2019/11/29

「泥棒名人」司馬遼太郎短篇全集二

盗賊江戸屋音次郎は海鮮物問屋に泥棒に入った時、玄達と出会う。そこで長屋の隣に引っ越してきた易者だった。
音次郎は、大坂にきてお蝶を女房にもらうが、その掛け合いがおもしろい。
音次郎は玄達に、大阪城にある火切り国元を盗む勝負をもちこみ、音二郎は大坂城に忍び込み盗み出すが、じつはそれは玄達が前もって仕込んだものだった。
玄達は音二郎に女を盗み出してほしいという。玄達はみずからの家系や生い立ちをはなしはじめる。
役小角が信貴山で夫婦の鬼を大峰山に住まわせる。その鬼の末裔が自分であるとつげる。北鬼の所領は熊野の奥にあり、誰も嫁ぎに来ない、だから代々嫁を盗んできた。女はあまりに山奥で自分の境遇をあきらめるのだという。
音次郎は玄達の申し出を受け、黄檗寺にいる女を盗みに行く。
「しかし、なんだな。お前はきっと佳い女だろうな。闇の中でもわかるんだ」
女の細引を締めながら音次郎は言った。

落ちは途中で気づいてしまう。
盗むことが愉しくて盗む、っていうのもいいですね。泥棒にたいしも情が湧いてしまう。
少し物足りないところがある。
例えば、ラストの落ちでもう少し音次郎の開き直り感がほしいしところかな。
音次郎とお蝶の会話は、司馬さんのユーモアが光っている。
大阪弁の司馬遼太郎の文章を読んでいると、ある種落語を思い起こさせる。
そう、漱石の『吾輩は猫である』の「オタンチン・パレオロガス」のくだりのような感じ。

2019/11/28

「和州長者」司馬遼太郎短篇全集二

欣吾は嫂の佐絵と関係をもち、睦言を言う。自分のせいでこのような関係になったとか。
事が終わり、嫂が部屋に戻る。欣吾はそのまま寝るが、突然兄采女が入ってきて佐絵が死んでいる、そして佐絵は誰かに犯された痕があるという。欣吾はバレるのではないかと心配するが、兄は疑っている様子がなく、さらに体裁から病死したことにする。
中間の団平が、初七日の日、佐絵と関係をもったものを集める。団平、采女、小間使いの源右衛門、欣吾が集まり、采女は佐絵は不義を働いていたことを知る。
源右衛門は佐絵を無理矢理犯しており、佐絵はその口直しで欣吾と寝ていた。ただ佐絵が死んだ日はめずらしく順番が逆になり、激しく犯された佐絵は、心臓も弱かったこともあり、死んでしまう。
関係をもった順に座が決められる。和州のしきたりだという。そして四つ徳利に一つ毒が入っている。それを上座から選び、飲み干していく。その後、お開きとなり、欣吾は自分が毒入りを飲んだのではないかと恐れる。
のち、死んだのが団平で、采女から団平が酒盛りの際に述べていた、佐絵を最初に抱いたのは自分であると言うのは作り話であることを告げられる。そして、団平は佐絵に恋をしていて、自ら毒をあおって死んでいったという。
采女は家督を欣吾にゆずり、隠居することを欣吾に告げる。采女は最後、欣吾を蹴り飛ばす。

和州は大和のことだが、おそらく司馬さんは大和人である団平の損得のないまことの恋心を描こうとしていたと思うが、あまりフォーカスできていない。
それでも文章がいいので、読ませる読ませる。司馬さんの文章というのは、どこか明るいし、さっぱりしているので、この手の男女の情愛を描くには苦手かなと思う。
団平の佐絵への思いを、もっと妄執的なもので描いていたらと思う。どろどろした情念とか、一方的な団平の佐絵への思いを描写していたらと思う。
でもそれをすると司馬遼太郎ではなくなってしまうけど。

2019/11/27

「大坂侍」司馬遼太郎短篇全集二

又七は幼少のころ江戸にいたため、江戸の言葉を話すが大坂の十石三人扶持川同心でしかない。父が病の床にあり、政に旦那(徳川家)に恩を返すために上野に行って彰義隊に入れと言われる。
ここの父の寝床の描写がまたよくて、父弥兵衛の頭上に白刃が垂れさがっていて、それは天井から抜き身を垂らして、何かの表紙で意図でも切れれば刀が身体に刺さって死ぬという寸法になっている。弥兵衛にとってこれは精神修養の法なのだというが、司馬さんは、「五十年つづけて、まだ死んでいないのは、弥兵衛が布団を着ているからだろう」と揶揄する。生死一如の禅境をひらくために、とはいいながら保険をかけているころのおかしさよ。

又七の従兄弟の数馬は、優男で侍らしくない。衣絵とは許嫁の間柄だが、弥兵衛はどこか馬鹿にする。ふと数馬に話しかえる。
「へえ、何だす」
「それ見い。町人とのけじめもつかぬ大坂口跡の侍じゃ」
といい、鳥居強右衛門の子孫であることを誇りにしいた。
「しかし、数馬も私も、同じ十石三人扶持ですよ」
「法楽をいえ。侍は、石高ではない。体の中に流れている血じゃ。まさか、そちは、この大坂の町人風儀に毒されているのではあるまいな」
というやりとり、ユーモアがありますね。

政は、近所の口利きなどをして、便利屋のようなことをして生活をしていた。
そして堀江の分限者大和屋源右衛門の一人娘お勢の又七との縁談をまとめるように動くが、うまくいかない。
「そやから江戸っ子は阿呆やといわれるんや。大阪ではな、又はん。人間は、着物ぬいで、垢洗うた目方で量るんや。」
お勢が遊人に絡まれているの助けたのを機にお勢と知り合った。
そのとき又七の剣の師匠である玄軒先生が仲裁に入るが、玄軒は金で免許皆伝を買っただけあって弱い。幼少の又七に負けて道場を閉めたりもした。
そこに割って入った又七は遊人たちを殴り伏せる。
お勢は見惚れて、父親に又七と一緒になりたいと告げる。

