2021/05/18

『謎とき『風と共に去りぬ』――矛盾と葛藤にみちた世界文学』 鴻巣友季子 新潮選書

『風と共に去りぬ』は映画も名作であることは間違いないが、小説はそれを遥かに越える世界を描き出していて、映画と小説ではストーリーは同じでも描かれているものは全く異なる。

"Tomorrow is another day"も小説を読むと、全く異なる響きがある。「明日には明日の風が吹く」という訳は現在の映画版の字幕では採用されていない。しかしかなり日本では人口に膾炙している表現となっている。そしてどこか希望が響く。本書ではこの訳が帝劇で舞台化した菊田一夫だという。スエレン役を演じたことがある黒柳徹子が「江戸職人みたい」と言ったようだが、言われてみればそうだ、「宵越しの金は持たない」みたいな。
鴻巣さんはこの言葉を、ある種のネガティヴシンキングとしてとらえれている。
そしてなるほどと思わされたのが、ヘミングウェイの『日はまた昇る』で、これも原題は"The Sun Also Rises"。これは旧約聖書「伝道の書」から引かれているとのことで、"The sun rises and the sun sets"だと。
"Tomorrow is another day"はマタイ福音書でも同様のフレーズがあり"take therefore no thought for the morrow: for the morrow shall take thought for the things of itself"「明日のことは思い悩むな。明日のことは明日が考える」となる。
これは人間が考えなくても、神がお与えになる的なことのようで、まあスカーレットの気質ともあう。
「たとえ、今日と代わり映えしなくても、つぎの一日がはじまる。そのなかでなんとか生き抜くしかないというある種の諦念がベースにあり、……だからこそ、何度も挫けながらも人生を新生させ前に進もうとするヒロインの意志がいっそう輝くのである。」(57)

鴻巣さんの訳は本当によかった。岩波版と少し比較してみたが、岩波では括弧で独立してスカーレットやマミーの心情、まさに自由間接話法で書かれているところを、鴻巣さんは地の文のなかで簡潔させている。
「語りてからある人物の内面へ、また別の人物の内面へと、視点のさり気なく微妙な移動があり、それに伴う声の”濃度”のきめ細かい変化、そして、間接話法から自由間接話法、自由直接話法、直接話法に至るまでに、何段階ものグラデーションが存在している。」(154)
『風と共に去りぬ』という小説は、著者の意見というか思想がほとんど読み取ることはできない。小説でよくあるのは地の文で著者の意見や判断が書かれている。『風と共に去りぬ』はそれが見えない、わからない。
そしてこの翻訳でいいなあというのが、話の展開のコミカルさがよくでていることだ。
「シリアス一辺倒、悲劇一辺倒、感傷一辺倒にならず、その後に必ず軽妙、コミカル、あるいは話の腰をおるような反転が織り込まれるのだ」(159)

メラニーこそが母エレンであるというのは、まあそんな感じで、憧れの存在である母エレンになれないスカーレットの反発がメラニーへと向かっている。
メラニーはmelaniaで黒い、暗いの意味。スカーレットscarletは緋色。まさに「赤と黒」。タラの赤土でもあるし。いろいろと暗示的ではありませんか。
母エレンが死んだ時とレットがスカーレットを置き去りを決意した時が一緒なのではないか、という指摘はなかなかいい。
そしてこの小説ではスカーレットのエロスがほとんどないことだ。一度だけレットがアシュリーとスカーレットの噂に嫉妬し、ベッドに強引に押し倒しとたとき、性の悦びに目覚めたのか、と思わせなくもないが、ほんとこれぐらいしかエロスがない。だから、このこの話はまったく性的な嫉妬だとかで話が進まない。
鴻巣さんは『風と共に去りぬ』は単なる恋愛小説ではないという。ほんとうだよ。

蛇足。
スカーレット・オハラの名はもともとパンジーPansyだったという。でもこれは俗語で「ホモセクシュアルな男性、なよなよした男」といった意味があるようで、当時では南部にはまだこの俗語の意味が浸透していなかったらしい。
んで、Pansyだが、『How I met your mather』というシットコムがもうかれこれ10年前ぐらいに流行った。その第一話で、リリーがマーシャルの優しさを皮肉って、
"Please, this guy could barely even spank me in bed for fun. He's all like, "Oh, did that hurt?" and I'm like, "Come on, let me have it, you pansy!" Wow, complete stranger."
「ちょ、こいつはベッドでお楽しみの時でさえ私のお尻を叩くのがやっとで、「ねえ、痛くないかい」ってな感じなのよ。んで私は「カモン、もっとやりやがれ、pansy野郎!」オッオー、知らない人だったわ。」
とタクシー運転手に言うが、このPansyの意味がいまひとつよくわからなかったが、こんなところで長年の疑問が氷解した。んまあ「おかま野郎」ってなところでしょう。

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