んーやっぱりドストエフスキーはおもしろいですね。
『カラマーゾフ』ほどではないにせよ、ここでもやはり登場人物がみな精神疾患持ちのような連中ばかりで、会話劇がやばい。
スヴィドリガイロフの存在がこの小説において際立っている。
ドゥーニャを襲うとしながら、愛してもらえないことを聞いて、途中でやめる。
スヴィドリガイロフは大雨の中で少女を見つける。ベッドに寝かしてあげるが、彼は少女に性的なものをみつける。
ここのくだりは、現実と夢が錯綜しており、かなりカオス。
そしてスヴィドリガイロフが自殺をする。感動的だ。マルメラードフの子供を孤児院にいれ、ソーニャにはラフコリーニコフの懲役暮らしのためにお金をあげ、自分が結婚するつもりだった少女にもお金を与える。
いつの間にか、スヴィドリガイロフは聖人のようにふるまい、そして自殺をする。彼の葛藤は謎だが、行動は聖人めいている。
最後のセリフでアメリカに行ったことを伝えてくれと、守衛に言う。守衛にいったところで意味がないのに。
「ねえ。きみ、おなじことじゃないか。いい場所さ。あとから聞かれたら、アメリカへ行ったといっておいてくれや」
この小説も希望で終わる。
「ふたりは口をきこうとしたが、できなかった。涙がふたりの目に浮かんでいた。ふたりはどちらも青白く、やせていた。だが、この病みつかれた青白い青には、新しい未来の、新しい生活への復活の朝焼けが、すでに明るく輝いていた。ふたりをふっかつさせたのは愛だった。おたがいの心に、もうひとつの心にとっての尽きなることのない生の泉が秘められていたのだ。」
「思弁の代わりに生活が登場したのだ。」
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