そんなこんなで又七も自分が武士であるという自覚をなんとなくもちはじめ、父の死を機に彰義隊に参加する。
上野でぼ彰義隊の戦いは惨めなもので、あっなく負け、又七は逃げる。廻船問屋の江戸支店に飛び込む。
「ああ、阿呆さんが帰ってきはった」
と言われ、粥をもらう。大坂の商人は官軍に金をどっさり貸していて、又七は大阪から江戸に来たにもかかわらず、大坂の商人にやられたことを知る。
番頭が、お勢いることを告げる。そしてすぐに船がでるから大坂に一緒に帰って、婚礼の支度をするようにだされる。
「なんだかよくわからないが、西遊記の孫悟空が、自分で天地にあばれまわったつもりでも結局はお釈迦様の掌の上で走っていたにすぎなかったように、武士だ武士だと言っても、結局は大坂のあきんどたちの掌の中で走りまわってきたような気が、ふとせぬでもなかった。」

テンポのいい会話、皮肉と諧謔のきいた文章がすばらしい。そして落ちも申し分ない。
この短篇は、人生の哀惜だとかではなくて、数寄を描いている。
人生、よくわかならい。ほんの数年前ですら、今の自分を想像なんてできない状況ですし。
読後、さっと吹きぬける風を感じる、すがすがしさがある。
彰義隊だとか西郷だとか、これほどの野暮はない。文章それ自体で、そう言っていてる。

2019/11/26

「難波村の仇討ち」司馬遼太郎短篇全集二

佐伯主税は出合茶屋でお妙と関係をもつが、じつはこのお妙は主税の兄の仇討ちの相手奴留湯佐平次の妹だった。主税は兄は佐平次の口車に乗せられてしまい、のちに不正がばれてしまう。さらに佐平次を斬ろうとするも返り討ちにされる。
主税は佐平次を討とうとするも、佐平次はのらりくらりとかわしてしまう。さらには馬鹿にされる。江戸や田舎の者は殺伐としている。仇討ちは野暮の骨頂だと。
佐平次は佐平次で仇討ちの許し状を主税から金で買おうとする。
お妙は、時折主税のもとに行っては、一緒になってくれと頼み込む。大坂の心意気をしゃべる。
「大坂の男はんは、恋でならしにまっせ。諸国の人から、大坂者はえげつないといわれながら、恋のためなら損得なしに死ねる心根を持ってます。田舎のお侍は、そうは行きまへんやろ。死ぬときは、必ず損得がつきます。お主のために死んだら、孫子に禄高がふえるてら、何位てら言わはって」
時代は幕末、佐平次は横浜から帰ってきた。主税は佐平次を討とうと佐平次の家に行く。が、佐平次に蹴り倒され、
「この亡者め。時代が変わったわい。岡山藩も、幕府も、二百五十石も紙クズになりはてた。これからはあきんどの世じゃ。」
と言い、主税にお妙をもらって、米国に遊んでこい、と勧められる。
主税に残されていたのは、岡山藩でも実家でもなくお妙だけだった。

なかなかコミカルで、お妙の存在がいい。ところどころでお妙は主税の側にいて、おかしみがでる。敵の妹と色恋ざたをしながら、協力者のはずの与七にも百両で手を売ったほうがいい、仇討ちはつまらんといわれる。
主税には鬼気迫るものがあるようには書かれていなくて、たんに頭の固い、融通のきかない田舎者として書かれている。
司馬さんの大阪弁が軽妙で、武士をどこか馬鹿にした感じがとってもいい。

2019/11/24

第八章 この章では、モーセ五書やヨシュア記、士師記、ルツ記、サムエル記列王記は本人の著作ではないことを示す。その後これらすべてについて、著者は複数いたのか、一人だけだったのか、また誰だったのか探求する/第九章 [前章と]同じ[『創世記』から『列王記』までの]各巻について、別の問題が取り上げられる。エズラはこれらの巻に最終的な仕上げを施したのか、またヘブライ語の聖書写本に見られる欄外の書き込みは[本文に採用されなかった]異本の読みだったのか、といった問題である

時代を経るごとに、聖書はそのまま受け継がれるのではなく、勝手な内容を盛り込んだりしていった。
モーセ五書がモーセ自身が書いたと信じられている、という記述があるが、そうだったのか。
聖書の各巻はエズラが書いたのではないかとスピノザは主張している。

聖書には欠落した部分や異本、付け足しなどがある。しかしラビはそのような欠落は認めず、逆にそれらに深淵ななにかを求めてしまっている、カバラを荒唐無稽と断じている。

第八章、九章は聖書の書誌学、文献学となっている。この二つの章は、現在ではかなり修正が必要な主張のようで。
ヘブライ語についても書かれているのだが、正直なんのことやら。
この二つの章は流し読みをした。

2019/11/23

第七章 聖書の解釈について

「聖書は神の言葉であり、ひろびとに本当の幸福、つまり救済に至る道を教えてくれる。と口ではみんな言うけれども、実情は全く違う。それはひとびとがしていることを見ただけで露骨に分かる。聖書の教えに従って生きることほど、民衆が気にかけていないことはないように思われるし、またわたしたちの見るところでは、ほとんど誰もが、自分の思いつきにすぎないものを神の言葉と一割っている。彼らが目指すのは他でもない、宗教を口実にして、自分たちと同じ考えをもつように他人を強制することなのだ」(301)
神学者たちは、神の権威をまとわせて、聖書の解釈を自分勝手にしている。自分たちの考えや行い、思いつきを擁護するために聖書を使う。
さらにわけの分からない箇所を研究して、聖書に深遠な教えや秘密があると夢想もする。
だから聖書解釈は、確かなデータた原則をもとに、正しい帰結をたどって聖書作成者の精神をを導きださねばならない。
そして聖書の教えというものは聖書そのものから導き出されなければならない。
「先入見に頼らずに聖書の神聖さを裏付けたいのなら、聖書の説く道徳がまともなものであることを、聖書だけを頼りにして明らかにしなければならない。聖書の神聖さを立証する決めては、これしかないからである。」(306)

