2019/08/13

Rachmaninov Concerto No.2 in C minor for piano and orchestra op. 18 Rudolph Kerer(Kehrer) Kirill Kondrashin Symphony Orchestra of The Moscow State Philharmonic Society Μелодия(Melodiya), 33д 012495-96(a)/ラフマニノフ ピアノ協奏曲第二番 ルドルフ・ケレル(ピアノ)、キリル・コンドラシン(指揮)



Rachmaninov
Concerto No.2 in C minor for piano and orchestra op. 18
Rudolph Kerer(Kehrer)
Kirill Kondrashin
Symphony Orchestra of The Moscow State Philharmonic Society
Μелодия(Melodiya), 33д 012495-96(a)

ルドルフ・ケレル(Rudolf Kehrer)というピアニストを初めて名前を知る。
ケレルは、1923年、グルジアのティビリシでドイツ系ユダヤ人の両親から生まれた。1941年ドイツ系ということでカザフスタンへ強制移住となったようだが、これはおそらくスターリンによる「ヴォルガ・ドイツ人追放」かと思われる。移動の自由がなかったらしく、ながらく東側でのみ知られていたピアニストのよう。カザフスタンのシムケントで数学、物理学を学び教職につくが、のち現在ウズベキスタンのタシュケントで音楽を学んだという。
タシュケントかあ。タシュケントには一度行ったことがあるが、そこはかなりソ連的な街並みだったが、ケレルが学んでいたのは66年の大地震前の50年代だから、まだサマルカンドのようなイスラーム色が色濃く残っていたのだろうか。
そして驚くべきは、強制移住させられた1941年からスターリンが死んだ1954年の13年間、ピアノ教育を受けていないということで、1923年生まれだから18歳ごろから31歳ごろまで、音楽界の表にでることがなかったということで、おそらく練習は続けていただろうけれど、1954年からようやくタシュケントで音楽を学ぶというのは、異色な感じがするが、当時の状況からすれば多くの人が同じような境遇だっただろう。
もっと何か情報がほしいものだ。
演奏はなんともずっしりとしたピアノで、一音一音、力強くて確信に満ちていて、きわめて硬質。なよなよした演奏ではないから、第二番とあっている。
第一楽章の冒頭の和音のクレッシェンドを聴けば、すぐに名演であることがわかると思う。この曲の場合、曲の始まりで良いか悪いか決まってしまう、というか聴く者にその後の展開の先入観を植えつけてしまう。ケレルの第一音から、これこそラフマニノフの第二番といっていいもの。
コンドラシンは相変わらず図太いがロシアンロマンティシズムを地でいく演奏で泣けてくる。
なぜこれほどの演奏が埋もれているのか。もったいないだろう。ヨーロッパではCDになってたりするのかな。

2019/08/12

『伊賀源と色仙人』司馬遼太郎短篇全集二

『伊賀源と色仙人』

大阪の丼池で商いをしていた伊賀源太郎は不渡りをだして、西成区山王区の天国荘に逃げ込む。そこで色仙人と出会う。色仙人は女乞食のクマバチとやっている最中だった。
色仙人の素性は誰も知らない。色仙人は伊賀源の見込んで地面に落ちている金目の物を拾うジミ屋家業を教える。そしてつぎにソーイ屋を教え、子供玩具の設計図などを手がけていった。
色仙人は、もう教えることがないと、もう山王からでていくように伊賀源に言い、最後にクマバチの身体にマッチの灯りを照らしながら、秘法をさずける。色仙人はストッキングの切れ端をクマバチの身体にあてるように言う。
何が何だかわからず、伊賀源はアパートに戻り一日思案して閃いた。
伊賀源は前から思いをはせていた画廊に務める時子のもとに行き、裸になってくれと頼みこむ。秘法とは女性向け下着のデザインだった。
伊賀源が色仙人に報告しにいくと懐から二十万円ほどの札束をわたす。
「山王町の色仙人といわれた俺や。それぐらいの金はある」といってクマバチとともに闇に消えていった。
昭和三十一年以降の下着ブームが席巻するにいたる。

「丼池界隈」「大阪商人」と同じで、猥褻さがいいですね。
この小説で「マッチ売りの少女」という、マッチの灯りで女の秘部を照らすという卑猥な遊びについて書かれている。
昔、もう20年以上まえだが、この手のAVを見たことがある。僕がまだ小学生か中学生のころだ。タイトルもたしかそのままで「マッチ売りの少女」だったか。そんな遊び、正直AVの特殊な設定でしかないと思っていたが、まさか司馬さんの小説で再会するとは。あのAVはノンフィクションだったのか。
地見屋なんかも、柳家金語楼の「身投げ屋」でしか知らなかった。そんな商売がほんとにありえたのが、なんとも時代だなと思うわけで。
司馬さんもこういう話が書けたのだな。この感じ、現在で言えば、浅田次郎の世界感のようで、ヘミングウェイのようなかっこよさもあるわけです。
猥雑さと人情が混ざり合っている。

2019/08/10

『禅思想史講義』小川隆 春秋社

僕は昨今のマインドフルネスの流行に嫌気がさしていて、GoogleやAppleが社員研修かなにかで採用したとか。「禅」がエクササイズの一環になってしまった。それってどうなの。それだと人間救えないでしょ。「悟り」へ少しづつエクササイズしていく、それだと結局、凡夫、衆生は救われず、出家した坊主だけが天国行き。まあ、この解釈はかなり悪意があるけど、けど修行した者だけが救われるってなると違和感が残る。
マインドフルネスは、結局、瞑想をつづけ、高みへと昇っていく思想で、この資本主義社会にマッチしてしまった。やれば報われるってな感じでしょうか。

敦煌禅宗文献という一連の大量の巻物が、清朝末期1900年ごろに敦煌の石窟から発見されて、イギリスやフランス、そして日本、ロシアなどが自国に持ち帰ったりして世界中に散逸したのだと。幸か不幸か、そのため「敦煌学」という国際的な学問分野が生まれたとか。そうでしたか。そんな分野があるとは知りませんでした。

師から弟子へと直に伝えられていくのを、ロウソクの炎を移していくの喩えて、「伝灯」という。釈尊、そしてインドから仏法を伝えに達磨が東土にやってきた。これが中国の禅のはじまりとなる。本書でも何度も言及される「祖師西来意」というやつ。

「頓悟」と「漸悟」
僕なんか、悟りというのは少しづつ悟っていくものだと考えていたが、唐代、神会を代表とする南宗は一時に悟る「頓悟」が高尚という考え方を打ち出だした。北宗の漸悟を否定し、「単刀直入、時期了見性」といって、頓悟の坐禅を主張した。
いやー、まさかそんなことになっていたとは。ここ数年流行っているマインドフルネスやアビダルマ仏教とは、かなりかけ離れている。
「神会は法会で、「坐禅」の「坐」とは念の起こらぬこと、「禅」とはそのような自己の本来性を自ら「見る」ということ。」それは漸悟を否定し、坐禅そのものを廃棄している。
ひたすら「無念」であること、無住は「只没に閑たるのみ」という。無限定、無分節に、それは常にいまあることが定慧等であり、そのまま仏なのだという。まさに大乗仏教っぷりがいい。

野鴨子の話と馬祖の禅
馬大師、百丈と行きし次、野鴨子の飛び過ぐるを見る。大師云く、「是れなんぞ」。丈云わく「野鴨子」。大師云く「いずくにか去ける」。丈云く「飛び過ぎ去けり」。大師、かくて百丈の鼻頭をひねる。丈、忍痛の声を作す。大師云く、「何ぞ曾て飛び去れる」。
馬祖禅の基本的な考え方は、
即身是仏、自らのこころがそのまま仏であること。そしていたるところ「仏」でないものはない。禅の書物には「祖子西来意」を問う門灯が多くあるが、答えも千差万別、しかしながら共通の答えが潜んでいて、「即身是仏」を悟らせるために達磨さんはやってきたという。
作用即性、活き身の自己のはたらきは、すべてそのまま「仏」として本来生の現れである。
平常無事、「即身是仏」と同じで、ふだんのありのままの心、それが「道」であると。行住坐臥、応機接物。

馬祖批判
石頭系の禅は、馬祖への批判となっていて、「即身是仏」というが、そんなありのまま、それが「仏」だと言われたら、なんでもありではないか、と。たしかにそうだ。大乗仏教でたまによくわからなくなるのがこれで、ブッダは修行を説いているはずなんだけど、でも大乗仏教の考えでは、みんなすでに「仏」だったりする。そうするとブッダの修行はなんだったのか。浄土思想なんかだと、ブッダはこの世の苦しみを云々といったキリスト教的な世界感と似たりしている。
まあ、それいいとして、
「わずかに門を過ぎし時、石頭便ち咄す。師、一脚は外に在り、一脚は内に在り。頭をめぐらして看るや、石頭便ち掌をたてて云く、「生従り死に至るまで、只だこの漢なるのみ。更に頭をめぐらしてなんとなる」
「揚眉動目」、つまり「言語」「見聞覚知」「著衣喫飯」を離れ「心」「本心」をとらえる。活きたはたらきがそのまま自己なのではない、活き身の作用とは別次元に本来の自己がある。
それは三人称で「渠」「他」「伊」「一人」「主人公」と三人称をつかって、ありのままの自己とは違う別次元の自己を指している。

「何をやっておる」
「茶をいれておる」
「誰に飲ます」
「お一人茶をご所望の仁があってな」
「ならば、なぜ。そやつ(伊)に自分でいれさせぬ」
「うむ、おりよく、それがしが(専甲)おったものでな」

自分でいれて自分で飲む、ただそれだけのこと。本来生の自己と現実態の自己の不即不離が述べられている。二にして一、一にして二であると。現実態の自己に還元されない本来の自己。
ただ、この本来の自己とはいったい何なのか。それは何を意味しているのか。それが今一つわからないところ。


