は必ずしも良いとは言い難いところが多いが、それでも日進月歩で拡充してきた。しかし、そもそも前提に男性稼ぎ主がある。
生活保護はなぜ「選別主義」のような性格をもってしまたたのか、それは社会保障給付へ充当できる財源も抑制されているからであり、また低所得者層には給付が向けられていない。
税と社会保険料が使われているのは主に、年金、介護、医療の分野に絞られる。これらは保険料が確実な歳入としてあり、そのため財源としては潤沢にある。しかし生活保護は税金によって支えられているため財源も抑制されていく。
そのため生活困難層が、社会福祉制度から漏れてしまいかねないものとなる。
親の介護、子供の介護などは、働く世代に重くのしかかり、非正規雇用で低賃金で働かざるを得ないケースが多い。

ベーシックインカムについてがなかなか盲点。ベーシックインカムは基本的に全国民に給付することが目的であるように見えるが、そもそもが財源論の問題なのだと。財源をどこからもってくるかで、国の福祉の方向性が決まってくる。所得税からなのか、産業界への補助金などをゼロにするかなどどこからどこからかでベーシックインカムの性格が変わり、そして国の福祉制度の性格も変わっていく。

いろいろと勉強になりますね。
すでに限られたパイをいかに配分していくかが重要になっており、また各セクションに多くを割けない状況でもあるなかで、アセットという考え方は魅力的だが、はたして日本でこれが実かどうか。
日本はよくもわるくも個人主義が強い。地域に密着して活動することにも弱い。
どうなることやら。

2022/01/30

『日中十五年戦争史――なぜ戦争は長期化したか』 大杉一雄 中公新書

下記、書きかけ。たぶん書き終えることない。めんどうになった。

日中戦争というのは、なんなのか、正直よくわからない。日本はアメリカと戦争していた時期もずっと中国と戦争していた。これだけでも愚かなんだが。二方面作戦という最悪な状況。
いちおう、「十五年戦争」という呼称を大杉氏は全面的に賛成しているわけではない。あくまで便利だからという感じ。1996年出版時、どうも「十五年戦争」という呼称がある程度流行っていたようで、大杉氏はここにある種のイデオロギー臭をかぎとっている。つまりまるで満州事変から日米戦争までの歴史が必然であるかのような印象を与えると。結果をみればそうだが、歴史では和平、和解を模索する動きが常に存在していた。それがなかったかのような印象を「十五年戦争」という呼称にはあると。
なるへそ。さらに大杉氏の見方はいい感じで、
「歴史的にみて「日米戦争」は八か月にわたる日米の二国間交渉の破綻の結果開戦されたのであり、日米交渉が妥結すれば、日米戦争はなかったわけである。このようにみれば、あの戦争に東亜民族解放というような目的があり得なかったことも了解されるだろう。」(まえがきvi)

とりあえず年表。
1931年9月18日:柳条湖事件(満州事変)
1932年3月1日:満州国建国宣言
1933年3月27日:国際連盟脱退
   5月31日:塘沽休戦協定

本書は塘沽停戦協定から書かれている。つまり塘沽休戦協定が
塘沽休戦協定は満州事変後、1933年5月31日に中国軍と結ばれた。
塘沽休戦協定によって、下記を行う。
1 長城と河北省と蘆台をラインの間の非武装中立地帯を定める。
2 東三省(遼寧、吉林、黒竜江)と熱河を加えた地域を満州国として独立させた。
この塘沽休戦協定によって37年の盧溝橋事件までの4年間は軍事衝突はなかった。ここで大杉氏の疑問がでてくる。

「長城をもって国教とするだけで、満州国の防衛は確保できたのではないか。何故に中国本土である関内に緩衡地帯を必要としたのかということである。これに対しては、万里の長城は北方に対して防御するように築かれており、長城の北川にある満州国を守るには長城以北だけでは不十分で、どうしても少し超硬を越えて南にでなければ防げない、ここに停戦協定から華北問題に発展する軍事的要因があったという説明がある。しかしこれは牽強付会の説だろう。……緩衝地帯などは必要なかったはずである。……緩衝地帯の設定を要求したことは、すでに初めから将来長城を越えて華北に侵入していこうとする意図があったとみられても仕方がないだろう。」(7)
さらに言えば、緩衝地帯に傀儡政権をつくればなおいい、ということになっていく。んーなるほど。
地図で非武装地帯を見てみると、けっこう大きな面積を非武装としており、大杉氏の言うとおりだろうな。
大杉氏はここで、「満州だけでやめておけ論」に若干の考察をしている。曰く、日中戦争というものは日本帝国主義と中国ナショナリズムの戦いであり、満州はその中国ナショナリズムを煽るものだ、だから早晩か行けるしなければならない問題になっていはず。そして、仮に満州国が傀儡国家としてうまくいったとしても、日中戦争にも太平洋戦争も起きなかったとしても、ナショナリズムの時代、満州は手放すことになっていたと思れる。
まあねー。
些末だけど、ここで大氏は「いずれにせよドイツが敗北することになるだろうが」と一言くさしているが、ほんとかなー。ドイツの敗因のひとつは二方面で戦線を展開したことだし、日本が中国ともアメリカとも戦争していない状態だと、ソ連はおいそれとはドイツと戦争もできないし、しても負けていた可能性がでてくる。ソ連も日本とドイツの二方面戦争を余儀なくされるから。
まあいいや。

梅津・何応欽協定:張学良系の于学忠軍、中央直径軍、国民党機関の河北省からの撤退の要求
土肥原・秦徳純協定:察哈爾省で軍事衝突していた宋哲元の撤退
これらの協定は軍事ということで広田弘毅は外務省で扱うことを拒否。
広田三原則
排日言動を徹底的に取り締まり、欧米依存政策より脱却し対日親善政策を採用すべきこと
満州国の事実上の黙認、満州国との経済的文化的提携
外蒙方面よりの赤化勢力の脅威排除のため、わが方の希望する諸般の施設に協力すること
まあ、中国は怒るよね。
広田弘毅に対しては、かなり批判的。優柔不断だし、軍部の顔色を見てばっかだし、「自ら計らわぬ」とかぬかすし。わからないでもない。

「大アジア主義」への批判
「たしかに日本のおかれた環境は、経済的にも軍事戦略的にも中国を必要とした。しかし中国がそれと同程度に日本を必要としたかどうかはわからない。日本よりもむしろ欧米と接近したかったかもしれない。それは中国の自由である。この意味において大アジア主義というのは日本中心の、しかも夜郎自大的な発送なのであった。したがって本当のアジア主義が成立するためには、日中が平等の立場にたたねばならなかったのである。」(33)
まさに、中国が日本を必要としたかが問題だ。中国は大国だし。
日本人が大アジア主義にいれこんだのは、国際協調主義に対する、後ろめたさからだったというのもいい指摘かと思う。
ただ大杉氏もやはり本書では、第一次世界大戦後のヨーロッパの国際秩序を重んじる協調外交に疎かったと書いているが、んーここはね、勝手に第一次世界大戦で荒廃して、勝手に帝国主義をやめて、国際秩序の新基準をつくって、って日本からしたらふざけんなという感じでもある。いまも脱炭素とか、気象問題でヨーロッパで新しい基準をつくろうとしているが、いままさに発展していこうとする国にとってはふざけるなだろ。ヨーロッパとはそういうところだ。

