2020/01/28

『ロッキード裁判批判を斬る 1~3』立花隆 朝日新聞社

田中角栄がアメリカにはめられた、と考えている人がいる。田中角栄が中国、ソ連にすり寄ったからアメリカが怒ったとかなんとか。
でもですね、そもそもこのロッキード事件は日本だけの話ではなくて世界規模の汚職事件だったわけで、たかが極東日本低国ごときをおしおきするためにロッキード事件を仕掛けるのだろうか。
英語版のWikipediaでは、日本以外でのロッキード事件の記事がある。https://en.wikipedia.org/wiki/Lockheed_bribery_scandals
それに5億円を田中角栄が実際もらっているのならば、バラしたのがたとえアメリカ政府でも、ダメでしょう。(そもそももらっていないという主張もあるが。)
さらに不思議なのが、保守派がこのように主張するのはまだ心情的にわかるのだが、左派までも同じような主張をする人がいることだ。しかもバリバリの左翼大学教授や左派インテリがだ。左派のロジックからみると、現在の親米政権へのアンチテーゼが田中角栄となっている。ごりごりの左派は基本反米だから。そしてアメリカに反抗した田中角栄を特別視してるわけで。
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現在も、ロッキード裁判と同じような杜撰な言説が飛び交っている。ただ、当時と現在で比較すると大きく異なるのが、その論客たちの質の低さだろう。保守側も百田尚樹や小川榮太郎みたいなバカを担がないで、もっとまともな人を担げばいいのに。保守側の哀しいのは、いまSNSだとかネットとかで肩で風をきっているやつらが全て渡部昇一級の低級であること。
そしてそれは左派側にも言えて、左派ジャーナリストの頽廃と左派の言説のむなしさはひとしおです。
そして一番悲しいのは、バカな保守とバカな左派が両極端な主張で論戦もどきをしていること。しかもそれがネットとかでとりあげられたりするし。馬鹿ではないかと。
なんのために論争しているのか。批判しやすい極端な意見を鬼の首を取ったように批判しあう両陣営。
もう嫌になってしまいます。
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立花隆は、臨死体験とか宇宙を語り始めたあたりから、あやしくなってきたのだけれど、田中角栄や日本共産党を追っていた時代はすごいきれる感じ。この『ロッキード裁判批判を斬る』は、彼の最高傑作といっても言い過ぎではない。
とりあえず、本書はかなりおもしろいし勉強になってしまった。渡部昇一だけでなく、法曹界の人までも論駁の対象で、立花氏のロジックは明確すぎるくらい明確。
渡部昇一さんは、『朝日新聞と私の四十年戦争』という本を出版している。渡部さんもそこまで朝日が憎いかね。
この本でロッキード論争について書いていて、立花氏を批判している。で、この批判がひどい。というか、おそらく渡部さんは立花隆の記事を読んでいないか、もしくは理解していない。
というかこの本、自分で書いているのか。
でも、たしかに自分への批判をきっちりと読みこなし、受け入れるには、かなりしんどいことはたしか。ぼくだって、常に自己正当化しているからね。
ただ、この『朝日新聞と私の四十年戦争』での記述にはいっさい立花氏への反論となっていない。というか立花氏が批判していた内容を、当時のまま繰り返しているだけ。

