2022/02/04

『戦争と平和』 3 トルストイ/望月哲男訳 光文社古典新訳文庫

登場人物の性格というか心情がどんどん変化していく。ドストエフスキーのような人物描写とはかなり異なる。
アンドレイは結構実務家タイプとのことで、ピエールが中途半端なかたちでおこなった農奴を解放して自由耕作制にしたり。
アンドレイはアウステルリッツで高い空を見るが、禿山にもどると一転して諦念の塊になっていく。そこにナターシャと出会う。オトラドーノエでの春を感じるアンドレイの心情描写が、再びアウステルリッツの高い空と同じ心境をもたらしていることを物語っている。(21)
「ピエールにも、空をとびたがっていたあの娘にも。みんなが俺を知り、俺の人生い鶏だけのものでなくなり、人々が、あの娘のように俺の人生とはかかわりなく生きるんじゃなくて、俺の人生がみんなに反映し、皆が俺と共に生きるようになるべきなんだ!」(22)

ピエールはフリーメイソンの会合なんかで、自らの思想を開陳するがイルミナティと勘違いされたり、結局フリーメイソンの集まりが下劣な低俗なもので、心を満たしてくれるものではない事に気づき始めていく。
フリーメイソンとイルミナティの思想の違いについては、よくわからない。フリーメイソンからするとイルミナティは危険思想のようだ。曰く、イルミナティは社会活動に溺れていると。フリーメイソンの目的は自己の完成であるという。(59)
神秘思想のようなものが語られる。
「わが結社の神聖なる学問においては、すべての事物の三つの根源は、硫黄、水銀、シオである。硫黄は油と火の性質を持つ。これが塩と一緒になると、その火の本性によって塩野「中に渇望を呼び覚まし、その力で水銀を招き寄せ、捕え、引き留めて、個々の物体を生み出す。水銀は液体である同時に飛翔する霊的本質である。すなわちキリストであり、精霊であり、神である。」(70)
興味深い。

恋多きナターシャよ、ボリスの次はアンドレイと。そして破滅にむかうアナトールへと。愛は理性的であるべきとの、トルストイの考えか。『アンナ・カレーニナ』ではアンナは破滅への未知であることを知りつつ、駆け落ちを実行する。ナターシャの場合は、恋に盲目になって駆け落ちに向かう。しかし、ナターシャの周りの人たちがアナトールの計画を阻止してくれる。このあたりもアンナとは違う。家族の問題がここにもある。トルストイはまさに環境が人物の幸福を左右するとでも言いたげではないか。
アンドレイもナターシャも幸福の絶頂にいる。(122、134など)
しかし、どうも最初からうまくいかないことがトルストイは仄めかしながら書く。
「ピエールは、幸せになるためには幸せの可能性を信じなくてはいけないと言っていたが、あれは正しい。俺は今こそピエールを信じる。死者を葬るのは死者に任せ、命ある間は生きて幸せになることだ」(137)
ナターシャとアンドレイの出会いは、まさにペテルブルグで催されたフランス式の大宴会。皇帝もいる。そんななかでアンドレイはナターシャに声をかけて、ダンスをする。するとみんなかダンスの声がかかり、有頂天になっていく。ナターシャの至福の時。
しかし、アンドレイは父親に反対されて、一年まてろ言われる。一年たてば好きにしろと。
老ボルコンスキー公爵も少しづつ性格がきつくなっていく。当初はまだ頑固一徹で誰からも慕われる厳格な父であり、貴族であったのが、いつのまにか物分かりの悪い爺さんに変貌している。とはいいつつ、外部のものからは依然と慕われているようだ。老公爵のフランス憎悪も凄まじいが、息子の結婚に反対するために女中みたいなマドモワゼル・ブリエンヌに色目をつかいだし、いよいよヤバさが醸し出してくる。
マリヤへの仕打ちも酷い、がマリヤは家族のためにそれを受け入れている。

ナターシャの田舎暮しの描写は、ペテルブルグとは対称をなしている。猟にでたり、バラライカの伴奏でロシア式踊りに目覚めたり。食事にも都会では味わえないものを楽しむ。(250)
「とっくの昔にフランス風のショール・ダンスに駆逐されてしまっていたはずのこんなしぐさを、いったいどこで身につけたのだろうか? だがこの気合もしぐさも、まさに真似もできなければ勉強しようもないロシア的ものそのものであり、まさにこれをおじはナターシャから引き出したかったのだった。(256)
ピエールはどんどん自堕落な生活にも慣れていったり、自分を見失っていく。そんな自分に仕方がないじゃないかと自分に言い訳しながら、そんな生活に堕している人々への同情と敬愛なんかも生れていっている。(323)
アナトールへの蔑みをもちつつも、彼との生活にも慣れていくピエール。アナトールはまさに享楽主義者であり、未来を考える能力を持ち合わせていたに人物と描かれる。
ただアナトールとナターシャの件で、彼は巨悪の根源であるアナトールをモスクワから追放し、ナターシャへの愛を告げたあたりから、再び自分を取り戻していく。
ナターシャなんか結構不埒な奴で、アンドレイとアナトールを選びきれずに、二人同時にみたいなことを考えたりしている。(426あたり) ナターシャの苦悩は、そのまま『アンナ・カレーリナ』のアンナなのだ。
自らどんどん深みにはまっていく。ついにはアンドレイとは結婚しないとマリヤに手紙まで書いてしまう。(438)

再び高い空。今度はピエール。
「キンと冷えて晴れ渡っていた。泥だらけの薄暗いとおりと、黒っぽい家々の屋ねの上に、暗い星空が広がっている。ただその空を見つめている間だけピエールは、自分の心が駆け上がったあの高みに比べれば、地上のものすべてが屈辱的なまでに卑小であることを、感じずにいられるのだった。アルバート広場に差し掛かると、暗い星空の巨大な空間がピエールの目の前に開けた。その空のほぼ中央、プレチステンスキー並木通りの真上に、四方八方に散らばる星々に取り囲まれて、しかしどの星よりもはっきりと地球に近く、白い光を放ち長い尾をウニに持ち上げた恰好で、巨大な明るい一八一二年の彗星が浮かんでいた。世の噂では、あらゆる災厄と世界の終わりの前触れだという、あの彗星だった。しかしピエールの内には、長い尾をしたその明るい彗星は、何の恐ろしい感情も掻き立てはしなかった。それどころか、あたかも計り知れぬほど広大な空間を放射線状に飛び越えてきたあげく、急に、大地に刺さる矢のごとく自らが選んだ暗い空の一点にはまりこんだかのように止まり、力強く尾を振り上げて、無数のまたたく星々の真っただ中で白い光を放って戯れているその明るい星を、ピエールは並みだに濡れる目でうれしそうに見つめていた。新しい人生に向けて花開いたばかりの、自分のしなやかな、奮い立つような心のうちにあるものと、その星がぴったりと呼応しているように、ピエールには思えたのである。」(494)

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