三浦瑠麗の統一教会問題についての発言。競馬ですったようなもの、というが結構反響があるようで。
いちおう現時点での僕の考えを忘れないあいだに書いておこう。
三浦さんはやはり自由主義者であると見直した。統一教会に被害にあったからといって、国家がその賠償をするのは筋違い。
僕が思うに、カルトの被害というのも千差万別。カルトにはまってもそれで救われたならそれでいいじゃんと思う。多額の献金で被害にあったと家族は言うだろうが、極論いえば愛が足らないのだ。所詮は金なのだから、家族の誰かが多額の献金をしてしまっても、それで悩みが解消されるならいいではないか。
テレビで妻が統一教会に入信し、離婚した被害者面した奴が登場するが、こいつも愛がたらない。世間体とか気にしているからダメなんだ。妻が、家族が悩み、統一教会に入信したなら、寄り添ってやればいい。なんなら一緒に入信してあげたっていい。世間体をきにするから、妻を、家族を脱退させようと、マインドコントロールを解こうといった行動を起こす。
共に苦悩してあげられないで、何が家族がバラバラにさせられただ。一緒に入信してやれよと思う。
そして、入信して、多額の献金をして、そして心が救われたのち、過去を振り返って、あの多額の献金を取り戻したいと考える人もいるだろう。
国家はそれも賠償するのか。
あのとき、自分の選択は間違っていた、といってもそれは自らの選択だ。認知科学や哲学の話で、自由意志なんてないという立場もあるが、それをいうと責任がなくなってしまうから、とりあえずは自由主義社会では自己責任は絶対存在しなければならない。
カルト問題で重要なのは、それが反社会的な活動であるかどうかだ。統一教会が反社会的勢力かは疑問だ。多額の献金を要求する、これ自体は別に反社会的とは言えない。財産全てを寄付しても、それは個人の問題でしかない。もし統一教会がテロやを企てていたり、巨大な麻薬カルテルを形成していたりしたら問題だけど。
この国は、何か問題があればすぐに政府の責任のようにいうが、それはよくないことだ。
コロナでも、コロナの流行が政府の責任というようにいう輩がいるが、そんなの政府の責任でもなんでもない。単なる自然現象だろう。
政府、行政ができることは限られれている。そして、限定的な権力であることが望ましいというのが自由主義社会の思想だろう。にもかかわらず、自由主義を投げす捨てて、政府の責任を大声で叫ぶ奴らは、自由主義をなんと心得ているのか。
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