聖書研究とはいかなるものであるべきか。
1 書かれている言語の本来的の性質や固有の性質の解釈が必要。ヘブライ語の研究は聖書解釈では必要。
2 聖書にでてくる発言をとりまとめ分類すること。なぜなら同じような発言をすぐに見つけられるようにするため。同時に発言の矛盾点もまとめておくこと。
3 預言者たちの書き伝えられた背景を突き止めること。いつ、どこで、誰に向けて書いたのか。

スピノザは聖書のなかで、有益で永遠の教えとして、神の実在、隣人を愛せよ、は聖書のどこでも明らかであるという。これは、聖書の中だけなのか、それとも本当に実在している、と言っているのか。
ただし、神がどんな存在か、ということになると聖書ではさまざま書かれていて、神の教えとしてはよろしくない。
さらに聖書は時代背景も重要であり、たとえばキリストが不道徳な者も許せ、という場合、それはキリストの時代が圧政の時期だったkらで、正義が行使されよい国には通用しないという。

しかし、聖書解釈では自然の光では理解できないものがあるというものがいて、さらに超自然の光について、熱心な信者だけが神から授けられるものだというものがいる。しかし聖書を解釈するのに自然の光では不十分で、しかもその超自然の光が多くの人に持ち合わせていたになら、なぜモーセは律法を制定したのか。みなに理解できるようにモーセは制定したのだから、超自然の光は必要ない。
文字通りの解釈が理性に反するならば、いくら文字通りの意味が明らかでも、違おう意味で解釈すべきであるとマイモニデスは主張する。
そしてマイモニデスの方法では、聖書の真意を聖書から確定することができなくなる。
この方法は聖書を恣意的に解釈することを言っているにすぎない。
聖書は哲学者や頭のいい人でなければ理解できない書物ではない。

感想
スピノザのこのような聖書を考証学的、考古学的に解釈する考え方は、いつごろからあるのだろうか。
この当時、聖書を神学から切り離し、歴史的背景から聖書を読み直すという作業はどうだったんだろうか。
いまではスピノザの方法論は目新しくもないし、さもありなんと言った感じだけども。


2019/11/21

北方謙三の『水滸伝』への批判と挫折――読んでいてつらい

北方謙三の『水滸伝』を13巻まで読んで、ぼくは決心しました。
もう、これ以上読むのはやめようと。もう、お腹いっぱいで、正直読むのがしんどい。13巻までだって、面白いから読んでいたのではなくて、義務感から読んでいたにすぎない。
北方謙三の『水滸伝』の斬新さ、ユニークさとは何か、と問われても、ぼくは原典を読んでいないし、講談も知らない、横山光輝の漫画をかれこれ20年以上前に読んだっきりだ。
だからこの『水滸伝』のすごさがわからないままだった。
正直つまらないし、多くの点でぼくは批判的だ。
この『水滸伝』に深淵さを求めるのは野暮だとわかっていても、書かざるをえない。

北方ロマンティシズムのハイパーインフレーション
第九巻の馳星周氏の解説が一番、この小説への評価としてはぼくにとってはしっくりきた。北方謙三の水滸伝の本質をついている。
「百八人全員が、志だの友だちだの生き様だの誇りだのを口にして滅んでいくのだ。……ひとり、ないし数人の男たちの物語ならまだ付き合える。北方健三の妄執に満ちた世界を斜に構えながら受け入れることはできる。しかし百八人だ。百八人の北方謙三もどきが、これでもか、これでもかと男の生き様、死に様を見せつける。百八人分のナルシシズムに翻弄されるのだ。」
破廉恥な自己陶酔、そしておそるべき自己中心主義、だと馳星周さんは書く。まさにそのとおりです。
かっこいいセリフ、かっこいい生き様、かっこいい死に様、これら北方ロマンティシズムがハイパーインフレーションを起こしており、ぼくは途中で付き合いきれなくなっていった。全体的に「かっこいい」が、溢れすぎて価値が著しくなくなっていく。
この小説にあるのは、北方ロマンティシズムのみであり、それが好きな人には堪らなく魅力的なのだろうけど、こうまで見せつけられると食傷気味になってしまう。

宋江の「替天行道」の内容がわからずじまいであること。
さらに、この小説の弱さ、宋江について。馳星周さんは、「替天行道」の本文を書くべきだったといい、そしてこの内容もよくわからない「替天行道」を象徴であり、男の志なんて、北方謙三にとっての男の志は、しょせん象徴以外のなんでもない、という読みをする。そこに恐ろし北方謙三の妄執があるという。
これもそのとおりだと思わざるを得ない。梁山泊に参加する者の多くは「替天行道」に感銘をうけるなり、なんらかの影響を受けて反政府運動に加わっている。しかし、その内容がわからない。
北方さんは、「替天行道」を読んだ者があっさり「感銘を受けた」のように簡単に書いてしまっているけど、そりゃあないでしょ。

「塩の道」ってなによ。
梁山泊の政府転覆運動で大切な役割をしているのが「塩の道」。だれか忘れたがこの「塩の道」が導入されたことで、反乱への現実味を帯びた、と評していた解説者がいた(ちょっと表現が違うかもしれないけど)。
これについても、闇の商売の仕方が非常に簡潔に書かれすぎていて、いただけない。例えば検問の通行証明書は偽造しているわけだが、はっきりいって具体的な記述はこれだけ。これにしたって偽造の仕方などを詳しく書いているわけではない。つまり「塩の道」や公文書偽造の考証学的なことは一切ない。
そんなものをこの『水滸伝』に求めるのは野暮なのは重々わかっている。ただ、あまりに記述が簡潔で強引すぎて、受け入れるのはできない。

