2020/09/26

『太平洋戦争』(上・下) 児島襄 中公新書

出版が1965年~1966年。
すでにこの時代に基本的なことが情報がすべて出揃っている。現在からすると、かなりバランスの取れた記述になっている。日本軍への思い入れも当然あるが、作戦の不備や戦略の甘さを指摘しているし、アメリカ側の欠点も優秀さもきちんと書いている。
児島襄は保守の側だったので、本書の性格も当時の保守的考えを反映している。日本軍への思い入れが通奏低音になっているが、本書を読んでいればわかる通り、児島氏は太平洋戦争を肯定はしていない。そりゃそうだ。
戦争というものが、つねに不確定要素を含み、みんながみんな状況判断を間違える、そんなものなんだというのがよくわかる。太平洋戦争を戦略、戦術の側面から書かれていて、これはなかなか貴重。全体的に戦争がどのように進行していったのかの概観がわかる。

真珠湾攻撃における日本の未熟な戦争観があるという。日本海軍にとって戦う相手は軍艦であり、基地や施設は二の次だった。近代戦は総合的戦力の戦いであり、単純な戦闘の集積ではない。ハワイへの再度の攻撃をしなかったことは戦術上の誤りだった。とはいいつつも、真珠湾攻撃によってアメリカの作戦に変更が加えられた。山本五十六はアメリカの戦争準備を遅らせるためにも、行う必要があった。

シンガポール攻略においては、華僑の反抗が激しく、そして日本軍も華僑の大量処刑を行うなどした。
華僑の反抗が日本軍を刺激したのか、日本軍の偏見が華僑の抗戦意欲を燃えたたせたのか、事件の遠因近因は複雑にからみあっているが、太平洋戦争をくろくいろどる不祥事であることは変わりない。こうした日本は、初戦に置いて早くもアジア人を敵にまわし、戦争遂行に必要な原住民の協力を失った。マレー、シンガポールの華僑は、この事件(華僑処刑事件)によって、ますます反日態度を固め、シンガポール市、マレー半島における活動は、その後決してやむことはなかったのである。(上163)
バターン死の行進なんかも、いまじゃ日本のど根性魂の象徴みたいに扱われることが多いが、予期しない数万にもおよぶ捕虜の扱いをバターン半島でどう扱うかというのは、頭で考えるよりも難しい。バターン死の行進も歴史を語るうえで埋まらない溝がある。アメリカからすれば虐待だし、日本からすればアメリカもアメリカでマッカーサーは逃げるし、残された米兵や原住民をどうすりゃいいんだとなる。とはいっても本書でも指摘しているように、日本軍によるアメリカ軍捕虜への虐殺もあったようなので、暗い戦争側面を表している
バターン攻略でも、日本軍は攻撃しないで、包囲していれば自ずとマッカーサーは物資不足で投降せざるをえなかったが、日本軍は攻撃したことで、マッカーサーは英雄にもなり、宣伝にも使うことができた。

フィリピンの原住民たちは、マッカーサーの「I shall retarn」を冗談のように使っていたという話が載っている。

「軍曹どの、便所に行って参ります。でも、私は帰って参ります(アイ・シャル・リターン)。」 

「よし、オレも行く。だが、お前たち、さぼるんじゃないぜ。オレも”アイ・シャル・リターン”だからな」(上191-192)

うける。
上巻はガダルカナル島の戦いで終わる。ミッドウェイ海戦までは日本軍が連戦連勝だったが、次第に雲行きが怪しくなっていく。最後、ガダルカナル島の戦いの章の最後、上巻の最後に児島氏は「悲惨のきわみである」と締めくくっている。

下巻からはもうすでに日本軍の快進撃はない。
参謀本部の情勢判断は杜撰なものであることはわかるが、アメリカ側もたいしたことがないようで、情報を正確に得るなんてことはまず不可能であり、そしてそんな状況下で戦争を遂行するのだから、そもそも長期的な戦略なんてものがどれほど役に立たないか。
零戦の優位も1943年ごろにはあくなっており、米軍も牛革、人造ゴム、天然ゴムの三重でタンクを張り合わせ、13ミリ、20ミリの機銃弾ではジェラルミンの機体に穴をあけてもこの三重の壁を突き破れなくなっていたという。
ウェーキ島を攻略した際、英米軍の通信線を遮断させたことが勝利の鍵だったが、今度は逆にべチオ島の戦いで日本軍が遮断されてしまったウェーキ島の教訓を吟味せず、単に一つひとつの戦いの勝敗のみに気を配っていたためだ。一人ひとりの日本兵は精鋭で奮闘するが、戦争は組織と組織の戦いのため、いずれは負けることになる。
米軍はタラワ戦の教訓からトーチカの破壊方法を学んでいく。
ソロモンの戦いは悲惨だが、トラックを守るためには必要と判断されていた。にもかかわらず、そのトラック戦わずにを捨てることに判断をしたり、参謀本部の混乱というのがよくわかる。
多くの戦いが、単発的で、戦略的ではなく、場当たり的になっていく。そして戦闘機や兵をそのつど失い、消耗していく。

インパール作戦も今回はじめて地図で追いながら、ざっと時系列を知った。素人の僕にはよくわからないが、師団長のやる気のなさがこの戦いの敗北のい一因であるようだが、それだけでなくインパールを獲得した後の補給の問題やらも未解決だったようだ。いずれにせよビルマの安泰と援蒋ルートの遮断、そしてインド独立運動を激化させるために作戦がたてられたが、よくもまあ戦線をそこまで拡大するなあと素朴に思う。
米軍からみればミチナ(ミッチーナ)攻略は、中国から日本本土へのB29での空爆のための補給基地とし必要だったという。そうなのか。
インパールは現在でも秘境といっていい。マニプル州はなかなか行きにくいし、バングラデシュや中国に挟まれているし。行くには仕事をやめるしかない。
牟田口中将のジンギスカン作戦は無謀かつ夢想的作戦とされているが、じっさい険しい山のなかではそれしか道がなかったし、そうはいっても結局はこの作戦も失敗する。牟田口中将の思想は不可能を可能にすることが軍人の本務というものだから、部下がインパール作戦の無謀さを批判しても、結局は聞く耳がないわけだが、しかしどんな組織でも同様なものだろう。
日本軍の猛撃もすさまじかったようだが、結局は負ける。なんだかね。

いよいよ終盤、大西瀧治郎中将の提案で「神風隊(しんぷうたい)」が結成される。当初は局所的な臨時的な作戦で、レイテ島沖海戦での敵空母を叩くためだった。しかしレイテ島の戦いは決戦にはならずに終了する。
栗林中将の硫黄島の戦いの記述もある。ペリリュー島と硫黄島の戦いのみが、陣地確保しつつ持久戦をとる戦法をとった。他では守る側が突撃攻撃をして敗北を早めていた。こういうところでも潔さを良しとする美学が仇となっているが、はたしてこの感覚は伝統的なものなのかどうか。いずれにしても、戦争時にはあまりいいものではないが、平時では悪くない精神だとも思う。

本書はあくまで戦略、戦術の観点から太平洋戦争を描いている。
太平洋戦争を断罪したり、弁護したり、判決する前に、なによりも戦争をして戦争を語らしめることを心がけた。」(上iv)

個々の戦場ではかなり悲惨な現状があるにせよ、戦争がどのように作戦がたてられ、遂行され、戦われて、勝敗がつくのか。そこには国の文化、伝統、思想がまさにむきだし露わてくる。 

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