2021/05/25

『人口減少社会のデザイン』 広井良典 東洋経済新報社

 前提として日本の財務残高の対GDP比でみると、250%ぐらいあって大変と。

で、なぜこんなことになっているかと言えば、高度経済成長期の夢から醒めておらず、いまだ日本が蘇ると勘違いし、借金をしまくる。しかしそれが将来世代への負担になっている。
そして日本は他国に比べて社会的孤立が進んでおり、社会保障の面からいっても他人の無関心が、人々の支えあいを忌避させていると。

そこで将来の日本のデザインが大きく分けて二つ。
都市集中型シナリオ
地方分散型シナリオ
となり、前者は出生率の定価と格差を広げるが、政府の財政は持ち直す。
後者は出生率は持ち直し、個人の幸福感も持ち直すが、政府の財政は悪化する。
んーどうなのでしょうか。ぼくは基本的には都市集中型であるほうがいいのではないかなと思うのだけど。そもそも地方分散であれな出生率が上がるとか、幸福感が増大するって本当ですか。

まあいいとして、人口減少がもたらす帰結よりも、そんんあ社会をどうデザインするか公共政策経済社会システムの問題が重要。
東京の出生率の低さは際立っているにせよ、でもですね、これって東京は単身者が多いことを意味している。地方は単身者よりも家族が大いに決まっている。だから出生率が高い。
それに資本主義からの脱却的なことを述べているが、どうもね。言わんとしていることはよくわかるが。
クリエイティブ産業、つまり科学、文化、デザイン、教育が経済を牽引していくと。だからねー物を生みだすというのは、工業でもあって、たしかに3Dプリンターとかもあって、大量生産からの脱却というのはある程度達成できるけど。
なんか工場労働というのが非常によくないものという固定観念があるのではないかな。
まあ工場労働は非人間的なシステムだけど、そもそもクリエイティブ産業だって非人間的だ。
たしかに資本主義が単なる市場経済主義とは違うのはそのとおりで、そもそも国家による暴力と独占が富がさらに富を生むというサイクルになっている、これが資本主義の実体だろう。

でも全体のパイが限られてる世界で、とくに現代のように高度成長が望めない時代、そのパイの食いあいをする資本主義の倫理、つまり私利の追及が全体の幸福に繋がるというのは、イデオロギーにすぎないから、もっと違うあり方があるのかもしれない。
日本は「その場にいない人々」つまり将来世代につけをまわす社会になっている。
これはハンス・ヨナスの倫理、世代の責任を見ようとしない状況で、嘆かわしい。

社会保障には三つのモデルがある。税を財源とする普遍主義モデル、保険料で賄う社会保険モデル、民間保険そしてボランティアが主要な役割となる市場型モデル。

コロナ前の著作で、医療の問題も書かれている。勤務医の少なさと開業医の多さ。そして開業医の利権。なんだかね。

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