『ロッキード裁判批判を斬る』は、渡部昇一氏だけでなく、山本七平、小室直樹など現在でも名をとどろかせている論客たちを斬りまくり、さらに法律を本業にしている林修三、石島泰、井上正治も批判の対象になり、その批判がすごくいい。
立花氏の批判の仕方は、批判される側の論理をもって批判する。林修三の著作をもって林修三自身の発言を批判したりする。なぜか法律の専門家たちも自説を曲げてまでも田中角栄を擁護してしまう。田中角栄、おそるべし。
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具体的な法律の運用の仕方だけでなく、法思想にまで論じ、いかにロッキード裁判を批判する者たちが杜撰でいいかげんかを暴露していく。
以下、メモ程度に。
*賄賂罪の適用の仕方について。賄賂というのは、密室で行われるために物的証拠が極めて少ないので、証言は自供をもって証拠とすることになるという。だから批判派が主張する客観的な物的証拠がないにもかかわらず、有罪となるのはおかしいというのがおかしい。そんなこと言っていたら収賄贈賄罪はけっして裁かれることはない。
しかも、収賄の場合、受けた側の資産が急に増えたりしたら、それはやっぱり収賄なのだとなる。田中角栄はまさにそれ。
*職務権限とはなにか、刑法と行政法での違い。刑法での職務権限は、ある職務が及ぶ権限の範囲を設定するものではない。なるほどね。
*外為法が死に法だというデマ。このあたり現在でも繰り返される、事実に反することを軽々と述べてしまう低品質な論客があぶりだされてしまっている。
*外為法違反は別件逮捕というが、外為法は本丸。
*嘱託尋問とは。裁判所が主体となって、アメリカに要請。裁判所は積極的に証拠集めに関与することはあっていい。有罪ありきで裁判所が動いていたわけでもなく、不法であるわけでもない。
*免責特権とは何か。これは取引ではなくて、強制的に証言させて、ただしその証言によって生じる証言者への不利益は生じさせないといったもの。そしてその証言が嘘の場合は、偽証罪に問われるという。
嘱託尋問の反対尋問。田中側の反対尋問は、衆院選をにらんだ単なる裁判の引き延ばしにすぎない。そうなのか。時系列で裁判を眺めると、憲法に保障された反対尋問が云々とか、そもそも憲法で保障されている反対尋問自体が裁判官の前で証人喚問されたケースを想定しているなど、勉強になりますね。
*証拠能力と証拠の証明力の違いについて。これもなるほどとなる。証拠能力があれば、裁判所は証拠として採用するが、証明力がなければ判決に影響はしない。
*当事者中心主義、職権主義について。まあなんとなくは知っていたけど、大陸法と英米法の違いなんか、こうも明確に簡潔に教えてくれているのはありがたいですね。
*政治家は清濁併せ呑む必要があるのかどうか。小室直樹氏は、田中を全面的に擁護する。5億円なんてどうでもいい。田中角栄がやってきたことに比べたら、ちっぽけだ、それに人を殺したっていいのだとうそぶく。これは難しい問題ですね。田中角栄が魅力的だったのは確かだろうと思う。ハマコーなんか、悪党だけど、魅力的な人だし、話もおもしろくて、機知に富んでる。清廉潔白な政治家でなんにもしないやつよりいいのかもしれない。まあこの小室直樹氏の発言というのは、小室流のアイロニーとレトリックが含まれていてリテラルに受け入れるのはよくないが、それにしても田中角栄、おそるべし。
*最高裁でのコーチャン、クラッタ―への嘱託尋問の証拠能力を否定についてだが、『「ロッキード裁判批判」を斬る』が出版されたときはまだ一審のみだったので、立花氏は最高裁でも証拠能力ありと判断されると予想されているが、実際は否定されてしまった。とはいっても、本書では、仮に嘱託尋問がなくても田中の収賄は立証できるし、それにコーチャン、クラッタ―は最重要証人ではないとしている。
*裁判は歴史的事実を探る場ではない。この客観的真実は、人間の世界では極限概念でしかない。裁判では認定事実が実態的真実をあかるみにだす。

立花氏も口が汚くて、しかも相手を追い詰めるやり方だから、傍観者からすれば面白いけど当の批判される側からすれば、むかついてむかついてたまらないだろうな。
立花氏の攻め方は、日常生活でやったら確実に敵だけをつくり友人もなくす。ふつう日常では、敵にも逃げ道を与えてあげるものだ。
でも、論争なのでとことんまで追いつめていくのは、仕方がない。でも、将来に禍根を残すことは仕方がない。
本書のあとがきで立花氏はこのように書く、
「はじめてみれば、いやな仕事も面白かった。まず、これはあまりいいことではないかもしれなが、いやな奴をやっつけることには快感があるものである。論争はケンカである。ケンカには勝たなければならない。ケンカを始める前から勝つ自信はあったが、実際に、自分の腕がくり出したパンチは相手のアゴを的確にとらえたとき手応えはまた格別なものである。」
立花隆も悪いやつ。

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