盤珪禅師
「不生の仏心」、不生とはもともと具わっていること、日常の営みに「仏」が常にあり、わざわざ「仏」になろうと修行するは見当違いだと。江戸時代、盤珪禅師が説いたことは唐代禅を再現したものといってもいい。これに対する批判も元禄期に損翁宗益が石頭と同じような批判を盤珪にする。

宋代の禅、問答から公案へ、公案から看話へ
宋代になると禅も制度化していき、国家機構に組み込まれていくようになる。禅が上流階級、士大夫たちに一種の知的教養になっていたよう。宋代では禅を学ぶ際の教材のようなものとして「公案」を使うようになる。
「公案」参究には「文字禅」と「看話禅」の二つに分けられる。
「文字禅」は、公案の批評や再解釈を通して禅理を闡明しようとするもの。これは科挙のようにあらゆる典拠を駆使する士大夫文化を反映している。
「看話禅」は、特定の一つの公案に全身全霊を集中させ、その限界点で心の激発・大破をおこして決定的な大悟の実体験にいたろうとする方法。
道元さんは看話禅に反対だったらしい。和文の公案を提案しているところからして「文字禅」を展開していったのだという。おお、そうなのか。『正法眼蔵』はいつか読みたいものです。

『碧巌録』の要点
「作用即性」と「無事」禅の否定。
「無事(0度)→大悟(180度)→無事(360度)」という円環の論理。
「活句」の主張。公案を合理的に解釈するのではなく、意味と論理を拒絶する。
『碧巌録』は「文字禅」の極みで、そこから「看話禅」へと移っていく。

僧、趙州に問う、「万法は一に帰す、一は何処に帰す」
州云く、「我れ青州に在りて、一領の布衫を作る、重さ七斤」
存在はどこに帰着するのか。趙州は言う、青州で、あつらえた重さ「七斤」の布、それは、郷里でおぎゃあと生まれ落ちた、このあるがままの活き身の己れ、それにほかならぬ。
このような唐代の問答から宋代にはいると問答は意味も論理も含まない絶対的に不可解な言葉、「公案」となる。その転換が夢窓国師。
公案は、浄土往生でも仏門の理論でもなんでもなく、いかなる思考も感情も及ばぬところに公案はある。それは鉄饅頭をかみ砕くようなもので、噛んで噛んでいずれ砕ける時がきて、その時初めて「鉄饅頭」の味がする。

「死句」と「活句」
意味と論理を含んだ理解可能な語が「死句」、意味が脱落し論理が切断された語を「活句」という。
「西来意=即心是仏=無事」だった唐代の等式が「西来意=活句」対「無事=死句」になり、無事が批判的なものに変わっている。この理解に及ばない語が、どうやって人に理解されるのか、いや理解するしないの次元ではないところで、認識するってことか。

「山は是れ山、水は是れ水」の円環の論理
「即心是仏=無事」を打破し、「大徹大悟」に至る、それが「祖師西来」だという。
人間、「無事」の状態から、「大徹大悟」へ行く。そうすると山は山ではなくなし、水は水でない、と見えるようになる。さらにそこから、「なんだやっぱり山は山だし、水は水だ」となる。つまり、再び「無事」の状態へと戻る。
そう、これ十牛図なんだとわかる。十牛図って、概略だけぼんやりと覚えていたのだけれど、そういえば十牛図は臨済宗からのものでした。

大慧の「看話禅」へ
「碧巌録」の「活句」によってありのままの「無事」を打破し、「大徹大悟」にいたる、というものは断片的に説かれていたが、大慧が実践的にこれを一本化する。
一念にてがっばと大破せねばならない。そのために大破を意識せず、思うこと、考えること、生を好んだり死を憎んだ五、静寂をねがったり、喧噪を嫌ったり、これらを一気におさえこむ、そして「僧、趙州に問う、狗子に還た仏性ありや。州云く、”無”」
この「無」の一字に合理的な解釈、有り無し、などを施してはならない。時々刻々、つねにこの話頭を念頭に置き、心を覚醒させる。
これが公案の「活句」と「大悟」を結びけている。
この「看話禅」は宋、元の時代に主流になり、誰もが追体験可能な禅として規格化されていく。そして中国では禅は発展しなくなってしまった。

道元の禅思想は必然
「本覚」は本来具わっているさとり
「始覚」は教えを聞いて修行し、はじめて得られるさとり
本覚も始覚、どっちが先かではない、同時に乗り越える。道元は本証妙修」「証上の修」「修証一等」などのように、修も証もどちらかがどちらかの部分でもないし、どっちが先でもない。本来仏だから修行する、修行してるから本来仏なのだ、という。
こう禅の歴史をたどっていくと、道元の考えは中国禅の乗り越えであり、必然でもあった。
道元は、即身是仏のようになにもしないで仏なんてあってはならいと批判し、公案や話頭をみて悟るなどもありえない。デタラメな「活句」で大悟なんて外道。
只管打坐するのみだと。この只管打坐は「看話是」「始覚」の対立項として考えられている。
仏だから修行する、修行するから仏、なのだという。仏道が不断に行われる世界、食べるときも掃除するときも寝るときも、いつもが仏動に通じる。ゆえに永平寺、となる。

近代の禅
鈴木大拙、西田幾多郎、夏目漱石らは禅に西洋思想、文明への対抗思想を見出していた。なるほど。たしかに。彼らの禅は、臨済宗白隠の禅で、道元は和辻哲郎、田辺元をまつことになる。そういえばそう。
大拙は伝統的な禅から西洋の哲学からえた「自然と必然」の思想を組み入れていく。意思の自由と必然という問題を「般若即非」「無分別の分別」「超個の個」といった大拙独自の思想へと発展させていく。
AはAにあらず、故にAである。
色即是空、空即是色。有限即無限、色不異空。空不異色。そして西田幾多郎の絶対矛盾の自己同一。
一切は空である、しかし空であるがゆえにそこには一切がありありと現象している。
大拙はそこに即非を説く。それは存在や認識の論理ではない。新たな行為の論理のこと。
それは自由と必然がおのずから一致する、最も自由でかつ適切な行為、「妙用(みょうゆう)」
山が山であり、水が水であるのは、それは限界ではなくて「空」を介して、山鹿山であるのは山の自由ではないかという。
「即非の般若的立場から”人”というものを即ち、”人格”をだしたい」(『西田幾多郎随筆集』
「人は」は「即非」の論理を活き活きと体現した自在に「妙用」する主体、いわば、「真空」を「体」とし「妙用」を「用」とする一個の活きた「主人公」のことだという。そして「人」は「超個者であって兼ねて個一者」たるという。

2019/08/09

第三章 ヘブライ人たちの「お召し」について。また預言とは、ヘブライ人たちだけに独自に与えられた贈り物だったのかについて――スピノザ『神学 政治論』

第三章 ヘブライ人たちの「お召し」について。また預言とは、ヘブライ人たちだけに独自に与えられた贈り物だったのかについて

注より、「お召し」とは、神に召し出されるkとで、それは救済に選出されること、預言者として選出されることの意ということ。広い意味で天職。
人間にとって本当の幸福は真実を知ること。他人と比べてどうのというのは、他人の不幸を喜んでいるのだから、悪意でしかない。ということは、ヘブライ人が神から選ばれたとか、ヘブライ人だけが神は存在を知らせてくれたとかいうことは、ヘブライ人自身、本当の幸福を知らなかったからだという。神が他民族に好意を寄せても、ヘブライ人への好意が薄れたりするわけがない。たしかにヘブライ人は他の民族よりも神から大量の軌跡を見せたことはたしかだが。
ヘブライ人が他民族より道徳や知識で勝っていたわけではない。神が他の民族よりもヘブライ人を選んだ理由とは何か。
その前に、いくつかの前置き。
神の導きとは、一定で変えられない自然の秩序のこと。万物が自然の諸法則によって生起する。神の導きと言おうが同じこと。
自然のあらゆることが発揮する力は、神の力そのもので。そして人間も自然の一部だ。神の力が人本来の声質を通じて働いているのか、人本来の声質の外部から働きかけているかの違いはある。
そして、神の選びとは、自然の秩序に反した働きは誰にもできないから、神の「お召し」だけが生き方を導く。運命とは神の導きにほかならない。そして神は外部の原因でもって人事を導く。
私たちが望むのは基本的に三つ。
物事の大元の原因を知ること
感情をうまく制御して特ある生き方を身につけること
安全に健康な身体で生きること
最初の二つは、人間本来の性質それ自体に含まれているから、私たちの力でなんとかなる。しかし最後のものは外部のものごとが決め手となる。
ヘブライ人が他の民族より勝っていたのは、生命を危険さらされるほどの苦難をうまく乗り越え、奇妙な縁で国家を獲得し、長く続けることができたことだ。それ以外では他民族とかわらず、神も万人に平等だった。
律法が約束したのは、服従と引き換えに国を絶えず繁栄させることだった。驚くに値せず、社会、国家は人々が安全に、快適暮らすことを目的に存在している。しかし、国というのは、同じ法で皆を縛る必要がある。律法を守るとはそういうことだ。
では、神は他の民族にも独自の法を定めたのか、といわれれば、スピノザはわからない、けど聖書にはその痕跡がある。そもそも聖書には万人に神は好意的なことが書かれている。にもかかわらずヘブライ人は自分たちは選ばれたと思っている。
聖書はヘブライ人のための物語であり、だから他民族が神から預言を授かったかどうかはわかるわけがない。
モーセは、神が他国民に好意を寄せたとしても妬むことはないだろう。モーセは自らの集団が危機的な状況で、存続させるためには外部の力が必要だった。それが神の助けであり、律法だ。
さらにパウロは万人が法と罪から逃れらないのだから、神は万人のためにキリストを遣わしたという。キリストはあらゆる人を律法への隷属から解き放つ。それは律法に従うのではなく、自分自身の決意に従い、よりよく生きてもらうためであった。ここはある種モーセの発展がキリストといった感じになっている。モーセはヘブライ人を救うために外部から律法をもたらすが、キリストはそれを普遍的な法でもって、ヘブライ人のための律法から人々を解き放ったということになる。
割礼だとかが、ユダヤ人のなかで続くことは、散り散りになった民族が再び国を打ち立てるだろう。しかしそれは知性と本当の徳とは関係がない。ただユダヤ人の国のことと安全のことのみにかかわるにすぎない。

