2020/04/05

第十七章 至高の権力にすべてを引き渡すことは誰にもできないし、その必要もないことが示される。ヘブライ人達の国家体制はモーセの存命中、その死後、王たちを選ぶ前はそれぞれどうなっていたのかについて。この国家体制の優れていた点について。そして最後に、この神による国家体制が滅びた原因や、存続している間もさまざまな反逆にさらされずにはいられなかった原因について――スピノザ『神学 政治論』

すべての権利を至高の権力をわたすことはない。なぜなら暴力的に臣民を支配することもよしとしてしまうことにもなる。
では国の権利や権力はどこまで及ぶのか。
国は人びとを恐怖で動かすことで成立っているのでない。
人の行動は、恐怖心、愛国心、利己心などからであろうと自分独自の考えに基いて行動を決めている。
支配者は人を心理面で支配しているとしても、逆に独裁者への最大の支持者は臣民である。つまり権力者は無制限に力をもつことはない。支持を得られないからだ。

国を保つためには、臣民がどれだけ忠実で有能かにかかっている。
人は欲望にかられる生き物だ。だから感情に走らないように、みなの権利を優先するように整えることが重要となる。国の敵と同じくらい自国民のせいで危険にさらされる。

エジプトから開放されたヘブライ
人は、自然状態におかれた。モーセの助言と啓示によって、ヘブライ人は自分たちの権利を神に譲渡した。その後、神に代わってモーセが至高の裁き手となった。
民衆は、神権政治であろうが君主制国家であろうが、同じくらい非自立的であり無知である。君主のみが頼りだった。
スピノザの見立てでは、モーセの後継者たちは国の管理者でしかなく、支配者ではなかった。彼らは神にお伺いする権利はなかったし、与えられもしなかった。法を制定することや戦争を決定するのはモーセだけであった。
ここでスピノザは、宗教道徳が及んでいた範囲は、同国民に限られていたことを強調している。普遍的なものではなかったということ。

これまでの章のおさらい的な感じ。

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