満蒙特殊権益
旅順・大連を含む関東州租借権(1997年まで)
長春以南の南満州鉄道(満鉄)経営権(付属地の行政権および並行線並び利益を害する支線敷設禁止を含む。2002年まで)
安泰鉄道経営権(2007年まで)
満蒙五鉄道の合弁敷設権および関連二鉄道の受託経営権
鉱山採掘および森林伐採権
土地商租権、自由在来居住権および商工営業権
鉄道守備兵駐屯権(鉄道一キロにつき十五名、総計11665名以内)

これらはポーツマス条約、日清善後条約で獲得されたもので、かなり限定的なものだった。そのため満州国独立は侵略と呼ばれてもおかしいことではないと。
さらにねじれているのが、これらの権益は清からすれば日本に奪われていると感じるが、日本からすれば西洋列強から奪い返したと思ってしまっているところだ。しかも日本は多大な国費と血で勝ち取っているから、やすやすと手放すこともできない。

幣原・重光はあくまで外交的な解決を目指す。そのために宋子文(孫文の義兄)を介して張学良と和解を進める。しかし、途中で柳条湖事件が起こってしまう。軍にしても柳条湖事件の前まではどうも外交が先で、最終的な行動として軍事行動がったようだ。
建川美次を満州に派遣して、軍部を抑えようとするも建川はやる気なし。
どうも関東軍と軍中央では一致した策があったわけではないようで、しかも軍中央にしてもあくめで清国との懸案事項の解決が目的だったよう。
そしてさらに錦州爆撃を関東軍が行う。
1932年5月23日斎藤実内閣が誕生し、ここに7年つづいた政党政治が終わる。
日本の満州国承認は、リットン調査団の報告書が発表される前になされるが、これはいわば国際連盟脱退を前提として、満州国を承認したことであり、しかも政府はリットン調査団の報告書がいかなる内容かをすでに知っていた。イギリス、フランスは中国でのナショナリズムの高騰に手を焼いていたので、日本にたいしても同情的だったのだが、すでに満州国を承認してしまった日本のとれる行動は、連盟脱退だった。馬鹿げているが仕方がない。

一点、微妙なことが書かれている。当時日本は人口過剰により、外地への人口流出を望んでいたという。まあ、政府としては確かに人口過剰という判断が会ったのかもしれないが、人口過剰が本当であったのかどうか。そもそも大杉氏にしても、日本の国土が狭い、ということを前提にしている。たしかに日本は山岳部が多く、平地も少ないかもしれないが、人口過剰で困るほどだったのか。そもそも人口と経済の関係で言えば、多ければいいわけではないが、少ないからいいわけでもない。この人口と経済についての歴史書を今度探そう。

ここで、「近代の超克」について。近代を超える日本独自の路線とは何ぞや。橘樸は農村の自治、農本主義を説く。王道楽土とはいいつつも、それは堯舜を理想とした非現実的な思想となっているという。マジか。読んだことないけど、ちょっと興味深い。でもこの考え方は、結構人気があったようで反資本主義で、さらに反共産主義であれば、自然な流れか。
ただし橘樸が心酔していた石原莞爾は重工業を志向していたようだ。

リース・ロスによる中国経済の立て直し策。
政府系銀行が発行する紙幣の法定化。銀と法幣との兌換し、以後銀を通貨とすることを禁止させる。。さらに不換紙幣となった法幣は外国為替の無制限売買によって対外的に安定させる。イギリスの援助のもと、いい感じなっていく。
さらには米中銀協定を締結させ、法幣はポンドではなくドルに依存する通過となっていく。

冀東、冀察政権。これ知らなかったよ。殷女耕を日本が担いだ冀東防共自治政府を立ち上げ、それに対抗するかたちで国民党は冀察政務委員会を宋哲元を委員長にして組織をつくる。

しかし、まだ途中までしかまとめられないが、わけわかめな感じになっている。
とにかく細部は複雑で、関東軍、軍中央、内閣、外務省などが入り乱れていて、単純化ができない模様。もう面倒なので、ここでやめる。
わたしのように日中戦争関係に疎い人間にとっては、すじを追うのも一苦労です。

2022/01/29

『反逆の神話――「反体制」はカネになる』 ジョセフ・ヒース、アンドルー・ポター/栗原百代訳 早川書房

『マトリックス』の解釈について。デカルト的な解釈は間違えだという。ドゥボール、ボードリヤールの線で考えるべきと。
スペクタクルの世界から目覚めるには、新しい世界を手に入れる必要がある。体制の細部を変えるのではない。すべては白昼夢。そのために必要なことは世界がおかしいと象徴的な抵抗行動をおこすこと。文化自体がイデオロギーにすぎない。だからカウンターカルチャーを創造せよ、という解釈らしい。
んーなるほど。

反体制といいながら体制に取り込まれて、カウンターカルチャーは成長していっているのは、そうだよ。
差異を見出していき、差異にこそ個性を見出していく。しかも万人がそれをやるから、差異が差異ではなくなっていく。わかるよ。
でもねー。
だからみんなもがいているわけですよねー。そのもがきが、なんかいいんじゃないですかー。
まあ、でもですね、カウンターカルチャーがどこかの時点でマスに取り込まれる、その時、寂しさを覚えるよね。もういまはこの感覚ないけど、『エヴァンゲリオン』が大衆社会に取り込まれたと思ったときは寂しかったー。まあ本書の言い方からすれば『エヴァンゲリオン』自体が資本主義から生み出されたものだけど、そりゃわかっているし、別に『エヴァンゲリオン』は反資本主義ではないけど。

そもそもがだ全体の幸福のためにわれわれは長い行列に並んでいるわけではない、ということだ。たんに慣習であったり、周りの目であったりがそうされるわけです。
ルールから逸脱と異議申し立ては別だというが、それも結果論に近い。事後評価に近い。
カウンターカルチャーの反逆者たちは、社会規範はすべて強制されているという所見に基づき、文化全般は支配のシステムであると結論しているというが、まあそりゃそうでしょ。マイノリティからすればマジョリティが圧力をかけてきていると見るんだから。
これはイタチごっこになっていくのね。
マイナーな主張が一般化すれば、バックラッシュがある。バックラッシュでなくても、マイナーが一般化すれば、それが権威になるわけだし、そうすればまた違う角度からの批判がでてくる。

ナオミ・クラインの幼稚さへの批判もわかるし、それに群がる連中の知性の低さを嘆くのも同意しますよ。
ブランドはいらない、っていうのは消費主義批判ではなく、大衆社会批判である、というのは全くもってそのとおり。彼らは大衆を馬鹿にしたいだけ、だとも僕も思いますよ。
でも、これって低脳をやり玉にあげて、勝ち誇るのと一緒だ。最近でも、Twitterなんかでは極端なバカの意見を一般化して、全体を論じていこうとする傾向があるようだ。ここで著者がやってることも同じ。
ナオミ・クラインをだして反資本主義はダメだといっても、何も意味がない。