以上、まとめてみたが、この章はけっこうシンプル。律法というのは、モーセによる単なる統治のための術だったと。
なんともユダヤ教の人が読んだら怒り心頭のような内容だが、実際のところ現代ユダヤ人にとって、この本はどういう位置づけ何だろうか。
そしてここでもスピノザはキリスト教を普遍的宗教として見なしている。そしてかなり好意的。
当時からユダヤ教の選民思想は嫌われていた模様。スピノザは他民族から嫌われることで、ユダヤ人の一致団結が存続すると。そして割礼など習慣が、彼らをまとめあげている。割礼は別に道徳的な行為でもなんでもなくて、単純にユダヤ人をユダヤ人たらしめ、法に服従させている証となっている。

2019/08/08

第二章 預言者について――スピノザ『神学 政治論』

第二章 預言者について
預言者はべつに並外れて優れた精神の持ち主ではなかった。想像力に秀でた人は、純粋に知的に理解するのが苦手だ。知識に想像が混ざってしまえば台無しになる。だから聖書で知恵を付けようなんてのは完全に間違っている。
まず、預言自体が預言者の気質や想像力でまちまちで、預言者も神から預言を授かったからと言って賢くなるわけではない。
ただの想像力には確実性は認められない。預言者たちも神からの啓示を、啓示そのものから確信をしたわけではない。なにか「しるし」があったからこそ確信したわけだ。預言者はしるしを求めた。
この点でも自然の知とは違うことがわかる。自然の知は、知それ自体に確実性が認められる。預言の確実性は気持ちの上でのものでしかない。
となると、預言と迷信は何が違うのか。
道徳心に満ちた人や神自身が選んだ人を、神はけっして欺かない。だから預言に確実性をもたせることができる。なんじゃそりゃ。ここでは、あくまで聖書の読解であって、聖書の論理構造からそうだと言えるとなる。だから預言者が新しい神々を布教し始めたら、そのしるしや奇跡如何に問わず、死罪にせよとモーセは言っている、としている。これは聖書から演繹されることなのだ。
預言の確実性は三つの要素からなる。
一、啓示が生き生きと感じられる。
二、しるしによる裏付け。
三、預言を受けたと自称する者が、正しい心をもっていること。
預言者は自らの預言が本当かどうかは、本当に起こってみるまで確信を得られなかった。つまり預言者の確信というのは、単に気持ちの問題だった。ということは、その確信というのは、預言者の考え方や理解力に応じて与えられた。
神は遍在していて、全てを予知している。しかし預言者たちはそれを知らなかったし、神に対して無知だった。かのモーセですら、神の性質を憐れみ深いとか、怒りっぽいとかしか表現していない。そして、この存在者は万物の製作者として至高の権力を持ってヘブライ人を選んだ。他の民族や地域については他の代役に一任する。だからイスラエルの神だとかエルサレムの神とか表現されていて、他の神々は他の民族の神々と呼ばれている。
モーセは神の住まいがあると信じたり、神を見ることができるとも信じていた。実際は見ることができないが。
神はモーセに啓示を与えたが、イスラエル人は神について無知だった。モーセは哲学者としてではなく、立法者としてイスラエル人に啓示を教えた。それは自由な心で生きることではなく、法に従うことを教えた。それは隷属の延長だった。ただ神の法を愛し、そして服せと命令したのだ。ということは、イスラエル人が徳の素晴らしさや本当の幸福を知らなかったことは確実となる。
神が預言者に接するやり方は、キリストが頑固なパリサイ人に対するのと同じように、聞き手の裁量によって異なっていた。つまりは、方便を使っていたのであって、真理を語っているわけではなかったのだ! そういえば使徒たちも同様に相手の理解力によって語り口を変えている。そうなのだ、方便なのだ。

以上、まとめてみたけど、かなりこんがらがってきた。
スピノザが言う想像力ってのは、なかなか興味深い。というか、この時代想像力ってのはどんな評価だったのか。この本を読んでいる限りだと、知的作業とは反対の意味で使われているようにみえる。
スピノザは、預言は想像力の産物というけど、でも一方で預言は神から授けられるものであるという。また確信は気持ちの問題だと言っておきながら、神が預言者の理解力に応じて与えるものだと言っている。
これは一体どういうことだ。聖書の中だけで論じれば、預言は想像の産物に過ぎないが、預言者からすれば神から授かっていると感じ、そして確信は持てないけど、聖書のなかでは預言者ごとにその確信の持ち方はまちまちだったということか。
啓示には一貫性がない。ということは啓示は方便なのだ。唯一絶対の真理を語っているかのように聖書を思われてきたが、仏教と同じで書かれていること語られていることは、方便に過ぎないのだ。しかし、方便とはいっても、正しい道を行くためになされるもので、その正しい道がなんなのか、それが問題だ。

2019/08/07

第一章 預言について――スピノザ『神学 政治論』

第一章 預言について
預言とは、啓示ともいうが、ある事柄について神が人間に示した確かな知のことである。普通の人は預言を確実に知ることができないから、それを信じるしかない。預言者はその啓示を通訳する存在のこと。
前述の預言の定義よれば、自然の知(人間が自然に備わった認識能力)も預言と言える。人間が自然の光によって知る事柄、煎じ詰めれば神が取り決めたことを知ることにほかならないからだ。例えば数学的な知にしろ、物理学的な知にしろ、だ。しかし、えてして自然の光はありふれたものだから、人間はあまりありがたがらない。超自然的な知にあこがれる。
自然の知は預言の知と違うが劣っているわけではない。預言の知との違いは、自然の知はある確かさを持っているが、預言の知は預言者を信じるしかない。
預言者たちの啓示は、言葉(声)か映像、もしくはその両方で示されてきた。そしてそれらは本物であることもあれば、預言者の想像の産物にすぎないこともある。モーセ以外の預言者たちは、神の本物の声を聞いたのではないのだという。なんと!!
神はモーセに声で啓示した。『出エジプト記』第二十五章二十二節の記述のみが、神の本物の声だった。サムエルやアビメレクらの預言とモーセのもとは別に考える必要がある、というのもモーセ以外の預言者は夢の中だけであったり、近くにいる人の声にそっくりだったというからだ。
モーセの律法は、神が姿形を持っていると述べていないし、そう信じろとも書いていない。ただ神を信じ、敬うことを説いている。
神は夢などを使わずに人間に直接伝えることもできるが、そのためには人間側が抜きん出た精神を持っている必要がある。それはキリスト以外にはいなかった。ぬおー! なんと。ここでイエスを褒めている。キリストの場合は言葉や映像ではなく、直接に啓示されたと述べている。ここはどういうことだ。「直接に啓示」というのは、キリストの精神を通じて使徒たちに言葉をもたらした。キリストの声はモーセと同じで神の声といってよい。モーセは神と対面し仲間同士のようだが、キリストの場合は心と心でつながっていた。
スピノザはここで聖書の言葉から、余計な脂肪をとっていく。「霊」と訳される「ルアハ」も文脈で別に「霊」の意味で用いるべきではないし、「神のなになに」と表現される場合、それは別に神の属性を述べているわけではなく、単純にでかいとすごいとかの意味でとるべきとする。
よくわからないことに「神の」と付けてきた。預言者は神の力を持つと言われるのも、なぜ預言者が啓示をうけるのか、よくわからないからだ。
そもそも知性の限界を超えたことを受けることができたはずだ。預言者たちは自然の知でもって多くを知ることができたはずだ。しかしそうなっていない。あるのは言葉と映像で構築された寓意や謎かけばかり。なぜなら、そのほうが想像力を発揮できたからだ。
と、ここで疑問が生じる。なぜ預言者たちはそんな想像の産物に確信をもてたのか。厳格な理論をもとにしていないにもかかわず。

まとめ終わり。
ここでの要点は、預言がモーセのもの以外、想像の産物といっていることで、ということは、モーセは本物で、モーセは神と向かい合ったということ、それはスピノザは神を認めているのか。
聖書にでてくる単語が、いつの間にかいろいろと尾ひれがついてくるってのは、仕方がないかな。陰謀論なんてのは、そんな尾ひればかりで、ノストラダムスの予言なんかの解釈なんか百家争鳴でありまして。たいした意味でもないのに、多くの意味をそこに読みとってしまう人間の性よ。
預言は信じるしかないものと言っていて、やはり宗教は哲学とは違うとここでも述べられている。ただし、この「信じる」という行為自体、スピノザは否定していない。
驚くべきは、イエス・キリストを立派な精神の持ち主とほめてることで、しかもイエス・キリストをモーセと相並ぶ人物として見なしている。なんだ、どうなっているのだ。スピノザはキリスト教が好きなのか。
ちょっと疑問。旧約聖書を批判的に読み解いているが、これまで培ってきた、もしくは生きながらえたテクストの読み方はダメだというのはわかるけど、それだとたんなる宗教批判にすぎない。しかしスピノザは宗教を否定しているわけではない。いったいここで論じられている旧約聖書の解釈などを、スピノザは迷信と考えていたのかどうか。旧約聖書は宗教の名に値するものとしてしまっていいのかどうか。
あと「言葉と映像」と「精神」というのは、対立する概念として扱っているのか。

