2022/01/20

『猫に学ぶ いかに良く生きるか』 ジョン・グレイ/鈴木晶訳 みすず書房

最後の十か条、というか十戒かな。
1 人間に対して理性的になれと説教しないこと。
不合理さを感じたら黙って立ち去れと助言している。うん、そうだよな。

2 時間が足りないと嘆くのは馬鹿げている
まさに。それ自体がおもしろいことをやれとおっしゃる。

3 苦しみに意味を見出すのはやめよ
不幸を売るのは柄じゃない~。

4 他人を愛さなくてもはならないと感じるよりも、無関心でいるほうがいい
惻隠の情というやつですね。変な博愛主義や人類愛はヤバい。

5 幸福を追求することを忘れれば、幸福が見つかるかもしれない。
幸福探しが逆に不幸に至らしめている。やはり封建制こそ人類にとっては安息を得られる制度かもしれない。

6 人生は物語ではない。
書かれない人生のほうが、どんな物語よりもはるかに生きる価値があると。そうだよね。偶然こそが生きる楽しみ。

7 闇を恐れるな。大事なものの多くは夜に見つかる。
これも6と同じ。考える前に感じろ。

8 眠る横路こびのために眠れ
おおー。マインドフルネスがビジネスに使われていると聞いた時、それって本末転倒じゃんと思ったものだ。

9 幸福にしてあげると言ってくれる人にはきをつけろ
幸せを売る人は、自分の方が幸せだと思っているということで、私の苦しみはそんな人たちの糧だと。

10 少しでも猫のように生きる術を学べなかったら、残念がらずに気晴らしという人間的な世界に戻れ
おもしろいのが、自分にあった信仰が見つけられないなら、日常生活に没頭し、見え透いた政治ごっこや毎日騒ぎ立てるニュースが救いをもたらすといっていることだ。

以下、抜粋など。
「モンテーニュは、普通の言語には過去の形而上学体系の残滓が散乱していることに気づいていた。それらの痕跡を発掘し、自分たちが現実だと考えていたことがじつは虚妄であることを知ることによって、われわれはより柔軟に思考できるようになるだろう。哲学に対する同種療法薬(ホメオパシー)――反哲学といってもいい――を少量服用すれば、われわれも他の動物たちに近づけるかもしれない。そうすれば人間も、哲学者たちが人間より劣った存在として切り捨ててきた生き物から何か学べるかもしれない。そういう反哲学は、議論ではなく物語で始まることだろう。」(15-16)

「エピクロスはどこか釈迦に似ている。どちらも欲望を棄てれば苦しみから解放されると説く。だが釈迦のほうが現実的で、平安は輪廻転生から離脱することによって、言いかえれば個体として生きるのをやめることによって、達成できると説く。……エピクロスとその弟子たちにとって、宇宙は無のなかに浮かんでいる原子の混沌である。神は存在するかもしれないが、われわれに対しては無関心だ。人間の仕事は自力で苦しみの原因を取り除くことだ。」(38-39)

「気晴らしは人間という動物を定義する特徴に対する答えである。その特徴とは、自意識とともに生まれた死の恐怖だ。……猫は、自分自身の内部に闇を抱える必要がない。猫は、昼の光のなかで生きている夜行動物だ。」(54)

アリストテレスにせよ、人間という存在に宇宙の目的と見なしている。キリスト教とも似通っているこの考えは、人間と他の動物の明確な線引きを要求している。
合理主義の欠陥は人間は理論を適用すればきちんと生きていけると考えてしまうことだという。そうなのだ。みんながみんな合理的に生きていると思っている。でもだったら議論なんかいらないし、みんな幸せだと思うけどそうなっていない。

スピノザの「コナトゥス」という観念について。conatus、努力、傾向、奮闘、、、。世界の中で自分の力を維持し、そして拡大することを努力する。動物が得物をとる時、それは自らの力を主張している。憐れみは悪である。スピノザは権威や神による法ではない道徳・倫理を説く。善悪でもない。
利他主義は近代の発送であるという。利他主義を説く動物学者がいて、ぼくは相当影響を受けている。功利的利他主義にしても、進化論なども相まって、人類愛に行きつくが信用にならん。著者は神よりも信用ならんという(85)
「自分個人の本性を実現するという倫理は、自己を想像するという考え方とは違う。」(87)
「猫は暗闇でも眼が見えるが、彼らの生活には臭いや触感のほうが重要である。猫にとって良き人生とは、彼らが感じ、嗅ぎ取ったものであり、遠くにある何かをちらりと見たいということではない。」(90)
猫は無心の利己主義者だという。そして彼らは自己イメージをもたないがゆえに、彼らの経験は人間よりも濃密であると(92)
「論理的思考は現代の神経症者をかえってあっかさせてしまう。」(132)

アーネスト・ベッカーを引く。狂人ほど論理的であり、細かい因果関係に強い関心をもっていると。宗教はそのような論理を無酢するように教えてくれるのだが、彼らは不条理な自らの生を正当化できない。うーー。
人は人生を悲劇にしたてようとする。しかしそれによって悲しみに囚われてしまう。
「棄てられる荷物のひとつは、完璧な人生はありうるという思い込みだ。人間の人生はかならず不完全なものだ、という意味ではない。人生はどのような完璧な肝炎よりも豊かだ。良き人生とは、これまに送ったかもしれない、あるいはこれから送るかもしれない人生のことではなく、今すでに手にしている人生のことだ。この点で、猫は人間の教師になれる。彼らは自分が送っていいない生活に憧れたりしないからだ。」(151)
哲学は人を慰めてくれない。哲学は人間の病だ。

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