本書、かなり反動的であることは間違いない。20歳前後で読んでおけば、ある種の解毒剤にもなるかと思う。
ただね、「反体制」は言うほどカネにはなりませんよ。

2022/01/28

『初版 古寺巡礼』 和辻哲郎 ちくま学芸文庫

古代への憧れがひしひしと伝わる。比較文化論としては適切ではないかもしれないが、そんな学術的なことはどうでもよくなるような、そんな熱狂がある。
すでにこのような日本精神史を語ること自体が危ぶまれている昨今。もはや古典でしか、このような日本文化論、精神史を読むことができないのは非常に残念である。

1919年に出版されているから、齢30ということで、んまあ若い。
和辻が京都ではなく奈良を選ぶあたりも感慨深い。
なぜ平安時代ではないのか。そもそも和辻は平安文化についてはちょっと冷淡。「もののあわれ」なんかも評価をあんまりしていない。
脱西洋を成し遂げたい時代の雰囲気もあるかと思う。アジアの、日本の精神を再発見していくことで、西洋思潮とは異なる文明文化をつくりあげていかねばならいといった気概だ。
現代じゃ、こんなこと言うとウルトラライトにされちゃいかねないが。
でも、日本は長年積み上げてきた文化の厚みを持っている。それは無視できない精神史をつくりあげているのだが、それを無視して、普遍性なんかを日本に組み込もうとすること自体が間違っていると思うけど、まあそれはいいや。
和辻の論は、歴史、考古学、美術史から批判できる箇所はいっぱいあるかもしれないが、問題はそこではない。和辻が本書で見出そうとしてるものはなんだったのか。
彼が奈良で、西洋とは異なる思想に裏打ちされている何かの確信を得たわけで、東洋精神を、東洋哲学をつくりあげようとしている。
戦前の知識人のすごいのは、彼らはけっして一つの分野に固執しないで、手広く学問をしているところだ。和辻は『正法眼蔵随聞記』 なんかも校訂している。

「しかし西洋の様式を学んだ日本人の油絵が日本人の芸術であり、しかも固有の日本画よりも好い芸術であるが如く、唐風を模した日本人の仏像寺塔も亦日本人の芸術であって、『万葉』の歌以上の価値を持っているということは云えないだろうか。僕は固有の日本人の「創意」にこだわる必要を見ない。天平の文化が外国人の協働によって出来たとしても、その外国人がまた我々の祖先となった以上は、祖先の文化である点に於いて変わりがない。『万葉』は貴い芸術であるが、文化の表徴としては部分的なものに過ぎぬ。だから僕は『万葉』の反証には驚かない。仏前唱歌の如きは恐らく一種の余興に過ぎなかったであろう』(141)

薬師寺東院堂聖観音を見て。
「僕たちは無言の間々に詠嘆の言葉を投げ合った。それは意味深い言葉のようでもあり、また浅ましいほど空虚な言葉のようでもあった。最初の緊張がゆるむと、僕は寺僧が看経するらしい台の上に坐して、またつくづく仰ぎ見た。何という美しい荘厳な顔だろう。何という力強い偉大な肢体だろう。およそ仏教美術の偉大性を信じない人があるならば、この像を見させるがいい。底知れぬ胸は、あらゆる力と大いさとの結晶ではないか。あの堂々たる左右の手や天をも支えるような力強い下肢は、人間の姿に人間以上の威厳を与えていないか。しかもしれは、人間の体の写実としても、一点の非の打ちどころがない」(189)

天理教について。
「あの熱狂的なおみき婆さんが三輪山に近いこの地からでたことは、古代の伝説に著しい女の狂信者の伝統を思わせて、少なからず興味を刺激する。……とにかく教祖の信仰は本物であったらしい。それが現在の文化の内に力強く生育していかないのは、一つには堕落し易い日本人の性情にも依るであろうが、もう一つにはそれが世界的な思潮に没入して行かないからではないだろうか。親鸞の宗教は基督教的心情と結びつくときに、新しい光揮する。その如く天理教も、日本文化の変形(メタモルフォルゼ)に従って変形を試みなくてはなるまい。僕の漠然たる推測から云うと、もしおみき婆さんが基督教の雰囲気内に育っていたならば、あの狂熱は更に更に大きい潮流を作り得たであろう。日本もまた一人の聖者を持ち、日本の基督教を確立し得たであろう。」(240)

法隆寺金堂壁画阿弥陀浄土図を見て。
「本尊のその左右の彫刻には目もくれず僕たちは阿弥陀浄土へ急いだ。この画こそは東洋絵画の絶頂である。剥落はずいぶんひどいが、その白い剥落さえもこの画の新鮮な生き生きとした味を助けている。この画の前にあってはもうなにも考えるには及ばない。なんにも補う必要はない。ただ眺めて酔うのである。」(256)
「乳房と腰部とに対する病的な趣味は、もはたこの画には存しない。……希臘人はいかに女体の彫刻を愛しても、いのちの美しさ以外には出なかった。それに比べて印度人の趣味は明らかに淫靡であった。この二つの気分の相混じた芸術が東宝に遷移したときに、後者をふり落とし前者を生かせたということは、それが偶像礼賛の伝統に附随するものである限り、希臘精神の復興だとも見られる。それを西域人がやったか、支那人がやったのか、或は日本人がやったのか、――恐らくはそれは三者共にであろう。そうして東方に来るほどそれが力強く行われたのであろう。その意味でこの画は日本人の沁みを、――特に推古仏の清浄を愛していた日本人の趣味を、現わしているのだろう。」(266)

夢殿観音を見て。
「モナリザの生れたのは、恐怖に慄える霊的同様の雰囲気からであった。人は土中から掘り出された白い女悪魔の裸体を見て、地獄の火に焚かれるべき罪の怖れに旋律しながらも、その輝ける美しさから眼を離すことが出来ないという時代であった。しかし夢殿観音の生れたのは、素朴な霊的な要求が深く自然児の胸に萌し初めたという雰囲気からであった。そのなかでは人はまだ霊と肉との苦しい争を知らなかった。彼らを導く仏教も、その生れ出て深い内生の分裂から遠ざかって、むしろ霊肉の調和のうちに、――芸術的な法悦や理想化せられた慈愛のうちに、――その最高の契機を認むるものであった。だからそこに結晶したこの観音にも暗い拝啓は観ぜられない。まして人間の心情を底から掘り返したような深い鋭い精神の陰影もない。ただ素朴にして、しかも云い難く神秘なのである。この相違はモナリザの微笑と夢殿観音の微笑との間に明かに認められると思う。」(282)