2019/08/06

序文――スピノザ『神学 政治論』

序文
人は簡単に迷信を信じてしまう。迷信は、さっきまで自分たちの支配者を神のように崇めていたかと思うと、今度は罵りるようにしむける。迷信は混乱をもたらす。
そのため、まともな宗教やそうでない宗教も、儀式や仕掛けで飾りたてようとしてきた。それに最も成功したのがトルコ人だという。
君主は国を統治するために人びとを騙し続けることでうまく統治してきたが、しかしこのような専制君主は、オランダのような国にはふさわしくなく、自由こそ愛すべきものであり、自由を認めても道徳心や国の平和は損なうことはない。
これを証明するために、過去の時代の奴隷根性の遺物や主権者の権利についての先入見を指摘する。このような過去の遺物を私物化し、宗教の名を借りて、迷信でもって群衆を再び奴隷状態にされてきた。
宗教は、愛、喜び、平和、自制心を公言しているくせに、いつのまにか諍いをはじめる。というのも、聖職者が特別立派なものであると見られるようになると、ろくでもないやつがでてきて、演説がうまいだけのやつが民衆を扇動しはじめる。そして争いがはじまる。
多くの宗教がもっている儀礼は外的なものだけ、つまり様式だけが残ってしまった。これは人が自由に判断することを妨げる。理性を軽侮するものたちは、神の光が与えられたと信じ込む、なんという皮肉か。少しでも神の光が与えられていたら、もっと慎み深く神を敬い、愛によって人びとの模範になっていただろう。
自然の光(人間の知的能力)は軽んじられ、それは不道徳の源と見なされる。聖書を神聖なものと決めかかる。そして哲学者たちと激しい議論が繰りひろげられてきた。
だから、聖書を自由な気持ちで吟味し、聖書が言っていないことは、聖書の教えではないと認めよう。
すると、聖書には知性に反することは一切ないことがわかる。預言者の言葉は群衆を神にその身を捧げるように仕向けるものにすぎなく、つまりは聖書は理性を放任している。すなわち聖書は哲学と共通するものを何も持たず、両者は別の固有の足がかりにもとづいている。啓示は神への服従以外の何物でもない知であり、哲学的な知とは違う。
だからものごとを判断する自由と信仰の根拠を自分の好きなように解釈する権利は、保証されるべきだ。信仰の良し悪しは、その人の行いだけを基準に決められるべきだ。そうすれば誰もが自由な心で神に仕え、そして正義と愛だけは誰からも重んじられるようになる。
啓示による神の法は、自由を認めている。そして自然権によって縛られる者は誰もいない、自然権を譲ることは自身をま持つ権利も他人に渡すことで、譲渡された至高の権力者は唯一の権利と自由の守り手である。そして至高の権力者は、法や権だけでなく、宗教上の法や権利についても守り手や解釈者の役を務めることになる。それは彼らだけが正不正、道徳不道徳を決める権利を持つ。
そして結論、権力者がこうした最上の権力を保つには自由に考える権利、そして考えたことを言う権利を誰にでも認めることである。

以上、序文のまとめ。
なんというか、けっこう真剣に読んでみると、なかなかおもしろい。
スピノザは宗教批判をしているかのように思っていたが、なかなか、そんな単純ではないようで。というより、宗教を肯定的に書いていると言ってもいい。宗教ではなくて迷信がよろしくないといっている。なんといっても宗教が儀礼を整備したことは、迷信を防ぐためとか。なにーー!
そして宗教と哲学を峻別している。まったく異なる基盤で成り立っていると述べている。宗教は従うことを教えているにすぎないと、しかし従うとは何に従うことなのか、神に、だという。ここでいう神とは何か。ちょっとこのあたりは読み進めていかないと、今のところはっきりしない。神の光が与えられていれば、模範的になれただろうと言っているが、これって宗教を肯定しているわけでしょ。でも宗教は従うことのみを教えているって、何よ。
そして権力者の話になっているが、ここ、論理的なつながりがいまいち把握できなかった。
ちょっと理解しにくい論理構造だけど、まあいいや。とりあえず読み進めていく。

2019/07/30

『龍樹 空の論理と菩薩の道』瓜生津隆真 大法輪閣

3割ぐらいしか理解できなかった……

空について
いろいろ書いているが、いわば空とは、「ものはすべてそれ自体として存在するのではないこと、すなわち実体(あるいは本体)はないという否定を示している。相依性とは、ものはすべて相依相関の関係にあること、すなわち相互依存の関係を示している。したがって、縁起が空であるというのは、自己をはじめこの世界はすべて原因や条件によって生じ、また滅するのであっそれ自体として生ずるのではなく、また滅するのではない」(101)
人間は、つねにものごとにたいして、「本質」を見ようとしてしまう。でもそんなものはない。そして、すべては関係性のなかにある。
「相依相関、相互依存の関係性とは、ものはすべて相互関係や因果関係などの関係性の上に成り立っているので、原因や条件などが即時的に(それ自体として)成立し、存在しているのではない」(101)。
アビダルマ仏教では、存在を有るものとしてみているから輪廻も涅槃も区別され、ともに存在するものとして扱う。ナーガールジュナは、輪廻も涅槃も「幻のごとく空であり」、「輪廻のまま涅槃」であると説く。涅槃も輪廻も実体として有るのではない、苦も空であり、故に輪廻も涅槃も幻にすぎないという。
ただし、空は有を否定し無を主張しているのではなく、有無を越えている存在の如実相だという。有無両方を否定する絶対否定が空である。

アートマンについて
アビダルマ仏教ではアートマンを成り立たせているのが五蘊で、それは色、受、想、行、識(物質、感受、構想、心作用、認識)となる。
この空の思想ってのは、なかなかおもしろくて、「いかなる自我もなく、自我がないのでもない」という有無をともに否定していて、一種の形而上学批判となっているみたいなところでしょうか。そしてこのアートマンは世俗のなかでは存在すると述べられていること。
チャンドラキールティは、世俗は真実(本性)を無明(無知)が覆っている。世俗は無明である。そして世俗は互いにつながりあって成立している。つまり世俗は縁起であるとする。さらに世俗は能所(主客)対立の上に存在する言語表現であるとする。
主体は無知で、そしてその相依性のなかでものごとは存在する。すなわち縁起として有である、となる。それは世俗の言説表現だということだ。つまり実体はない。
だけども、仏教では無我も説かれている。本書では、有無にとらわれることがよくないことで、そのための方便といっている。むむ。
そんな世俗の中で絶対真理たる勝義はどうしたら得られるのか。それは語り得ないもので、言説の中にはない。世俗とその論理を徹底的に否定しつくすところにある。

まとめ
とまあ、その他にも世俗の真理についてや、菩薩行についてなど書かれているのだけれど、いまの僕には要点をまとめられるほどの力量がないのが残念。
本書、いろいろと内容が詰まっているため、かなり難しい。。。アビダルマ仏教のみならず、ニヤーヤ学派なんかも知らないとなかなか理解できない。
あとはやはり理解できずとも、『中論』なりの原典を読んだほうがよいかな。多く引用されているが、はじめてみるテキストということもあって、すーっと頭に入ってこない。

2019/07/19

A Recital of BACH and HANDEL Arias Kathleen Ferrier The London Philharmonic Orchestra Sir Andrian Boult Decca, LXT5383, MONO/バッハ・ヘンデル アリア集 キャスリーン・フェリア エイドリアン・ボールト指揮、ロンドン・フィルハーモニー


A Recital of BACH and HANDEL Arias
Kathleen Ferrier
The London Philharmonic Orchestra
Sir Andrian Boult
Decca, LXT5383, MONO

キャスリーン・フェリア。1953年に亡くなっている。このレコードは再発盤で1957年にリリース。オリジナルは亡くなった年の1953年にリリース。録音自体は1952年。指揮はサー・エイドリアン・ボールト。
恥ずかしながら、ぼくはこの歌手を知らなかった。
レコード店にディスクユニオンに行って、なにげなく手にとって、DECCAでMONOかーと思い、曲目もみたらなかなか渋い選曲。ということで購入。
曲目は以下。

Qui sedes ad dexteram Patris, miserere Nobis(Mass in B minor)/ミサ曲ロ短調より「父の右に座したもう主よ、われらをあわれみたまえ」
Grief for sin(St. Matthew Passion)/マタイ受難曲より「懺悔と悔恨が」
All is fulfilled(St. John Passion)/ヨハネ受難曲より「事は果たされた」
Agnus Dei, qui tollis peccara mundi, miserere nobis(Mass in B minor)/ミサ曲ロ短調より「神の子羊」
Return, O God of hosts(Samson)/オラトリオ『サムソン』より「万軍の主よ、帰りたまえ」
O thou that tellest good tidings(Messiah)/オラトリオ『メサイア』より「よきおとずれを伝える者よ」
Father of God(Judas Maccabaeus)/オラトリオ『マカベウスのユダ』より「天なる父」
He was despised(Messiah)/オラトリオ『メサイア』より「彼は侮られて」

フェリアは正規の歌手としての教育受けておらず、電話交換手をしながらコンクール優勝したもよう。エマ・カークビーも学校の国語の先生だった。スーザン・ボイルの元祖のような人。
大学で音楽を学んでいなくても、クラシック音楽の業界で活躍できるなんて、いい時代だなあ。イギリスでは定期的、この手の人を発掘する文化でもあるのか。
ワルターとのマーラー『大地の歌』が名盤のようだが、ぼくはマーラーをほとんど聴かないから、どうしよう。

