2021/06/10

和辻哲郎「『もののあはれ』について」を読む。

「「もののあはれ」を文芸の本意として力説したのは、本居宣長の功績の一つである。彼は平安朝の文芸、特に『源氏物語』の理解によって、この思想に到達した。文芸は道徳的教戒を目的とするものでない、また深淵なる哲理を説くものでもない、功利的な手段としてはそれは何の役にも立たぬ、ただ「もののあはれ」をうつせばその能事は終わるのである、しかしそこに文芸の独立があり価値がある。このことを儒教全盛の時代に、すなわち文芸を道徳と政治の手段として以上に価値づけなかった時代に、力強く彼が主張したことは、日本思想史上の画期的な出来事と言わなくてはならぬ。」(221)

「「あはれ」は悲哀に限らず、おもしろきこと、楽しきこと、おかしきこと、すべて嗚呼と感嘆されるものを皆意味している。」(222)

ではなぜ文芸の独立を「もののあはれ」によって成立するのか。
「もののあはれ」は「心のまこと」「心の奥」であるという。何か。

「すなわち彼にとっては、「理知」でも「意志」でもなくてただ「感情」が人生の根底なのである。従って、表現された「物のあはれ」に没入することは、囚われたる上面を離れて人性の奥底の方向に帰ることを意味する。」(224)

本居宣長はいかなる感情も「もののあはれ」といっても、それでは浄化作用として機能しない。そこで制限を加える。
自然的な感情ではなくそれを克服した「同情」、感情が純であること、深く知ること、感傷的ではない真率な深い感情
これらの制限を設け、「「物のあはれ」は、世間的人情であり、寛いhumaneな感情であり、誇張感傷を脱した純な深い感情であることがわかる。……自己を没入することは自己のきよめられるゆえんである……かくて彼が古典に認める「みやび心」、「こよなくあはれ深き心」は吾らの仰望すべき理想となる。」(226)

「彼のいわゆる「まごころ」は、「ある」ものでありまた「あった」ものではあるが、しかし目前には完全に現れていないものである。そうして現れることを要請するものである。……彼が人性を奥底を説くとき、それは真実在であるとともに当為である。」(227)

「「もの」は意味と物とのすべてを含んだ一般的な、限定せられざる「もの」である。……究竟のEsであるとともにAllesである。「もののあはれ」とは、かくのごとき「もの」が持つところの「あはれ」……にほかならぬであろう。我々はここでは理知及び意志に対して管所言うが特に根本的であると主張する必要をみない……そうしてその根源は、ここのもののうちに働きつつ、個々のものをその根源に引く。我々がその根源を知らぬということと、その根源が我々を引くということは別事である。「もののあはれ」とは畢竟この永遠の根源への思慕でなくてはならぬ。歓びも悲しみも、すべての感情は、この思慕の内に含む事によって、初めてそれ自身になる。意志せられると否とにかかわらず、すべての「詠嘆」を根拠づけるものは、この思慕である。愛の理想を大慈大悲と呼ぶことの深い意味はここにあるであろう。歓びにも涙、悲しみにも涙、その涙に湿おされた愛しき子はすなわち悲しき子である。かくて我々は過ぎ行く人生の内に過ぎ行かざるものの理念の存する限り、――永遠を慕う無限が内に蔵せられてある限り、悲哀をは畢竟は永遠への思慕の現われとして認め得るのである。」(229)

「「物のあはれ」とは、それ自身に、限りなく純化され浄化されようとする傾向を持った、無限性の感情である。すなわち我々のうちにあって我々を根源に帰らせようとする根源自身の働きの一つである。文芸はこれを具体的な姿において、高められた程度に表現する。それによって我々は過ぎ行くものの間に過ぎ行くものを通じて、過ぎ行かざる永遠のものの光に接する。」(230)

「「物のあはれ」という言葉が、その伴なえる倍音のことごとくをもって、最も適切に表現するところは、畢竟平安朝文芸に見らるる永遠の思慕であろう。
平安朝は何人も知るごとく、意力の不足の著しい時代である。……貴族生活の、限界の狭小、精神的弛緩、享楽の過度……意志の強きことは彼らにはむしろ醜悪に感ぜられたらしい。それほど人々は意志が弱く、しかもその弱さを自覚していなかったのである。……飽くまでも愉悦の杯をのみ干そうとする大胆さではない。彼らは進む力なく、ただ両端にひかれて、低徊するのみである。かく徹底の傾向を欠いた、衝動追迫の力なき、しかも感受性においては鋭敏な、思慕の強い詠嘆の心、それこそ「物のあはれ」なる言葉に最もふさわしい心である。我々はこの言葉に、実行力の欠乏、停滞せる者の詠嘆、というごとき倍音の伴なうことを、正当な理由によって肯くことができる。
かくて我々は「物のあはれ」が平安朝特有のあの永遠の思慕を現わしているのを見る。」(231-232)

「「物のあはれ」は、厳密に平安朝の精神に限らなくてはならぬ。」(233)

「「物のあはれ」は女の心に咲いた花である。女らしい一切の感受性、女らしい一切の気弱さが、そこに顕著に現れているのは当然であろう。しかも女が当然の最も高き精神を代表するとすれば、この女らしい「物のあはれ」によってこの時代の精神が特性づけられるのもまたやむを得ない。……それは男性的ななるものの欠乏に起因する」(235)

これ以上に「もののあはれ」の論考はないかと思う。

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