2021/05/19

『侍女の物語』 マーガレット・アトウッド/斎藤英治訳 ハヤカワepi文庫

一人称で進んでいく。
かなり閉塞感のある小説で、詳しい設定はよくわからないところもあり、ギレアデ共和国なるものがいかなる経緯で出来上がった国であるかなどは明確になっていない。
「日常とは、あなた方が慣れているもののことです」(72)。
んーそうなのだよね。日常が変わって、それに抵抗してもみんながその日常を受け入れた時、抵抗者は白い眼で見られる。
オブフレッドは、読者に語りかけていく。
オブフレッドは、いつの間にかギレアデ支配の生活をしていく。子供は奪われ、子供を産む機械としての女性でしかなくなっていく。
少しづつオブフレッドの周囲の雰囲気が変わっていく。司令官に個人的に誘われるようになることだけでなく、セリーナ・ジョイの口調が変わったり、けっこうみんな、ギレアデの体制の中で不満があって、でもそれを外には出さない。とりあえず日常を過ごしていく。
これってソ連の体制みたいなもので、みんなソ連体制の欺瞞を知っているけど、いちいちそれに反抗せず、日常を過ごしていく。
これって単なるフェミニズム文学なのだろうか。
たしかに女性が所有や人権などの権利を剥奪され、生殖に特価された存在とクローズアップされているけど、小母の存在やらもいるし女中もいる。女性社会が出来上がっている。
男も性の快楽を許されているわけではない。

気に入らないのは、解説に落合恵子を持ってきていること。なんでもかんでも従軍慰安婦だとか沖縄に結びつけちゃうバカじゃない。この解説もかなり的外れではありませんか。
「フェミニズムの視点から読むと、わたしには近過去、あるいはいまもって過去完了になっていない半過去の「地球の半分の思い」(女性側からの景色』を描いた作品にも読めるのだ」
まあですね、小説の読み方はある程度自由ではありますが、「近過去」とか「半過去」とかわけのわからないこと言ってないで、きちんと小説の解説をしたほうがよい。
小説で書かれる女性への抑圧を書いて、このディストピアは現在と重なると決まり文句を言って、申し訳なさ程度に男もつらいようだと書いて、んで最後にはみんなで異議申し立てをしましょうって終わる。
なんたる駄文。
この小説のテクストの魅力や一人称で描かれることの効果、さらにけっこう人間関係が複雑であることなど、語れることはいっぱいほかにもある。
「フェミニズム的臭いのする作品を忌み嫌い、矮小化することが特異な文学の世界」ってのはお前の頭の中だけだろ。ちゃんとアトウッドの作品は評価されているじゃないか。
まあですね2001年9月、まさに同時多発テロのときの文章でもあるし、まあいいでしょう。

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