人物描写が弱い。
108人以上の登場人物を書き分けることは難しいことがわかる。はっきりいって人物の描写があまりに弱すぎる。宋江も晁蓋も、あまりに漠然としすぎている。
宋江や晁蓋といった人物が「大きい」人物であると書かれているが、言葉が直接的すぎて陳腐になってしまっている。
通常では、その「大きさ」を、その人物描写を事細かく周辺から表現したりして、輪郭をつくっていくものだけど、北方さんはそんな回りくどいことはせず、ただ「大きい人物」としか書かない。全編、この調子なのだ。

表現があまりに直接的であること。
例えば「熾烈」「孤独」「困難」「過酷」などの言葉が乱用され、そのためあまりに文章が稚拙しぎないか、と思わざるを得ない。
さらに「替天行道」や「塩の道」のようにあまりに強引すぎるため、読者は置いてけぼりを食らう。「「替天行道」なる書物はすばらしいもので、人々の心をうった」、「「塩の道」を守ってきた蘆俊義の孤独はすさまじいものだった」のような、こんな調子で、「すばらしい」だとか「すさまじい」とかの言葉を使い、強引に読者に「すばらしい」「すさまじい」ということを伝えていく。内容が何なんだかわからないにもかかわらず。

試練やつらい過去について
宋江は武松に厳しすぎるほど厳しい、みたいなことが書かれているが、これもどんだけ厳しいものなのか、なぜ武松に厳しいのか、読んでいてしっくりこない。書き方が直接的な表現で「厳しすぎる」だとか、だからその「厳しさ」をレトリックで表現してくれ、となるわけです。そしてその結果、文章の密度がうすい。うすすぎる。
林冲の試練、武松の試練、他にも登場人物のつらい過去だとかが描かれていても、なんというか、微妙なんですね。それらの過酷さが読んでいて伝わってこない。

とりあえず、ぼくはいったん『水滸伝』を読むのをやめる。
わかりやすさを求める現代においては、ちょうどいいのかもしれない。レトリックはなければ、メタファーもない。
これは文学ではない。

2019/11/20

『イスラームから見た「世界史」』タミム・アンサーリー/小沢千重子訳 紀伊國屋書店

イスラームからみた世界史かあ、と期待していたけれど、さほど新しい知見を得ることはない。
イスラーム哲学、科学が中世ヨーロッパに輸入されていくことは周知の事実であるし、ムハンマドからはじまる王朝の歴史なんかも、このあたりの歴史に興味があって、何冊か読んだことがある人にとっては「別に」といった感じで、新鮮さはない。
ただし、記述も平易だし、非常に整理されているので、イスラームの歴史を俯瞰してみるにはいいと思う。書名が「イスラーム史入門」みたいなのであれば、かなりおすすめできる。もっと言って読むべきだとも思う。
でも書名から連想して、ワクワクして読んだ身としては、肩透かしではあったわけです。

もう一点、問題と言えば、著者がいう「イスラーム」とはなんだろうか。
「イスラーム」といっても、イスラームは多様な世界をもっている。インドネシア、マレーシアもイスラームなんだ。
もちろん北アフリカのイスラーム、中央アジアのイスラーム、回族など多種多様なわけで、「イスラームからみた」といっても、それって傲慢でしょ、結局は著者が乗り越えたいと考えているヨーロッパを中心にした歴史観とあんまり変わらない。
現在、日本語で書かれている歴史書で、偏った西洋中心主義の内容のものは、ほとんどないと思う。
というか、そもそもそんな西洋中心主義的なものを、日本の歴史学、哲学、科学、あらゆる分野では超克したり、違ったアプローチをしてきた。それは明治の時代からそうなのだ。
たしかに、凝り固まってしまっている歴史観なりは知らず知らずあるだろうが、本書がそれをほぐしてくれるとは残念ながら言い難い。

2019/11/16

『メノン――徳(アレテー)について』プラトン 渡辺邦夫訳 光文社古典文庫

今回もかなり渡辺先生の解説がためになった。というか解説がなかったら、『メノン』も、それほど感銘をうける書物ではなかったと思う。
以下のまとめも乱雑で、渡辺先生の解説のまとめみたいになってしまった。
解説を読んだ後、『メノン』本文を読むと、素晴らしいほど「理解」できた。
ただ、アレテーの訳が徳というのは、日本語の語感からして違和感がないわけでもない。
哲学書でもあり普通の使い方ではない「徳」を語っているのはわかっているが。

徳とは何か。
メノンはゴルギアスのもとで弁論術を学んでいる。メノンはまず「男の徳」「女の徳」「大人の徳」「奴隷の徳」があると説く。ソクラテスにもっと一般的にしろと言われて、次に「人びとを支配できること」と答える。しかし、正しい支配でなければ徳とはみなせないとソクラテスに反駁される。
メノンにとって徳は政治家としての理解を重きにおいている。しかし、ソクラテスは一般性の問題として問い直す。
ソクラテスが言う「正義はある種の徳である」というのは正義が徳のカテゴリーの中にあるもので、イコールではないということ。節度、勇気、知恵も徳なのだから。
そしてソクラテスは定義を行う際に循環してはならないという。つまり徳を定義するのに徳という言葉を使ってはならない。さらには徳である正義を使って徳を定義すべきではない。

