古代への憧れがひしひしと伝わる。比較文化論としては適切ではないかもしれないが、そんな学術的なことはどうでもよくなるような、そんな熱狂がある。
すでにこのような日本精神史を語ること自体が危ぶまれている昨今。もはや古典でしか、このような日本文化論、精神史を読むことができないのは非常に残念である。
1919年に出版されているから、齢30ということで、んまあ若い。
和辻が京都ではなく奈良を選ぶあたりも感慨深い。
なぜ平安時代ではないのか。そもそも和辻は平安文化についてはちょっと冷淡。「もののあわれ」なんかも評価をあんまりしていない。
脱西洋を成し遂げたい時代の雰囲気もあるかと思う。アジアの、日本の精神を再発見していくことで、西洋思潮とは異なる文明文化をつくりあげていかねばならいといった気概だ。
現代じゃ、こんなこと言うとウルトラライトにされちゃいかねないが。
でも、日本は長年積み上げてきた文化の厚みを持っている。それは無視できない精神史をつくりあげているのだが、それを無視して、普遍性なんかを日本に組み込もうとすること自体が間違っていると思うけど、まあそれはいいや。
和辻の論は、歴史、考古学、美術史から批判できる箇所はいっぱいあるかもしれないが、問題はそこではない。和辻が本書で見出そうとしてるものはなんだったのか。
彼が奈良で、西洋とは異なる思想に裏打ちされている何かの確信を得たわけで、東洋精神を、東洋哲学をつくりあげようとしている。
戦前の知識人のすごいのは、彼らはけっして一つの分野に固執しないで、手広く学問をしているところだ。和辻は『正法眼蔵随聞記』 なんかも校訂している。
「しかし西洋の様式を学んだ日本人の油絵が日本人の芸術であり、しかも固有の日本画よりも好い芸術であるが如く、唐風を模した日本人の仏像寺塔も亦日本人の芸術であって、『万葉』の歌以上の価値を持っているということは云えないだろうか。僕は固有の日本人の「創意」にこだわる必要を見ない。天平の文化が外国人の協働によって出来たとしても、その外国人がまた我々の祖先となった以上は、祖先の文化である点に於いて変わりがない。『万葉』は貴い芸術であるが、文化の表徴としては部分的なものに過ぎぬ。だから僕は『万葉』の反証には驚かない。仏前唱歌の如きは恐らく一種の余興に過ぎなかったであろう』(141)
薬師寺東院堂聖観音を見て。
「僕たちは無言の間々に詠嘆の言葉を投げ合った。それは意味深い言葉のようでもあり、また浅ましいほど空虚な言葉のようでもあった。最初の緊張がゆるむと、僕は寺僧が看経するらしい台の上に坐して、またつくづく仰ぎ見た。何という美しい荘厳な顔だろう。何という力強い偉大な肢体だろう。およそ仏教美術の偉大性を信じない人があるならば、この像を見させるがいい。底知れぬ胸は、あらゆる力と大いさとの結晶ではないか。あの堂々たる左右の手や天をも支えるような力強い下肢は、人間の姿に人間以上の威厳を与えていないか。しかもしれは、人間の体の写実としても、一点の非の打ちどころがない」(189)
天理教について。
「あの熱狂的なおみき婆さんが三輪山に近いこの地からでたことは、古代の伝説に著しい女の狂信者の伝統を思わせて、少なからず興味を刺激する。……とにかく教祖の信仰は本物であったらしい。それが現在の文化の内に力強く生育していかないのは、一つには堕落し易い日本人の性情にも依るであろうが、もう一つにはそれが世界的な思潮に没入して行かないからではないだろうか。親鸞の宗教は基督教的心情と結びつくときに、新しい光揮する。その如く天理教も、日本文化の変形(メタモルフォルゼ)に従って変形を試みなくてはなるまい。僕の漠然たる推測から云うと、もしおみき婆さんが基督教の雰囲気内に育っていたならば、あの狂熱は更に更に大きい潮流を作り得たであろう。日本もまた一人の聖者を持ち、日本の基督教を確立し得たであろう。」(240)
法隆寺金堂壁画阿弥陀浄土図を見て。
「本尊のその左右の彫刻には目もくれず僕たちは阿弥陀浄土へ急いだ。この画こそは東洋絵画の絶頂である。剥落はずいぶんひどいが、その白い剥落さえもこの画の新鮮な生き生きとした味を助けている。この画の前にあってはもうなにも考えるには及ばない。なんにも補う必要はない。ただ眺めて酔うのである。」(256)
「乳房と腰部とに対する病的な趣味は、もはたこの画には存しない。……希臘人はいかに女体の彫刻を愛しても、いのちの美しさ以外には出なかった。それに比べて印度人の趣味は明らかに淫靡であった。この二つの気分の相混じた芸術が東宝に遷移したときに、後者をふり落とし前者を生かせたということは、それが偶像礼賛の伝統に附随するものである限り、希臘精神の復興だとも見られる。それを西域人がやったか、支那人がやったのか、或は日本人がやったのか、――恐らくはそれは三者共にであろう。そうして東方に来るほどそれが力強く行われたのであろう。その意味でこの画は日本人の沁みを、――特に推古仏の清浄を愛していた日本人の趣味を、現わしているのだろう。」(266)
夢殿観音を見て。
「モナリザの生れたのは、恐怖に慄える霊的同様の雰囲気からであった。人は土中から掘り出された白い女悪魔の裸体を見て、地獄の火に焚かれるべき罪の怖れに旋律しながらも、その輝ける美しさから眼を離すことが出来ないという時代であった。しかし夢殿観音の生れたのは、素朴な霊的な要求が深く自然児の胸に萌し初めたという雰囲気からであった。そのなかでは人はまだ霊と肉との苦しい争を知らなかった。彼らを導く仏教も、その生れ出て深い内生の分裂から遠ざかって、むしろ霊肉の調和のうちに、――芸術的な法悦や理想化せられた慈愛のうちに、――その最高の契機を認むるものであった。だからそこに結晶したこの観音にも暗い拝啓は観ぜられない。まして人間の心情を底から掘り返したような深い鋭い精神の陰影もない。ただ素朴にして、しかも云い難く神秘なのである。この相違はモナリザの微笑と夢殿観音の微笑との間に明かに認められると思う。」(282)
中宮寺観音を見て。
「僕は聖女と呼んだ。観音という言葉よりもその方がふさわしい。しかしこれは聖母ではない。母であると共に処女であるマリアの美しさには、母の慈愛と処女の清らかさとの結合が、「女」wpp浄化し透明にした趣があるが、しかしゴシック彫刻に於けるように特に母であるか、或は文芸復興期の絵画に於ける如く特に女であるかはまぬがれない。だから聖母は救主の母たる威厳を現わし、或は浄化されヴィナスの美を現わすのである。しかしわが聖女は、およそ人間の、或は神の「母」ではない。そのういういしさは「処女」のものである。がまたその複雑な表情は、人間を知らない「処女」のものとも思えない。と云って「女」では更にない。ヴィナスはいかに浄化されてもこの聖女にはなれない。しかもなおそこに女らしさがある。女らしい形でなければ現わせない優しさがある。では何があるのか。――慈悲の権化である。人間心奥の慈悲の願望が、その求むるところを人間の形に結晶せしめたものである。」(288-289)
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