2021/02/26

『アンナ・カレーニナ』2 トルストイ/望月哲男訳 光文社古典新訳文庫

リョービンとコズヌィシェフの対比。コズヌィシェフは都会人として農民を愛し、農民を知っていると自認している。リョービンはそんなコズヌィシェフの態度を気に入らない。
リョービンにとって農民は共同の仕事の主な参加者でしかない。リョービンも農民を敬い、愛を持ち、彼らの力、つつましさ、公平さに感嘆する。しかし、農民たちのずぼらさや嘘つきっぷりにも怒っている。リョービンは農民を愛しかつ憎んでいた。
コズヌィシェフにとっての田舎生活は都会生活の正反対のものとしてあった。
コズヌィシェフはリョービンがゼムストヴァに参加せず、公共の福祉に寄与しようとしないことを非難する。教育、医療、インフラなどこれらを共同に管理、経営することの素晴らしさをコズヌィシェフは言うが、リョービンは農民に教育は必要ないし、そして医者も自分には関係のないことだと言う。
リョービンはキティに振られてから、さらに偏屈になっていく感じがあり、ドリーが子供たちにフランス語でしゃべることに欺瞞的だと思うようになっている。ドリーはその欺瞞を承知でフランス語を使用しているのだが。
トルストイはロシアの精神性について、けっこう辛辣。「わが国の農民は、経済的にも精神的にもきわめて低い発展段階にとどまっているますから」(258)とか書いているし。
とは言いつつ、リョービンはある計画を考えている。
「おれの個人的な事業ではなくて、公共の福祉に関わる問題だから。農業全体が、なによりも全農民の境遇が、一変しなくてはならない。貧困のかわりに、共同の富と満足が、反目のかわりに利害の調整と一致が必要なんだ。ひとことで言えば、無血革命を、ただし大いなる革命を起こすのだ。はじめはうちの郡の小さな範囲に過ぎないが、だんだんそれが県に、ロシアに世界全体に広がって行くのだ。そうだ、これこそ働き甲斐のある目標だ。」(277)
兄のニコラスがリョービンを訪ねてくる。リョービンは兄の死を予見する。
そこで共産主義を論じる。(292) リョービンは私有財産などを否定することではなく労働の調整を考える。そしておもしろいのがすでにトルストイは共産主義を初期のキリスト教のようなものとして述べている。兄は共産主義を合理的で未来のある運動と一定の評価を与えている。
ニコライとの対話では、リョービンはきちんとした言葉で語ることできずにいる。
リョービンはニコライと別れたあと死がつきまとう。自分の事業が地球規模から考えてちっぽけなものだと思うようになっている。(353)

カレーニンはこれまで通りの生活をすることを決意する。アンナにもその旨を手紙で知らせる。アンナはこれを受けて、さらに気がふれる。アンナは当初の魅力がなくなり、ヒステリックな女性へと変わっていった。ヴロンスキーもアンナに初めて会った時のような感覚は失せたが、それでもアンナが自分を愛していることに、愛を感じたりする。すでに引き返せないと悟っている。(312)
同僚のセルプホフスコイが昇進し、その自信を目の当たりにし、ヴロンスキーはそれでも自ら昇進を辞退したこと、そのことに焚いて自分は自由気ままな人生を送る人間と装うこと、これではまずいという本音などが書かれている。
ヴロンスキーは、ある国の皇太子に街を案内しているときに、皇太子のふるまいに自分自身の卑しさをみて嫌気がさす。
アンナとヴロンスキーは同じ夢を見る。ぼうぼうにひげを生やした小さな百姓が身をかがめて袋をごそごそといじっている夢。死の予見させる。
オブロンスキーはカレーニンと会い、晩餐に誘う。リョービン、コズヌィシェフ、キティらが一堂に会する。そこでリョービンはキティと再会し、お互い許しあい、愛を語る。
ドリーはカレーニンに離婚しないように説得するが、カレーニンはドリーが語るきれいごとに嫌気がさす。敵を愛せ、、、
カレーニンはペテルブルグでアンナの容態が悪いことを聞き、家に戻ると娘を産んだ後に産褥熱にかかる。
アンナはうなされながら、カレーニンに許しを請う。アンナはカレーニンを高潔な人物とみなす一方でそんな高潔さを憎んでいた。
カレーニンは、アンナの病状を目の当たりにして、死に直面したアンナのすべてを許すことにした。しかしアンナは回復してしまう。カレーニンの誤算。
アンナはカレーニンを恐れ、オブロンスキーはそんな夫婦関係を見て、ヴロンスキーに離婚を勧める。いったんは離婚を決意していたヴロンスキーは、アンナを許したにもかかわらず、再び離婚を決意することがなかなかできなかったが、オブロンスキーに説得され、離婚に踏み切るも、アンナは離婚をせずにヴロンスキーと一緒に国外にでる。

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