2021/02/04

『新プロパガンダ論』 西田亮介/辻田真佐憲 ゲンロン

2018年4月と言えばまだつい最近だけど、もういろいろと忘れている。
西田さんの「プロパガンダ」に対する距離感もよくわかる。西田さんはあらゆる政治的な広報をプロパガンダと手あかのついた言葉で表すことで、見るべきことが見えなくなることを危惧している。
でも辻田さんの「プロパガンダ」に対する警戒感というか認識もよくあかり、辻田さんは歴史との照合という観点から「プロパガンダ」を見ている。

政治プロパガンダの怖さは、「空気」を醸成していくことにある。プロパガンダではないが、辻田さんが述べるナチスの例で、あえて重要な指示は口頭で行い、曖昧にしていく。それによって指示されたものはあれこれ慮って行動を起こす。自主規制や相互監視はこの空気の醸成による。
プロパガンダの効果測定も難しく、実際に効いているのかどうかよくわからないともいう。
与野党の広報については、なかなか考えさせる。政治の広報というのはダサくて、見てられないものだったけど、安倍政権の広報はなかなかだと思った。芸能人との会食やバラエティ番組への出演。「Vivi」なんかは、ぼくは自民党支持者ではないけど、なかなか面白いことやっているなあと思った。
下からの「プロパガンダ」のようなものも、なかなか面白い事例があって、知らなかったけど、ゆずが「ガイコクジンノトモダチ」とかいう曲をかいていたとは。この手の下からの便乗なるものが、けっこう大きい影響はあるのかもと思う。

ただ一つ気になったのが、プロパガンダとは関係ないが、コロナの影響における経営悪化を「経営環境の変化」とする西田さんの認識で、困窮者や失業対策をしっかりしていれば、たとえ潰れても問題がより小さいものとしているところ。
僕はけっこう西田さんには好意的なんだけど、それを言っちゃおしまいじゃない、とも思う。新聞社の人材や取材網はいったんなくなれば再構築が難しいって言っているけど、それは他の商売でも同じ。メディアこそ「経営環境の変化」でしかなく、それによって影響を受ける情報の偏りや不正確さなども、世の中の「経営環境の変化」でしかない、といった感じになると思うわけで。さらに言えば大学のおける大学教授の不遇だって「経営環境の変化」でそれについていけない人は、ふるい落とされればいい的なことになりかねい。

いずれにせよ、どんなことも政府の広報がうまくいっていないことは、ぼくもなんだかなと思う。行政サービスを受ける側には、情報にアクセルするハードルが高いと思う。

数年後にまた読むと面白いかもしれない。コロナのところはまだ記憶に新しいこともあり、それほど感慨深いところはないが、2018年、2019年なんかけっこう年表を見ているだけでもあれこれ思い出す。売らずにとっておこう。

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