中宮寺観音を見て。
「僕は聖女と呼んだ。観音という言葉よりもその方がふさわしい。しかしこれは聖母ではない。母であると共に処女であるマリアの美しさには、母の慈愛と処女の清らかさとの結合が、「女」wpp浄化し透明にした趣があるが、しかしゴシック彫刻に於けるように特に母であるか、或は文芸復興期の絵画に於ける如く特に女であるかはまぬがれない。だから聖母は救主の母たる威厳を現わし、或は浄化されヴィナスの美を現わすのである。しかしわが聖女は、およそ人間の、或は神の「母」ではない。そのういういしさは「処女」のものである。がまたその複雑な表情は、人間を知らない「処女」のものとも思えない。と云って「女」では更にない。ヴィナスはいかに浄化されてもこの聖女にはなれない。しかもなおそこに女らしさがある。女らしい形でなければ現わせない優しさがある。では何があるのか。――慈悲の権化である。人間心奥の慈悲の願望が、その求むるところを人間の形に結晶せしめたものである。」(288-289)


2022/01/27

『戦争と平和』 2 トルストイ/望月哲男訳 光文社古典新訳文庫

アウステルリッツの会戦、相も変わらず、ニコライは皇帝に心酔しているが、この巻の最後の場面、アレクサンドル皇帝とナポレオンがティルジットでの和平会談を目撃したニコライは違った感情をもっているようだ。宴席でニコライは、汚物や死臭を漂わせるデニーソフがいる病院を思いだす。
「あの小さな手をした自信満々のボナパルトが思い起こされた。あの男が今や皇帝であり、アレクサンドル皇帝の愛と尊敬を享受しているのだ。あのもがれた手足は、戦死した者たちは、いったい何の役に立ったのか? さらにあの褒章を受けたラザレフと、罰せられたまま許しを得られぬデニーソフが思い起こされた。」(566)
ニコライはとうとう次のステージに入ったようだ。映画『二〇三高地』にロシア贔屓の先生みたいだな。

再読して気づいたが、アンドレイは真っ青の空を見たのではなかったのだな。
「『これは何だ? 俺は倒れるのか? 葦が立たないぞ』そう思いながら彼はあおむけに倒れた。フランス軍と砲兵部隊の戦いはどうなったのか、あの赤毛の砲兵はしうんだのかどうか、大鵬は奪われたのか守られたのか――それを確かめようとして目を開けた。しかし彼にはそのどれも見えなかった。彼の上にはもはや何もなく、ただ空があるだけだった――高い空、腫れてこそいないが計り知れぬほど高い空と、その空を静かに流れていいく灰色の雲が。『何と静かで、穏やかで、荘厳なんだろう。俺が走っていたのとはまるで違う』アンドレイ公爵はふと思った。『俺たちは走り、叫び、闘ってきたのとは違う。あのフランス兵と砲兵が憎しみと怯えの形相で洗矢の引張り合いをしていたのとはまるで違う。あの高い、果てしない空を行く雲の歩みは全く別ものだ。どうして俺はこれまでこの高い空を見たことがなかったんだろう? でも、何という幸せだろう、ようやくこの空を知ることができたのは。そうだとも! すべては空っぽであり、すべてはまやかしだ、この果てしない空のほかは。何も、何もない、この空のほかは。いや、それさえもない、何ひとつないんだ。静けさと安らぎのほかは、ありがたいことじゃないか!……』(212-213)
ナポレオンが地位の高い捕虜を見に来たとき、アンドレイは、勇敢さをアピールするロシア青年とそれを讃えるナポレオンを横目で見る。ナポレオンはアンドレイに具合を尋ねる。アンドレイはナポレオンがちっぽけな存在に思われて仕方がなかった。すべてが空しく。返事をせず。(245)

ピエールがフリーメイソンに加入する。社交界から離れ、真に心の平安を求めて。家庭にも社交界にも見出しえなかったものを、フリーメイソンは与えてくれるのか。
ピエールは領地の農奴たちの暮しを良くしてあげようとするも、すべて中途半端。ピエールは結局は単なる理想主義者なのか? ここにはサン・シモンやロバート・オウエンのような実践的な社会主義者が存在していない。これは、いわばそれだけロシアがいかに産業が遅れていたかを示してもいる。結局、農奴解放しても彼らの「身の振り方、運営はどうするのか。社会を、国を良くしたい、そのために何が必要か、ピエールは何もわかっていない。
とは言いつつも、ピエールの人の良さはアンドレイの家族に好意的に受け入れられていく。アンドレイ自身もピエールと議論するなかで、かつてアウステルリッツで知ったあの高い空の感覚を取り戻していく。(480-497/第2部 第2編 11章、12章)
アンドレイは、妻が死に、すべてが家族のために、自分のためという目的で行動するようになっていた。でもそれってアウステルリッツがあったからだ。

ボリスとニコライ、いい感じではないですか。
ボリスが思いもかけず出世して、いつのまにかニコライと立場が逆転。その描写では足を組んで、余裕をかましていたり。それにニコライは普段着でなんかみすぼらしい感じになっている。しかも友人のために走り回っている。ニコライが、いい感じで仕上がってきた。ボリスもいい感じだな。

2022/01/26

『環境リスク学 不安の海の羅針盤』 中西準子 日本評論社

んー、リスクという考え方がもっと広まればなー。コロナのバカ騒ぎも終わるような。中西さんが言うように「ファクト」を重視すれば、とも思うが、ファクトを関数に導入して自動的に解が導出されるわけではなく、人間のフィルターをかけざるを得ないので、まあファクトではどうしようもないとは思うが。
種類の異なるもののリスクをどうやって評価するのか、中西さんの研究。確率で許容範囲を考えていく。
そして重要な指摘が、
「私は費用と言ってきましたが、これは必ずしもお金だけを意味しているのではなくて、不便さとか資源の利用などの要素も含めてお金で評価されたものです。つまり、費用とは「リスク削減のためにわれわれが強いられる犠牲の総額」と考えてください。」(45)
そうだよなー。資源が無限だと考えている奴らがいるのがむかつく。
中西さんはさらに市民団体もリスク計算をしてみるといいと言っている。そうすれば、どこで線引きをすべきかという現実的な解を考えざるを得ないからだ。このあたりが中西さんなんかは市民団体から非難される原因かな。
市民感覚という単語によって、過大に安全側に寄ってしまっているのが現在で、これは由々しき事態ではあります。