それで、今回のレコードだが、泣けてきそうなぐらいいい。
マタイ受難曲からは第六曲のアリアというのが渋い。古楽器スタイルの演奏や歌唱が主流のいま、フェリアの歌い方は時代を感じさせるのだけれど、フェリアの声は透明感があるからしつこくない。
次のヨハネ受難曲からだとふつう第七曲アリア「私が犯した罪の縄目から」を選ぶところを、「事は果たされた」を選曲しているところがいい。歌の内容は、イエスの死を歌っているが、歌詞は「事は果たされ、悲しみの夜は終わり、勝利がやってくる」といったものだが、始終暗い。悲しみしかない。
さてヘンデル『サムソン』のアリアは沁みるわあ。『サムソン』って選民思想丸出しで、ヤハウェの押し売り状態でほんとうにひどい話だけど、ヘンデルが手を加えると高尚な神学的な解釈が表にでてこないで、物語としてフューチャーできていて、うまく換骨奪胎している。
フェリアの歌声は、太く力強い。そしてなぜだか慰められる。暖かくて、いい声を持っている歌手だったんだ、もっと多くの録音を残してくれていればと思う。
イギリスでは、エマ・カークビー、スーザン・ボイルなんかと同様に透明感をもっている歌い手が好まれるのかな。
惜しむらくは、このレコードがアリア集ということもあり、曲それぞれの物語性が発揮さていないところで、これは仕方がない。マタイにしろメサイヤにしろ、全曲を通して聴くとフェリアの良さが十二分にさらに理解できると思う。

2019/07/16

Beethoven, Grosse Fuge B-dur op.133, Streichquartett F-dur op.135, Koeckert-Quartett, Deutsche Grammophon, LMP18154/ベートーヴェン 『大フーガ』op. 133 、弦楽四重奏曲第16番op. 135、ケッケルト弦楽四重奏団



Beethoven
Grosse Fuge B-dur op.133
Streichquartett F-dur op.135
Koeckert-Quartett
Rudolf Koeckert, 1. Violine
Willi Buchner, 2. Violine
Oskar Riedl, Viola
Josef Merz, Viokencello
Deutsche Grammophon, LMP18154

やはり音楽をオーディオで聴くならMONOにかぎるなあ、と思わせてくれる一枚。
録音は、50年代のドイツ・グラモフォン特有の曇った感じがあるが、それはそれで味わい深いものがありまして。
モノラルだからスピーカーは一本で、カートリッジもMONO専用で鳴らしてみれば、音が雪崩のように音が塊になって迫ってくる。四つの弦楽がまるで一つの楽器であるかのように聴こえる。
「大フーガ」は、ほかの演奏よりもテンポは遅く、かえって音の重層感が増して、目まぐるしさを長時間あじわえる。よせてはかえすフーガの波でありますよ。
第16番も比較的遅め。
第二楽章のスケルツォなのですが、これがすばらしくてですね、このケッケルトたちの演奏はガチャガチャしていて、カオス感がたまらないわけです。
第三楽章なんて、モノラルでしかあじわえない深い感動がえられる。主題部から、ヴァイオリンの旋律と重厚感のある低音部が渾然一体となっているわけです。タカーチ弦楽四重奏団のが演奏としてはゆらぎがあって好きだが、ケッケルトの場合はそんな不安をあおるような演奏ではなく、深く瞑想的なものとなっています。

久しぶりにベートーヴェンの弦楽四重奏を聴いてみたけど、これが、あのねちっこくて、しつこい交響曲を書いた人間と同一人物かと思うほど、すっきりとしていて、静かな音楽だことよ。ただあの大仰な交響曲を書いた人物だからこそ、一連の弦楽四重奏曲のすばらしさもひとしおなわけです。

2019/07/15

北方謙三版「水滸伝八 青龍の章」

水滸伝八 青龍の章
「天暴の星」「地異の星」「天富の星」「地悪の星」「地勇の星」

解珍と解宝の親子が登場。解珍はかつて祝朝奉に謀られて解珍の村は祝家荘に併合されてしまった。解珍はその後山に籠もるようになり、猟師として行きていた。息子の解宝は、仲間たちと『替天行道』を読んでいた。解珍も読んでおり、その志に共鳴していた。時期がくれば、梁山泊に合流しようと思うようになる。
李応は祝虎のやり方に疑問をもっていた。祝家荘が同意なく官軍をいれることを怒っており、また自分の生き方に迷いをもっていた。
花栄は柴進の仲介で孫立とあう。孫立に梁山泊に加入することを説く。孫立は同意するが、それはあくまで志ではなく家族が問題を起こしたがために軍を抜けて逃げるという。孫立の弟の妻の弟の楽和が知県の妻に誘惑されたが、拒否したことで腹いせに手篭めにされたと訴えてきたという。
孫立は樂廷玉をたよって祝家荘に入ることにする。弟夫婦と楽和もいっしょに祝家荘に入る。
李富は、馬桂が殺されたことで、梁山泊への強い復讐心をもつ。実際は聞煥章が計画して、馬桂を酷い殺し方をしたが、李富はそれを知らない。
魯達は解珍、解宝親子に会う。魯達たちは意気投合し、ともに戦うこととなる。解珍、解宝たちは、祝家荘の内部から崩すことにする。そのために解珍は祝家荘に入るために、獲物を大量に運びいれ、祝虎に跪きながら、祝家荘の罠や情報を得ていく。解珍は李応を巻きこむならば、杜興とあうことを進められてる。
楊令は高い熱をだしていた。公淑が看病しているが、いっこうによくならない。鄭天寿はかつて音とを亡くしていることから、楊令を心配していた。
鄭天寿は官軍との闘いで、背水の陣で挑み見事勝つが、背後の崖で熱を下げる蔓草をみつけ、それを採り崖を降りるも途中で崖が崩れてしまい、死んでしまう。
梁山泊では、今回の独竜岡での闘いに総力戦で挑むことになる。祝家荘をなんとか崩すために、官軍の大軍を二竜山で引きつける必要があり、武松は秦明にわざと負け続けるように要請する。
李富、聞煥章は緻密に作戦をこなしていき、李応の存在に危機感を覚える。王和を李応につけもし何かあやしいときはすぐに殺せるようにした。
宋江は、呉用を軍師に祝家荘へと出陣する。呉用の作戦では、祝家荘に立てこもっている兵を外におびき寄せて野で闘うというものだった。そのために梁山泊では何度も祝家荘を攻め、退却するということを繰り返していた。
宿元景も騎馬隊を出動させるが、林冲たちに敗北してしまう。
扈三娘がそんな梁山泊の作戦も知らずに、祝家荘からでて闘いをしていく、梁山泊は負けていく。杜撰は闘いのなかで死んでしまう。彼の後に焦挺が引き継ぐ。
李応は杜興と話していると、自分の人生に後悔念を抱きめて、祝家荘を攻め込むことし、梁山泊に味方することにする。
林冲は戴宗から張藍が行きていることを聞かされる。林冲は祝家荘との決戦のまえにひとり張藍をさがしにいってしまう。
王和は李応を殺そうとするが、王和の行動を見張っていた武松、李逵に殺される。楽和は歌を合図に内部から祝家荘を崩し始める。そこに解珍、解宝たち猟師たちが雪崩こみ、祝家荘は混乱に陥る。
聞煥章は、逃亡の途中に顧大嫂に切られ重症を負う。
梁山泊は、なんとか闘いに勝つ。

焦挺が杜撰のあとをついで、軍の隊長になったとき、不安で自分がそんな器ではないと悩んでいる。なんとも世のサラリーマンには胸を打つ話しだことよ。隊長なんかやりたくてやっているやつなんかいない。これもめぐり合わせなのだろう。宋江は焦挺に、預かった兵の命を殺してしまうことにこわいと思うのは傲慢だと言う。おまえは杜撰のもとで死んで杜撰を恨むのかと。おおー、そうなのだそれは自らが選んだ道なのだよ。自ら意思で。
隊長がどうのではないのだ、自らこの道に入り、この道で死ぬ、それは僕の選んだ道だから、隊長がこわいと思うのは傲慢だ。
泣けるぜ。

聞煥章は当初完璧で冷酷な人間のような感じだったが、そうでもなくなってきた。扈三娘に惚れちゃうし、人を操ることの難しを愚痴ったり。

そんなこんなで中盤にさしかかってきたが、どんどん人が死んでいき、いよいよ面白くなってきた。

2019/07/14

北方謙三版「水滸伝七 烈火の章」

水滸伝七 烈火の章
「地伏の星」「地理の星」「地周の星」「天勇の星」「地賊の星」

宋江らは官軍に取り囲まれてしまい、洞穴で陶宗旺の石積みの罠を仕掛けて、官軍を迎え撃つ。宋江、武松、李逵、陶宗旺、欧鵬の五人に対し、官軍は数万。官軍の兵である施恩はかねてから宋江を慕っていたが官軍として宋江と敵対していた。斥候として宋江らの様子を見に行った時、陶宗旺の石積みに足をすくわれ、洞穴の前に落ちてしまう。そこで宋江と出会い、共に行動することを決める。
宋江たちは火攻めにあうも、陶宗旺の罠で官軍を退ける。突破口を見いだし、宋江らは出陣した雷横たちと合流する。
宋江を梁山泊に逃がすために、雷横は殿軍を引き受ける。雷横は宋江の身代わりとなる。官軍の騎馬隊と対決、雷横はそこで果てる。
宋江はようやく梁山泊に入る。
青蓮寺では、聞煥章と李富の主張で今回の負け戦を指揮した将軍二名を見せしめで処刑される。そして少華山を崩すために近くの了義山で替天行道の旗を掲げて偽装工作をすることに。
阮小五は、少華山へと派遣される。そして史進たちは少華山を捨て、梁山泊に入ることを決意する。その途中で了義山を攻めるが、そこで阮小五は矢が内蔵に達してしまう。陳達に担がれながら逃れるが、傷は深く死んでしまう。
魯達は雄州の牢に酒場のいざこざのためにいれられる。そこで得意の人たらしで囚人たちを扇動する。郝思文はそんあ魯達を関勝に引きあわせる。優秀の将軍関勝は最初郝思文の弟よ偽って、魯達と会う。関勝は魯達の生き方を「いいな、魯達は」と羨ましがる。そこで魯達はわざと関勝の悪口を言う。
関勝は宣賛に会いに行く。宣賛はかつては美しい美貌をもっていたが、何かしらの理由で拷問させ、鼻をそがれ、頭皮は剥がさせるなどで、醜い顔となってしまった。それ以降晴耕雨読の日々をすごしていた。そんな宣賛を匿っていたのが関勝で関勝はなんとか、宣賛を軍師に招きたかったが、再三断られる。
その頃青蓮寺では李富と聞煥章とで、祝家荘を中心に扈家荘と李家荘とで秘密裏に砦をつくり、梁山泊を分断、崩壊させる作戦をこころみる。全軍を祝虎が指揮しているようにしているが裏では李富と聞煥章が意図をひいている。さらに唐昇が軍師としてついていた。祝家荘は独竜岡にある。李家荘の李応は官軍嫌いであることから、李富はいざというときは毒殺をすることにする。
聞煥章は李富には秘密に呂牛に馬桂の見張りを命令する。
関勝は宣賛とともに保州の城郭を歩いていた。金翠蓮という女が父親に売られ、鄭敬という男が監禁していた。魯達は鄭敬と闘いを挑み、あっさりと鄭敬を殺して、金翠蓮を救う。魯達は金翠蓮を関勝と宣賛にまかせ、再び旅にでる。
聞煥章は扈三娘とであい、一目惚れ。
時遷は楊志を死をもたらしたのが馬桂であることを知り、時遷は馬桂を殺しにいくが失敗する。

