和辻哲郎『日本精神史研究』(岩波文庫)を繙く。
和辻は本論考で、桐壺と帚木との関係を説いており、現在では源氏研究では当たり前のようだが、たしか秋山『源氏物語』(岩波新書)では、和辻のこの論文を紹介し、ここから源氏研究の道筋が創られたとか書いてあったかと思う。
「我々の知るところでは、光る君はいかなる意味でも好色ではない。しかも突如として有名な好色人光源氏の名が掲げられれうのは何ゆえであろうか。」(205)
「「語り伝へけむ」とはこの物語、この後の巻々のことである。かく宣長がこの発端の語に注意すべきものを見いだし、これを全篇の「序」とさえも認めた事は、彼が古典学者としてよき洞察力を持っていたことを明証するものであるが……世人は彼を好色人というが、しかし実は「なよひかにをかしき事はなく」、好色人として類型的な交野の少々には冷笑されるだろうと思える人なのである。
『源氏物語』を読んでいて、当惑するのが、あたかも「みなさんご存知のように」と言ったように人間関係だとかが出来上がっているようで、読者に相応の前提知識を要求する。例えば「夕顔」で六条の御息所は唐突すぎる。和辻も書いており、「六条あたりの御忍びアルキ」という一語が光源氏との情事を暗示させるものとはなっていない、読者はそれを絶対に悟りえないと言っている。(210) これは心強い言葉である。
夕顔との恋が単なる一挿話にすぎない印象があるのもそのとおりで、六条の御息所と藤壺との恋が本作のテーマであるのだが、それ記述も薄い。
つまりは源氏の物語は、当時すでに伝説となっており、いくつかの原型となる物語は流布していたり、宣長からすれば帚木は桐壺系の物語による光源氏への誤解を批判するために書かれているしているようで、この場合、帚木は桐壺の後に書かれている。
とにもかくにも、『源氏物語』が、現在の形となったのも不明だし、現在の順番は書かれた順でもない、と。
「『源氏物語』の芸術的価値については、自分は久しく焦点を定め惑うていた。」(216)
そう和辻は『源氏物語』を本居宣長のように絶対的なものとして見なしていない。
「古来この作が人々の心を捕えたのは、ここに取り扱われる「題材」が深い人性に関与するものなるがゆえではなかろう。」(216)
和辻は『源氏物語』の描写の不十分さを指摘する。視点が定まらず混乱していることを批判する。主格をのぞいて書いておきながら、薫、姫君、作者の視点が相接しており、悪文であると。
では和辻はこの物語の何を美しいとしたのか。
「最も美しい部分は、筋を運ぶ説明によって連絡せられたこれらの個々の情景である。」(219)
そしてさらにこの物語の作者を紫式部一人に帰すことができないこと、そしてこれは複数の執筆者が紫式部を筆頭とする「一つの流派」が描いたのかもしれないと想像する。構図のまずさ、源氏の人格のなさなど、『源氏物語』は多くの困難がある。
しかしこの物語から「一つの人格を具体的存在としての主人公を見いだすことができなくもない。
「それは自己の統御することのできぬ弱い性格の持ち主である。しかしその感情は多くの恋にまじめに深入りのできるだけ豊富である。従ってここに人性の歓びとその不調和とが廓大して現わされる。この種の主人公が検出させたれたとき、『源氏物語』の構図は初めて芸術品として可能なものとなるであろう。」(220)
弱い性格、次に収録されている「「もののあはれ」について」で論じられることと関係している。
とまあ、和辻哲郎は「源氏物語」に一定の距離を置いている。正岡子規の古今和歌集批判の延長として見る向きもある。モダニズムからみて平安文学の不完全性というかあまりに技巧的すぎるところなど、感情を二の次に置いているところなんかが、正岡子規以降の平安文学批判だと思う。
しかし、和辻の言わんとしていることを、こういったモダニズムの枠組みだけで捉えるのは、和辻への敬意もなくしているものと思う。そもそも1889年生まれで、すでに近代への懐疑をもって育っている。だからこそ彼はハイデガーやニーチェなんかをやっていたわけですし。
人間は時代の制限から自由ではないにしても、和辻は「源氏物語」の評価の仕方では、けっして偏っているとはいえないと思われる。
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