「天退の星」「地鎮の星」「地狐の星」
宋江が逃亡したことで、残された雷横は、李富に目をつけられてしまう。そこで柏世とともに鄆城からにげる。途上、追ってきた志英たちと戦場になる。すると幾人かの兵が雷横の味方を志英を打ち取るが、一緒に逃亡した柏世は死んでしまう。志英に背いた兵たちは雷横についていくことを決心する。
李富は閻婆惜が死んだことを利用して、馬桂を取り込もうとする。その過程で唐牛児を洗脳し都合の良い話を信じ込ませ、馬桂にあわせて閻婆惜の死を宋江にせいにする。それを信じた馬桂は宋江に恨みを持つようになる。唐牛児は何者かに殺されてしまう。
袁明は李富に、馬桂を取りこむように指示する。李富は馬桂に家を与え、妾としてかこうことにする。李富は自身で馬桂を利用していると知りつつも、馬桂の肉体に心が惹かれていってしまう。
宋江は旅である村の保正の家で休むことになる。そこの村では上流の村で川の水が堰き止められている。それは保正の鐘静が博打で村の水を賭けて負けたことが原因だった。それがもとで宋江は穆弘と穆春の兄弟と知り合う。鐘静は村から追いだされる。穆春は兄の穆弘を慕うのと同時に恐れてもいた。宋江はしばらく穆家の家にやっかいになる。
梁山泊では湯隆という鍛冶屋が武器を製造していた。さらに湯隆は安道全のために鍼を製造したり、晁蓋のために刀を作ったりしていた。そんななか晁蓋はいよいよ梁山泊からでて政府に正式に戦いを挑む決心をする。そして梁山泊は鄆城を支配下におさめ、民政をひくうえでの予行練習のようなことをしようとしていた。
「天寿の星」「天殺の星」「天速の星」
李俊は童猛と童威とともに独自に塩の密売をしていた。李俊は塩の密売をしているだけではと疑問に思いはじめていた時、宋江と出会う。宋江は李俊の家に厄介になる。李俊の家には公淑という女がいて夫と子供を同時になくし、気がふれてしまっていた。
李立は江南の商人から塩を売って欲しいという仕事を持ちこむが、何かおかしいと思い、書類をそろえて密売をしていないことを装う。やはり罠だったが、賄賂を渡し切り抜ける。宋江は公淑のために欅の木を庭に植える。そして李俊と別れることにする。
穆弘と李俊は知り合いで、お互いを認めあう仲だった。宋江と別れた後、「替天行道」の旗のもと、叛乱を起こすことを決意する。そのことを穆弘に話し、いずれ穆弘も加わりたいと語る。李俊は山塞を築き、そこを拠点に反政府運動を起こすことにし、穆弘も陰ながら助ける。
宋江は江州にでむく途上に李逵と出会う。李逵は宋江都の出会いの中で母を虎に殺される。武松とともに虎二匹を倒す。李逵は宋江とともに旅をすることにした。
時遷は高俅に賄賂で取り込むことに成功したが、青蓮寺はそれを把握していた。青蓮寺は宋江のみならず楊志をなんとか殺そうと企む。楊志はようやく梁山泊に合流し、兵士を鍛え、梁山泊に兵を送り込んでいた。
蔡京は息子の蔡徳章を江州の知府にし、その下に黄文炳をつけることにする。その際、賊徒討伐のために一万の兵をあつめる。名目では蔡徳章が指揮する事になっているが、実際は青蓮時から派遣された黄文炳がすべてをまかされていた。
戴宗は飛脚を使った連絡網を国中に広げていた。宋江は戴宗に会うために江州に入りを果たす。黄文炳はそんな戴宗を不審に思い、直接会い尋問する。黄文炳は戴宗が叛乱軍側であることを確信する。
馬桂は李富との関係を深め、梁山泊のために諜報活動を行っていると見せかけて李富のために働く二重スパイとなる。馬桂は楊志を探るために済仁美と楊令に近づく。
四巻を読み終えて、アマゾンの低評価のレヴューをみる。そこにはこの小説は「深くない」というような意見が書かれている。まあ深くないですよ。でも、そんなもの求めることが野暮なんだとわからないものなのか。まあそんなこともわからないから、わざわざ低評価のレヴューをするのだろう。まず小説を読む姿勢がなってないといえる。
