2022/01/18

『戦争は女の顔をしていない』 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ/三浦みどり訳 岩波現代文庫

女性たちの前線、後衛、銃後の証言録。戦争は男がするもの、事実そう。でもそんな男だけの世界で生きた女たちの記録。とはいいうも証言の記録以上のものがあって、著者自身も
「不断なら目に付かない証言者たち、当事者たちが語ることで歴史を知る。そう、わたしが関心を寄せているのはそれだ。それを文学にしたい。……思い出話は歴史ではない、文学ではないと言われる。それは埃まみれのままの、芸術家の手によっては磨かれていない生の現実だ。語られた生の素材というだけ……などと。しかし、わたしにとっては全てが違っている。まさにそこにこそ、まだ温もりの冷めぬ人間の声に、過去の生々しい再現にこそ原初の悦びが隠されていおり、人間の生の癒しがたい悲劇性もむきだしになる。その混沌や情熱が。」(11-12)
 本書はあらゆる女性兵士の証言ということもあり、要約なんかできない。
ただ一点、何か所かで特筆すべきところがある。
それは、死にゆく兵士が空を見ながら死んでいく描写だ。

「春、戦闘が終わったばかりの畑で負傷兵を探している。畑の麦が踏み荒らされていて。ふと見方の若い兵士とドイツ人の兵士の慕いに行き当たります。あおあおとした麦畑で空を見ているんです。死の影さえ見えません。空を見ている……あの目は忘れられません。」(247)
「そのとき夫が目をあけて、なぜか『天井は青くなってきた』と言いました。私は見ました。「違うは、ワーシャ、天井は青じゃなくて、白よ」でも彼には青く見えるんです。(345)
あと一、二か所あったかと思う
とりあえず、これはおそらくだが、トルストイ『戦争と平和』を意識しているのではないかと思う。アンドレイがアウステルリッツの会戦で死にかけたときの描写でも、アンドレイは空を見ていた。人間の営む戦争という騒ぎとは無縁の静かな空。
人間の総体とは、美しさと醜悪さが混在していることで、それはいかなる価値判断もできない。最終的にはアンドレイの境地に至ってしまう。ピエールではなくね。

本書は単なる証言集ではなく、文学になっている。だから歴史的事実だとか、整合性だとかを問うべきものではなくなる。
歴史を語る際、いつのまにか客観的事実をもとにすることが歴史を語ることとなってしまった。そして証言には、記憶違いや意図的な嘘も混ざる。
ただし、そこにも語り部たちの真実が含まれている。
僕が今現在語ることと、十年後、二十年後では語り口が違ってくるだろう。それは記憶と折り合いをつけたり何なりした結果だ。それで聞き手の印象も違ってくるだろう。
文学なんだから歴史的事実とは異なるという批判は的を得なくなる。

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