2020/04/18

第十八章 ヘブライ人たちの国家体制と歴史物語から、いくつかの政治的教訓が引き出される――スピノザ『神学 政治論』

至高の命令権をの持ち主としての国家元首を置くことは、神の王国[=神権制]と矛盾しない。現にヘブライ人は権利を神に預けて至高の命令権をモーセに委ねている。
第一王国の時代までは、大祭司は命令をすることはなかった、慣例を遵守することだけだった。
第二王国では祭祀権に加えて、国事を取り扱う権力など宗教以外の事柄も、自らのことばが神聖で権威あるものとするようになった。
これにより迷信ができる。律法を勝手に解釈したり、論争がはじまる。それによって分派ができる。
そして、私人にすぎない預言者が自分の裁量で警告を発しても、人は従わなかった。王に従うことを選んでいる。王が正しければ預言者は邪魔な存在だった。
民衆が支配権を持っていた間は、内乱が一度しか起こっていない。
そして民衆が死骸していた時期のほうが、律法は歪められず、きちんと守られていた。王が現れる前は預言者の数はきわめて少ないが、王が現れてからはきわめて多く、同時現れていた。

つまり、宗教者に政治を任せるのは有害で、神の権利を持ち出して法律を作ったりするのは危険だということ。さらにするべきこととそうでないこを区別する権利は、至高の権力者に委ねなければならない。最後に民衆が王に慣れていないなら、君主制は有害だ。とはいっても君主を取り除くのも危険だ。王の権威に慣れているなら、王の権威のみが頼りだからだ。
その例としてイングランドの清教徒革命とクロムウェル独裁を例に引いている。

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