中西さんは学生たちがQOLに取り組むことを認めなかった言っている。なぜならQOLが低い人、低くなった人が回復されない間は、質の低い人生とみなされてるという問題があるからだという。(125)
これも正当な見方かと思う。数値で表すことの利点もあるが、それに伴う不利益もでてきてしまう。当然でしょう。
QOL発想は、損失余命だけでリスクを評価できないから。中西さんの考えでは、精神的苦痛でも、弱い苦痛でも、それが長引けば寿命に影響を及ぼすと考えて損失余命を選んでいる。しかし、日本においては微小な影響が多くなっていて、それは裏返せば大きな影響がある事故が少ないということだが、しかし、この弱い影響を評価する上ででてきたのが、QOLだったという。
QOLは完全な健康なら1、死を0として、生活の質をその間のどこかに置くことになる。
QOLの低下はつぎのとおり、1-QOL。
QOLに年数をかけた値が質調整生存年(QOLYs)
ここからあるべき生存年から引いた値をリスクと定義する。
QOLによって、健康被害における金銭保障がある一定の客観的評価によって行えるのは確か。
しかし生まれつきの場合、その人の人生は低い価値なのか、となる。QOLは人の人生を数値によって測るために使い方が難しい。
当事者たちは、質の低い人生だと言われれば反発するし、当然そのとおりだろう。だいいちに完璧な人生という設定自体に無理がある。当事者たちは自らの障害を過大に喧伝されるのを恐れる。それは差別を生むからだし、自分たちの生を否定されることにも繋がるからだ。
さて、ここで中西さんの重要なことが書かれている。
「若い人が人生で、楽しいことを経験せず死ぬ。年を取った人なら、これまでの社会の役割を果たしてきたし、人間にも寿命があるのだから、いいではないか。いいではないかと言うと不穏当かもしれませんが、私ももう歳なので、私の気持ちとして聞いてください。ここには、死という不連続なものを恐れるだけではないものが、人間にはあるということです。つまり、ある種平均寿命的なものを生きる覚悟と、そしてやがて死ぬ覚悟です。だから、損失余命は一つの尺度になるかと思います。そこまで考えて使うことにしました。最初に信いs津余命を認めるかどうかというときにさんざん考えて、これはいいだろうと。もちろん、損失余命でも差別問題が噴出することはあるのです。大気汚染によって主として老人の命を失う場合と、事故などで若者も含めて命を失うふたつの場合を考えます。大気汚染だと、若者の被害者は少ないが、老人の被害者は多いのです。そこで大気汚染の対策と、事故の対策を比べる必要があるとします。死の数では一緒だとしても、損失余命で考えたら、若者のは三十何年から五十年の生命を失うから、年寄り一人より若者一人を救う政策のほうがいいということになります。つまり損失余命で年寄りは六年だが、若者は四十年から五十年ありますので、若者一人死ぬことは、年寄りが六~七人死ぬと同じ価値ですよ、ということになります。だから、損失余命だけを使うと、若者を救うべきというこちょになるのです。……米国で年寄り差別だといおう抗議運動があって、一部で損失余命を使うのをやめたこともあります。これは、決して差別ではないのですが、ある種の政治運動にされてしまうこともあるのです。こうした差別問題のプロパガンダに十分対処すること、その裏側では評価の高い人と低い人がいるので、使い方によっては差別的になること、また、限られた資源のもとでは、誰かが救済され、誰かが救済されないという現実があり、それが、評価への批判になりやすいという事実をよくふまえないといけないのです。ここが、リスク評価を有効に仕えるかどうかの大きな分岐点になるでしょう」(133)
中西さんはさらに、評価が恣意的であるのは当然であるとしている。別に完全な客観的なものではない。ただし、そのリスク評価の手法を示せば、どう評価したかがわかる、ダムと原子力発電のリスク評価は同列にはならない。その裏には利害関係者が関わっている。ただその評価方法は示せる。
「安全だから許容値だというのではない。この程度のリスクを、当面の許容値にしようと決めるのが、リスク論である。寿命が短くなると言うと騒がれるから、許容値という概念をだすのがリスク論であるというのとは制反対である。そもそもリスク論などないときから許容値という概念はあった。」(212)
んーーいろいろと現在繰り広げられているコロナのバカ騒ぎをみるにつけ、日本リスク論を受け付けない気質があるのか、それともマスコミが騒いでいるだけなのか。

2022/01/25

『言語学バーリ・トゥード Round 1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』 川添愛 東京大学出版会

風呂入りながら、一日二篇づつ読んだ。

相互知識のパラドックス Clark, H.H. and Marshall, C.R.(1981)"Definite reference and mutual knowledge"(A. Joshi, B.L. Webber, and I.A Sag(eds.) Elements of Discourse Understanding, pp.10-63, Cambridge University Press, Cambridge)
これ読んでみたい。

主語の大きさについて。主語の大きさ、つまり裸名士が文中で実際どれほどの範囲をカバーしているかは述語に左右されると。述語が「性質」か「状態」かで範囲が変わると。曰く、
「述語が『恒常的な性質』を表すとき、主語の裸名士はそれが記述する属性を持つもの一般を表すことが可能だが、述語が『一時的な状態』を表すときはそうではない」(84)
「猫はすばしっこい」と「猫は昼寝中だ」の違い。
にゃるほどー。

川添さんもマンションポエムが気になっているようだ。
「海老名市最高層を、住む」
なかなかいい感じだ。
わが小金井にはシティテラス小金井公園があり、マンションポエムがいくつかある。
「この名作、いよいよ完成」
「武蔵野を極める」
「小金井公園を日常にする」
とまあ、知性もつ僕からすると購入意欲をそがれ、このマンションに住むこと自体が恥辱でしかない。
でも、なかなか秀逸だと思う。
「小金井公園」を日常にする、というのがまあ言いたいことはわかるけど、別に日常でなくていいでしょ、あんな公園。
しかしまあ考えている人も、どこまで本気でこんなポエムつくっているのかな。絶対にニヤニヤしながら創作しているはずだ。

2022/01/24

『戦争と平和』 1 トルストイ/望月哲男訳 光文社古典新訳文庫

『戦争は女の顔をしていない』を読み、今一度読むことを決意。光文社古典新訳文庫で読む。全6巻、あらためて長さに思いやられる。
一巻では、まだそれほどお話は進まず。
読みなおしてみて、ピエールはどうも自閉症的な人物のようだ。これはなかなか重要なところかもしれない。
ニコライってこんなに皇帝陛下万歳の人間だったか! 忘れていた。皇帝陛下のために死すらいとわない感じ。お側にいるだけで卒倒しそうな感じだ。
そしてボリス。こいつがなかなか最初は冴えない感じだが、出世しそうな雰囲気だけは初登場からある。押しの強い母を一歩下がって、やれやれみたいな態度や、でもまんざらそれで手にした地位を棄てないというしたたかさも持ち合わせている。

2022/01/23

『不道徳的倫理学講義――人生にとって運とは何か』  古田徹也 ちくま新書

運と運命で左右される人生観はかなり諦念を含む。
プラトン『ゴルギアス』の神話によれば、「不治の者」は、因果応報で奈落に落されると読める。にもかかわらず、この神話では審判が下されていることになる。因果応報なのにもかかわらずだ。「責任は選んだ者にある。神に責任はない」とすれば。

