2019/02/27

『超心理学 封印された超常現象の科学』 石川幹人 紀伊国屋書店

いわゆる超能力は存在するのかどうか。僕はあると考えている。というのも、あらゆる生物は皆特殊な能力をもっているわけで、超音波で使う奴、低周波を使う奴、匂いだけで認識する奴、人間には見ることができないスペクトルを認識できる奴もいる。人間にももしかしたら、ちょっとした変異で赤外線をつかえたり、超音波をつかえたりできるかもしれない。それは、微々たる力かもしれないけども可能性はある。
この世の原則は因果関係で、ある結果はある原因によって引き起こされるものであって、無から現象は生じない。超能力というのも物理現象として捉えればいい。それで証明する方法を確立しなければならないが、それがなかなか難しいことが本書を読んでわかる。
科学は再現可能でなければならない、というけど、これって難しいと思う。だいいち再現可能かどうかの環境を設定すること自体が難しいことだろうし。否定派がいてもいいけれども、もうちっと歩み寄ることはできないのかな。
特定の時間、特定の場所、特定の心理状況のみで、能力が発揮されることは普通に考えてありえる。ただし、それをラボレベルで実現できるかというと話が違う。ピアニストは最高の演奏ができる環境は、コンサートホールの湿度や温度、響き具合だけでなく、演奏者の心理状況も大きく作用するからだ。観客はその場を共有して、全員ではないけども大半がその演奏に感動することがある。この演奏は再現性もないわけで。だけども観客はそれを共有してしまっているわけ。演奏は存在している。僕らは常に再現性の世界のなかで生きているわけでない。ピアニストであればピアノがあればピアノを演奏できるが、その演奏が観客を魅了させることができるかとは、わけが違う。
と考えると、科学的手法を用いている心理学の実験は、けっこう特殊な条件のもとでやらされているのだともわかる。はっきり言って、心理学の場合、実験室の結果と現実世界との整合性はどうやって担保しているのだろうか。僕はそのあたり全然うとい。
と、まあつらつら書いてみたけど、ピアノの例はちょっと違うのかな、と思わないわけでもないけど、本書を読んでいて通常の心理学が扱っている世界ってかなりせまいのだなと思った。だって実験室で再現性がないとその存在が認められないってのはわかるんだけど、それって誰が実験するかでも違うし、これは物理学、生物学とかでも同じだし。それに物理学も生物学も実験室で再現できないからって頭ごなしに否定はしないと思う。実際、僕の経験上、実験室で失敗した場合、論文を疑う前に自分の実験方法の不備をまず疑う技術者しか知らない。
ガンツフェルト実験というのを本書で紹介している。外部からは超心理学はトンデモと見られてしまうし、実際にそれに近い研究もあり、そのような懐疑の目に鍛えられて、非常に厳しい実験環境を整え、それを実施してきているらしい。その結果は有意な結果がでているらしいが、超能力の存在を明確に指示する結果はまだないようだ。
微々たる力しかないかもしれないけど、秘める人間の能力っておもしろいとおもうのだけどな。
たとえ証明されても、人間の超能力ってのはしょせんそんな程度の弱い力だってことなのかもしれない。結局、本書で言うように実験室レベルではなかなか発現しなようだし。ファンタジーのように自由自在ではないということだ。
あとは科学を語る一部の人間が、科学にあまりに厳密性を持ち込みすぎているとも思うけどね。
超心理学の成果がどんなものなのか、さらっと読むにはいいと思うけど、超能力や魔術が実在していると信じる僕みたいな人間にとっては、超能力ってこんなものなのかとがっかりするだろう内容。くそーレールガンつかえねーのかよ。

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