2020/03/26

第十五章 神学が理性に奉仕するのでも、理性が神学に奉仕するのでもないことについて。そしてわたしたちが聖書の権威を認める理由について――スピノザ『神学 政治論』

理性は聖書に従うものではないし、そして聖書が理性に従うものでもない、という主張はどちらも間違っている。
聖書の意味を理解するには理性がが必要である。理性によって理解できないことに盲目的に従うのは愚かである。
では理性で理解できない記述はどうするのか。
まず、聖書はいろいろな人によって記述が歪められたりしている可能性を考慮する必要がある。
理性に反する記述があっても愛に差し支えはない。つまり理性は聖書に従う必要はないし、合わせる必要もない。
だから啓示なのだ。
数学的な論証でもって聖書を読み解くことは間違っている。聖書の教えは数学的な論証がなくても受け入れられるものであるし、理性に秀でていない人にとっても大きな慰めとなる。
哲学と神学は相反する営みなのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