2019/06/07

『十八の夏』 光原百合 双葉社

もう二十年前になるけれど、光原さんの『時計を忘れて森へ行こう』を読んでいて、当時僕は高校生だったこともあり、なんて清々しい小説なんだろうとちょっと感動した。もうかなり前のことなので内容もほとんど覚えてはいないけども。それから、記憶の片隅にはあったのだけれど、光原さんの小説は読まずにこれまできた。
とくに何かあったわけでもなく、ふと思いついたので読んでみた。
「十八の夏」は、高校生が年上の女性にいだく恋心のようなものを書いていて、その女性は主人公の父親に心を寄せているといった話。
「ささやかな奇跡」では、書店を営む女性に恋心抱いてしまった、妻と死に別れた子持ちの男が、息子に誘われて女性と結ばれる話。
「兄貴の純情」は、演劇をしている兄が勘違いで好きになった女性は実は結婚していて、告白する間際にそれに気づき、これまでにない演技で何事もなかったかのように振舞うという話。
「イノセント・デイズ」は、塾を営んでいる男のかつての教え女の子の両親の死で苦しんで、自ら命を絶とうとする話。

どの話も淡く、胸をうずかせるに内容なのだけれど、やはり読む時期を逸してしまったかと思った。おそらく十代か二十代前半に読んでいたら、もっと心にくるものがあったかもしれなけれど、もう三十代の真ん中あたりの僕には、ちょっと青すぎる話だった。
それと、セリフなんかもちょっと今の僕にはうけつけない感じのやりとりで、例えば「十八の夏」で、主人公が紅美子を看病した際の会話、

「どうもありがとう」
・・・・・・紅美子は片手を拝むように立てた。
「いいですよ。恩は倍返しが世間の決まりです」
「・・・・・・オニ」
「はいはい。とっとと寝て早く元気になって、恩返ししてくださいね」

なんとも青すぎる会話ではないか。紅美子の設定は20代後半。「オニ」なんて普段の会話で使わないわけではないけど、この状況で使われるとなんかファンタジーを感じてしまう。「はいはい」とあしらう感じも、赤面してしまう。僕が活字として、ラノベをうけつけない理由が同じで、会話があまりにも非現実的に感じられてしまうからなのだ。
と、まあいまの僕にはちょっとすんなりと読める作品群ではなかったけれども、それはそれとして、ちょっと高校生の頃を思い出しただけでも、甘くて切ない時間を少しは取り戻せたかな。
定期的にやってくる世の中にすねる時期に読んでいたら、解毒剤になったかもしれない。

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