善い行いと悪い行いとは
「よいものを欲する」ことは、徳がある人のみではなく、誰でもがいつでもやっていることだから、徳を他のものとは区別してくれない。
「悪いことを欲する行為」というのは、「悪いと知りつつやってしまう」「よいと知りつつそうしない」といったように表現される。意志の弱さ、もしくは無抑制というもの。
メノンはここで「よいと知りつつそうしない」ことと「悪いと知りつつしてしまう」ことは、現実には存在しないという結論する。
悪いことを知りつつ行うということ、それは悪いというのは有害であるということ、であれば悪いことを悪いと知っていながら、欲する人がいるのだろうか。
悪いものが有益だと考えていて、悪いものが悪いことであると知っていると、そうなるのか。
ではないのならば、「悪いもの」を欲しているわけではなく、自分がよいと考えたものを欲していることになる。
実際は「悪い」が、それを知らずに「よい」と考えて欲している。
ここで、メノンが言う「悪いものを欲する」人は、害になることを知っているということになる。
害を受けている人は、惨めである。惨めな人は「不幸」である。すると、「不幸でありたいと思う人が、いるのか」
メノン曰く、いないと思います。
するとだれも悪いものを欲しないことになる。誰も害を受けて惨めに不幸になりたくないのだから。

意志ある行動について
整理すると解説にあるように
(a)よいと考えて欲するのか
(b)悪いということを知っていて欲するのか
意志が弱いとなるような(b)のケースが存在するとメノンは言う。では、
(b1)有益であると考えて欲するのか
(b2)害があると知っていながら欲するのか
となるが、(b1)を選択することはできない。有益であると知っているなら「悪」ではなくなる。
で残るのが(a)(b2)となる。
(a)は通常の行為だが、では(b2)はどうか。
これは意志の弱さの行為の典型だが、ソクラテスは「不幸」を欲する行為はだれもしないだろうとなる。
となると、つまりは、ここでは
「意志の弱さからくる」と呼ばれていた行為は、そのような呼称のものとしては存在しないということになる。
通常言われる、「意志の弱さ」、例えば甘い食べ物を食べてはいけないとわかっているのに食べてしまうようなケース、これは(a)となり、「よいと考えて行為する」ような、医師が弱くない行為、ノーマルな行為だということになる。
意志が弱いから行った、というのも認めていない。
自分の意志で甘いものを食べた、選択したことであり、強制されたことではないから。
これは強い何かを感じる。

倫理的とはいかなることか
ここで渡辺さんはさらにもう一点、ソクラテスの意図を述べている。
ソクラテスは、「よい」「悪い」「有益」「害」をいう言葉を、行為者本人の行為からみて、その行為者にとって「よい」「悪い」「有益」「有害」かどうかと使っているという。
それは、「何がその人の結果としての行動を導いたかという観点だけから、その人にとっての善悪や益と害を問題にすることができ」る。
私たちは日ごろ「意志の弱さ」からくる行為について、ソクラテスとの言葉遣いではない理解で善悪、有益、有害を考えている。
ソクラテスはこのような日常的な使い方を排除した。
それは、「人の心は、人の行動によってしか語れないという結果」になる。おおおおおおおー。どうだ。行動こそが重要だということは巷では耳にタコ状態だけど、それをきちんと理屈づけているではないか。
ここから、メノンの「徳」の定義、「よいもの」だとか「美しく立派なもの」という定義は空疎なものになっていく。

有難迷惑ということ
「よいもの」が有益にもなり、有害にもなる。
つまり「正しい使用」であればよいが、そうでないならば有害でしかない。そして「正しい使用」は知識や知性によって導かれる。
財産や美は、ある人にとっては有益だが、別の人にとっては有害になる、というのはうなづける議論でしょう。
つまり、メノンがいう財産、美、勇気を欲すること、もしくは所有することは、それ自体が「徳」ではないことになる。

「探求のパラドクス」
知らないことをどうやったら知ることができるのか。
メノンにとって知ることは同一指定となっている。同じであることはIdentifyできるかどうかを意味している。
だからメノンは暗闇のなかで手探りでどうやって「徳」を探求できるのか、知らないのに知ることができるのかと問う。
「徳とは何か」と問われ、ソクラテスは知らないと答える。メノンはパラドクスを突きつけるが、そもそものメノンの知識観が間違っていることが次で述べられる。

想起説
探求すること、学習することは想起することであるとソクラテスは言う。これが一般的(メノンを含む)な学習とは考えが違う。
「事物の自然本性」はギリシア語で「フュシス」で、これをラテン語に約訳されたとき「ナートゥーラ―(natura)」となる。つまり「本質」「本性」の意味が強い。「徳のフュシス」といえば、それは「徳の本質」、それは芋づる式に応えがでてくるはずで、そえは人間の誕生以前の高貴な状態で、すでに知られているものである、と想起説ではなる。
この想起説で、知識は全体
ソクラテスは「原因の推論」という『縛り』」があり、だから「正しい考え」よりも優れているとするが、プラトンはそこに想起説を結びつけているという。
この場合、正しい考えは長期間とどまってくれるために原因の推論が必要だとする。それが想起であるという。
例えば三角形の内角の和が二直角に等しいという知識は、定理を原因から掘り起こせば「知った」ことになるが、たとえ原因から知らなくても、なんらかを「知った」ことになる。このことは正当化があれば知識は知ることができることをしめしている。
「理解して知る」ことこそが、人間の本来的に「知るに至る」ことである。
そしてさらに新たに学ぶこととは別に、むかしの経験の記憶に基づく知の再獲得こそ「学び」であるとソクラテスは主張しているようだ。
後者の想起は、なぜプラトンが重要視するのか。
それは知識が、「人格」や「内面」とほんとうの内奥で結びついていて、その人の中で切り離すことができないからだ。
徳とは何かという問いには、徳が教えられるものであることが前提となっている。
しかし、ソクラテスは知性(ヌース)や知(フロネーシス)という言葉を使う。これらの言葉は内的な関係性を響かせているという。
つまり、本来知識は外化できるものではないものであるという、プラトンの考えが反映されている。
「わたし本来の豊かな内容」を、過去の「記憶」の中に探る、「なぜ若い人は、じゃまになる考えを取り除いて頭の中をきれいにしてあげさえすれば、次々と壁と思われたものを越えて、次の段階にジャンプして成長すように学んでいけるのか? それは、自分の中にそれを超えさせるくらいのたいへん豊かな財を、もともともっていたからだ」(226)

