2020/01/03

「神々は好色である」司馬遼太郎短篇全集二

葛城ノ山で祀られている一言主命は遠い昔のことを、ニッポン人がまだそういう名前を持っていなかった昔のことをはなしだす。
長脛彦の村の者が、異相の男女を捕えた。一言主命は背が小さく、吉野川ぞいの「国栖ノ人」で長脛彦とは同種族ではないが知恵に長けていた。ナガスネヒコの種族は朝鮮半島から出雲えおへて大和へはいってきた子孫だ。
捕えられた男女は、皮膚は黒くまぶたは二重、鼻はたかく、唇が熱い。それは挑戦種族とは異なっていた。
話を聞くと、彼らは海族であることがわかる。
大和では朝鮮族の種族、アイヌの種族などが仲良くくらしていた。そこに海族の男女がやってきたのだ。
男女は殺される前にまぐわいたいことをもうしでる。一言主命は縄をといて、その最後の願いをかなえてやるように進言する。
男はそのことに感謝しつつ、いずれ海族が大和におりたつことを予言する。まぐあいの後、石で頭を割られて殺されてしまう。

一言主命は長脛彦から難波ノ津に海族の大軍が押し寄せていることをきく。長脛彦は何かいい知恵はないかとききにくる。
長脛彦は、海族が自分たちの神々、天照大神や大国主命などの神々が海族の神々で、もともと豊葦原千五百瑞穂国も海族のものであると主張していると嘆いていた。
一言主は兄である阿太雷に相談し、秘策をたてる。宇陀の天鈿女命にあいにいくことする。
宇陀では巫女だけが大和から隔離されていて、異性に飢えていた。一言主は何度も犯されながらも、一人の巫女にあう。天鎮女は奥手のため、男を力ずくで犯すこともできない。一言主を天鈿女命のもとへ連れて行く。そのとき一言主は天鎮女を愛おしくなり、まぐわう。そして「常世」までも一緒にいることを誓う。
ようやく天鈿女命にあい、事情を話す。
殺し合いは無益、戦後は宇陀の天鈿女命がまぐわいの指令が各部落にいくようにした。出雲族、海族とを一夜にいっせいに合衾させ二種族の混合による新しい種族をつくりあげるという。
一言主は海族の首領、熊のような人相である神日本磐余彦火火出見尊、世にいう神武天皇と会う。
「彼の仕損である日本の硬質は、出雲族とのながいあいだの混血によってすっかり柔和な人相になりはててしまったが、もとをただせば朝潮型の雄渾凛烈たる骨相だったのである」
一言主から美しい出雲の娘があてがわれることを聞いてまんざらでもなさそうな様子。
一言主は首領にたのみ天鎮女だけは、海族とかかわらないようにしてくれと頼む。
海族はつぎつぎに出雲族を攻略していき、そして宇陀の女とまぐあっていった。一言主は約束通り、天鎮女を迎えに行く。
「海鳴りのような。大和のすべての男女が、いま、いのちの営みのなかにある。あたらしい種族が生まれようとしている音だ」
「アタシタチハ?」
「ああおれたちか。おれたちは、あんな大衆とは別だ。初夜は葛城ノ山についてから迎えることにしよう。おれは、いつも、そういう流儀だからな」

ぼくは日本の神話を全然知らないから、この話の元ネタとかあるのかどうかわからない。おそらくは司馬さんのほぼ創作で、出雲族が朝鮮系であり、海族がポリネシア系で、その混合が日本人というのを神話をモチーフに、古事記をもとに大幅な創作をしているもよう。
日本人はどこからやってきたのか、というのは司馬さんにとっては一つのテーマだったと思う。このテーマで長篇小説を書くことはなかったけど、対談やエッセイなんかではとりあげていた。
古代日本については、吉田武教授の本をいくつか読んだくらいでほとんど疎い。古事記研究では、西郷信綱の本を読んだことがあるけど、さっぱり忘れてしまった。正直、資料自体が限られているし、どこまで実証的に考古学として成立っているのかも疑わしい。
おもしろいのは、大和というちっぽけな地域で繰り広げられる話なんですね、これが。なんともスケールの小さい話なんです。
神々が登場していても、彼らも大和盆地で暮らしているし。
司馬さんは、おそらくだけど、この小さい世界観を描きながら日本人の精神性を描こうとしたのかもしれない。どこまでも日本は島国でしかなく、大きな大陸とは異なる思想があるというやつ。司馬さんが、日本史上で世界的な人物としてあげるのは空海ぐらい。

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