雷横が死ぬところなんかいいですね。「愉しかったなあ」と思いながら死ぬ。憧れである。
阮小五がここで死ぬとは。こいつ何もしないで死んでしまったな。
関勝が登場。関勝は自分が軍のなかで不遇なのはめぐり合わせが悪いからだという。人生そんなもんだろう。人はみなそんなめぐりあわせに諦めて生きているもんだ。
この「水滸伝」のいいところは、革命は志で行うものではなくて、暴れたいからするものだ、と言っている感じがするところかな。

2019/07/09

北方謙三版「水滸伝六 風塵の章」

水滸伝六 風塵の章
「地闊の星」「地文の星」「地狗の星」「天猛の星」「地劣の星」

欧鵬は軍の隊長を好きな女を手篭めにされたと思い殺してしまったため、逃亡生活をしてた。欧鵬は宋江らに出会い一緒に旅についていくことにする。
宋江たちはまた賞金首として宋江を狙った馬麟と出会う。李逵は馬麟を叩きのめす。宋江は馬麟をみ、まだ可能性を感じ仲間に加える。その後、宋江は王進に会いいく。そこで宋江はすっかり落ち着いた鮑旭や、指導者として成長した史進と出会う。史進は少華山に戻ることとなるが、馬麟は王進のもとに残すことにした。そしてそのまま史進とともに少華山に向かう。
魯達は秦明を梁山泊に合流させるべく、花栄を通じて会う。腹を割って話をする。そのとき、蕭譲が秦明の文字を真似て書いた手紙をもち秦明に見せ、「信」こそが梁山泊をつなぎとめているもので、官軍では高俅らが、この手紙のようにいともたやすく人を陥れる。その後、秦明は梁山泊に入り、楊志なきあとの二竜山を任されることとなる。
林冲は二竜山に入り、兵たちの鍛える。楊志の息子楊令と出会い、林冲は楊令に稽古をつける。それは対等な関係として楊令を扱い、容赦なく打ちすえていく。林冲は秦明が二竜山に入ったのち、段景住をともなって梁山泊に戻る。段景住は林冲に馬の医者皇甫端という者がいることを伝え、皇甫端を梁山泊に招き入れる。
盧俊義の塩の道を守るため、劉唐のもと双頭山で飛竜軍という新たに致死軍を作ることとなる。
軍学を一通り学んだ阮小五は秦明のもとに実践を学ぶために派遣される。青蓮寺は二竜山に二万五千を出兵させる。秦明と花栄は青州軍に残してきた黄信の寝返りもあり、簡単に勝利してしまう。
王定六は博打がもとで牢に入れられていたが、穴を掘って牢から逃げる。そして父が経営していた店に行くと、曹順という男のものになっていた。怒り、曹順を殺し崔令という役人のもとに行き、なぜ偽の証文をうけいれたのかと問い詰、殺してしまう。そこで王定六は戴宗と出会い、戴宗のもとで働くことにする。
青蓮寺では蔡京の人選で文煥章を送りこむ。李富などよりも年下なのだが、頭が切れた。聞煥章は梁山泊を崩すため宋江をまず叩き潰すことをきめる。
宋江らは、自分たちが危険な状況にあrことに気づく。連絡網がすべて断ち切られていて、梁山泊との連絡のやり取りができない状況だった。青蓮寺の仕業とわかり、洞窟に隠れることにする。そこで陶宗旺は李逵が割ってくれた石を積み、罠をしかける。
王定六は戴宗から、宋江らが官軍の大軍に囲まれていることを告げるため双頭山へ向かう。雷横、朱仝、鄧飛、劉唐らは、宋江を助けに行く。

秦明登場。やはりこの小説の弱いところである人物描写があまりよくなくて、秦明の個性がよくわからない。軍人らしい軍人で曲がったことが大っ嫌いといった程度。この手の叙事詩では仕方がないところだが。また、秦明が梁山泊に入る決心するところも、とてもあっさり書かれている。これも長大な歴史物語にありがちだが、そのあたりは想像しろ、といったところかな。
それに秦明が梁山泊にはいって最初の闘いで、青州軍に仲間を残してきて、あっさりと官軍に勝ってしまうあたり、かなーりご都合主義。でも原作自体がご都合主義だから、まあいっか。『銀河英雄伝説』のイゼルローン要塞を陥落させた時ばりに腑に落ちなかったが。
とはいっても、こういうとこをあまり細かく描写してしまうと、「水滸伝」の壮大さが失われてしまいかねない。こういうご都合主義も講談調でいいものですよ。
この巻は、今後、話を展開する上での布石をしている。とくに盛り上がりに欠けるとこがあるが、いちいちかっこいいのもたしか。林冲が楊令を稽古していたとき、楊令を抱きすくめていたところを秦明が陰ながら目撃するが、そんなところも胸がつまる。
いまだ五人の虎の内、まだ林冲、秦明しかでてこない。いつでてくんだ。

革命というのは、やはり暴力がともなうもので、共産主義は暴力革命を主張していると批判されるが、革命って暴力が必須じゃんと思うんだけど。非暴力の革命なんて、これまで存在したのか。
それと現代の一部の左翼も非暴力を正義と見なしているけど、そんな態度だからバカにされる。
暴力こそが世直しを可能にするようで。

最後に、正直、宋江と晁蓋ってなんなんだ、とまだよくわからない。とにかく深くて大きい人物だというが、いったいそれってなんなんだ。

2019/07/08

Brahms Concerto No. 1 in D MInor For Piano & Orchestra Opus 15 Clifford Curzon(Piano) with Eduard Van Beinum, Conductuing The Concertgebouw Orchestra of Amsterdam DECCA, LXT2825/ブラームス ピアノ協奏曲第一番 クリフォード・カーゾン エドゥアルド・ベイヌム アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団



Brahms
Concerto No. 1 in D MInor
For Piano & Orchestra Opus 15
Clifford Curzon(Piano)
with Eduard Van Beinum, Conductuing
The Concertgebouw Orchestra of Amsterdam
DECCA, LXT2825

カーゾンとベイヌムによるブラームス、ピアノ協奏曲第一番。これはカーゾンは数年後にジョージ・セルとも録音をしていて、こちらが有名な盤となっている。
ベイヌムとのものはモノラル録音であるため、ステレオ録音のセルのものと比べると音質はたしかに明瞭ではないが、モノラル特有の力強さがあって、大音量で聴くと迫力がすごいのなんの。
僕はセルとのものよりもベイヌムとの、この盤が好み。1953年の録音。
とにかく演奏はよくて、第一楽章は図太くて、不協和音を聴くたびに、こちらも苦悩に満ちてくる。カーゾンのピアノは力強い。
第二楽章ではカーゾンはここでも、明確に、力強く弾く中に繊細さを表現していて、二十代前半の熟女好き童貞ブラームスのおセンチさが十分すぎるくらい表現されている。
第三楽章では、ピアノ協奏曲ではなくピアノ付き交響曲として、カーゾンは決して独りよがりな演奏はせず、オーケストラと共に音楽を作っている。
名盤でしょう。

2019/07/07

Joseph Haydon Symphonien Nr. 100 G-dur "Military" SYmphonien Nr. 68 B-cur Concertgebouw Orchestra Nikolaus Harnoncourt TELDEC, 6.43301/ハイドン 交響曲第68番、100番「軍隊」 アーノンクール、コンセルトヘボウ管弦楽団



Joseph Haydon
Symphonien Nr. 100 G-dur "Military"
SYmphonien Nr. 68 B-cur
Concertgebouw Orchestra
Nikolaus Harnoncourt
TELDEC, 6.43301

僕はハイドンの曲をほとんど聴いてこなかったのだけど、モーツァルトを聴くようになってからか、当時の音楽的感性を少しは理解できるようになってのではと考えて、ハイドンも聴いてみようなった。そこで、ちょうど安くニューヨークのレコード店で見つけたので買っておいた。
帰国して、この交響曲100番「軍隊」を聴いて、おお、なんと愉快な音楽ではないか、ハイドン悪くないじゃないか、と思いなおした次第。
かつてピアノ・ソナタとかを小さい頃に練習したかもしれないけど全く記憶ないから、これが僕のハイドンのファーストコンタクトといってもいい。
ハイドンの曲は「軽い」。でも、この軽快さが、流暢で、愉快な気分にしてくれる。名もない交響曲第68番なんかだって、いい音楽なんだ。第三楽章の16分音符の心地よさよ。
アーノンクールの力もあるのかもしれないけど、本当に関心してしまったわけです。
ハイドンを聴いてモーツァルトやベートーヴェンがハイドンを敬愛したのがわかった気がする。
ハイドンの交響曲に30代半ばになって出会えてよかったと思う。
僕が思うに、現代日本人がハイドンの音楽を聴けるようになるには、かなり困難があると思う。けっしてロマン派のような悲痛な旋律や雄大なテーマがあるわけではない。だからハイドンの勘所をうまく捉えられない。愛だとか友情、ロマン、差別だとかを奏でているわけではないから。僕もそうだったのだけれど、メッセージ性がないと音楽を楽しめなかった時期がある。
ハイドンの音楽はそんな19世紀以降の感性とは相容れないので、ドラマや映画でドラマティックに使ってみようなんて思う人はいない。
またよさそうなレコードがあれば買ってみよう。