アダム・スミスの道徳について。
「<正当な道徳的評価は運にさゆうされて下されてはならず、――これをスミスは公正の原則(equitable maxim)と呼ぶ――を、誰もが同意するはずの真理だと指摘するのである」(229)
そして、
結果の評価は、運に影響される。行為者の人格や行為に対する感情を根拠とするのは適当ではないと。
つまり、行為者の動機と意図から予想される結果を基に評価がする。これを<功罪(merit/demerit)の評価>と呼ぶ。<功罪の評価>は結果の評価ではない。では中立な傍観者の評価はできるのか。
アダム・スミスの答えは、古田さんによると単純すぎる。善悪あわせもつ。経験豊かな人物が、多面的な評価をすべきというな感じだ。「良心」への信頼があるな。
ただし、スミスは、意図や動機だけでは評価はできず、結果もやはり無視できないというところで落ち着いている。
人は意図した行為でなくても害悪が生じた場合、罪の意識が生じる。それはスミスは他者の幸福を尊重することという。
意図や感情だけで捌けば、それは異端審問のようなものとなる。
「現実の我々は、結果として誰も傷つけなかった人に対して傷害罪や殺人罪と同等の処罰が課されることに対して、これほど公正さを揺るがすものはないという感覚をもつ。それがいかに公正の原則から逸脱した不規則な感覚であろうとも、我々の生活や社会にとって重要な自然な感覚なのだと、スミスは主張するのである」(258)
「<感情の不規則性>や<誤った感覚>に流され、<見えざる手>に導かれて、図らずもたまたま皆の幸福に寄与できたとしても、その結果に至る手段や経緯を自分で正当化してはならない。運によってもたらされたものは、何であれ真の意味で称賛されるべきものではない。公正の原則に従えば、そうなるだろう。人びとはこの点を省みて、いまの自分に驕らず、理想を忘れ去らないことを、スミスは願っていたと言えるかもしれない」(262)
ねー。そうだよねー。世にはびこる自己啓発本なんかの胡散臭さは、この「運」についての考え方が違うということだな。すべてが運でないにしても、運が寄与する影響は凄まじいのに、自己啓発本は運ではなく鍛錬を推奨することだ。ただ鍛錬がいけないことではないがね。

バーナード・ウィリアムズとトマス・ネーゲルの箇所がいい感じ。
「道徳的運(Moral Luck)」とは。ネーゲルは、ある行為が行為者のコントロールを超えた諸要因に依存しているが、なお我々は行為者の道徳的評価の対象として扱い続ける場合に。その諸要因を道徳的運とする。
人はあらゆる行為に自分のコントロールではきかない外的要因が、結果に左右していることに気づいているが、しかしそれだと「責任」がなくなる。しかし実際は「罪の意識」は生じるし、「責任」だも生じてしまう。この矛盾した状況で働いている運と「道徳的運」としている。
しかし、ここで言っている「道徳的運というのは実は道徳をめぐる問題ではなく、認識をめぐる問題にすぎない」(293)というものだ。
つまり完全な認識を得られていない。認識を得られれば道徳を問えるのだということになる。これってラプラスの魔みたいな話ではないですか。
そこでバーバード・ウィリアムズが登場。
広義の道徳と狭義の道徳。これは柄谷行人の倫理と道徳の区別と同じ。狭義の道徳では義務や責任を指す。広義の道徳では、いかに生きるべきが問われている。なのでときには狭義の道徳に抵触することもある。「咎なくとも、責がある行為」ということもありえるわけで。
咎なくても責を感じる、これがない場合、行為者は不道徳な人間になっていく。
ネーゲルの議論を敷衍すると、咎がない、つまり外的な要因による影響のみの場合、自責の念にかられる必要はないことになる。というのも、そこには認識が不完全であるから、と。
このネーゲルの感覚は、ストア派にまで遡れ、自らのコントロール外の場合、それに供えて心を準備する必要はあれど、結果については責任はないとなっていくわけだ。そうなると、すべてが保や社会制度によるものとして自らの責任を免れていく。それはアイデンティティの危機でもある。というのも人生は運が影響されているのだから、それをすべて外にほおりだせば済む話ではない。
「後悔は消去しえないということ、人生は「意図的にしたこと」と「他の、単に自分に起こったことだけのこと」とに峻別できるようなものではないということは、行為というものは本性に存することでもある。(Willians, Shame and Necessity p70)(328)
カントからすれば、善は幸福であるべき、となる。そしてそれは理性が要請していると。悲しい人間の性よ。でもでもそれは道徳と運を切り離しすぎているわけだ。M.C.ヌスバウムの問い。「アリストテレスをはじめてとする古代ギリシアの思想家たちは、価値ある生活を営むために人間はどの程度運と共存すべきか」と問うたと。(282)で、古代ギリシアでは基本的に徳のある生活をすれば幸福であるという考えが基調にあったとしているようだ。

ということで、バーバード・ウィリアムズはなかなかおもしろいので、翻訳がある『生き方について哲学は何が言えるのか』(産業図書)を今度読んでみよう。ともったら文庫になってやんの。しかも2020年11月。筑摩の人もこの本を読んだか。しかも2019年8月には、『道徳的な運:哲学論集1973~1980(双書現代倫理学)』が出版されている。これも念頭において、古田氏、この本を書いたのか?

2022/01/22

『ドードーをめぐる堂々めぐり 正保四年に消えた絶滅鳥を追って』 川端裕人 岩波書店

挿絵をみているだけで、おもしろい。ドードーがどのように需要されていきたかもよくわかるし。残念なのが、やっぱり出島ドードーの行方がわからないところだけど、まあこれもノンフィクションならではだし、すべての謎が解き明かされるわけではないし。
ドードーについてはまったくの無知で、川端さんだから買った本でもある。モーリシャス島に生息していたということも知らなかったし。
収穫はドードーが日本に着ていたという話もさることながら、蜂須賀正氏、近藤典生という方々を知ったこと。みんな知らないところでがんばっていらっしゃる。
とにかくドードーが学際的な拡がりをもつことがよくわかる。
「オランダ商館長日記」のドードー箇所がすでに2005年に訳出されているのにもかかわらず、誰もこのドードーが大事件だったことに気づいていないというのが、いい話。

