2019/07/01

『大阪商人』司馬遼太郎短篇全集一

『大阪商人』

「丼池界隈」の続編。関西の商人の二大人種は、河内系と泉州系とある。泉州系は豪放な商人かたぎが多く、投機好きで、河内系は抜群のズルさがあるという。そして芸事に凝り女にもろい。
そして大和系がいて、香味系や泉州系に使われる養子か番頭向きだという。
ガタ政の父親は大和系で母親は泉州系のためか、景気のいいところを見せることもあるが、「あかんわ」といって大和的退エイ消極主義におちいってしまう。
唐物町の尾西松次郎、べんじゃら松は、その点、銭儲けは見上げたものだった。べんじゃら松は、突然ガタ政を訪ねてくる。普段は洒落た服装をしているが、憔悴しきってヨレヨレのジャンパーに下駄履きといういでたちだった。
べんじゃら松は、資本金があるわけではなく、その融けるような笑顔が資産だった。その笑顔は男をクナクナにとかしてしまうものだった。ガタ政はそんなべんじゃら松を警戒していた。
ガタ政は終戦宣言のその日にべんじゃら松と砲兵工廠から脱走し、一緒にボロを安く買っていった。
「敗戦、一億そうざんげの感傷なんぞは、この男どもにはカケラもない。もっともガタ政のほうには『天皇はん、可哀そうやなあ』などとメソメソする一面があったが、べんじゃら松は、……『天皇はんは、明治以来儲けすぎはったンや。こんどは、俺らの設ける番や』と、びっこのガタ政の手を引きず」って中島航空機工場などに行ってボロを買い取っていた。しかもボロだけでなく、戦闘機までも屑だと言い張ってもっていってしまう。
大儲けしたべんじゃら松だが、ガタ政にはわずかのボロしか渡さなかった。それに文句いったガタ政にべんじゃら松は「知恵とチンポコはこの世で使え」といい知恵だしたものが余計とるもんだと言った。
さらに主人が長崎の原爆で亡くなった「世界屋」という帽子生地問屋をでまかせでのっとり、妻の満子までもものにしてしまった。そして「世界屋」をわざと倒産させ、お涙頂戴で債権者をたらしてしまう。隠し金で再び店をかまえて、さらに店を大きくする。
そしてまたべんじゃら松は不渡りをだし、満子を残して蒸発してしまう。そんななかガタ政宛にべんじゃら松から便箋が届く。それは福井からの投函されていて、どうも東尋坊へと向かったようだった。しかし死体もいる遺品も見つからなかった。
ガタ政はたかが百五十万程度の手形を切れなかっただけで、自殺するような玉ではないと思っていた。そして「世界屋」は潰れてしまう。
ガタ政が商用で東京の渋谷に行くと、英国製の服をきたべんじゃら松が和装の女性、満子とゆうゆうと歩いているのをみる。
「ガタ政は、まるですばらしい風景画でもながめるように、三嘆した。」

やっぱり司馬さんは関西人なんだなあと思う。誰だったか司馬さんの文章には、関西弁の軽快さが根底に流れていると言っていた。誰だったかな。
こんな泥臭い話、いいじゃないですか。天皇はんの次は俺らが儲けるってのも、なんというか戦後まもなくの日本の雰囲気を伝えていていい。
どこの誰だかわからない市井の人を、ほんとうに魅力的に描いている。『街道をゆく』のシリーズでときにみせる、司馬さんの市井の人びとへのまなざしがここにもある。
司馬さんは、人間を嫌いであったと僕は勝手に考えているが、人間の喜劇的な側面を愛していたと思える、そんな話。

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