仮説の方法
難解な幾何学の問題を例にしているように、ここから普通では理解しがたい問いへと変化していく。
幾何学で通用する立派な方法で徳は教えられる。
メノン、徳は知識ならば教えることができる。
しかしソクラテスは徳がいわば知識のようなものならば、学ばれるというは徳は「他人から教えられない」という仕方で学ばれる。
メノンの場合、徳の教師がいないから、徳は教えられない、ゆえに徳は知識ではないというストレートな解釈となる。
ここでソクラテスの行った「仮説のの方法」が無視されるようになる。
メノンはソクラテスのあいまいさや多義性を排除している。それは幾何学方法と同じように厳密な論理形式としてみなしている。
ソクラテスは徳を知識として結論はしている。それは「学習」される、経験から学ぶことができるから。徳は「学習」できるものとしている。しかし、ソクラテスは「知識・エピステーメー」にあいまいさをもたせている。

徳とは何か
ソクラテスの場合、有益なものは知(フロネーシス)であり、徳は有益であるのだから、必然的に徳は知であるとしている。
外的なもので有益とさえるものである、財産、地位、頑強さは、有害にもなりうる。
だから、これらを正しく使うことを理解しなければならない。そしてそのためには内的に有益なものが必要となる。
それが徳となる。
メノンが言っていた徳、男らしさや財産、地位、健康などは外的なもので、ここでメノンとソクラテスの違いが明確になる。ソクラテスの場合は内から外へだが、メノンは外から内へと向かっている。
徳とは正しい考えのこととなる。

2019/11/13

『ブッダ伝 生涯と思想』中村元 角川ソフィア文庫

本書は非常に平易に書かれていて、しかも経典からの引用が多くて、参考になった。
中村元先生は、本書でも少し触れているが、「慈悲」を大事にしている。他人を慈しむことの重要性を仏教から読み取っていく。
これは、仏教からはなかなか引き出すのが難しいところだとは思っていたのだけれど、中村先生は、やはりいい意味で大乗的なお方だったんだと改めて思う。

すべてを捨てること
「人々は『わがものである』と執着した物のために悲しむ。〔自己の〕所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまっていてはならない」(『スッタニパータ805』)
ブッダの言葉で好きなのがこれ。
ここで自己(アートマン)とは何かとなる。
そこで「無我」を考える。それは家族も財産も捨て、我執を捨てる。自己以外のものは憂いをもたらす。子であろうが、親であろうが、金だろうが。
あらゆるものを捨てる、これが解脱の心境となる。
「現実社会で生きている人々にとっては、生き抜くためにいろいろな障害にとらわれないという意味です。つまり束縛や障害を、束縛や障害として冷静に受けとめ、行くべき道を自ら、見いだし、自由闊達な活動を展開することです。我執、つまり執著を離れ、自由な広々とした境地を体得すること」だと、中村博士はいう。

自己とは
身体はアートマンではない。ではこの身体はどこまで拡張されるのか。だから身体もわがものではない。
現象世界は五蘊で成り立っている。これが執著を起こし、束縛する。
では人間の主観、つまり認識や感受、表象などの作用は、アートマン(私)が行う、と考えられがちだが、仏教ではこれらはただ作用しているだけでアートマンを想定していないという。
ブッダはアートマンを形而上学的に実体することを極力排除し、ただ「自己に頼れ」という、実践活動の主体としての自己を認めていた。
ブッダが否定したのは、アートマンという実体があるという執著であるという。
アートマンはこれでもないし、あれでもない。

自己を愛し、他人を慈しむ
ブッダは自己を否定していたわけではなく、倫理的な行為としての自己は積極的に認めていた。
そこでまずアートマンを護りなさいという。
「たとい他人にとっていかに大事であろうとも、〔自分ではない〕他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ』(『ダンマパダ』166)
そして自己を愛せと説く。子がかわいかろうが、自己ほどかわいいものはないとブッダは言う。
原始仏教では人間は利己的な存在であることからスタートしている。
ここでたんなる利己主義には陥らない。他人も自己がかわいい、だからその他人を害してはならない、という倫理へとつながる。
自己を愛する人、守る人はつつしむ人であると。
ブッダはこのように自己(アートマン)を認めながら、形而上学的な議論には沈黙をした。

さとりとは何か
ブッダは十二因縁を観じ、悟ったとするが、『サンユッタ・ニカーヤ』では、「老死から生、生から有とたどっていって、ついに『識を縁として名色あり』、次に『名色を縁として識あり』と……ここでは縁起の系列を逆にたどっていて、識と名色との相互基礎付けで終わって」いる。この経典では縁起説の成立前となる。
十二支は無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死と『ウダーナ』から中村博士は引用している。この引用部分非常にわかりやすい。いうなれば無明から生活作用、そして識別作用……と順に生じること考え、そして次に無明が止滅し、次に生活作用が止滅し……と逆に考えていく。
この十二支縁起は、原始仏教でもずっと後になってから整理されたようで、もっと古い経典では縁起説はもっと簡潔にでてくるという。
その他にもさとりは六処、六根、四神足、四禅などのさとりの道があるという。
中村博士が言うには、このようにいろいろなさとりの道がるのは仏教の成立に遡れるという。仏教は特定の教義がなく、ブッダ自身が定型化を望んでもいなかった。
とはいってもその底に流れる思想がある。それは、因習や宗教に囚われずに、「いま生きている人間をあるがままに見て、安心立命の境地を得るようにされること」だという。それには実践的にダルマ(理法)を体得することだという。
そしてこのダルマもまた定型的なものではない。