2022/01/21

『福沢諭吉の哲学 他六篇』 丸山眞男/松沢弘陽編 岩波文庫

「福沢が「物ありて然る後に倫あるなり、倫ありて然る後に物を生ずるに非ず。臆断を以て先ず物の倫を説き、其倫に由て物理を害する勿れ」(文明論之概略、巻之一)と断じたとき、それが思想史的に如何に画期的な意味を持っていたかということは、以上の簡単な叙述からもりかいされるであろう。彼は社会秩序の先天性を払拭し去ることによって「物理」の客観的独立性を確保したのであった。」(53)
社会の規範や階層から離れて存在することはできない、だから個人が社会的環境を離れて直接自然と向かい合うという意識は成熟しない。この規範からの乖離を自覚した時はじめて無媒介に客観的自然と対決ている自分を見いだす。「社会から個人の独立は同時に社会からの自然の独立であり、客観的自然、一切の主観的価値移入を除去した純粋に外的な自然の成立を意味する。環境に対する主体性を自覚した精神がはじめて、「法則」を「規範」から分離し、「物理」を「道理」の支配から解放する。」(53)となる。
まず福沢にとっての「実学」とは、巷に溢れる実学とは異なる。通常言われる実学は、生活態度の単なる習得でしかない。環境に順応していくこと、商人であれば自然と商人になるべきと、自己に与えられた環境からの乖離を求められていない。
福沢の実学は異なる。「「実学」とは畢竟こうした生活態度の習得以外の者ではない。そこでいわれる学問の日用性とは、つきつめて行けば、客観的環境としての日常生活への学問の隷属へ帰着するのである。ところが福沢においてはどうか。ここでは生活の客観的環境ではない。……逆にそうした状況に絶えず自らを適合させていこうとする。」(57)
福沢の場合、絶対的な真理や価値判断というものをみとめておらず、善悪、美醜、真偽などは関係のなかで見いだされるものであること。より重要だるとか、より悪いといったように、選択の問題として具体的な環境に実践的に確定されていくものとしているという。
「是に反して主体性に乏しい精神は特殊的状況に根ざしたパースペクティブに囚われ、「場」に制約せられた価値基準を抽象的に絶対化してしまい、当初の状況が変化し、或はその基準の実践的前提が意味を失った後にも、是を金科玉条として墨守する。」(84) 
「この様に、固定的価値基準への依存が「惑溺」の深さに、之に対して、価値判断を不断に流動化する心構えが主体性の強さ(福沢はそれを「独立の気象)と呼んだ)に夫々比例するとしてもそうした人間精神の在り方は福沢において決して単に個人的な素質や、国民性の問題ではなくして、時代時代における社会的雰囲気(福沢の言葉でいえば「気風」)に帰せられるべき問題であった。換言すれば、固定した閉鎖的な社会関係に置かれた意識は自ら「惑溺」に陥り、動態的な、また解放的な社会関係にはぐくまれた精神は自ら捉われざる闊達さを帯びる。また逆に精神が社会的価値基準や自己のパースペクティブを相対化する余裕と能力を持てはつ程、社会関係はダイナミックになり、精神の惑溺の程度が甚だしい程、社会関係は停滞的となる。……福沢は単に価値判断の絶対かという問題にとどまらず凡そ一定の実践的目的に仕えるべき事物や制度が漸次伝統によって、本来の目的から離れて絶対化せられるところ、つまり手段の自己目的化傾向のうちに広く惑溺減少を見いだした。」(86) 
「『既に世界に生まれ出でたる上は、蛆虫ながらも相応の覚悟なきを得ず。即ち其覚悟とは何ぞや。人生本来戯と知りながら、此一場の戯とせずして恰も真面目に勤め……るこそ蛆虫の本分なれ。否な蛆虫の事に非ず、万物の霊として人間の独り誇る所のものなり』(福翁百話)。人間をを一方で蛆虫と見ながら他方で万物の霊として行動せよ――これは明白にパラドックスである。」(110)

 政治を語る上でよく使われる「悪さ加減」の選択。そして重要なのが「統治形態は広義の社会的条件と相関的であり、それを人為的に維持・変革・移植しうる程度には限界があるという」(133)こと。

2022/01/20

『猫に学ぶ いかに良く生きるか』 ジョン・グレイ/鈴木晶訳 みすず書房

最後の十か条、というか十戒かな。
1 人間に対して理性的になれと説教しないこと。
不合理さを感じたら黙って立ち去れと助言している。うん、そうだよな。

2 時間が足りないと嘆くのは馬鹿げている
まさに。それ自体がおもしろいことをやれとおっしゃる。

3 苦しみに意味を見出すのはやめよ
不幸を売るのは柄じゃない~。

4 他人を愛さなくてもはならないと感じるよりも、無関心でいるほうがいい
惻隠の情というやつですね。変な博愛主義や人類愛はヤバい。

5 幸福を追求することを忘れれば、幸福が見つかるかもしれない。
幸福探しが逆に不幸に至らしめている。やはり封建制こそ人類にとっては安息を得られる制度かもしれない。

6 人生は物語ではない。
書かれない人生のほうが、どんな物語よりもはるかに生きる価値があると。そうだよね。偶然こそが生きる楽しみ。

7 闇を恐れるな。大事なものの多くは夜に見つかる。
これも6と同じ。考える前に感じろ。

8 眠る横路こびのために眠れ
おおー。マインドフルネスがビジネスに使われていると聞いた時、それって本末転倒じゃんと思ったものだ。

9 幸福にしてあげると言ってくれる人にはきをつけろ
幸せを売る人は、自分の方が幸せだと思っているということで、私の苦しみはそんな人たちの糧だと。

10 少しでも猫のように生きる術を学べなかったら、残念がらずに気晴らしという人間的な世界に戻れ
おもしろいのが、自分にあった信仰が見つけられないなら、日常生活に没頭し、見え透いた政治ごっこや毎日騒ぎ立てるニュースが救いをもたらすといっていることだ。

以下、抜粋など。
「モンテーニュは、普通の言語には過去の形而上学体系の残滓が散乱していることに気づいていた。それらの痕跡を発掘し、自分たちが現実だと考えていたことがじつは虚妄であることを知ることによって、われわれはより柔軟に思考できるようになるだろう。哲学に対する同種療法薬(ホメオパシー)――反哲学といってもいい――を少量服用すれば、われわれも他の動物たちに近づけるかもしれない。そうすれば人間も、哲学者たちが人間より劣った存在として切り捨ててきた生き物から何か学べるかもしれない。そういう反哲学は、議論ではなく物語で始まることだろう。」(15-16)

「エピクロスはどこか釈迦に似ている。どちらも欲望を棄てれば苦しみから解放されると説く。だが釈迦のほうが現実的で、平安は輪廻転生から離脱することによって、言いかえれば個体として生きるのをやめることによって、達成できると説く。……エピクロスとその弟子たちにとって、宇宙は無のなかに浮かんでいる原子の混沌である。神は存在するかもしれないが、われわれに対しては無関心だ。人間の仕事は自力で苦しみの原因を取り除くことだ。」(38-39)

「気晴らしは人間という動物を定義する特徴に対する答えである。その特徴とは、自意識とともに生まれた死の恐怖だ。……猫は、自分自身の内部に闇を抱える必要がない。猫は、昼の光のなかで生きている夜行動物だ。」(54)

アリストテレスにせよ、人間という存在に宇宙の目的と見なしている。キリスト教とも似通っているこの考えは、人間と他の動物の明確な線引きを要求している。
合理主義の欠陥は人間は理論を適用すればきちんと生きていけると考えてしまうことだという。そうなのだ。みんながみんな合理的に生きていると思っている。でもだったら議論なんかいらないし、みんな幸せだと思うけどそうなっていない。

スピノザの「コナトゥス」という観念について。conatus、努力、傾向、奮闘、、、。世界の中で自分の力を維持し、そして拡大することを努力する。動物が得物をとる時、それは自らの力を主張している。憐れみは悪である。スピノザは権威や神による法ではない道徳・倫理を説く。善悪でもない。
利他主義は近代の発送であるという。利他主義を説く動物学者がいて、ぼくは相当影響を受けている。功利的利他主義にしても、進化論なども相まって、人類愛に行きつくが信用にならん。著者は神よりも信用ならんという(85)
「自分個人の本性を実現するという倫理は、自己を想像するという考え方とは違う。」(87)
「猫は暗闇でも眼が見えるが、彼らの生活には臭いや触感のほうが重要である。猫にとって良き人生とは、彼らが感じ、嗅ぎ取ったものであり、遠くにある何かをちらりと見たいということではない。」(90)
猫は無心の利己主義者だという。そして彼らは自己イメージをもたないがゆえに、彼らの経験は人間よりも濃密であると(92)
「論理的思考は現代の神経症者をかえってあっかさせてしまう。」(132)

