2021/03/30

『反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー』 ジェームズ・C・スコット/立木勝訳 みすず書房

僕らは国家を基準にしか歴史を検討できない。国家管理が永続的なものだという幻想ももっている。
驚くべきことに、定住が行われはじめていた紀元前5000年、6000年では乾燥地帯ではなく湿地帯だったという。沖積層が現在の水準よりも10メートル以上低かった。乾燥地帯だったというのは現在を過去に投影したにすぎない。
初期の定住は沖積層で発生している。
湿地帯では大規模な灌漑整備を必要とせず、食物獲得においてのポートフォリオでは狩猟、漁労、採食、採集といった多様性に富んでいた。そしてこのような環境では単一の強権的な国家はできなかった。湿地では強権的に徴税する必然性もなく、穀物を備蓄すること、インフラの整備などにうおる労働集約を必要としない。湿地は共有資源だった。
スコット氏はここで氾濫農法(減水農法)を上げている。定期的な河川の氾濫は、土壌を豊かにし、農業で最も労働をさく施肥、耕作、種まきをコストゼロで達成できる。

農業が人類進化の一因だったかもしれないが、狩猟採集よりも当初は優れていたというわけではない。遅延リターンとして、農業が将来への投資としてい位置づけている説もあるが、狩猟採集でも保存食は作られるし、道具も必要となる。ある面では農業よりも複雑な協働と調整が必要になる。農業の有利であるわけではまったくない。
狩猟採集民は湿地、森林、サバンナ、乾燥地などを股にかけ食料をとるゼネラリストだった。国家の分業社会では、人間の生涯の貧困を見ている。

「ブロードスペクトラム革命」というのがあり、これは何かしらの理由で栄養価が低い資源を活用せざるを得ない状況になり、耕作農業、家畜の飼育という労苦に到達したというもの。また人口圧が高まったために以前より多くの者を周辺環境から採取する必要もでてくる。ここから集約的な作物栽培、家畜飼育が必要となっていく。
これにより疫病のリスクが成り立つ。都市化が郡性疾患を主な死因にした。狩猟採集民においては腸チフス、アメーバ赤痢、ハンセン病などの人間以外の生物が保有している宿主のものが主だった。フェロー諸島の麻疹の例が興味深い。これは『1493』に書いてあったか。ここから教訓をえるとすれば、感染病は全員がかかって集団免疫と免疫を持たないものが全員死ぬまで続くということであり、また感染病は波をもっていることだろう。ある程度の人口がいることで感受性の強い宿主が一定程度存在し、そしてこれらの人に感染して、恒久的な感染が維持される。

著者は農耕文明の隆盛にはまさに定住自体に答えを見いだしている。狩猟採集民のほうが労働時間は短く、栄養価では優れていたが、出生率は定住の方が高かった。たとえ定住の場合死産の割合が高くてても、多産であるため狩猟採集民よりも人口増に貢献した。これは長い年月、2000年とか5000年という歳月でみると大きな差として現れてくる。

本書における国家とは何か。それは税の査定と徴収専門として、単数もしくは複数の支配者に対して責任を負う役人階層を有する制度、としている。そしてさらに言えば、分業があり、階級社会となっていること。この条件当てはまる国家が紀元前3200年までに登場したウルクだった。
国家は穀物を税として徴収する。なぜなら運搬、保管、収穫の面で他の作物よりも国家にとって都合が良いからという。
国家が文字をもつ動機は、行政運営のためで、メソポタミアでは簿記目的以外で使用されるには、文字の出現から500年以上も経ってからとなる。ウル第三王朝のギルガメッシュ叙事詩は紀元前2100年まで遡れるが、楔形文字が商業や行政で使用されて方1000年もあとになる。文字は行政を強く連想させるものだった。
本書のおもしろい指摘は、国家が人口管理を基本としているということだ。これはフーコーの近代国家の生権力にも繋がるところ。
人は常に外部に流、死亡率も高かった。城壁は外敵から守ると同様に、内部の人間の外部への流出を防ぐためでもあった。死亡率や出生率が重要な要素となり、人口が減れば外部から調達する必要にがでてくる。それは戦争によって調達されていく。奴隷も同様に生産に従事させられていく。戦争の一番の目的は領土獲得ではなく捕虜の獲得だったといってもいい。

本書の最大の魅力はもう一つ、「崩壊」について語るところだ。中央集権の終わりは暗黒時代をもたらしたのではないということだ。
古代の国家は疫病や天変地異、気候変動や戦争、または環境破壊などにより非常に脆弱だった。ウル第三王朝が五代の王が引き継ぎ100年続いたことが異例中の異例だったという。
何かしらの理由で国家が崩壊しても、住民たちも一斉に消滅したり死んだりするわけではない。外部へと逃亡する。
国家の崩壊は必ずしも文明や文化も同時に消滅したことを意味していない。離散していった民衆たちは、文化を保持しながら生きていた。国家管理の時代よりも栄養面であったり労働面でも優れていたと思われる。
例えばイリアス、オデュッセイアは古代ギリシアの暗黒時代に語り継がれたものであり、それが後世に文字で残されたにすぎない。たんに暗黒時代には巨大な建築物やインフラ整備、生産活動が行われず、現代からは何も見えないことで、我々からすれば「暗黒」になるにすぎない。

定住と遊牧、狩猟採集の境界を明確に線を引くことができないのかもしれない。
国家が崩壊したあとの暗黒時代は暗黒であったかどうかは議論がある。狩猟採集民や遊牧民たちは、定住している集落や国を略奪することがあったが、しかしだからと言って常に略奪をしていたわけではない。そもそも集落や国家が少ないのだから、略奪するよりは交易をするほうがいい。また国家よりも遊牧民のほうが武力で優り、そのため交通の安全は遊牧民にかかっていた。遊牧民たちは、国家に交通の安全と引き換えに貢物を要求する。
このあたりの話は、モンゴルでもお馴染みになっている。

遊牧民たちは国家に手を貸していたが時代、それは彼らにとって黄金時代だったか、いつのまにか立場は逆転をしていく。彼らは国家の発展に手を貸し、自分で自分の首をしめていた。

0 件のコメント:

コメントを投稿