2021/05/07

――エックハルトの神秘説と一燈園生活――『西田幾多郎講演集』 田中裕編 岩波文庫

「エックハルトは心の動きを三つに分けて居る。一つは五感の働き即ち感官と、今一つは考える力即ち理性である。……彼はその上に超理性的な能力(super rational faculuty)があるとした。それは心が一つになった状態であって、前述の感官の働きと理性の働き以外に、今一つの別の働きがあるのではなくて、それらが一つになったときに、純一になったとき、私のないとき、言葉を換えていえば我のいないとき、我を忘れたとき、火花のように現われるFunke(火花)である。この力によって、自分と人との区別がなくなり、自他一体、神と我と一致する働きがあるのである。それは感官あるいは理性で考えていえるのでなくて、それらを棄てたとき現れる光である。光という言葉は、前の時代からあってラチン語ではスチンテリア(scintilla)と言った。」(20)

「自分と他人が一つになり、神と自己が一つになるという、根本思想であり、この根本思想から種々の差別が生じ、物と我と、自分と人、いろいろと分けれてくる」(27)

「智識の奥に、もう一つの智識即ち超理性的ともいわれ、直覚ともいわるべき流れがある。それが我々に真実の智識を与え、我々の声明は、この心の奥に流れて居る智識によって、導かれて行くのである。」(31)

つまりは芸術家の技能は一つの智識ではあるが学問的な智識ではない。働くことによって得られる智識で、「どう描けばいいだろう」という問いに「考えてはいては駄目だ。まあ描いてみよ」というもの。

とまあ、やはり小難しいが、超理性的な能力というの、フロイトのエスとかそんなものとしても捉えられるのかな。無意識的な力。
意識の流れがここでは書かれている。んーいわば意識というのは邪魔な存在でもあり、例えばピアノを弾いていて、意識的に弾こうとすると間違いを犯してしまう。いい演奏をしたなと思う時は、意識的にピアノを弾いていない。
ここではピアノと自己が一致している状況であると考えられ、それは「直覚」の流れがあるということか。
んーむずい。

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