んーいい感んじ。
「理論の正しさを確かめるために実験をするのだと普通信じられていますが、その発想自体がつまらない。逆に、理論の不備を露わにすることで、慣れ親しんだ世界像を破戒し、その衝撃から、さらに斬新な理論が生まれるきっかけを提出することこそが実験に本来きたいされるべき役割です。」(51)
「科学とは実証である前に、まず理論的絞殺です。」(51)というのはなかなかな至言であります。
本線とは異なるが、先進国欧米というのはやはり虚構ですね。『責任という虚構』でもいろいろ書かれていて、フランスのウトロー事件にしろ、フランスではホメオパシーは保険適用だったり、というのも保険が効かなくなれば、もっとやばい代替医療に走り、全体の健康を害する可能性があるからという合理的な判断だとか、まあおもしろい。さらにフランスでは最近まで再審請求ができなかったとか。その理由が市民の意志が真理だからだとか。フランス革命からの伝統だとか、EUになって喧々諤々の議論があったとゆう。おっもしろーい。
下記はメモ。
ふつう相関関係と因果関係は違うことは重要なこととして知られているが、実際のところこの二つを明確に分けることができるのか。
ピグマリオン効果
同じ刺激にたいして各個人は違った現れ方がする。これを態度概念。
フロイトのエスについて。
意識の単なる欠如としての前意識ではなく、無意識を一種の意識の近接概念として位置づけている。それは意識に対して力動的関係を保ちつつ機能する、質的に異なったもう一つの能動的契機として無意識は理解される。
無意識とエスは自我とは別の存在者であり、我々の知らないところで操る他者。
認知不協和理論について。
報酬が高額だと嘘をつくことに大きな矛盾がない! 報酬額が高い場合よりも低い方が、行った作業をより楽しく感じると。
ある教団でお告げがはずれるとき、孤立状態の人はそのまま教団をさるが、集団でそのお告げが外れたことをわかると、周りに影響されて、さらに布教活動を始めたり、信者を増やそうとする。というのも認知不協和の低減がはかれるから。
フェスティンガーは、ここで「維持」を説明するために認知不協和理論を用いている。つまりこの理論は集団維持の理論。
外部の環境が行動を促し、意識ではその行動を正当化する、適応させていく。
個人主義的とは、外部情報に依存しても、その事実に無自覚だという意味にすぎません。何らかの行為を行った後で、「何故このような行動をとったのか」と自問する時に、個人主義者ほど自らの心の内部に原因があったのだとろうと内省し、自らの行動に強い責任を感じやすい。そのため行動と意識との間の矛盾を緩和しようと自らの意見を無意識に変更する。こうして個人主義者こそ、強制された行為を自己正当化しやすい、したがって認知不協和をかんわするために意見を変えるという逆説的な結論が導かれます。」(194)
普遍主義の立場は現実に差異があっても、それを本質的なものではない見なされる。この時認知環境では差異化が充分に働かず、他者がいかなる価値観をもっているかは、自分の自己同一性を脅かさない。
他民族。多文化主義ではは、外部と内部で境界があり、両者の誘導は阻止されるが、外部においては馴致される。(212)
これはおもしろ指摘ですね。
多数派からの影響は受けやすく同調していくが、多数派の影響がなくなると同調をやめていく。しかし社会は多数派に影響受けない事には成り立たない。
しかし少数はの影響というものがある。これは無意識に影響を受け、知らずに自らの行動や考えを変えていく。権力や権威への追従は長く継続させるのは難しい。少数派の影響は、「自ら自分の考えを変えた」と意識するところが違うわけだ。
「社会が閉じた系ならば、そこに発生する意見・価値観の正否はシステム内部の論理だけで決められます。規範に反する少数派の考えは否定され、多数派に吸収される。これが機能主義モデルです。それに対し発生モデルは開かれた系として社会を捉えます。システムの論理だけでは正否を決定されない攪乱要素がシステム内に必ず発生する。攪乱要因は社会の既存規範に吸収されず、社会の構造を変革してゆく。これがモスコヴィッシ理論の哲学です。」(264)
「犯罪の原因を社会の機能不全に求め、共同体内の利害調整が失敗する結果として犯罪を捉える限り、自由虚構と社会維持装置とが構成するダイナミックな循環プロセスは析出されない。悪い出来事は悪い原因から生ずるという思い込みが、そもそも誤りです。社会がうまく機能しないから犯罪などの悪い出来事が起きるのではない。社会が正常に機能するから、必然的に問題が起きるのです。
「日本は支配されなかったにもかかわらず、西洋化したのではない。逆に、支配されなかったからこそ、西洋の価値を受け入れた。日本の社会は閉ざされているにもかかわらず、文化が開くのではない。逆に社会が閉ざされてるからこそ、文化が開く。」(341)
同一性は変化に気づかなければその同一性は維持される。
「未来予測を不可能にする要素、あるいは不確実性の厳選、これが時間の本質です。」(377)
「いかし人文・社会科学の世界では新しい発見など、そうありません。……人文・社会科学はなんにも役に立ちません。しかしそれでよいではありませんか。……どうせ人文・社会科学を勉強しても世界の問題は解決しません。自分が少しでも納得するために我々は考える。それ以外のことは誰にもできません。社会を少しでも良くしたい、人々の幸せに貢献したいから哲学を学ぶ、社会学や心理学を研究すると宣う人がいます。正気なのかと私は思います。そんな素朴な無知や傲慢あるいは偽善が私には信じられません」(392-393)
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