非想非非想処「ありのままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。――このように理解した者の形態は消滅する。けだしひろがりの意識は、想いにもとづいて起こるからである。」(『スッタニパータ』)
「バラモンよ。木片を焼いたら浄らかさが得られると考えるな。それは単に外側に関することであるからである。外的なことによって清浄が得られると考える人は、実はそれによって浄らかさをえることができないと真理に熟達した人びとは語る。
バラモンよ。わたしは[外的に]木片を焼くことをやめて、内面的にのみ光輝を燃焼させる。永遠の日をとおし、常に心を静かに統一していて、敬わえうべき人として、私は清浄行を実践する。」(『サンユッタ・ニカーヤ』)
これらのブッダのことばのように、ブッダは同じようなことを繰り返し繰り返し説いている。ことばが変わっても底に流れる思想は同じで、この世は諸行無常である、だから自己を愛し、そして修行に励みなさい、というこである。

2019/11/11

『西南シルクロードは密林に消える』高野秀行 講談社、『ミャンマーの柳生一族』高野秀行 集英社

ドイツ出張の際にフライト中に、高野秀行の本を読む。
高野秀行さんの本は久しぶり。『謎のアジア納豆――そして帰ってきた〈日本納豆〉』以来。
ドイツへ行き、基本仕事だったけど観光を少しして、いいところではあるのだけれど、やっぱりアジアの猥雑さというか人間臭さがあまりなくって、高野さんの本も読んだ後といいうこともあり、物足りない感が半端ではなかった。

『西南シルクロードは密林に消える』高野秀行 講談社
で、結局「西南シルクロード」とはなんであったのかはわからず、題名通り、密林に消えていっている。
内容は、冒険譚としては最高におもしろいもの。西南シルクロードの考証的ななにかをもとめるべきではない。
成都からはじまり、大理、瑞麗、そこからからカチンに入り、ナガへ。最後はカルカッタに行く。
カチンのゲリラのいいかげんさや、修羅場の切り抜け方なんかおもしろい。中国の公安に捕まって、嘘八百をならべて解放されちゃうし。
親子の再会なんかもあって、マジかよとなる。

『ミャンマーの柳生一族』高野秀行 集英社
船戸与一と一緒にミャンマーにいった記録。船戸さんは、このミャンマー取材ののち『河畔に標なく』を書く。ずいぶん前にこの小説を読んだから、今ではほとんど覚えていない。
ミャンマー人の「国際性」を評価しているところなんか、なるほどと思った。民族、宗教が入り乱れている場では、たしかに日本のような均質な環境とは違うコミュニケーションが育まれるのだろうな。
それにミャンマー人が本をよく読むというのは知らなかった。本を読む少女の写真が載っていて、なかなかいい写真だった。木陰で物売りをしている少女のやつ。
ミャンマーの権力争いについて、簡潔にわかりやすく書かれているけど、正直言えば、そのあたりは興味がない。だって権力争いなんて話としてはおもしろいけど、知識欲を満たしてくれるものではないからね。
でも、おもしろかった。


2019/11/10

『風邪の効用』 野口晴哉 ちくま文庫

『整体入門』を読んで、受け付けなかったのだけれど、『風邪の効用』は短い本だし、ざっと一、二時間で読めてしまいそうなので、電車で暇つぶしに読んだ。
風邪は身体の調整をしてくれるとのことで、よく風邪をひく人は身体が丈夫になっていくという。逆に風邪をひかない人は、突然ころりと死んだりしちゃうのだとか。
風邪はきちんと対処すれば、身体にとって有益なのだと。デトックス効果というやつでしょうか。
『整体入門』のときもそうだけれど、椎骨何番とか書いてあっても、正直よくわからない。というか椎骨何番でなぜどこどこに効くというふうになるのか。単に経験則でものを言っている感じしかしない。
で、致命的なのが、「風邪」の定義を、野口さんはしていないことだ。
「風邪」とひとくちに言っても、いろいろあるし、人によっては風邪と認識していない風邪もあるだろう。野口さんから言えば風邪になるような症状もあるだろう。
野口さんは、さまざまな風邪があって、対処が難しいと逃げをうっているが。

多くの部分で受け入れがたいのだけれど、ただ風邪がなんであるかを探求したい人には、オルタナティブな答えをくれると思う。
人が病気をするというのは、単に悪い方向にいくだけでなく、調整機能があるのかもしれないと改めて思わせてくれる。
風邪というのは、身体が快方へ向かう途上なのかもしれない、と。

2019/11/09

『整体入門』 野口晴哉 ちくま文庫

野口さんの整体がどんなものかがわかる。この本は、入門となっていて、たしかに平易に書かれている。だけど椎骨何番とか書かれていたり、また具体例として写真付きで体操の仕方が記述されているが、正直このあたりはよくわからない。ただ全体を把握できる。
日常生活の中で、人それぞれに身体の癖があって、そのゆがみを矯正すれば快適な生活が得られるようなのだけれど、自己流でどこまでやることができるのかが疑問。
愉気とか活元運動とか、正直なんじゃそれって感じ。「気功」と何が違うのか。
ぼくのようなモダニストには受け入れられる話ではない。
著者がいう身体の癖である「体壁」というのは、まあわかる。人それぞれ癖があるなんて、そりゃあたりまえなわけです。
でも、あやういなと思ったのは身体の癖から性格診断までしてしまうことだ。たしかに気分によって人間の姿勢だとか態度が変わることは普通にあるし、それが人間一般に同じ傾向をもつというのもわかるが、なんか野口さんの診断はあやしいんですね。

余談で、ものはいいようだというのがわかる。世ではよく噛んで食べることが推奨されているが、咀嚼すればいいというものではない、という。というのも胃を甘やかすことになるからという。
ぼくは咀嚼をほとんどしないし、咀嚼すればいいみたいな風潮をバカにしているから、なかなかいいセリフを学べた。
といったように、野口さんの話は、これと同じようなトーンで話が展開していく。

あと蛇足だけど、野口さん、享年65歳ということで、けっこう若くして亡くなっているんですね。それって野口整体をやっていなかったら、もっと早くに死んでしまったということなのか。それとも野口整体の効き目は実はたいしたことがないか、もしくは有害か、というふうになる。
このあたりを検証したりすることはしないのだろうか。