2019/07/05

RACHMANINOV PIANO CONCERTO NO. 2 IN C MINOR OPUS18 Julius Katchen(Piano) with Anatole Fistoulari Conducting The New Symphony Orchestra DECCA, LXT2595/ラフマニノフ ピアノ協奏曲第二番 ジュリアス・カッチェン、アナトール・フィストゥラーリ



RACHMANINOV
PIANO CONCERTO NO. 2 IN C MINOR OPUS18
Julius Katchen(Piano)
with Anatole Fistoulari
Conducting
The New Symphony Orchestra
DECCA, LXT2595

ジュリアス・カッチェンのラフマニノフ、ピアノ協奏曲第二番。指揮アナトール・フィストゥラーリ。録音は1951年。録音当時、カッチェンは二十代前半。
第一楽章、けっこう速いテンポで、カッチェンのピアノが走っている。
第二楽章、ここでもテンポは早めだが、詩情感たっぷりにきかせてくれる。なんというか老年のもつノスタルジーではなく、いままさに若きカッチェンがロマンを注ぎ込んでいる感じでしょうか。
第三楽章、これは白眉でしょうか。ピアノのすさまじさのみならず、オーケストラがスラヴ的雰囲気をきちんと表現している。フィストゥラーリがウクライナ出身だからか。打楽器の表現が、他の指揮者のものとは異なり、ラフマニノフの意図を越えて非常に効果的に聴こえる。クライマックスでのピアノとオーケストラの合奏は圧巻で、いっきに駆け上がっていく。
カッチェンのピアノは明晰で、迷いがない(他のピアニストは迷いがある、というわけではなくて)。
この録音は、まあ正直いいとはいえないのだけれど、演奏はすさまじく名演だと思う。レコードでまだ聴いているので音に厚みがでてるけど、この録音をCDで聴くとけっこう薄っぺらい音質になっているはず。50年代、60年代のMONO録音をCO化したものは、残念な音質になっているケースがほとんど。
カッチェンのラフマニノフは、おそらくショルティとのものが有名だし、録音状態もいい。それでも、どっちがいいと問われれば、フィストゥラーリとの録音を僕は選ぶと思う。
僕の愛聴盤になると思う。

2019/07/04

Mozart Klavierkonzerte/Piano Concertos Nr.25 & 27 Freidrich Gulda Viener Philharmoniker/Vienna Philharmonic Claudio Abbado/フレデリック・グルダ、クラディオ・アバド モーツァルト ピアノ協奏曲第25番 第27番



Mozart
Klavierkonzerte/Piano Concertos Nr.25 & 27
Freidrich Gulda
Viener Philharmoniker/Vienna Philharmonic
Claudio Abbado
MG1011

モーツァルト、ピアノ協奏曲第25番、27番。グルダとアバドのもの。K.503とK. 595。
25番は何度聴いてもいいとは思えない。がんばっていいところを探そうとしたけれど、いまの僕の感性では追いつきませんでいた。
何がよくないって、全体的につまらない。モーツァルト特有の疾走感もないし、心地の良い転調もあまりなくて、退屈になってしまう。ごめんなさい。

27番は、比較好きな曲。だけどもよく見かける、「天国的な美しさ」とか「死を予感される」とか、そういうった評価はいかがなものかと思う。この曲が作曲された年にモーツァルトは死んでいるけど、この曲は年始めに出来上がり、死ぬのは年末なわけで、その間約1年あるわけだ。モーツァルトの死因にはいろいろと諸説があるけれども、27番を作曲していた時は、まだまだ元気だったわけで、「死の予感」もへったくれもない。こういうところでモーツァルトの曲を神格化することはよくないと思う。たしかにちょっとしたスパイスにはなるけど、27番には「死の予感」なんか読み込めないほど長調です。
27番でいいなあと思うのは、やはり第二楽章の出だしでしょうか。ポロンポロンとピアノからはじまり、同じ旋律をオーケストラが追い、またピアノがそれを引き継ぐ。かわいらしくて、夢見がちな旋律。そして、ちょっと不安にかられる短調となり長調へともどるところはモーツァルトらしい。
第二楽章のグルダは、自由に感じられる。美しさに耽溺するのでもなく、しみじみと奏でてくれている。胸にしみるわ。
ただし、やはりケッヘル400番台のピアノ協奏曲のような楽しさがないのが、僕には残念でならない。おそらくモーツァルト自身400番台のころのような曲想からは違う方向に向かっていたのだと思う。

2019/07/03

思索の源泉としての音楽  森有正



思索の源泉としての音楽
森有正(話・パイプオルガン)
PHILPS, PH-8519

たまたまレコード店で見つける。こんなものが発売されていたとは。森有正の肉声が録音されていて、バッハについて、思索について語っている。
音楽は社会的なものだ、と森さんは言う。個人的にやることでは意味がないとまでいう。それは文章を書くことでも一緒で、それは社会性を帯び、だから書いたりしたら世に出さなければならないし、楽器を練習したらコンクールや人前で演奏もしなければならない、という。
人間の経験が、音符一音一音に反映せれていて、バッハの音楽にはその一音一音からバッハの人生、経験、思索が見えてくるという。
ちょっと感傷的すぎるところもあるが、音楽が社会性を常に帯びているのは確かだろう。バッハは常にルター派のための音楽を書いてきたし、そしてそれはドイツ語の歌詞で歌われるために音楽が書かれていた。
バッハにとっても音楽は社会性を帯びていて、それは世界と人類とか大きい枠組みではなくて、街単位での小さな社会、共同体を意味している。

収録曲は、
「人よ、汝の大いなる罪を嘆け」
「天にましますわれらの父よ」
「われらみな唯一の神を信ず」
「来たれ、異教徒の救い主よ」
「キリストは死の縄目につながれたり」
「主イエス・キリストよ、われらをかえりみたまえ」
「われ汝らに別れを告げん、汝悪しき偽りの世よ」
「汚れなき神の小羊よ」

森有正が書く文章は、正直すぎで、それは告白というか告解のようなもので、読む者を慰めてくれる。人間の弱さや醜さを見つめたもので、彼がよくいう「経験」が、後悔というか懺悔のように文章にあらわれている。
レコードには『遙かなるノートル・ダム」からの抜粋が掲載されている。久しぶりに読んでみると名文だこと。
森さん、震災前、角筈に住んでいたことが書かれていて、角筈といえば今の歌舞伎町あたりで、なんと野鳥が飛んでいて、森閑としていたという。いまと比較して恐ろしい変わりようだこと。
森さんの音楽の本質とは「人間感情についての伝統的な言葉を、すなわち、歓喜、悲哀、恐怖、憤怒、その他の言葉を、集団あるいは個人において究極的に定義するものでありそれはまさに、かくの如きものとして在るものであり、それがおのずから伝統的なものを定義していることが意識されるのであって、それはもう説明されることのできないもの」だという。
そしてそれは、書くことを生業にする作家や詩人がたどり着きたくてもたどり着けない経験の純化がなされているという。
「音楽は人間経験の最尖端、あるいは深奥部に位いするものである。……本当にミュージカルなものは、詩によって、造型によって、さらには形而上学的思索によってさえも表現されうる、またされなければならない深い生命の自己規律である。」
んーこの感覚、この文章、かつての思想家、批評家、作家たちの言葉への深い信頼が伺える。いまでは森さんのような文章はほとんど目にしなくなっている。(最近では歴史仮名遣いを使い、小林秀雄に影響された、気高くて何言っているか不明な下手くそな文章はたまにみかけるが。)
不思議と森有正さんが、こういう文章を書いても全然嫌味ではなく、引き込まれていき、知らない間に僕ら自身も後悔や懺悔をしたりするのだ。

彼の演奏は、実直なものだが、とくに言及するほどでもないとは思う。とても上手だし。でも、それだけかな。
ただし、森さんがレコードでも言っているように、音楽は発表されるべきものであり、それが音楽なんだ。森さんは、それを堂々と行う。レコードまでだしてしまう。自分の腕前がどうであろうと。
この自らをさらけ出すことは、彼の書く文章と同じだ。さらけ出して、そして批評される。無視されるかもしれない。しかし社会で生きていくとはそういうことなんだと、森さんは言っているのだろう。それが社会で生きていく人間の姿である、と。

