2020/05/08

「牛黄加持」司馬遼太郎短篇全集三

なんで、こんなわけのわからない内容の小説を書くんだ。
「いうまでもなく仏法では女犯は破戒の最大のものである。僧たちは稚児をもてあそんだ。稚児に伽をさせるのは高位の僧にかぎられていた。末席の僧たちは自慰でみずからの煩悩を消すほかなかった。みずからの手でその肉体をけがすことには仏法は寛大であり、釈尊の祇園精舎のころからすでにその法があるとされていた。」
なんと、またウソか真かわからないこと書いて、まったく。
さらには絵を描くための絵具に精液をまぜるのだと、その精液をとるための儀式がすごい。弟子に「後門を行ぜよ」と命じ、呪を唱えながら陽根を摩刮する。摩刮ってなんだよ。密教用語なのか、それとも司馬さんの造語なのか。
醍醐寺理性院の賢覚は、藤原得子の懐妊にあたって牛黄加持を行うことになり、義朗が筆頭承仕にする。牛黄とは生きた牛の病塊のことらしい。
とうとう加持が行われるが、賢覚は歳で摩刮しても精水がとれない。「精水を以て牛黄を溶く。入我我入の秘法じゃ。」。そこで義朗がかわる。義朗の精水と牛黄を混ぜた粘液を、呪を唱えながら壇の前で仰臥している匣ノ上こと得子の産門に粘液をぬっていく。股間は准胝観音像にむかって股を広げている。
「義朗はその股間とともに彩雲に乗り、回旋する紫金摩尼の光をあびて、夜ごとのあの遊戯観音とともに天界に踊躍した」
となり、藤原得子はめでたく近衛天皇を産み、保元の乱の原因となるってすごいことになっちゃった。
司馬さんは宗教を毛嫌いしていたみたいだけど、遠まわしにこういう小説にそれがでてる。この密教の描写なんか、ほんとかよーとなる。

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