2019/11/08

「豪傑と小壺」司馬遼太郎短篇全集二

豪傑と小壺

「壺狩」を少し長くした話。
稲津忠兵衛はブサイクで鈍重で力も強く愛嬌があるようなのだが、武運がよくないので出世は見込めない。
せっかくの見合いでも緊張しすぎて、逃げてしまったりと、忠兵衛の悲哀とおかしみが書かれている。
まあまあまあといったところでしょう。
「壺狩」のほうが凝縮されていてよかったと思う。

2019/11/07

北方謙三版「水滸伝十三 白虎の章」

水滸伝十三 白虎の章

官軍が梁山泊へ攻撃を仕掛けてくる。
呼延灼、関勝、穆弘らはこれを迎えるが、趙安の戦い方にどこか違和感をもつ。呉用へ梁山泊への退避を提案するが、呉用は受け入れず。
呉用は流花寨のみを考えて作戦を立てるが、それが裏目にでる。青蓮寺は、流花寨、二竜山への派兵を囮に、董万が双頭山を急襲する。
朱仝は辛くも春風山に逃げ込むことができたが、多くの兵をなくしてしまった。朱仝、李忠は双頭山を守り抜くなかで壮絶な死を迎える。とくに朱仝は秦明、林冲、史進が到着すると、「あとは頼む」的な言葉を言い残し、彼らの目の前で倒れて死ぬ。すでに死んでいたのだ。
董万は結局、ほど陥落していた双頭山を落すことをせず、撤退をする。
この戦いの失敗で呉用は軍師の任を宋江から解かれる。そして宣賛が新たな軍師としてつく。
聞煥章は童貫と会う。童貫は董万が勝ちにいこうとしない将軍としてそれほど評価していないことがわかる。そして童貫自ら聞煥章に自らの過去や思いを吐露する。やはり童貫は梁山泊が禁軍と張り合えるようになるのを待っていることを認めた。
戦費がかさむなか、政府内では銀が戦争にばかり使われることへの批判がでてきており、それを鎮めるために聞煥章は高級官僚三人を暗殺する。
孔明と童猛は官軍の造船所を、百名の少人数で襲撃し、破壊する。孔明はそこで死亡。

どんどん死んでいく。この漢たちの死のインフレーションよ。すさまじいですね。
原哲夫ばりに人がバタバタ死に、その死にざまに感動するという、ロマンティシズムの極致をいっている。
30代後半となり、さすがにこうも生き様、死に様を立てつづけてにみせられても、感動するよりも白けてしまうところがある。
朱仝が死ぬところなんか、『北斗の拳』みたいだったし。

それはそうと、梁山泊にはかなり強かったり、頭がよかったりと相当な人物が集まっている。呼延灼、関勝、穆弘がいるにもかかわらず、趙安ひとりを倒せないとか、なんか結局、呼延灼、関勝、穆弘などが当初登場してきたときよりも弱体化しているわけです。
でも、これもお決まりのパターンですね。
でないと、味方側は常に最強になってしまい話になりませんから。

2019/11/06

北方謙三版「水滸伝十二 炳乎の章」

水滸伝十二 炳乎の章

ついに盧俊義が青蓮寺に捕まり、拷問をうける。沈機によって盧俊義は足を砕かれ、指を砕かれてるも、塩の道についてはいっさい喋らず、燕青に救出される。燕青は北京大名府から梁山泊まで、盧俊義を担ぎ連れ戻す。なんか燕青は死域にあり、半分死んでいたという。
解珍は陽春をつれて旅に出ていた。陽春は何の旅なのかわからず、ただついていっているだけで、解珍に憎しみすら覚えていく。
牢に入れられていた董平は脱獄し、関勝は探すも見つけられず。魯達の賭けに負ける。
関勝は魯達といっしょに董平にあい、じつは屋根の上で寝ていたことを告げられ、負けを認める。董平はそのまま梁山泊へ入る。
梁山泊は北京大名府にある塩の道の痕跡をすべて回収すべく、軍をすすめる。短期間の北京大名府を占領し、盧俊義の残した物や、関わりのある人物を梁山泊へと運ぶ。
その際、空になった梁山泊へ雄州の関勝が兵三千をつれて梁山泊へと進む。呼延灼率いる梁山泊軍は急ぎ北京大名府から撤退する。その途中、趙安が宋江に迫るも、なんとか何を逃れる。しかしここで韓滔が死ぬ。
関勝は梁山泊を攻めることをしなかった。朱富の饅頭を燕青らと食べながら、饅頭の恩を借りると言い残す。
関勝は、宣賛、単廷珪、魏定国、郝思文、そして雄州の数百の兵とともに、饅頭の恩を返すために梁山泊に入る。

この独りよがりの小説も中盤から後半へと向かっていく。
「たいへんなものをみたようなきがする」「わかるようなきがする」だとかの共感とも違う、人間は孤独であるが、わかり合おうとする努力の跡がいっぱい書かれていてお腹いっぱい。
この小説の悪いところなのかいいところなのか判断が難しいが、「塩の道」っていったいどんなものなのか、北方さんはかなりあっさり書いていて、歴史的な塩の道についての言及が皆無。
そのため、漠然としたイメージしか抱くことができない。
盧俊義の闘いがどれくらい大変なのか、読者にあまり伝わっていないんじゃないかな。
北方さんは、強引に「難しい仕事」のように書いて読者を納得させにきているけどね。しかも、婉曲表現とか用いずにそのまま、「困難」「孤独」「熾烈」などの言葉で表現するものだから、読んでて小説ってこんなにダイレクトな表現でも許されるのかと考えさせられた。
郁保四だが、「花の慶次」にでてくる、ばんどう、っていう巨体のように死ぬのかな。たしかばんどうは、旗を降ろさないで立ちながら死んでいった記憶がある。