2019/07/02

『兜率天の巡礼』司馬遼太郎短篇全集一

『兜率天の巡礼』

法学博士閼伽道竜は、昭和二十二年に公職追放にあう。妻の波那は病弱だった。道竜はいたって平凡で、特段の実績もなく、ただ研究室のなかで独身であったという理由で教授の娘波那と結婚をして、教授職を得る。そして順調に出世していった。
波那は慢性化した糖尿病が重体に陥り、意識を失ってしまう。道竜はそこにま妻ではなく毛物が横たわっていると思った。悪液が脳に達してしまった波那は、突然すっくと起き上がり、裂けるばかりの口をひらき、叫んでいた。声はでていなかった。さいごにひぃと笛のような音が喉から突き上げるようにでた。「怖いィ。お前の、お前の顔……。ああッ」と言って道竜の髪を引きむしってそのまま死んでいった。
妻の発狂で道竜は、波那の家系に原因を探っていく。だれか精神病者はいなかったかどうか、取り憑かれるように。それは理性を失った学問的情熱というべきものだった。
行き着いたのが、兵庫県赤穂郡比奈、大避神社だった。
道竜は宮司、波多春満に話を聞く。だれか精神病者はいない、しかし、それに似た者がいる、秦の始皇帝です、と。
曰く、秦の始皇帝の裔功満王の子弓月ノ君が、日本に上陸して井戸を掘った、それがここの井戸です、と。しかし、田村卓政やゴルドン女史は、別の説をたてた。それはユダヤ人だったと。
曰く、大和ノ国泊瀬川で洪水があった。赤い壺にのった童子が川上から流れてきた。童子は異相で、雅やかであること玉の如くだったといい、帝から秦性を賜る。そのご朝廷に仕えるが、配流となり、赦されてて大和に還ってきてから、土地の者が祠堂を立てる、それが大避神社だという。
祀っている神は、天照大神、春日大神で、三番目が大避大神だった。大闢、それはダビデの漢訳である。大避神社は延喜式以降は「避」を使っていたが、「大闢」とも書くという。
京都太秦にある大酒神社、そこにあるやすらい井戸、これはイスラエルと語呂が似ている、というよりも転訛したという。
景教、それはコンスタンティノープルの教父ネストリウスの派閥の教派で、異端視されて天山北路を越え、シナを越え、播州比奈の浦、山城太秦へとたどり着く。
閼伽道竜の意識は、五世紀の東ローマ帝国コンスタンティノープルへと至る。閼伽はネストリウスと化し、市民から石を投げられている。
ネストリウスは、マリアの神性を認めず、キリル僧正に異端とされた。
道竜は、若くして死んだ北畠顕家を偉大な哲学者の如くあつかう新説を、頼まれるごとに講演し、速記が出版された。それが原因で道竜は戦後に大学を追われることになった。
道竜は、ネストリウスと自分を重ね合わせた。
唐の時代、長安大秦寺、屋根に緑碧の瓦をふき白亜の塔を天に突き上げた異風の景教の寺があった。そこに胡女がひとりで住んでいた。知恵は浅く、従順であった。碧い目はふかぶかと澄んでいた。この女が武宗の後宮にあがったのが十七歳のとき、同族の者たちが小さな祝宴をひらく。少女をみた長老は、ネストリウスがマリアの神性を否定したのは間違いではないかと思うほど美しかった。
長老は少女の処女を、わが民族においていくように言う。同族から若者をひとり選び、室をともにさせた。
その後間もなく大秦寺へ、少女の屍が届く。そして、大秦寺は廃止されてしまう。
後年、石灰岩の碑が西安の農夫によって発見され、ヨーロッパに報告されるが、偽作と疑われる。日本の高楠順次郎氏が、真作であることを証明した。碑にはシリア文と漢文が刻まれていた。
その碑の近くに、一体の人骨が出土していた。道竜がこの胡女ではないか、考えてしまう。
そして道竜の意識は日本へともどり、弓月ノ君の末裔普洞王こそ、波那の遠祖であり、普洞王は一族を率いて赤穂比奈に上陸する。当時はまだ大和の勢力がそこまで広がっておらず、比奈ノ浦を都と定めた。そこはボスポラス海峡を忍ばせる瀬戸内の海が広がっている。
普洞王は旅に出、津のくに、河内のくにを経て、大和へでる。大地がむき出しになり岩と沙の故郷とは異なる、柔らかい風、光が肌にまつわる、天国のような安住の地を得る。それは彼らが自らの神を捨てた瞬間であった。
普洞王は、みすぼらしい小屋のような宮殿と変哲もない貧相な老人であるおおきみをみて、この国の文化の貧しさをおもって、親しみを覚える。普洞王はみずからをシナでローマを指す大秦をもちいて、ずっと西からきたことを伝える。そこから秦性を賜り、同時におおきみから媛をもらう。子をなし、さらにその子が子を生み、秦勝川が生まれる。秦一族は播磨をおさめたのち、秦一族の都を山城、太秦に定める。
勝川は厩戸ノ皇子に山城へ招待するが、皇子は行こうとしない、というのも秦の都に行けば、そこは異教の廟があり、仏教に帰依する皇子にとって外道の都だった。
皇子はそのころ蘇我氏との政争で政治資金を必要としてた。そこで秦氏の織物から得られる膨大な資金を得ることにする。ようやく皇子は太秦を訪れる。そこには大廈高楼が翠巒の中に丹青を誇る社があった。天御中主命を祀っていた、この神は延喜神名帳にものっていない、大酒神社にのみ伝わる神、それはエホバかダビデのことだったのか。そして勝川から皇子へ献上された太秦広隆寺には浄土思想をあらわす弥勒菩薩ががあった。
道竜は大酒神社に行き、そこで三本足の鳥居をみ、天辺は二等辺三角形をなしていた。そして終着地、嵯峨の上品蓮台院を訪れる。そこには兜率天曼荼羅の壁画があり、仏の顔は日本人とはことなる異相していて、そのなかに道竜は波那がいるのではないか考えた。
仔細に曼荼羅を見ていると、それはキリスト教の天国を描いているようで、そして景観はまるでコンスタンティノープルごとく、また長安のごとくにも見えた。道竜は曼荼羅に紫金摩尼をみつけ、それを背景に動く人をみつける。波那。ローソクが落ち、弥勒堂は焼け、閼伽道竜の焼死体がみつかる。

この小説、ちょっとした飛躍がある。波那の先祖はユダヤ人かもしれないというにもかかわらず、ネストリウス派の話になっている。ネストリウスやその派閥がユダヤ系だというわけではない。にもかかわらず、景教の話になって、その末裔が日本にやってきて、波那につながっているように書いている。日ユ同祖論については詳しく知らないので、このあたりの論理がわからないが、司馬さんは強引に閼伽道竜の情念のみで、つなげてしまっている。
なんとも壮大な話ではないですか。始皇帝からネストリウス、秦氏の歴史と全部つながっている。やはり陰謀論とかっておもしろい。
しかし司馬さんはその上を行き、最後の最後で、兜率天曼荼羅にこれまでの話が凝縮されていく。ここが司馬さんの力だろう。
活字なのに、目の前に曼荼羅があらわれ、仏どもが動いている。

2019/07/01

『大阪商人』司馬遼太郎短篇全集一

『大阪商人』

「丼池界隈」の続編。関西の商人の二大人種は、河内系と泉州系とある。泉州系は豪放な商人かたぎが多く、投機好きで、河内系は抜群のズルさがあるという。そして芸事に凝り女にもろい。
そして大和系がいて、香味系や泉州系に使われる養子か番頭向きだという。
ガタ政の父親は大和系で母親は泉州系のためか、景気のいいところを見せることもあるが、「あかんわ」といって大和的退エイ消極主義におちいってしまう。
唐物町の尾西松次郎、べんじゃら松は、その点、銭儲けは見上げたものだった。べんじゃら松は、突然ガタ政を訪ねてくる。普段は洒落た服装をしているが、憔悴しきってヨレヨレのジャンパーに下駄履きといういでたちだった。
べんじゃら松は、資本金があるわけではなく、その融けるような笑顔が資産だった。その笑顔は男をクナクナにとかしてしまうものだった。ガタ政はそんなべんじゃら松を警戒していた。
ガタ政は終戦宣言のその日にべんじゃら松と砲兵工廠から脱走し、一緒にボロを安く買っていった。
「敗戦、一億そうざんげの感傷なんぞは、この男どもにはカケラもない。もっともガタ政のほうには『天皇はん、可哀そうやなあ』などとメソメソする一面があったが、べんじゃら松は、……『天皇はんは、明治以来儲けすぎはったンや。こんどは、俺らの設ける番や』と、びっこのガタ政の手を引きず」って中島航空機工場などに行ってボロを買い取っていた。しかもボロだけでなく、戦闘機までも屑だと言い張ってもっていってしまう。
大儲けしたべんじゃら松だが、ガタ政にはわずかのボロしか渡さなかった。それに文句いったガタ政にべんじゃら松は「知恵とチンポコはこの世で使え」といい知恵だしたものが余計とるもんだと言った。
さらに主人が長崎の原爆で亡くなった「世界屋」という帽子生地問屋をでまかせでのっとり、妻の満子までもものにしてしまった。そして「世界屋」をわざと倒産させ、お涙頂戴で債権者をたらしてしまう。隠し金で再び店をかまえて、さらに店を大きくする。
そしてまたべんじゃら松は不渡りをだし、満子を残して蒸発してしまう。そんななかガタ政宛にべんじゃら松から便箋が届く。それは福井からの投函されていて、どうも東尋坊へと向かったようだった。しかし死体もいる遺品も見つからなかった。
ガタ政はたかが百五十万程度の手形を切れなかっただけで、自殺するような玉ではないと思っていた。そして「世界屋」は潰れてしまう。
ガタ政が商用で東京の渋谷に行くと、英国製の服をきたべんじゃら松が和装の女性、満子とゆうゆうと歩いているのをみる。
「ガタ政は、まるですばらしい風景画でもながめるように、三嘆した。」

やっぱり司馬さんは関西人なんだなあと思う。誰だったか司馬さんの文章には、関西弁の軽快さが根底に流れていると言っていた。誰だったかな。
こんな泥臭い話、いいじゃないですか。天皇はんの次は俺らが儲けるってのも、なんというか戦後まもなくの日本の雰囲気を伝えていていい。
どこの誰だかわからない市井の人を、ほんとうに魅力的に描いている。『街道をゆく』のシリーズでときにみせる、司馬さんの市井の人びとへのまなざしがここにもある。
司馬さんは、人間を嫌いであったと僕は勝手に考えているが、人間の喜劇的な側面を愛していたと思える、そんな話。