2019/02/28

『神の罠 浅野和三郎、近代知性の悲劇』松本健一 新潮社

浅野和三郎の評伝はこれ唯一と言ってもいい、貴重な一冊。
「ふるさと」、「原郷(パトリ)」の喪失と近代日本を絡めて論じるのは松本さんのいつものやり方。
この本は、松本さんの評伝関係ではあまりできがよくないとは思う。題名の「神の罠」というのは、ちょいと違うのではないかな、「罠」というものでもないとは思う。
それに、浅野和三郎が大本に入るきっかけが、次男の病であるのはいいのだけれど、明治の知識人たる浅野が神霊を信じる過程がやはり物足りない。科学を信奉する浅野には、ラフカディオ・ハーンの影響があり、これが伏線にはなっている。ただし、ここはもっと掘り下げるべきところなのかと思う。太田龍は陰謀論へ、景山民夫は幸福の科学へ、などインテリが陰謀論やオカルト、そして宗教へ向かうことがある。立花隆も死後体験をとおして、体外離脱などに一時期関心をよせていた。なぜ浅野は、大本のイデオローグを経て心霊研究に邁進していったのか。松本さんはポストモダン思想との関連を匂わせているが、結局あまり論じられなかった。明治から大正を生きた浅野が体験した時代の流れと、1980年代から90年代にかけての日本の知の変遷がどうつながるのか。
浅野の書いた、近代日本スピリチュアリズムの原点『小桜姫物語』はまだ読んだことがない。序文を土井晩翠が書いているのも驚き。豊島与志雄の名前が出てきた。学生の頃に豊島さん訳の『レ・ミゼラブル』『千一夜物語』を根性いれて読んだ。豊島さんが書いた小説や随筆は読んだことがない。心霊研究所に参加していたとは。秋山真之もそうだが、明治軍人や多くの知識人が大本教などの新興宗教に傾倒していった。なんでだろう。
浅野が出口なおを敬愛し続け、王仁三郎とは遠ざかったというのは、やはり王仁三郎の山師的なところが浅野のような真面目な人間には受けがよくないのかもしれない。本書で、浅野がなおとはじめて会った際の思い出が引用されているが、非常にいい文章だった。僕も王仁三郎はおもしろい人物だなあと思うのだけど、どうもカリオストロ的人物に見え、なおのほうが人間味を感じてしまう。

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