この北方版「水滸伝」は、正直あまりに陳腐な表現が散見されるし、あまりに登場人物の、特に宋江や晁蓋の描かれかたが安易だ。
しかし、この小説の読み方は、むしろ大叙事詩を読む感覚で読むべきもので、たとえば「マハーバーラタ」を読んで「ふかーい」と誰も思わないし、三國志を読んで人生訓を学べるわけでも、政治観を養えるわけでもない。とりあえず、この抒情詩に身を委ねて、だらだらと読むのがよくて、人生に悩みながら読む本ではないだろう。
それはさておき、ようやく話が大きく進みだした。楊志がいい感じに活躍しそうだ。
ここでおもしろいのが、叛乱をくわだてて、暴れる理由が志だけではなく、ただ単純に暴れたいだけという感覚を持ち出していることでしょう。これは、なかなか正直でいいと思う。
反政府運動はつねに道徳的な理念の実現のために行われるのではなく、単純な破壊衝動や暴力衝動に端を発していて、後付の理由として志だったりするわけだ。李俊や穆弘らが、破壊衝動から反政府運動に身を投じ、宋江によって高尚な志をもつようになる。時系列では、まず衝動があり、そのあとに自ら納得するといったところ。
それでいいじゃないか、と北方さんは言っているのだ。世には不純な動機を批判するむきがあるが、でも人間のこころってとても複雑だし不合理なわけで、不純な部分と、しかしこころから不正を正したいという感情がミックスされるのだ。
私の左翼の友人なんかは、ビジネスで金を儲けることに、一種の穢を感じているやつらが一定数いる。彼らにとっては一途に再分配を信じている。
でも、その穢が再分配を可能にしていることを、儲けたいという衝動が世を支えていることを、認めつつも穢としてみてしまう輩なのだ。
世直しのきっかけが何にであるにせよ、かまわない。アホみたいな潔癖主義はやめたほうがいい。
宋江が逃亡したことで、残された雷横は、李富に目をつけられてしまう。そこで柏世とともに鄆城からにげる。途上、追ってきた志英たちと戦場になる。すると幾人かの兵が雷横の味方を志英を打ち取るが、一緒に逃亡した柏世は死んでしまう。志英に背いた兵たちは雷横についていくことを決心する。
李富は閻婆惜が死んだことを利用して、馬桂を取り込もうとする。その過程で唐牛児を洗脳し都合の良い話を信じ込ませ、馬桂にあわせて閻婆惜の死を宋江にせいにする。それを信じた馬桂は宋江に恨みを持つようになる。唐牛児は何者かに殺されてしまう。
袁明は李富に、馬桂を取りこむように指示する。李富は馬桂に家を与え、妾としてかこうことにする。李富は自身で馬桂を利用していると知りつつも、馬桂の肉体に心が惹かれていってしまう。
宋江は旅である村の保正の家で休むことになる。そこの村では上流の村で川の水が堰き止められている。それは保正の鐘静が博打で村の水を賭けて負けたことが原因だった。それがもとで宋江は穆弘と穆春の兄弟と知り合う。鐘静は村から追いだされる。穆春は兄の穆弘を慕うのと同時に恐れてもいた。宋江はしばらく穆家の家にやっかいになる。
梁山泊では湯隆という鍛冶屋が武器を製造していた。さらに湯隆は安道全のために鍼を製造したり、晁蓋のために刀を作ったりしていた。そんななか晁蓋はいよいよ梁山泊からでて政府に正式に戦いを挑む決心をする。そして梁山泊は鄆城を支配下におさめ、民政をひくうえでの予行練習のようなことをしようとしていた。
「天寿の星」「天殺の星」「天速の星」
李俊は童猛と童威とともに独自に塩の密売をしていた。李俊は塩の密売をしているだけではと疑問に思いはじめていた時、宋江と出会う。宋江は李俊の家に厄介になる。李俊の家には公淑という女がいて夫と子供を同時になくし、気がふれてしまっていた。