アーネスト・ベッカーを引く。狂人ほど論理的であり、細かい因果関係に強い関心をもっていると。宗教はそのような論理を無酢するように教えてくれるのだが、彼らは不条理な自らの生を正当化できない。うーー。
人は人生を悲劇にしたてようとする。しかしそれによって悲しみに囚われてしまう。
「棄てられる荷物のひとつは、完璧な人生はありうるという思い込みだ。人間の人生はかならず不完全なものだ、という意味ではない。人生はどのような完璧な肝炎よりも豊かだ。良き人生とは、これまに送ったかもしれない、あるいはこれから送るかもしれない人生のことではなく、今すでに手にしている人生のことだ。この点で、猫は人間の教師になれる。彼らは自分が送っていいない生活に憧れたりしないからだ。」(151)
哲学は人を慰めてくれない。哲学は人間の病だ。

2022/01/19

『虐げられた人びと』 ドストエフスキー/小笠原豊樹訳 新潮文庫

 この小説は、登場人物が比較的単純な構成になっている。その分、ドストエフスキーとしては読みやすい。

でも、おもしろいのは『カラマーゾフの兄弟』と同じように家族がテーマであることだ。『虐げられた人びと』なんか読んでも、ドストエフスキーって結構保守的な人物だったのかなーと思う。というか、そもそも家族とは何か、というテーマ自体が非常に古いものであって、それを真面目に論じるとやはり保守的に見えてしまうのかもしれない。
この小説では夢見がちな青年アリョーシャと、清廉潔白なナターシャとの恋愛が結婚へと成就できず、アリョーシャは他の女と結婚、しかも恋愛結婚というよりも父親の意向が強い。
家を棄ててアリョーシャをとったナターシャは、全てを懺悔して家に戻る。
小津安二郎の映画なんかもそうだが、結婚を感情的なものとしてよりも、もっと理性的というか、理知的で経験的なものとして捉えている。
娘、父の気持ち知らず、しかし父も娘の気持ち知らず、という感じ。

ワルコフスキーが、もっともドストエフスキー風の登場人物で、あとがきで小笠原先生がスヴィドリガイロフの先駆と言っているように、かなり強烈な個性をもった人物となっている。
ドストエフスキーは基本的には少女趣味的な、メルヘンチックなものにもかなり興味があったはずで、
「哀れな少女の可愛い姿は、まるで幻影か絵姿のように夢現の中に見え隠れするのだった。少女は私に飲みものをすすめたり、寝床を直してくれたり、あるいはおびえた悲しそうな顔つきで私の前にすわり、小さな指で私の髪を撫でてくれたりした。一度、私の顔にそっと接吻してくれのを覚えている。」(254)
かなり微笑ましい場面ではある。これなんか、現代の妹系アニメにも通じる。
ネリーの小説の中での役割としては、それほど大きなものではないが、やはり身寄りのない少女を預り、でも病気になって、しかもその子が父娘を和解させて、そして死んでいくというのは、まあなんというか狙いすぎな感じだが。
この小説の肝は、結局は結婚は破断になること、そして家族でシベリアへ移住せざるを得なくなること、ネルーが死なざるを得ないこと、主人公のワーニャとナターシャは結ばれないこと、あらゆることで運命は変えられない、でもその中で何か光を見出せるかもしれない、といった感じかな。
ネルーの最後に死の情景は、絵画的に終わる。多くの花に飾られるネリー。ネリーは母親との約束を守らずに公爵を訪ねなかった。

「ワーニャ」とナターシャは言った。「ワーニャ、夢だったのね!」「何が夢だったの」と私は訪ねた。「何もかもよ、何もかも」ナターシャは答えた。「この一年間のすべてのことよ。ワーニャ、なぜ私、あなたの仕合せをこわしたのかしら」ナターシャのまなざしは語っていた。『私たちが一緒になったら、永遠の仕合せが訪れるかもしれない!』
感動的なラストではありませんか!
しかし、どうも結局はワーニャとナターシャは一緒にはならなかったようで、冒頭のワーニャの語りか察するに、病気のため断念したのではないかと。

2022/01/18

『戦争は女の顔をしていない』 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ/三浦みどり訳 岩波現代文庫

女性たちの前線、後衛、銃後の証言録。戦争は男がするもの、事実そう。でもそんな男だけの世界で生きた女たちの記録。とはいいうも証言の記録以上のものがあって、著者自身も
「不断なら目に付かない証言者たち、当事者たちが語ることで歴史を知る。そう、わたしが関心を寄せているのはそれだ。それを文学にしたい。……思い出話は歴史ではない、文学ではないと言われる。それは埃まみれのままの、芸術家の手によっては磨かれていない生の現実だ。語られた生の素材というだけ……などと。しかし、わたしにとっては全てが違っている。まさにそこにこそ、まだ温もりの冷めぬ人間の声に、過去の生々しい再現にこそ原初の悦びが隠されていおり、人間の生の癒しがたい悲劇性もむきだしになる。その混沌や情熱が。」(11-12)
 本書はあらゆる女性兵士の証言ということもあり、要約なんかできない。
ただ一点、何か所かで特筆すべきところがある。
それは、死にゆく兵士が空を見ながら死んでいく描写だ。

「春、戦闘が終わったばかりの畑で負傷兵を探している。畑の麦が踏み荒らされていて。ふと見方の若い兵士とドイツ人の兵士の慕いに行き当たります。あおあおとした麦畑で空を見ているんです。死の影さえ見えません。空を見ている……あの目は忘れられません。」(247)
「そのとき夫が目をあけて、なぜか『天井は青くなってきた』と言いました。私は見ました。「違うは、ワーシャ、天井は青じゃなくて、白よ」でも彼には青く見えるんです。(345)
あと一、二か所あったかと思う
とりあえず、これはおそらくだが、トルストイ『戦争と平和』を意識しているのではないかと思う。アンドレイがアウステルリッツの会戦で死にかけたときの描写でも、アンドレイは空を見ていた。人間の営む戦争という騒ぎとは無縁の静かな空。
人間の総体とは、美しさと醜悪さが混在していることで、それはいかなる価値判断もできない。最終的にはアンドレイの境地に至ってしまう。ピエールではなくね。

本書は単なる証言集ではなく、文学になっている。だから歴史的事実だとか、整合性だとかを問うべきものではなくなる。
歴史を語る際、いつのまにか客観的事実をもとにすることが歴史を語ることとなってしまった。そして証言には、記憶違いや意図的な嘘も混ざる。
ただし、そこにも語り部たちの真実が含まれている。
僕が今現在語ることと、十年後、二十年後では語り口が違ってくるだろう。それは記憶と折り合いをつけたり何なりした結果だ。それで聞き手の印象も違ってくるだろう。
文学なんだから歴史的事実とは異なるという批判は的を得なくなる。