本書は荘子を実存主義に近づけて論じているが、必ずしも荘子が実存主義として扱っているわけではない。
「それぞれの人間が現実の痛苦と死とに直面して今という時間を生きている事実であり、問題はただ、それぞれの人間が現実の痛苦と死とに直面した今という時間をどのように生きるかである。荘子の哲学はこのような精神の極限状況から出発する」(7)
人間の存在それ自身は善悪の価値批判を超えている。そしてこの世のに必然によって投げ出された自己に対してだけ責任をもてはよい。
荘子の哲学を徹底した現実主義、現世主義をとる。
人間は寄る辺もない孤独を曠野のなかで彷徨している「一匹のこぶた(獣偏に屯)」のようなものだと。
荘子は人間存在をその上限からとらえるのではなく下限からとらえる。人間は生まれながらにして「身体障碍者であり、醜き者、貧し者、虐げられた者である。しかし全ての存在は必然的な理由をもって存在している。人間存在を全宇宙的規模で把握する。
「人間の声明のいとなみは常に一つの有機的な全体であり、そこでは全体を全体としてとらえる叡智が何よりも重要だからである。(17)
抽象的な思考ではなく、どこまでも現実的であり具体的であり、そして全一的である。
曰く、「生命なき秩序よりも生命ある無秩序を愛する。彼らにとって大切なのは理論そのものではなく現実であり、法則そのものではなくて生きることであった。」(18)
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