李立は江南の商人から塩を売って欲しいという仕事を持ちこむが、何かおかしいと思い、書類をそろえて密売をしていないことを装う。やはり罠だったが、賄賂を渡し切り抜ける。宋江は公淑のために欅の木を庭に植える。そして李俊と別れることにする。
穆弘と李俊は知り合いで、お互いを認めあう仲だった。宋江と別れた後、「替天行道」の旗のもと、叛乱を起こすことを決意する。そのことを穆弘に話し、いずれ穆弘も加わりたいと語る。李俊は山塞を築き、そこを拠点に反政府運動を起こすことにし、穆弘も陰ながら助ける。
宋江は江州にでむく途上に李逵と出会う。李逵は宋江都の出会いの中で母を虎に殺される。武松とともに虎二匹を倒す。李逵は宋江とともに旅をすることにした。
時遷は高俅に賄賂で取り込むことに成功したが、青蓮寺はそれを把握していた。青蓮寺は宋江のみならず楊志をなんとか殺そうと企む。楊志はようやく梁山泊に合流し、兵士を鍛え、梁山泊に兵を送り込んでいた。
蔡京は息子の蔡徳章を江州の知府にし、その下に黄文炳をつけることにする。その際、賊徒討伐のために一万の兵をあつめる。名目では蔡徳章が指揮する事になっているが、実際は青蓮時から派遣された黄文炳がすべてをまかされていた。
戴宗は飛脚を使った連絡網を国中に広げていた。宋江は戴宗に会うために江州に入りを果たす。黄文炳はそんな戴宗を不審に思い、直接会い尋問する。黄文炳は戴宗が叛乱軍側であることを確信する。
馬桂は李富との関係を深め、梁山泊のために諜報活動を行っていると見せかけて李富のために働く二重スパイとなる。馬桂は楊志を探るために済仁美と楊令に近づく。
四巻を読み終えて、アマゾンの低評価のレヴューをみる。そこにはこの小説は「深くない」というような意見が書かれている。まあ深くないですよ。でも、そんなもの求めることが野暮なんだとわからないものなのか。まあそんなこともわからないから、わざわざ低評価のレヴューをするのだろう。まず小説を読む姿勢がなってないといえる。
この北方版「水滸伝」は、正直あまりに陳腐な表現が散見されるし、あまりに登場人物の、特に宋江や晁蓋の描かれかたが安易だ。
しかし、この小説の読み方は、むしろ大叙事詩を読む感覚で読むべきもので、たとえば「マハーバーラタ」を読んで「ふかーい」と誰も思わないし、三國志を読んで人生訓を学べるわけでも、政治観を養えるわけでもない。とりあえず、この抒情詩に身を委ねて、だらだらと読むのがよくて、人生に悩みながら読む本ではないだろう。
それはさておき、ようやく話が大きく進みだした。楊志がいい感じに活躍しそうだ。
ここでおもしろいのが、叛乱をくわだてて、暴れる理由が志だけではなく、ただ単純に暴れたいだけという感覚を持ち出していることでしょう。これは、なかなか正直でいいと思う。
反政府運動はつねに道徳的な理念の実現のために行われるのではなく、単純な破壊衝動や暴力衝動に端を発していて、後付の理由として志だったりするわけだ。李俊や穆弘らが、破壊衝動から反政府運動に身を投じ、宋江によって高尚な志をもつようになる。時系列では、まず衝動があり、そのあとに自ら納得するといったところ。
それでいいじゃないか、と北方さんは言っているのだ。世には不純な動機を批判するむきがあるが、でも人間のこころってとても複雑だし不合理なわけで、不純な部分と、しかしこころから不正を正したいという感情がミックスされるのだ。
私の左翼の友人なんかは、ビジネスで金を儲けることに、一種の穢を感じているやつらが一定数いる。彼らにとっては一途に再分配を信じている。
でも、その穢が再分配を可能にしていることを、儲けたいという衝動が世を支えていることを、認めつつも穢としてみてしまう輩なのだ。
世直しのきっかけが何にであるにせよ、かまわない。アホみたいな潔癖主義はやめたほうがいい。
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