2019/02/25

『生き残った帝国ビザンティン』井上浩一 講談社学術文庫

ビザンツ入門書として最良。簡潔にして要点をおさえている。ローマの継いでいながらも、ラテン語ではなくギリシア語を用いたり、元老院があるが専制君主制であったり、「パンとサーカス」も時代が進むに連れて、イスラーム勢力によってエジプトなどの属州が奪われたりで実施できなくなるが皇帝即位の際には配給したり、と建前はローマだが本音は現実にそくして柔軟に対応していったという。
ローマ帝国が面白いのが、たしかに親から子へと皇位が移るのだが、ときに支持を集められずに他の血統が皇帝となってしまう。にもかかわらず「ローマ帝国」のアイデンティティは保たれる。東アジアでは血が変われば王朝が変わりアイデンティティも変わる。まあ西ヨーロッパもだけど。かつてローマ帝国の政体を理解できなかった。
ビザンツ帝国では、内輪もめが盛んで、宮中の陰謀やらクーデターが盛んだったよう。それでもときにはそのことが帝国の新陳代謝を促進し、千年の長き歴史を築くことができたともいう。そしてたとえ政変が起きても帝国を維持できたのは、能力の高い官僚がいたからと。
しかし、いつのまにか帝国は弱体化していき、11世紀頃ローマ教会のほうが力が強くなっていたようで、1204年第四回十字軍は、まさにコンスタンティノープルからの要請による遠征だった。にもかかわらず、逆に十字軍にコンスタンティノープルは占拠される。しかも占拠のされ方が、情けなくてヴェネチアに翻弄され、自らコンスタンティノープルを十字軍に明け渡してしまった感じだ。亡命政府ニカイア帝国はミカエル8世パレオロゴスのもとで再びコンスタンティノープルを奪還したが、かつての隆盛を取り戻すことがなかった。その落日のなかで、哲学、文学、科学、芸術の分野が花開きルネサンスが起こる。やはり斜陽の時代になると文芸などは盛んになる模様で、清朝末期もまさに哲学や文学などが盛んになった。ミネルヴァの梟は黄昏時に飛びたつ。

そういえば、夢枕獏の小説『シナン』を思い出す。スィナンはハギア・ソフィア「アヤソフィア」にあこがれて、スレイマニエ・モスクを建てる。スィナンはイエニチェリでイスラームに改宗した元キリスト教徒とされている。出自がトルコ人かどうかが問題になっているようで、トルコでは彼はトルコ人としているとかなんとか。でも、何人でもいいじゃんと思うのだけど。オスマン帝国はトルコ人が皇帝だったが、民族の出自を関係なく有能な人物を採用していた、その事実だけでオスマン帝国の偉大さがわかるのに。現代では考えられない寛容さが実現していたのだから。

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