2022/01/27

『戦争と平和』 2 トルストイ/望月哲男訳 光文社古典新訳文庫

アウステルリッツの会戦、相も変わらず、ニコライは皇帝に心酔しているが、この巻の最後の場面、アレクサンドル皇帝とナポレオンがティルジットでの和平会談を目撃したニコライは違った感情をもっているようだ。宴席でニコライは、汚物や死臭を漂わせるデニーソフがいる病院を思いだす。
「あの小さな手をした自信満々のボナパルトが思い起こされた。あの男が今や皇帝であり、アレクサンドル皇帝の愛と尊敬を享受しているのだ。あのもがれた手足は、戦死した者たちは、いったい何の役に立ったのか? さらにあの褒章を受けたラザレフと、罰せられたまま許しを得られぬデニーソフが思い起こされた。」(566)
ニコライはとうとう次のステージに入ったようだ。映画『二〇三高地』にロシア贔屓の先生みたいだな。

再読して気づいたが、アンドレイは真っ青の空を見たのではなかったのだな。
「『これは何だ? 俺は倒れるのか? 葦が立たないぞ』そう思いながら彼はあおむけに倒れた。フランス軍と砲兵部隊の戦いはどうなったのか、あの赤毛の砲兵はしうんだのかどうか、大鵬は奪われたのか守られたのか――それを確かめようとして目を開けた。しかし彼にはそのどれも見えなかった。彼の上にはもはや何もなく、ただ空があるだけだった――高い空、腫れてこそいないが計り知れぬほど高い空と、その空を静かに流れていいく灰色の雲が。『何と静かで、穏やかで、荘厳なんだろう。俺が走っていたのとはまるで違う』アンドレイ公爵はふと思った。『俺たちは走り、叫び、闘ってきたのとは違う。あのフランス兵と砲兵が憎しみと怯えの形相で洗矢の引張り合いをしていたのとはまるで違う。あの高い、果てしない空を行く雲の歩みは全く別ものだ。どうして俺はこれまでこの高い空を見たことがなかったんだろう? でも、何という幸せだろう、ようやくこの空を知ることができたのは。そうだとも! すべては空っぽであり、すべてはまやかしだ、この果てしない空のほかは。何も、何もない、この空のほかは。いや、それさえもない、何ひとつないんだ。静けさと安らぎのほかは、ありがたいことじゃないか!……』(212-213)
ナポレオンが地位の高い捕虜を見に来たとき、アンドレイは、勇敢さをアピールするロシア青年とそれを讃えるナポレオンを横目で見る。ナポレオンはアンドレイに具合を尋ねる。アンドレイはナポレオンがちっぽけな存在に思われて仕方がなかった。すべてが空しく。返事をせず。(245)

ピエールがフリーメイソンに加入する。社交界から離れ、真に心の平安を求めて。家庭にも社交界にも見出しえなかったものを、フリーメイソンは与えてくれるのか。
ピエールは領地の農奴たちの暮しを良くしてあげようとするも、すべて中途半端。ピエールは結局は単なる理想主義者なのか? ここにはサン・シモンやロバート・オウエンのような実践的な社会主義者が存在していない。これは、いわばそれだけロシアがいかに産業が遅れていたかを示してもいる。結局、農奴解放しても彼らの「身の振り方、運営はどうするのか。社会を、国を良くしたい、そのために何が必要か、ピエールは何もわかっていない。
とは言いつつも、ピエールの人の良さはアンドレイの家族に好意的に受け入れられていく。アンドレイ自身もピエールと議論するなかで、かつてアウステルリッツで知ったあの高い空の感覚を取り戻していく。(480-497/第2部 第2編 11章、12章)
アンドレイは、妻が死に、すべてが家族のために、自分のためという目的で行動するようになっていた。でもそれってアウステルリッツがあったからだ。

ボリスとニコライ、いい感じではないですか。
ボリスが思いもかけず出世して、いつのまにかニコライと立場が逆転。その描写では足を組んで、余裕をかましていたり。それにニコライは普段着でなんかみすぼらしい感じになっている。しかも友人のために走り回っている。ニコライが、いい感じで仕上がってきた。ボリスもいい感じだな。

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